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忘れたわけじゃない。蓋をしていたの。

「大丈夫か?」


「……平気よ。ありがとう」


「礼はもういい。聞き飽きた」


 確かに礼を言い続けてるなと、アビゲイルは口を閉ざした。

 鉄の匂いに酔っていたが、外に出て深く息をすることができたおかげでだいぶ楽になった。

 アビゲイルは部屋の窓を全開にすると、そこから外を眺める。

 ちゃぽんっと水が弾ける音が聞こえ、満月の明かりがアビゲイルの顔を照らす。

 チャリオルトのこの美しい光景にも慣れてきたなと、ふう、と息を吐き出した。


「……ウェンディはどうなるの?」


「今回はことがことだからな。……父親からあれこれ苦情が入るだろうが、もう逃げられないだろうな」


 それはつまり、ウェンディの未来はないということだ。


「……あっけないものね」


 ウェンディはこの王宮で、それこそ王族のように暮らしていた。

 強大な後ろ盾を持つウェンディは、国王の寵愛を得て好き勝手していたようだ。

 無実の侍女を何人もその手にかけたように。

 その行いの代償は必ず受けなくてはならないだろう。

 だからこそアビゲイルは、これ以上の発言は避けることにした。

 彼女の結末を、知る必要はない。


「ランカのご家族は?」


「一族皆殺しにしても足りないくらいのことをしたが」


「許してあげてちょうだい。……私からのお願い」


「………………いいだろう。だが国外追放はする」


「命が無事ならそれでいいわ」


 それ以上を望むつもりはない。

 生きているならなんだってできるだろうと、アビゲイルは腕を上げ背伸びをした。


「これで一旦、事件は解決したと思っていいのかしら?」


「一応な。ほかの協力者がいないかも洗わなければならないが、そっちはこちらの仕事だ」


「お願いね」


「任せておけ」


 ならばこれにて事件は一旦収束だ。

 やっと落ち着けたと肩から力を抜くアビゲイルを見て、イスカリが小さく口端を上げた。


「さすがのお前も疲れたか?」


「もちろん。あなたを助けてから怒涛すぎたわ」


「俺もお前の命を救ったんだからお互い様だな」


 だから礼は言わんと口にするイスカリに、アビゲイルはくすくす笑う。


「そうね、お互い様ね」


「そうだ」


「あなたって本当に負けず嫌いね」


「…………どうだろうな」


 その認めない姿も面白いと笑っていると、そんなアビゲイルをイスカリは優しく見つめる。

 燃えるような炎の瞳は変わらないのに、そこに慈しみが混じっているような感じがするのは気のせいだろうか?

 お互い穏やかな表情で見つめていると、不意にイスカリが思い出したように話題を振ってきた。


「――そうだ、オルフェウスから手紙が届いた」


「オルフェウス陛下から? なんて?」


「……本当は話すつもりはなかったんだが……まあいいだろう」


 イスカリはまるで明日の天気の話をするかのように、軽い口調で話し始めた。


「一応伝えておく。なんだったか……名前は覚えていないが、あの公爵。目を覚ましたらしいぞ」


「――……………………」


「一応な。一応多少は気にしているだろうと思って知らせておいてやる。まあもう他人だ。あまり関係ないと思うが…………。――どうした?」


 アビゲイルはまるで、己の体が像にでもなったかのような感覚を覚えた。

 指先一つ動けないのだ。

 だというのに体の熱が上がっていくのがわかる。


「おい、アビゲイル。……大丈夫か?」


「…………――どうして」


「なんだ? なにがあった?」


 心配して近寄ってくるイスカリが、薄い膜の先に見える。

 目の奥が痛い。

 涙が……溢れてしまいそうだ。


「どうしてっ、そんなこと伝えてくるの……っ」


「…………アビゲイル」


「あなたがっ! どうして……っ」


 ぎゅっと胸元を握りしめる。

 思い出さないようにしていた。

 蓋をしていたのだ。

 溢れないように、溢れないように。

 溢れてしまったら最後、もう戻れない気がしたから。


「――……せっかく! 思い出さないように……、してたのに……っ!」


 耳に残る声がある。

 鼻に残る香りがある。

 肌に残る温度がある。

 その全てが愛おしくて、欲しくて欲しくてたまらない――!


「グレイアム――っ! グレイアム……っ、グレイアム!」


 蓋が壊れた入れ物は、たくさんの感情を溢れさせた。

 我慢していたものは爆発して、涙がとめどなく流れ続ける。


「我慢していたのにっ、思い出さないようにしていたのに……どうして……っ!」


「アビゲイル……。落ち着け、ひとまず息を――」


「お願い。出ていって。――今だけは、一人にして……っ」


「……………………………………わかった」


 アビゲイルの背中をさすろうとするイスカリを手で止めて、必死に顔を隠しつつ一人にしてほしいと願う。

 しばしの沈黙後、イスカリは頷くと部屋を出ていった。

 それを確認してから、アビゲイルはまるで糸の切れた人形のように崩れ落ちる。


「――ぅ、うう……っ!」


 涙が止まらない。

 胸の中にあるさまざまな感情が暴れているのだ。

 それは悲しみや苦しみ、そして愛おしさが悪さをしてくる。

 グレイアムに会いたい。

 彼に会って、話して、抱きしめて……。


「――グレイアム……っ」


 そんな叶わない夢を、願ってしまうのだ――。

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