その日
アリシアと別れたタイミングでヒューバートが戻り、やっと公爵家に帰ることができた。
アビゲイルを出迎えてくれた使用人たちはみな、涙を流して喜んでくれる。
特にララとリリ、そしてレオン。
さらにはエイベルまでボロボロと涙を流しながら何度もおかえりなさいといってくれて、改めてアビゲイルの家がここであることを理解することができた。
再会も早々に、疲れているだろうからと部屋へと戻ってきたアビゲイルは、懐かしい部屋の様子にほっと息をつく。
戻ってこれたのだ、公爵家に。
もう二度と見ることのないと思っていた景色をこの瞳に写っている。
それが、本当に嬉しかった――。
「――アビゲイル。少しいいか?」
歓喜に少しだけ涙が溢れそうになっていると、扉の外から声がかけられた。
返事をすれば部屋の中にグレイアムが入ってくる。
「…………おかえり。少し話をしたくて」
「――ただいま。もちろんよ」
アビゲイルも話したいことがあるのだと快く迎え入れれば、グレイアムは案内されるがままソファへと腰を下ろした。
「あらためて……また会えてよかった。必ず迎えに行くつもりではいたが……それでも安心した」
「……私も。もう会えないと思っていたから」
グレイアムの手が頰に触れる。
懐かしい体温と彼の香りに、またしても涙がこぼれそうになった。
ここ最近怒涛の展開すぎて、涙腺がおかしくなってしまっているようだ。
グレイアムの手に己の手を重ね、そっとすり寄る。
「あなたに会いたかった」
「…………俺もだ」
あまりにも急すぎる別れに、納得なんてできるはずがない。
だからこそこうしてまた、出会えたことがとにかく嬉しかった。
それに……。
「――お兄様、結婚の話を承諾してくれたみたいね」
「当たり前だろう。これだけのことがあったんだ。一日でも早く結婚式をしよう」
「……ええ。でも結婚式って大変そうね? いろいろ決めることが多くて」
「アビゲイルの好きにしていい。ララとリリも張り切っているから、二人と相談しながら決めてくれ」
確かにあの二人なら喜んで手伝ってくれそうだ。
ドレス、装飾、食事など。
やることは多いらしい。
どうせやるのなら盛大に楽しんでやろうとやる気に満ちていると、そんなアビゲイルに気づいたグレイアムが微笑む。
「主役はアビゲイルだ。もちろん手助けは惜しみなくするが、好きにしてくれて構わない」
「……ありがとう」
本当にグレイアムと結婚できるのだなと、改めて再確認できた。
自分が愛する人と結婚することになるなんて、一年前のアビゲイルでは想像もできなかったことだろう。
そもそもまともに暮らしてもいなかった自分が、恋愛なんてものをすることになるなんて思ってもいなかった。
アビゲイルの人生はグレイアムとの出会いによって大きく変わった。
それが嬉しいし、なによりも心地よい。
だからこそ、もっと変わりたいと思う。
「――私ね、たくさんのことを知って思ったの。真実だと教えられていたものが、そうではないこともあるんだって」
「……そうだな。俺も驚くことばかりだった」
真相を知らなければ、アビゲイルはずっと己の赤い瞳を嫌って生きていたことだろう。
アビゲイルを守り、愛してくれた父から受け継いだものなのに。
そう思うと、無知であることがとても怖いことに思えた。
「――だから私、歴史学者になりたい。正しい歴史を知り、それを未来へと届ける仕事がしたいの」
たくさんの出会いがあった。
たくさんの出来事があった。
だからこそ生まれた、己の中の大きな変化。
それを拒否することはしたくない。
願うだけなら可能性は無限だ。
夢を持ち、未来を望むなんて……。
本当に変われたのだと思う。
「もちろん時間はかかるだろうし、いろいろやらなきゃならないことが多いけれど……」
「いいじゃないか。薬草学はやめて、歴史に集中するといい。アビゲイルは優秀だからな。大学側も快く受け入れてくれるだろう」
「ギーヴにたくさん教わらないと」
「喜びそうだな」
確かに。
ギーヴに今のことを伝えたら、小躍りして喜んでくれそうだ。
そんなギーヴを想像したら面白くて、くすりと笑ってしまう。
楽しげなアビゲイルを穏やかに見つめていたグレイアムが、ふと動く。
本当になんてことないただの流れのように近づいたと思えば、アビゲイルの額に優しく唇を落とした。
「――…………」
大きく見開かれたアビゲイルの目が、すぐそばにいるグレイアムの表情を捉える。
いつも自分を見つめてくる優しくも鋭い黒曜石のような瞳に、見知らぬ熱がこもっていることに気づく。
その瞬間、アビゲイルの心臓が大きく跳ね上がった。
「――……ぐ、グレイアム……っ」
「……嫌なら殴ってでも止めてくれ」
「だっ、だって……私のことそういうふうに見れないんだと…………!」
「――我慢していただけだ。だがそれが全て無駄になるかと思ったら、そんなことする必要ないことに気づいた」
ああ、まさか今日がその日になるなんて。
アビゲイルは顔に熱がこもるのがわかった。
心臓もうるさいし、緊張に手が小刻みに震えているのもわかる。
それはもちろんそばにいるグレイアムも気づいたのだろう。
「……嫌ならやめる。――どうする?」
「…………や、め、……ない」
怖いけれど。
緊張で胸が痛いけれど。
でも、やめるという選択はない。
だってそれは、アビゲイルも望んだことだから……。
グレイアムの手が背中に回る。
ふわりと抱き上げられたと思えば、彼は迷うことなくベッドへと向かう。
優しくシーツの上に置かれれば、もう逃げ場はない。
「…………お、お手柔らかにお願いします…………」
「――善処する」
なにやら楽しそうに笑ったグレイアムを睨みつつも、アビゲイルはそっと瞳を閉じた――。




