屋敷へ
「……ここ、は?」
「公爵家。俺の家で……これからはアビゲイルの家になるな」
馬車がたどり着いたのは、グレイアムの家だった。
少し灰色がかった壁には年季を感じたが、手入れがされているからか古臭さは感じない。
腕のいい庭師がいるのだろう。
庭や入り口には美しい花々が咲き誇り、すんっと鼻を鳴らすと心地よい香りが肺いっぱいに広がる。
日のあたりがいいからか、なんだか居心地のよさを感じてしまう。
「両親はもう亡くなっていて、今では俺が当主だ。腹違いの妹がいるが気にしなくていい。あと少しすれば結婚して嫁いでく」
「……そうなの?」
「そうなれば二人の家だ。気づかう必要もないさ」
そうは言ってもさすがに緊張してしまう。
グレイアムがこれほど歓迎的であろうとも、家の人もそうとは限らない。
アビゲイルのことを国民が知らないはずがなく、きっとここの使用人たちも思っているはずだ。
嫌われ者の王女がやってきたと。
「さ、馬車を降りよう。手を」
「……はい」
でも、不思議と怖くはない。
はじめてくる場所なんて、不安しかないはずなのに。
差し出された手に触れれば、それはやはり温かい。
先に降りていたグレイアムに引っ張られる形で馬車を降りれば、そこには出迎えであろう使用人たちが待ち構えていた。
「――っ」
たくさんの瞳がアビゲイルを映す。
その瞬間、気づいたら俯いてしまっていた。
無意識にもいつもは耳にかけている長めの前髪で、目元を隠そうとした。
その動きは習慣付いてしまっているものだ。
少しでも人にこの赤い目を見られたくなくて……。
長い前髪の間からちらりと使用人たちを見れば、彼らはアビゲイルを注視していた。
「…………あ、っ」
「今日から俺の婚約者になったアビゲイル・エレンディーレだ。この屋敷で花嫁修行をしてもらう」
ひゅっと音を立てて息を飲む。
そんな紹介をされるなんて思っていなくて、グレイアムの背後に思わず隠れそうになった時だ。
なぜか使用人たちが一斉に腕を上に上げた。
「やっ、たぁぁ! やっとご当主様が結婚する気になったぞぉぉ!」
「これでブラックローズ家も安泰ですね!」
「エイベルさん! よかったですねぇ!」
「……はいっ。ぼっちゃんが生まれた時からこのお屋敷に仕えておりますが、やっと……! やっと心穏やかに過ごせるというものです」
なにやら涙ぐんでる人もいる。
彼らの言葉を聞く限り、もしや歓迎されている……?
とアビゲイルは信じられないと己の目を疑った。
「ぼっちゃん! エイベルは嬉しゅうございます……!」
「ぼっちゃんはやめろと何度も言ってるだろう。俺は公爵家の当主なんだぞ?」
「外ではご当主様とお呼びしますが、屋敷の中ではまだまだぼっちゃんです」
ものすごく嫌そうな顔をしつつもグレイアムはそれ以上言わなかった。
どうやらエイベルと呼ばれた初老の男性には頭が上がらないらしい。
格好や年齢、さらには当主であるグレイアムにこんな態度をとれるなんて、もしかしたら彼がこの家の家令なのかもしれない。
彼は真っ白なハンカチで濡れた目元を拭いつつも、アビゲイルの元へとそっと近づいてきた。
「アビゲイル王女殿下。ようこそお越しくださいました」
「――あ、っ」
優しく威圧感ないように話しかけてくれたのに、アビゲイルはグレイアムの背中に隠れてしまう。
せっかく声をかけてくれたのに、と己の意気地なさに嫌気が差しつつも、せめてとグレイアムの背中からほんの少しだけ顔を出す。
「あっ、り、がとう……ございます」
「――いえいえ。お疲れでしょう。どうぞごゆっくりお過ごしください」
深い皺が刻まれた目尻を下げて微笑むエイベルに、アビゲイルは黙って頷いた。
どうやら本当に歓迎されているようだ。
もちろん他の使用人の中には訝しんだ表情を見せるものもいたが、概ねほとんどのものたちがアビゲイルに好意的な視線を向けている。
一体なぜなのだろうと思いつつも、グレイアムに腕を引かれ屋敷の中へと入った。
中もまた歴史を感じるものではあったけれど、やはり手入れや掃除が行き届いており、古風な雰囲気を感じる。
屋敷の中のとある一室へと案内され、アビゲイルはその室内の様子にあんぐりと口を開いた。
「……綺麗」
開いた窓から爽やかな風が吹き込む。
太陽の光が差し込む室内は明るい。
カーテンやソファーなどは基本的にグリーン系でまとめられている。
テーブルに飾られている小さな白い花も可愛らしく、少しでも居心地がいいようにと考えて準備してくれたのがわかる。
ソファーに腰を下ろせば、グレイアムも隣に座った。
「騒がしくして申し訳ない。大丈夫か……?」
「大丈夫……。その、優しい人たちで驚いたわ。彼らはどうして……?」
アビゲイルのことを歓迎してくれるのだろうか?
普通ならもっと、この赤い目を忌み嫌うはずなのに。
「私のこと、知らないわけじゃないでしょ? ならもっと……」
「大丈夫だ。君に求婚すると決めた時からこの屋敷の意識改革を進めた」
「意識改革……?」
「簡単にいうなら調教した」