影のように
アビゲイルは窓に腰掛け、外をぼーっと眺めていた。
イスカリとのあのやりとりが、どうしても頭を離れないのだ。
グレイアムが目覚めた。
それはとても嬉しいことだったし、心の底から望んでいることでもあった。
けれどどうしても思ってしまうのだ。
どうして目覚めたグレイアムのそばにいないのだろうか、と。
ベッドの横で目覚めを待ち、目覚めた彼に良かったと涙を流して喜ぶ。
その情景が手にとるように思い浮かぶのに、現実にはならないのだ。
そのことがあまりにもつらくて、アビゲイルはひどい喪失感に襲われていた。
全く、自分から彼の元を去ったというのに、なんて未練がましいのだと呆れてしまう。
だがどうしても会いたい気持ちが消えないのだ。
そばにいてほしくて、たまらなくなる。
物悲しい気持ちが消えることはなくて、アビゲイルはそっと膝を抱えた。
涙はもう出し尽くしたはずなのに、また溢れ出そうになるのを必死に堪える。
「…………グレイアム」
名前を呼べばもっと寂しくなるのに、それでも呼ばずにはいられない。
彼との繋がりをなくしたくないのだ。
「グレイ、アム……っ」
だからこそまた彼の名を意味もなく呟いたその時だ。
「――アビゲイル様」
「――っ!?」
どこかから聞こえた声にあたりを見回せば、部屋の隅に人影があった。
驚きのあまり思わず口を開いたが、影は一瞬でアビゲイルに近寄ると、口元を手で押さえてくる。
「しっ! 静かに。私です、ララです。アビゲイル様をお迎えにあがりました」
「――!? …………ララ? どうしてここに!?」
エレンディーレにいるはずのララがどうしてここにいるのか。
さらにはどうやって入ってきたのか。
わけがわからないことが多すぎて慌てるアビゲイルに、ララは声をひそめた。
「御当主様のご命令です。実はアビゲイル様を救い出せるよう、例の三人を業者としてチャリオルトに潜入させていたんです」
「例の三人って……。もしかしてお兄様の賭博事件の犯人たち……?」
「はい。――ご安心ください。この命をかけて、アビゲイル様を救い出します」
力強く頷くララに、アビゲイルは軽く頭を抑えた。
「なにがどうなっているのかわからなくて……」
「そうですよね……。我々公爵家のものは、御当主様により集められました。――いつかお越しになるアビゲイル様をお守りするために」
ララは自身の胸元に手を当てると優しく微笑む。
「我々は御当主様に命を救っていただきました。その時からこの命は御当主様と未来の奥方様のために使おうと決めておりました。そのためにありとあらゆることを学びました。潜入もお手のものです」
「……そんなことが?」
「詳しい話はまたあとでしましょう。とにかく今は――」
ララは突然話すのをやめ、アビゲイルを背後に庇う。
何事かと驚くアビゲイルの瞳に映ったのは、剣を抜きララに向かって振り上げているイスカリだった。
「――やめて!」
今度はアビゲイルがララを庇うように前に出て、彼女を背に両手を開く。
イスカリと正面から対峙すれば、彼はピタリと動きを止めた。
「不審者を庇うのか?」
「私の知り合いよ」
「知り合い? …………なるほど、エレンディーレのものか」
イスカリは怪訝そうな顔をしながらも、振りかぶった剣を下げる。
だが剣を鞘に納めないところを見るに、信頼はしていないようだ。
「ネズミのようにこそこそと入ってきて……。恥を知らないらしいな」
「――アビゲイル様はエレンディーレにいるべきです。……どうか、お返しください」
ララは命の危機を感じているのだろう。
震える声でそう告げたが、イスカリからの殺気が消えることはない。
「罪には問わないでやろう。――今すぐ帰れ」
「――いいえ。この命が尽きようとも、必ずやアビゲイル様をお連れすると約束しました。……私を帰したいのなら、どうかこの命を奪ってください」
「ララ!? なにを言って……! 待って! 必ず彼女を帰すから……」
慌ててイスカリが剣を持つ腕を掴む。
こんなところでララを殺させるわけにはいかない。
何度も首を振るアビゲイルを見て、イスカリは大きなため息をついた。
「………………アビゲイルはのちに帰す。だから先に主人に伝えろ」
「――…………なにを、言ってるの?」
もう驚いたり慌てたりしすぎて、疲れたとアビゲイル眉間に皺を寄せる。
イスカリがなにを言っているのかわからない。
どういう意味だと問うが、彼はララに視線を向けていた。
「そう時間はかからない。公的にもエレンディーレ国王に手紙が送られるはずだ。……だから安心して国で待て」
「…………信じてよろしいのですか?」
「信じるより他にないだろう。それともここで無惨に殺されたいか? ……嫌なら母国で吉報を待て」
「…………かしこまりました。その旨、御当主様に伝えさせていただきます」
ララはそれだけいうと、一瞬でその場から消えてしまう。
どこに行ったのか探したかったが、今はそれよりもやることがある。
アビゲイルはイスカリと対峙すると、彼を力強く睨みつけた。
「――さっきの、どういうこと? ……私を帰すって、どういうことなの?」
「……そのままの意味だ」
「理由を聞いてるのよ!」
なにが起こっているんだ?
わけがわからなすぎて、頭が混乱している。
けれどこれだけは聞かないといけないのだ。
「――私を帰すって……本気なの?」
「………………本気だ」
そう告げたイスカリの顔は、とても穏やかなものだった。