ありがとう、さようなら
その後アビゲイルは二週間ほどチャリオルトの部屋で過ごした。
外に出ることを禁じられ、ほかの妃との接触も禁止されていたため、今どうなっているのか一切わからない。
イスカリもあれ以降会いに来ることはなく、一体全体どうなっているのやら……。
「…………どうなるのかしら」
帰れるのだろうか?
エレンディーレに。
会えるのだろうか?
家族に。
友に。
――そしてグレイアムに。
「……会いたい」
抱きしめて欲しい。
もう大丈夫だと言って欲しい。
そうしたらこの凍った心が、花綻ぶように溶けていくだろうから。
「グレイアム――」
そう名前を呼んだ時だ。
扉がノックされた。
「エレンディーレより、お迎えがきております」
「…………」
ドクンっと大きく胸が高鳴った。
本当に、帰れるのだ……。
アビゲイルは立ち上がると、先導する人たちについて歩いていく。
静まり返った王宮内には、人がほとんどいない。
国王の毒殺未遂から始まり、一番大きな顔をしていた妃のあっけない最後と、寵愛を得ると期待されていた妃の帰還。
王宮内がごたつくのは想像ができた。
そこからの侍女たちの動きは早いだろう。
残る妃のうちどちらにつくか。
はたまた新たな妃がやってくるのを待つか。
そのどちらにするか悩み即座に行動したのだろう。
多分だけれど、侍女のほとんどがミンメイの元へ向かったはずだ。
「…………変わったわね」
「なにかおっしゃいましたか?」
「いいえ。なんでもないわ」
ウェンディは王を殺害しようとした罪を問われ、処刑された。
その親族もろともだ。
こればかりは致し方ないことだと思うが、当のウェンディは最後まで言い訳をしていたらしい。
やっていないと叫び、お腹にイスカリの子がいるのだと延命を望んだ。
しかし医師の判断、そしてなによりもイスカリ自身が拒否したことにより、彼女の処刑は行われた。
そしてその後、ここがミンメイの天下となったことは想像に容易い。
「……メリアには会いたかったな」
ここに残してしまうメリアを思う。
彼女の思いがイスカリに届けば、なにかうまくことが動くのではと期待してしまった。
みなが幸せになってほしいと、願わずにはいられない。
地獄にくる気持ちでやってきたここで、まさか人の幸せを願うようになるとは思わなかった。
「……そうね。変われるものね」
アビゲイルがここまで変われたのだから、きっと変化は訪れるはずだ。
だからこそと、アビゲイルは首につけていたネックレスをとると前を歩く護衛に渡す。
「これをメリアに渡してくれる? もちろん陛下の許可後でいいわ」
「…………わかりました」
もう去るだけの元妃からの願いなど、本当なら捨て置きたいのだろう。
けれどイスカリからきちんと送るよう命じられているのか、渋々ながらも受け取った。
「こちらにいらっしゃいます」
「…………そう」
アビゲイルはそっと息を吸うと、深く吐き出した。
この扉を抜ければ最後、もうチャリオルトに帰ってくることはない。
本当に最後まで顔を見せることはなかったなと、アビゲイルは振り返った。
この国に対しては、複雑な感情しかない。
憎むだけなら気が楽だったのに。
様々な感情が入り混じったこの王宮を、残念ながら好きにはなれそうにない。
だからこそとアビゲイルは、そのまま頭を下げた。
ありがとうと、ごめんなさいの気持ちを込めて。
「…………行きましょう」
これで本当に最後だ。
アビゲイルは踵を返すと、改めて扉を見つめた。
もうきっと、出会うことのない人たち。
彼らの幸せを願って……。
「――開けてください」
扉が重々しい音を立てて開かれる。
まばゆい光を感じ目を細め、なれてきた頃合いで瞼を上げた。
「…………お兄様」
「――アビゲイル……っ」
そこにはエレンディーレ国王、アビゲイルの兄であるヒューバートがいた。
彼はアビゲイルを確認すると、一瞬泣きそうな顔をする。
「……元気でよかった」
「…………お迎えありがとうございます」
近づいてきたヒューバートは、そのままアビゲイルを力強く抱きしめた。
小さく震えるその腕に力を込めて、ヒューバートはゆっくりと口を開く。
「――すまなかった。守れなくて……。弱い兄で本当にすまない」
「そんなことありません。お兄様は――」
「僕は――! 今後は必ずお前を守ると誓う。……必ずだっ!」
よほどアビゲイルがチャリオルトに行ったことを、後悔していたのだろう。
ヒューバートは涙目になりながらそう告げ、腕を離した。
「――エレンディーレに帰ろう。みんな待ってる。……グレイアムも」
「――……グレイアムは、元気?」
胸が痛い。
心臓が大きく高鳴り、アビゲイルまで泣きそうになってしまう。
グレイアムに会えるのだと思うと、感情が大きく揺さぶられる。
「お前がいなくて元気だと思うか? ……本当は連れてきてやりたかったんだが、ここに来れるのは最低限の人数だったからな」
「両国の関係を考えれば、そうなってしまうのはしかたありません。……会えるのなら大丈夫です」
「もちろん。――さあ、行こう」
ヒューバートから差し出された手をとり歩き出す。
――ついに帰れるのだ、エレンディーレに……。