真っ赤なおめめ
『痛い、苦しい、つらい。お腹すいた。喉が渇いた。寒い。痛い、苦しい、つらい……』
毎日毎日、絶望を繰り返す。
それだけの人生だった。
――彼に出会うまでは。
――赤は禁忌だ。
小国エレンディーレ。
この国では赤い色は不吉な色とされている。
死を意味する赤い色は、葬式などに使われるからだ。
国王が亡くなった時に掲げられる赤い旗は、国民たちにとっても不安の種だろう。
この国の今後がどうなるのか、みなが不安そうに曇天にはためく赤を見つめる。
「…………亡くなったのね」
その旗を眺める瞳が二つ、窓の中にあった。
まるでルビーのように赤く煌めくその瞳は、他国の人間が見れば美しいと思うのだろう。
しかしこの国では禁忌であり、悪兆であった。
生まれた時からその存在を忌み嫌われて育った娘、エレンディーレ国第一王女―アビゲイル・エレンディーレ―は、自らの自室にて父の死を知る。
それも、赤い旗のゆらめきによって。
病気だということは風の噂で聞いていたが、まさか親の死目にも会えないなんて、と窓に映る赤を眺める。
「……だから誰もこないのね」
薄汚れた服は首元はよれ、裾の部分にはいくつも穴が空いている。
国王が亡くなり忙しいのだろう。
忘れ去られたアビゲイルは、もう二日は飲まず食わずだった。
乾燥した唇はパリッと音を立てて割れ、血が滲む。
指先はささくれ、爪はボロボロ。
空腹からなんとか逃れようと膝を抱えれば、浮き上がった肋と太ももの骨がぶつかり音を立てた。
「…………つらい」
絹のような美しい金髪に、大空を思わせる青々とした瞳。
王族ならばそうであるべきものを、アビゲイルは一つも持っていなかった。
手入れなんてしたことがない、くすんだ白髪に宝石のようにキラキラと輝く赤い瞳。
この瞳がせめて青色だったら、こんな部屋に閉じ込められることもなかったのにと、生まれを呪う。
「なんで生きてるんだろう……?」
ただ瞳が赤いというだけで蔑まれ、両親に愛されたことはない。
王妃であった母にすら抱きしめてもらったことはなく、アビゲイルを育てたのは乳母だった。
母にはもう、何年も会っていない。
母に愛される兄が羨ましかった。
人々に愛される妹が羨ましかった。
どうして自分だけがと嘆き続け、やがてそう考えることすら面倒になってしまった。
今はもう、過ぎゆく日々を数えるだけだ。
「……お腹すいた」
生きていれば腹は減る。
一日部屋に監禁状態なのに、それでもこの体は生きようとエネルギーを欲した。
なんて傲慢で愚かなのかと己の体を見下していると、なにやら廊下の方が騒がしくなる。
父の死を知らせにでもきたのかと、窓際から離れ部屋の中央に向かった時だ。
勢いよく扉が開かれた。
「ここに嫌われ王女はいるか!?」
大きな声とともに部屋に入ってきたのは、一人の男性であった。
埃まみれのヘタれた絨毯を踏みつけ、花一つ飾られていない淑女の部屋にやってきたのは、王族とも親しい間柄である公爵家当主―グレイアム・ブラックフォード―。
紫がかった黒髪を持つ男は、その黒曜石のような瞳にアビゲイルを映した。
「――いたな、アビゲイル」
「……な、っ、」
普段は一応料理などを運んでくれる侍女はいるが、日に二回。
それもひどく面倒くさそうに、冷めきった食事を運んでくるだけ。
そんな人と会話できるわけもなく、ここ数年人とまともに話をしたことがない。
だというのに久しぶりの人との会話が、こんな勢いのある人だとさすがに気圧されてしまう。
グレイアムが一歩進めばアビゲイルは一歩下がる。
それを続ければあっという間にアビゲイルの背中は壁にぶつかった。
瞬間、なかなかの勢いでグレイアムの両腕が壁を叩く。
アビゲイルを閉じ込めるように。
動きを止められたアビゲイルは、真っ青な顔のまま彼を見つめた。
「な、なななっ、なんのよう、よ!?」
声がぶるぶると震えていて、なんと情けないのだとまた自己嫌悪に陥る。
それでも負けたくないと、アビゲイルは身長差三十はあるであろうグレイアムを睨みつけた。
「――ぅ、」
「な、なに!?」
「……気にしないでくれ、持病の癪だ」
「持病……?」
グレイアムという男の話は聞いたことがある。
王族とも親しい公爵家の唯一の跡取りであった彼は、数年前に爵位を継いだという。
今一番淑女に人気があると噂の男に持病があるなんて、聞いたことがなかった。
大丈夫なのだろうかと近くにある顔をじっと見つめるが、高揚し頰が染まっているようにしか見えない。
というよりすいぶんと見目のいい男だなと、今更気がついた。
窓越しに何度か見たことがあるから分かってはいたが、近くで見るとまた印象が変わる。
鋭い刃のような瞳は怖いと思っていたけれど、アビゲイルを見つめる眼差しはどこか優しい。
ちらりと下を見れば、鍛え上げられた体がある。
無駄な脂肪なんて一つもない、力強い肉体。
彼の背中越しに見たら、アビゲイルがここにいるなんて誰もわからないだろう。
それくらい体格差がある。
「持病があるようには見えないけれど、……だ、大丈夫……なの?」
「全然大丈夫だ。気にしないでくれ」
そういうものなのか。
まあ本人が大丈夫だというのならいいかと、改めてグレイアムと向き合う。
「……一体なんの用なの? ……私のこと、知ってるんでしょ?」
嫌われ王女。
アビゲイルのことだ。
誰も彼も、親ですら嫌う王女様。
そう噂されていることは知っている。
だからこそそんな女に訪問者がくるなんて、滅多にないことだ。
来たとしても大体悪い話ばかりで、いいことなんてほとんどない。
なにを言われても大丈夫なよう身構えるアビゲイルに、グレイアムはごほんと大きく咳払いをする。
「――アビゲイル王女」
「な、なによ」
「俺と結婚しよう!」
「………………はぁ?」