愛してる
結婚……?
とアビゲイルはポカンと口を広げた。
結婚? 結婚とはあの結婚だろうか?
男女が夫婦となりいずれ子を成すあの……?
とそこまで考えて、アビゲイルは体の中の熱がゆっくりと落ちていくのを感じた。
「…………なに、考えてるの?」
「なにとは? 言葉の意味のままだが……」
「……馬鹿なの?」
ああ、嫌だ。
くしゃりと顔が歪むのがわかる。
またこうやって、この心は傷つくのか。
もう何度目だと、胸元を強く握りしめた。
「ああ、なるほど。王女という立場が欲しいのね? おあいにく様。あなたも知ってるでしょうけど、私には王女としての価値すらないわよ」
王と王妃の子でありながら、王族としての証を一つも持たずに生まれたアビゲイル。
確かにその体に流れる血は尊いものであるけれど、この国の誰一人としてアビゲイルと結婚しようなんて思わない。
もし仮に自分の子供に『赤』か受け継がれたら。
そう思うだけでみな怖がるのだ。
だから王族という立場でありながら、婚約者の一人もいない。
アビゲイルはここで生き、死んでいくだけの存在だ。
「王女としての価値を望むなら私じゃなくて、妹のアリシアのほうが――」
言い切る前に腰に手が回された。
「よっと!」
「ぴゃ!?」
ふわりと花びらのように体が浮いたと思えば、途端に足元の安定感をなくす。
というより地に足がついていない。
抱き上げられたのだと気づき、慌てて目の前にいるグレイアムの頭に抱きつけば、彼はそのまま部屋を出ていく。
「ちょ、ちょっと! あなたなに考えて……」
「俺はアビゲイルだから結婚を申し込んでるんだ。他人を紹介されるのは正直しんどいものがある」
「…………あなた、私が誰かわかってるの?」
「嫌われ王女だろう?」
「なら!」
意味がわからない。
この国の誰からも嫌われている王女に婚姻を申し込むなんて。
「だが俺は愛している」
「――は?」
「俺はアビゲイルを愛している。だから結婚を申し込んだ」
愛してる?
ちゃんと顔を合わせたのもはじめてなのに?
なにを言っているんだと呆然とするアビゲイルを廊下に下ろすと、グレイアムは忌み嫌われる赤い瞳をまっすぐ見つめてきた。
「アビゲイル、君をこの牢獄から連れ出す。だからこの手をとってくれ」
なんなんだ。
この人は。
この目をまっすぐ見つめてくることすらおかしいのに、こんなことを言ってくるなんて。
とくんっと胸が高鳴るのを、必死になって抑え込む。
だめだ。
期待なんてしてはいけない。
アビゲイル・エレンディーレは愛されることのない、赤い目を持つ女なのだから。
「あなたは、気味が悪くないの? この赤い目が」
「――なるほど。君が渋る理由がわかった気がする」
グレイアムは何度か頷くと、またしてもまっすぐにアビゲイルの瞳を見つめた。
そういえば、こうして真正面から目を合わしてくれた人は、どれほどいただろうか?
両親ですら目を合わせてはくれなかったのに。
「俺は転生者、というやつだ」
「てん……? なに?」
「別の世界で生きていて、死んでこの体に乗り移ったというやつだ。だから俺は本当のグレイアムではない」
この男はなにを言っているのだろうか?
聞き馴染みのない言葉ばかりを使われるから、アビゲイルの眉尻がどんどん下がっていく。
「この世界は妹がやっていた『ミモザの愛』という恋愛ゲームなんだ。そこでは第二王女のアリシアが主人公として、たくさんの攻略対象と恋愛をしていくんだ。その時のお邪魔キャラがアビゲイル、君だ」
「おじゃ……?」
「アリシアをいじめたりして最後には断罪されるらしい。妹がやっていたのを隣で見ていただけだから、あまり詳しい知識がないんだ。すまない」
「え? あ、いえ。そんな……」
なぜ謝られたのだろうか?
下げられた頭を真似するように、アビゲイルも軽く会釈をする。
だめだ。
彼の言っていることの半分も理解できない。
頭の処理が追いついていないアビゲイルを放って、グレイアムは力強く語った。
「だが俺は! 画面の向こうのアビゲイルに恋をした! こんなに綺麗で美しい瞳が禁忌? この国の連中は馬鹿なのか?」
「――」
今、この人はアビゲイルの瞳を美しいと言わなかったか?
血のように赤い不吉な瞳。
これがあるから自分は誰からも愛されず、人々から嫌われていたのに。
「まるで宝石だ! キラキラ光る、ルビーのような瞳。俺はこんなに美しい瞳を見たことがない!」
この目を、褒められる日がくるなんて……。
「アビゲイル。俺はその瞳に恋をした。一目惚れというやつだ! それから俺は君のことを調べまくった。だから全て知っている。知っていて告白をしている!」
爪はぼろぼろ。
指先はささくれ、骨張って柔らかさとは無縁の手を強く握られる。
「俺がこの世界に転生したのは、君を愛し幸せにするためだ! だから……結婚してくれ」
彼が紡いだ言葉をほとんど理解できなかった。
どうして彼がアビゲイルにこんなことを言うのか、理由がわからないというのに――。
「……本当に、思ってるの? 私の目が、綺麗だって」
「もちろんだ。叶うならずっと見つめていたいほど美しい」
黒曜石のように鋭い目元が優しく溶けだし、ほんのりと赤みが増す。
照れくさそうなのに、それでも彼の瞳にはアビゲイルだけが映っている。
――そんなの、もう答えじゃない。
「アビゲイル。俺は君を幸せにするためだけに、ここにいる。……どうか、信じて欲しい」
「…………っ、」
突然現れて嫌われ者の王女に求婚した、公爵家当主。
一体誰が信じられると言うのか。
だめだ。
この手をとって、裏切られたらどうする?
愛されるわけがないと、わかっているはずだ。
この目を誰も、見てくれるはずがない。
――わかっているのに。
「……わ、私を、愛して……くれるの?」
ぽろりと口から溢れた言葉に、グレイアムは深く頷いた。
「もう愛している。アビゲイル」