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五章 百華の毒 蠱惑な香り

 バアンッと元気よく石の扉を押し開けて、両耳の上に牡丹の花を咲かせた、華やかな男性が帰ってきた。

「たっだいまぁ!」

ペオニサは、ソファーにリティルの姿を認めるとニコリと笑って、ミイロタテハの羽根で1直線に飛んできた。

「リティル様!ありがとう!」

がたいのいいペオニサと、小柄なリティル。ドーンッと抱きついてきたペオニサに、リティルは押しつぶされた。

「うわっ!おまえ、どけ!なんなんだよ!愛しのインファと間違えてねーか?」

「ええ?愛しのは間違ってないけど、インファには抱きつかないよ?洒落にならないからさ」

向かいで紅茶を飲んでいるインファは、我関せずという顔で笑っていた。

「すげぇ快挙なんだって!オレの小説、売り上げナンバー1取った!」

「へえ?凄いじゃねーか」

「あっはは!小柄で童顔な助手と、男装の麗人探偵の恋物語!よかったらしい!」

「同性愛じゃねーのかよ?」

「描いてたらさ、美形探偵が女の子にしか見えなくなっちゃってさ。それならって、書き直したんだ」

「だああああ!放せ!40センチ最高とか、耳元で言うな!」

ジタバタ暴れるリティルを解放して、ペオニサはフワッと机を飛び越えてインファの隣へストンッと納まった。

「おかえりなさい」

「ただいま」

隣へ座ったペオニサに、フフと柔らかな笑みをインファは浮かべた。答えたペオニサは春のように緩んだ笑みだった。「今日も眼福」と呟かれたが、インファはサラッと無視した。

「あ、忘れるところだった。これあげる」

ハッと気がついたペオニサは、手の平に牡丹の花を咲かせると、すぐに散っていくその花びらの中から小さな箱を取り出した。

「前に言ってた香り、アシュデルに調香してもらったんだ。セリアの趣味はバッチリだから、きっと喜ぶよ」

「オレが渡すんですか?」

インファが首を傾げると、ペオニサは眉根を潜めた。

「インファ、インファが選んだ香りを、インファが渡さないで誰が渡すの?オレ?冗談言わないでよ!」

「わかりました。ありがたくもらっておきます」

そういうものか?と一応納得したらしいインファは、ニッコリ微笑むと風の中へそのリボンをかけられた箱をしまった。

 和やかだった空気は、水晶球の発した淡い輝きによって打ち砕かれる。

「どうしました?インジュ」

『お父さん!大型魔王クラスサソリ型です!お父さん、加勢できます?』

「オレも行く!場所どこだ!」

水晶球に現れたインジュの報告に、リティルが割って入った。場所を聞いたリティルとインファが立ち上がる。

「2人とも、いってらっしゃい」

「ああ、行ってくるな!」

ヒラヒラ手を振るペオニサに、頷いて2人の風の精霊は出陣していった。

 1人、応接間に残ったペオニサは、フウと息を吐いた。

「心配事かね?」

いつの間にか、ゾナが向かいに座っていた。

「え?うん、アシュデルのことでね」

「恋愛かね?」

「うん。どうすっかなぁ……」

「固有魔法を使えば、君の望む結末になるのではないのかね?」

チラッとペオニサはゾナに視線を送ったが、眉根を潜めたまま瞳を伏せた。

「固有魔法・劇作家。破棄しようかどうしようか迷ってるよ」

「迷うまでもないと、思うがね」

「迷うまでもないよね……」

「ペオニサ、破棄すべきではないよ」

ゾナの言葉に、ペオニサはバッと顔を上げた。正気の沙汰じゃない!大賢者と名高い彼の言葉とは思えなかった。

「風の城の副官を、籠絡しちゃったんだよ?恐ろしすぎでしょ!?しかも、使った本人はまったく気がついてないって、はああああ!オレ、なんでこんなかなぁ!?」

「解いても、何も変わらなかったではないか」

何か問題でも?とゾナは首を傾げている。どうしてこんなに平然としていられるのか、意味がわからない。

「そうだよ。だから余計に戸惑ってるよ!インファが、本気でこんなオレにそばにいてほしいって思ってるなんて、オレの方が騙されてる感じだよ!」

「君は君だと、オレも認めているよ。インファに話すのかね?」

「話す。それで、この関係が終わるとしても、もう、あの人に隠し事したくない。あっはは、いい夢見れたなぁ……」

ペオニサはシャンデリアを仰ぎ見た。それでも止めることは叶わず、涙が伝い落ちた。

「そんなに辛いなら、隠したままでもいいではないかね?」

「インファは暴いてくるよ。暴かれたら、その瞬間に、オレとインファの友情は終わる。させられないよ。そんなこと」

「ペオニサ、話すのならば、オレも共にいるとしよう」

「ありがと、ゾナ」

ゾナは、自信なさげに笑うペオニサの事が理解できなかった。

彼は、癒やしという分野で風の城に多大な貢献をしている。固有魔法にしても、ゾナには彼が恐れるような、そんな大変な事態は引き起こしていない。

未熟な固有魔法の暴走は、これまでにもあった。対処が遅れるのは、仕方がない。今回は、副官が呪われるという異例の事態と重なったため、発覚が遅くなった。

固有魔法を紐解いたジュールの話では、まったくといっていいほど影響はなかったとのことだ。城の住人すべてが対象となった大規模な魔法だったが、悪い影響は皆無だった。

ペオニサは、インファに嫌われると思っているようだが、それこそ理解できない。

インファがあれほど頼りにしているというのに、なぜそれを、素直に受け取ってやらないのか、ゾナには不可解だった。

そんなゾナは、恋愛感情のない精霊だ。


 ゾナは、宝城十華の新刊『花言葉は危険な香り』を読んでいた。

ペオニサはというと、応接間に置いてもらっている専用の机に向かって、執筆していた。

「おい!インジュ、もう少しだ!意識失うなよ!」

突如として開いたゲートから、ドヤドヤと慌ただしくリティル達が帰ってきた。

何事!?とペオニサとゾナが腰を浮かせると、インファに抱きかかえられた血にまみれたインジュがいた。

「わーお」

「ペオニサ!来てくれ!」

リティルの声よりも早く、ペオニサは飛び立っていた。ゾナも来てくれたが、インジュの姿を見るなり顔をしかめ「指示してくれたまえ」と補助を買って出てくれた。

「ええと、サソリ型だったっけ?うーわ、すげぇ毒!姉ちゃん、解毒剤!薬の方がいい!」

ペオニサの指示で、頷いたリャリスは薬を取りにアトリエへ走った。

「おーいインジュ、聞こえてる?」

「え?何か言いましたぁ?」

今にも眠りに落ちそうな揺れる瞳ながら、強がって笑みを浮かべるも、焦点はすでに定まっていない。耳もあまり聞こえていなさそうだ。

これは、自力で薬は飲めないな。

「姉ちゃん」と声をかけようとして、ペオニサはやめた。

薬を飲ませると同時に、インジュには寝てもらおうと思い直す。この状態では、話をするのは無理だからだ。

ペオニサは、リャリスが持ってきた解毒剤を口に含むと、口移しで飲ませた。「うへぇ苦っ!ナシャに文句言っとこ」と悪態をつきながら、インジュが飲んだのを確認して魔法で眠らせた。痛みには滅法強いインジュだが、この怪我では治療も拷問に近い。眠っていれば、まだマシだろう。

「ゾナ、姉ちゃん、止血して。オレは、こっちをやるけど……なんでこうなったの!?是非、状況が知りたいなぁ」

これは、トゲだろうか?黒い艶のない腕ほどの太さのある長いものが、2本、インジュの両脇腹を貫いていた。

「えっと?これ、絡まってる?違うか、トゲがトゲを貫いてんのか……場所が悪いなぁ。抜こうとすると背骨折れる。うーん……よし!ゾナ、固有魔法使うから、記録しといて」

「何をするというのかね?」

「オレもね、賢魔王・ジュールの息子なわけよ。劇作家、調べてるんだよ」

「なんだよ?何するんだよ?」

リティルがすかさず会話に割り込んできたが、ゾナが閉め出した。

「こちらの話だ。ペオニサ、それを使えば、もう言い逃れはできないのだよ?」

「逃げるつもり、ないからさ。じゃあ、いくよ?」

意識を集中したペオニサの瞳が、緑色から金色を帯びた。緩やかに風が吹き始める。

「っ!やっぱり、辻褄が合うように書かないと、上手くいかないなぁ!あたたたた……痛みをなかったことにはできないかぁ」

インジュの体に手をかざしていたペオニサの手の甲が、ザックリと切れた。

「は……うっ!」

インジュが息を詰めた。その体が、痛みからだろうビクッと跳ねる。

「多少はごめんね。オレも、意識して使うの、初めてなんだ!…………よし!これで!」

金色の風が、ペオニサとインジュの間の空中に、文字を描き出す。

『ペオニサの金色の風が、インジュを貫いている黒のトゲが開けた穴に入り込み、傷口を保護する』

パキンッと音がして、トゲに貫かれたトゲの先端が切り落とされた。

『金色の風が、絡まった先端を断ち、トゲはインジュを傷つけることなく抜ける』

緊張気味に、ペオニサはトゲを掴み、ゆっくりと引き抜いた。少しでも引っかかったら止めると意識していたために、息を止めていることすら気がつかなかった。

「抜けたぁ!ゾナ!姉ちゃん!」

待機していた2人は頷くと、治癒魔法を開始した。ペオニサは、インジュの息が止まっていないことを確認して、インジュの脇腹に開いた穴を埋めていた風を解放した。毒に冒された黒い血が噴き出したが、3人の治癒魔法が元通り塞いでいった。

「終わりましたわ」

「うん。ちょっと待って、中身も見るからさ」

ペオニサの治癒の力は、花の姫・シェラに次いで強力だ。診断能力は、シェラを抜いた。彼は怪我から呪いまで、肉体を冒しているモノに限り的確な診断ができる。霊力、精神に関しては修行中だ。

「はあ…………みんなお疲れー。毒も抜けてるから、2時間後くらいかなぁ?目が覚めると思うよ」

気丈にしていたリャリスだったが、ペオニサの言葉を聞いて、じわっと瞳を潤ませた。

「手を見せたまえ」

あ、そうだったと、尻餅をついて、後ろ手についていた手を、ペオニサはゾナに見せた。

途端に、ゾナは顔をしかめた。

「反動があるのかね?」

「みたいだね。オレも使いこなせてないから、わかんないなぁ」

疲れた顔で、ペオニサは強がるように笑った。これは、下がらせたほうがよさそうだと、ペオニサの虚勢を感じたゾナは傷を癒やすと彼の手を掴んだ。

「ペオニサ、今の魔法はなんですか?」

「あ、ああ、劇作家っていうんだ」

インファの詰問からは逃してやりたかったが、逃れられそうにない。しかし、庇うことはできると、ゾナはペオニサの肩を掴んでいるインファの手を引き剥がした。

「今は、休ませてやりたまえ。慣れない固有魔法は、霊力を無駄に消費するのでね」

「いいよ、ゾナ。オレから話すからさ」

「嫌な予感しか、しないのだがね」

「あっはは。まあ、そうだよねー。でもさぁ、しかたないじゃない?」

「そうは思えないがね」

ゾナはしかたなく手を引いた。

「さてと、ごめん。オレさ、風の王の副官、雷帝・インファの心を、いいように操っちゃったよ。インファがオレを受け入れたのは、オレの固有魔法・劇作家のせいだと思うよ」

「はあ?ちょっと、待てよ!」

「それからね、香水の事件あったよね?会う人会う人に、恋人に間違えられたのも、そのせいかもねー」

「ペオニサ!口閉じろ!」

「セリアとインジュが寛大だったのも、そのせいだよ、たぶん。ねえ、インファ、今はどう?オレのこと、どう思ってる?」

「ペオニサ!ゾナ、こいつ部屋に連行しろ!」

強制的に会話を終わらせようとするリティルを遮って、ペオニサはまくし立てた。

「リティル様、この魔法は風魔法だよ。なんか導きに似た力があるよ。たぶん」

「いいから黙れ!ゾナ、封印忘れるなよ?ペオニサ、逃げるなよ?」

「へーい」

そうしてペオニサは、自室に監禁されることとなった。


 トントンと扉をノックする音がする。

無視していると、ドンドンと激しく叩かれた。

「ペオニサ!どうしてあんなこと言ったんですかぁ!今度は、何が問題だって言うんです?」

ペオニサは、ああ、もう目が覚めたんだと呟くと、扉に向かって声をかけた。

「ホントの事だよ。ごめんねぇ、魔法の餌食にしてさ」

「ボク、知ってました!」

「う?え?」

「ジュールさんに頼まれて、ペオニサが魔法使った痕跡がないか、探したんです。見つけてからは、手を引けって言われちゃったんで有耶無耶になっちゃったんですけど、それがその固有魔法なら、ボク、とっくに知ってましたよぉ!」

「親父いいいい!でもさぁ、内容知らないんでしょ?」

「はい。でも、ジュールさんはお父さんを傷つけるようなことしません!話してくださいよぉ、ペオニサ!」

「うーん、ダメ?オレさ、リティル様の監視下にあるんだ。何にも喋るなって言われてるんだよね」

「ペオニサ……お礼がまだでしたよねぇ。傷治してくれて、ありがとうございました」

「お礼なんていらないよ。オレ、治癒要員だしね。シェラ様がいたら、もっと簡単に終わってたよ」

「……ペオニサが固有魔法使ってなかったら、ボク、背骨を一旦折ることになってました。異物が入ってる状態じゃ、シェラにも傷は癒やせないです。ボク、覚悟してたんですよぉ?さすがに背骨折られちゃうと、傷は癒えても違和感があるんで、数日狩りには出られなくなっちゃうんで、そこだけ心配だったんですけど。また、大型魔王クラスが出ると、ボクなしじゃキツいんです。ペオニサ、ペオニサは、この城にいてくれないと困るんですよぉ」

「あっはは!ありがと、インジュ。じゃあさあ、1個頼まれてよ」

「なんです?」

「クエイサラー城下に行ってさぁ、レイビーちゃんの話、聞いてあげてくんない?」

「はい?」

ペオニサがニヤリと笑うのを、付き合って一緒に監禁されているゾナは見たのだった。

 インジュが去り、部屋は再びシンと静まり返った。

「ゾナ、あんまり首突っ込まないほうがいいよ?」

「ジュールも共犯かね?」

「共犯とまでは言わないよ。でも、協力はしてくれたよ」

「本命は、クエイサラー城下かね?」

「うん。香水のあの事件。まだ終わってないかもしれないんだ」

「君の秘書殿の為なのだね?1つ聞くが、君はインファを信じているのかね?」

「さあね」

開き直った顔で笑うペオニサが不穏だ。だが、ゾナは隠者だ。表だって動くことはできない。それに、ペオニサの固有魔法を知っていたと言って、共犯だと言い張って、一緒に監禁される道を選んだのだ。部屋の外で何が起ころうと、手を貸してやることはできなかった。


 あの場で、劇作家を使う羽目になったのは、予想外だった。

クエイサラー城下のことも、リティルとインファに事情を話して、行ってもらう予定だった。すべて、固有魔法・劇作家も含めて、極力穏便に済ませるつもりだった。

「う……ふ……」

未完成の固有魔法は使うなと、ジュールには言われていた。だが、使わざるを得なかった。

痛みに喘がないように強がるインジュを見て、苦痛を短くできるかもしれないのに、使わないという選択はできなかった。

インジュが癒やされ、涙ぐんだリャリス。覚悟があっても、死なないとわかっていても、夫が傷つけば苦しいのだ。

戦わないペオニサは、こんなとき、最大限の力を使うのが筋だろ!と思って、治療に臨んでいる。

「あ……う……」

ペオニサは、真っ暗な夜の闇の中、ベッドの上で苦痛に耐えていた。

体の中で、霊力が暴れている。未完成の固有魔法に力を注いだために、中途半端に開花した回路に霊力が無理矢理流れようとしているのだ。ペオニサは、霊力については素人だ。どう落ち着ければいいのか、わからなかった。

「ペオニサ、ゆっくり息を吸ってください」

急に現れた気配が、ベッドの上で蹲っていたペオニサの背に手の平を押し当ててきた。

「あ……イン、ファ……?」

「今は霊力に集中してください。痛みに耐性のないあなたでは、気が狂いますよ?」

「こ、わ……」

来てくれた……。それだけで、気が抜けた。昼間、また突き放すような事を言ってしまったのに、来てくれた。

「う……んん……」

「息を吸ってください。止めてはいけません。無茶をしましたね」

背中に押し当てられた手の平から、インファの風を感じる。温かい、ぬくもりのような風だ。インファは、霊力を探ったり弄ったりする術が得意だ。霊力は、精神に直結している力であるため、不用意に触れられると苦痛を伴うが、インファに触れられて苦痛を感じる者は皆無だ。皆、彼の暖炉の火のような温かな風に安堵する。

「イ……ンファ……」

「ええ、内緒ですが、今夜はここにいますよ?」

なんで、そんな優しい声?また、嫌なことを言ってしまったのに、落ち着いた声で話してくれるインファが、信じられない。

「ご――めん……」

「謝るくらいなら、隠さないでください。あなたが劇作家を使ったと聞いて、ジュールが飛んできましたよ。あなたを、太陽の城へ拉致する勢いでした」

「ヤダ……ここ、いたい……」

「わかっていますよ。あなたのことは、オレが引き受けました。安心――できるのかわかりませんが、ここにいられますよ」

「は……あああ……」

ペオニサの丸まっていた背が、脱力していった。

「そんなに安堵しますか?ならば、オレに挑戦するようなことを、言わないでください。今は解けていると、ジュールが言っていましたよ?オレの態度は、変わりましたか?」

「ううん……」

「そうでしょう?クエイサラー城下には、父さんとインジュが行きます。何を仕掛けたのかしりませんが、内容によっては、オレとインジュが交代することになります。大丈夫ですか?」

「う……うん……」

体の中がポカポカして、眠くなる。

「気を抜きすぎですよ?いいんですか?遠慮なく、あなたの中を弄りますよ?」

「いい……インファ、なら……」

「同意しますか?また、ノアにツッコミを入れられてしまいますよ。なぜ、あなた相手だと、会話が際どくなってしまうんですかね?」

フフと、インファが苦笑した。

「寝ていてください。その間に終わらせますから」

「う……ん……」

 ガクッと、ペオニサの最後の力が抜けた。眠ったことを感じて、インファは優しく微笑んだ。

「寝たかね?」

さて始めるかと、気合いを入れたところで、大賢者のお出ましだった。

「ええ。しかし、あなたも人が悪いですね。ペオニサが霊力回路をズタズタにしているから、助けに来いとは、この上ない脅しですよ」

「オレに触れられるより、君の方がいいではないか」

当然のように言うゾナをインファは、恨みがましく睨んでしまった。

「……精霊大師範としてのオレに言っていますか?それとも宝城十華の恋人のオレに言っていますか?」

「どちらも君だと思うがね。しかし、よくジュールを退けられたものだ」

「父さんが口と目を、これ以上開けないくらい開いていましたね。とりあえず、オレの本気は伝わったようです」

ニッコリ笑うインファから、薄ら寒い霊力が漂った。

「言い訳にしかならないが、本人は、君とリティルに話すつもりだったのだよ。君に害をなしたと、ずいぶん悩んでいたのだよ?」

「インジュが、ジュールにかなり抵抗していました。無理もありませんね。目が覚めたら、恩人が審議にかけられていて、その罪が、自分を救ってくれた魔法が原因なんですからね」

 こちらが話し合う前に現れたジュールから、ペオニサを引き取る正当性を言葉巧みに説かれていた最中、インジュはペオニサの見立てよりずいぶん早く起きてきた。リャリスに支えられて来た彼は、自分で歩くことすらままならず、相当の無茶をしていることは明白だった。

「ペオニサが罪人って、どういうことですかぁ!」

叫んだインジュは、その直後吐いた。リティルとノインが慌てて「落ち着け!寝てろ!」と部屋へ押し戻そうとしたが、インジュは潤んだ瞳に獰猛な鳥の瞳をして、リティルを睨み、ここに留まると言った。

自分が精神をいいようにされていたという、インファにすれば、いや、この場にいる全員が寝耳に水なことを聞かされて、状況把握に口を閉ざすしかなかったインファは、口を開いた。

このままジュールに屈すれば、インジュが何をするかわからないような気がした。短慮なことはしない息子だが、ペオニサを太陽の城に戻すことに抵抗があるらしい。

彼は、ペオニサと普通の友人関係を築いている。インファに言えないことも、インジュには伝えている可能性がある。仲間はずれのようで寂しいが、インジュがペオニサを風の城から出すなというのなら、インファも抵抗するまでだ。

「ジュール、ペオニサは風の城から出せません」

「ほお?風の王の副官の心を籠絡した花の精霊を、自身の手で裁かねば気が済まないか?まあ、そうだろうとも。わたしがおまえでも、同じ事を思うさ。だがな、これまでの一家としての貢献、献身は評価に値するはず。このまま断罪されるのは、父としても忍びない」

容赦ないですね。インファの神経を逆撫でする言葉を、薄ら笑みを浮かべて投げつけてくるジュールに、インファは努めて冷静に低く問うた。

「オレが感情で、彼を殺すと思っているんですか?」

「違うのか?おまえは色恋に否定的だ。嫌悪するほどにな。そんなおまえが、魅了されたのだぞ?それも、男にだ。いかに、公平で冷静なおまえとて、激情に流されんと言い切れるのか?」

それを言われると痛いですね。インファが色恋に疎いのは周知の事実だ。それを行ったのが、散々口説いてきている彼ならば、インファがやはりと嫌悪したとしても、当然だと皆思う。むしろ、許す方が不自然だ。

「今は、解けていると言いましたね?」

考えろ。ジュールに押し切られれば、ペオニサの追放を要求してくるかもしれない。そうなれば、インファは風一家は、ペオニサと二度と会えなくなってしまう。

それが狙いですか?インファはグラリと思考が揺れるのを感じた。

「ああ、そうだ」

「だとするのなら、今この胸にある想いは真実だということです」

ペオニサが言わなかったのはなぜなのか。そんなこと、考えなくてもわかる。インファを巻き込んでいた為に、言えなかったのだ。

信じろ。ペオニサを信じなくて、彼にどう信用されるというんですか?インファは、思考の揺れをグッと留めた。

「そうなるな」

ジュールは余裕だった。おそらく、何を言われてもペオニサを太陽の城に連れ帰れると思っているだろう。

現状、それが最良だ。ジュールは未知の固有魔法・劇作家を、インファよりも知っている。彼の指導があれば、それは形になるだろう。

心を閉ざされたインファよりも、ジュールの方が適任だ。

しかし、ペオニサの心は?劇作家のことを明かしたペオニサは、明らかに監禁されようとしていた。それは、ジュールが乗り込んでくることを見越し、父王と顔を合わせないようにすることで、太陽の城へ連れ帰られることを拒もうとしたのではないのか。

ペオニサの心に関して、インファは自信がない。

だが、インファを引き合いに、悪人を気取ったペオニサの挑戦的な瞳に、賭けることにした。

といっても、未完成の固有魔法・劇作家のことをまったくしらないインファでは分が悪い。

すでに、準備を整えて乗り込んできているジュールを相手に勝てる確率は、ゼロに等しい。

無茶ぶりですよ。あなたはオレを、なんだと思っているんですか?頼れというのに頼らない。信じてくれと言っても信じないペオニサに、インファはフツフツと怒り感じていた。

口先だけのあなたの名誉を、守ろうと思っていたんですよ?ペオニサが過剰に「違う!」と喚いて、インファを守ってきたように。

あなた相手に、遠慮はいらないですよね……?インファとの仲を疑われることを、ペオニサは異常に嫌がる。それは本当に彼の本心だ。

 追い詰められたインファは、怒りに開き直った。

「オレはペオニサを、愛しています」

「……ほお?」

感触としては良さそうだ。恋愛下手な自分が、百戦錬磨の色男に勝てるのか、勝負するしかない。我ながら、無謀な芝居の舞台に上がったものだ。

「お父さん……言わないって、約束したじゃないですか……」

乗ってくれるインジュの存在がありがたい。もちろん、インジュとそんな約束をした覚えはない。

「セリアを裏切るのか?」

彼女の存在は、彼との関係を偽る上で弱みだ。だが、ここにセリアがいても、乗ってくれる。

彼女は、オレの最大の理解者です。オレの障害にはならないんですよ!あとできっちり、怒って拗ねるが。ご機嫌取りはまた楽しいのだ。

「セリアは知っていますよ。妻は寛大なんです。ペオニサは肉体関係を拒否していますから、傍目にはこれまでと変わらない関係に見えますよ。あなたも、気がつかなかったでしょう?」

「……確かにな」

「あの人はすぐ逃げますから、オレも近づきません。オレが恋人でいられるのは、宝城十華の前でだけです。奪わないで、くれませんか?オレからペオニサを、奪わないでください」

「お父さん……」

インジュは口元を手で覆って、俯いていた。具合が悪そうだ。

やりすぎですか?そうですか。さじ加減が難しいですね。インファは、そっとジュールから視線を外して俯いた。

「ボク……ペオニサに固有魔法のこと聞いてきます。ジュールさん、勝手に連れてっちゃダメですからね?」

具合の悪そうなインジュは、リャリスの手を借りてそそくさと退出していった。どこで笑うつもりだろうか。笑いすぎてまた吐かなければいいと、インファは息子の容態が心配だった。

「イ、インファ……!」

絞り出すように名を呼ぶリティルに、インファは瞬間無表情を返した。

ああ、こちらにやりすぎと言ったんですか?インファは、笑いを堪えきれずに逃げてしまったインジュを恨んだ。

さて、この人をどうしましょうか?「演技です」とジュールの手前言えない。混迷を極めたリティルが、ペオニサとインファを引き離しにくれば、さすがにもう勝つ手がない。

「フッハハハ。ジュール、相棒が守ると言っている。ペオニサの事は預けろ」

庇ってくれたのは、額から鼻までを仮面で隠した、ミステリアスな男性――力の精霊・ノインだった。インファの親友である彼が、何の打ち合わせもなく助けてくれるとは思わなかった。ノインは、今にも飛びかかりそうなリティルを押さえてくれていた。

「ふん。ゾナもあいつの味方だ。連れ帰るのは無理なようだな。わかった。おまえの顔に免じて、引き下がってやろう」

ジュールはフッと笑うと「おまえがそんなカードを切るとは、負けた」と言って、太陽の城と繋がる大鏡を越えていった。

 ハアと息を吐くつもりだった。

インファは、襲いかかってきた突風に胸ぐらを掴まれていた。もう少し捕まえていてくれてもいいのにと、ノインを見てしまいそうになった。どうせ彼は話し合えと言うに決まっている。

「ホントなのかよ!?おまえ……ペオニサを……?」

「……演技ですよ。そんなに真に迫っていましたか?ペオニサと日々訓練した甲斐がありましたね」

フフと笑うと、リティルは大いに戸惑いながらも、胸ぐらを掴んだ手を緩めてくれた。

「しかし、劇作家――ですか?気がついていましたか?」

口元に手をやってずっと笑っているノインと、未だに衝撃から立ち直れていないリティルを、インファは険しい顔で見回した。

「気がつかなかった。もう解かれていると言ったな?魔法の発動時期はわからないが、痕跡を探る。おまえはペオニサの所へ行け」

ノインも気がつかないとは、劇作家とはいったいどんな魔法なのだろうか。

「インジュが行っています。ゾナがついていますから、自分の霊力に殺されることもないでしょう。……今行けば、辛辣な言葉を吐いてきますよ。痛いんですよ」

「フッ。感化されているな。ジュールへの告白、どこまでが演技だ?」

わかっていて問うてくるのだから、タチが悪い。そのうち反撃してやりますからね!と心に誓うインファだった。

「意地悪ですね。恋愛感情は全力で否定しますよ。それはペオニサも同じです。離れていても特に思うことはないんですが、会えなくなるのは寂しいですね。ペオニサはオレに何も求めませんから、オレが求めなければそれっきりになってしまいます。オレが動くしか、ないんですよ」

「悪い男だな。おまえに対して、駆け引きが上手すぎる。彼には、劇作家など必要ないな」

「もう少し優しくしてほしいですよ……ジュールを相手にしろとは、無茶ぶりもいいところです」

「太陽の城に戻されるならそれもそれと、思っているのだろうな。インジュ、戻ったか」

ノインの声に城の奥へ続く扉を見やると、インジュが入ってきた所だった。

インジュは毒の後遺症から脱したようで、スッキリとした顔をしていた。ペオニサの騒動で、十分に休息がとれなかったが、ひとまず安心だ。

「お父さん、ペオニサがですねぇ、クエイサラー城下でレイビーさんに会ってほしい、なんて言うんですよぉ。ペオニサ、小説の売り上げがよくて、パーティー開いてもらってましたよねぇ?何かあったんです?」

自分の翼で飛んできたインジュは、首を傾げていた。

「例の殺人事件、終わっていませんからね。レイビーさんの身に、危険を感じているんでしょうか?もう香水の件は片付きましたから、オレ達的には終わった事案です。ペオニサはまだ手を引いてほしくなかったということでしょうか……?」

言葉を返しながら、ふむとインファは言葉尻が独り言になってしまった。

「あいつ、まさか自分を犠牲にしてねーよな?」

「それはないと思いたいですが……父さん、インジュ、クエイサラー城下へ行ってくれませんか?」

「いいぜ?あいつは家族だ。オレには守ってやる義務があるからな。けど、おまえじゃなくていいのかよ?」

「ゾナがついていますが、霊力全般と固有魔法の紐解きはオレの方が得意なんです。インジュ、ペオニサは苦しんでいませんでしたか?」

「元気なかったですけど、大丈夫そうでしたよぉ?今夜くらいがピークじゃないんです?」

「でしょうね。ジュールから釘は刺されていたはずですが、忠告を無視した代償を、身をもって知るでしょうね」

「……ペオニサ……あれくらいの怪我、どうってことないのにぃ……」

「酷かったですわよ?薬を飲ませてくれたのが、誰か、わかっていて?」

リャリスは、コバルトブルーの糸のように切れ長な瞳に、複雑そうな表情を浮かべていた。

「薬?解毒剤です?口移しでしたよねぇ。あれ、リャリスじゃないんです?」

「ペオニサだぜ?プロだなぁって感心したぜ。一切躊躇いねーんだ。直後眠りの魔法だしな」

「ええ、最後まで流れるようでしたね。未完成の固有魔法を使う事も、潔かったです」

「私、何もできませんでしたわ」

「すみません……心配させちゃいましたねぇ……。もう大丈夫です。泣かないでくださいよぉ」

顔を覆って泣き始めてしまったリャリスを、インジュは宥めるように抱きしめた。

「インジュ、あなたは明日リティルと合流してください。父さん、行けますか?」

「ああ、任せとけ!あんまり得意じゃねーけど、ペオニサの魔法の痕跡がないか、明日までに調べとくぜ」

「え?ボク明日です?」

「本調子ではないでしょう?それから、リャリスを放っておくつもりですか?」

「わ、私は……」

仕事の邪魔になってはと、リャリスは涙を拭うと、ぐいっと抱きしめてくれているインジュを引き剥がした。

「しばらく帰れないかもしれません。あちらで滞りなく動けるように、準備してください」

インファに副官の顔でそう言われ、リャリスは素直に頷いたのだった。

 そうして、リティルはクエイサラー城下へ、狩りから戻ったラスは顛末を聞いて仰天したが、城の運営は任せてくれと頼もしかった。

インファは、ペオニサが苦しむだろう事は想定していたが、ゾナに任せるつもりだった。しかしゾナは通信してきた。

『ペオニサの霊力構造が思いの外壊れているよ。オレでは手に負えない』

ゾナが手に負えないとは、いかほどのものか!?インファは慌てて、ペオニサの部屋に飛んでいた。

封じられいることを忘れていて、ゾナがインファだけを入室許可していなかったら、封印に顔面からぶつかっていただろう。

診てみれば、それほどでもなかった。自分の身が傷つくほど無茶な使い方をしたわりには、霊力構造に傷はついていなかった。探ってみればジュールの霊力を感じた。

彼は、息子が万が一使ってしまった時の為に、命を守る魔法を施していたようだ。

こんな用意周到な人と、一戦交えてくれとは、どんな虐めだ?とインファはペオニサを恨んだ。

 ペオニサを眠らせ、霊力の流れを正常に戻していると、ゾナが様子を見にやってきた。

知っていたのに教えてくれなかった彼に、怒りをぶつけてみたが、ペオニサの意志を尊重したと言われれば、引き下がるしかなかった。

触れた固有魔法・劇作家は、実に興味深かったが、このままでは術者に負担がかかりすぎることと、発動に時間がかかりすぎる。さて、どう作り変えようかとゾナと議論していると、夜も更けた。

さすがに眠くなったと、ゾナは魔導書に戻って眠ってしまった。

インファも眠気に襲われていたが、ペオニサがうなされる声に、頭を撫でてやっているうちに寝落ちてしまったらしい。


 小鳥のさえずりと、カーテンを引いていなかった窓から差し込む朝日が、部屋を照らし始めていた。

目を覚ましたペオニサは、あれだけ全身痛かったというのに、今朝はあれが嘘だったかのように痛みがなくなっていることに、ボンヤリしながらうつ伏せのまま自分の手の平を見つめていた。

握りしめすぎて、手の平に爪のあとが残っていた。

夢じゃない。ということはわかったが、なぜ一晩で苦痛から解放されたのかわからなかった。そんな優秀じゃないはずだけどと、ペオニサは何か背中に乗っていることに気がついて、首を捻った。

「?」

人の……手?誰?と思いながら視線を腕に沿って移動する。

「!?え?イ、インファ!?え?なんで、ここにいんの!?」

ペオニサの背中に片方だけ手を乗せたまま、インファはベッドの隅に突っ伏して眠っていた。椅子に座っている所をみると、看病してくれた?

「ん……おはようございます……ペオニサ」

しまった。五月蠅くしすぎた!と思ったがもう遅い。夢とうつつの間を彷徨うような瞳で、インファはペオニサを見ながら体を起こし、ふわあと1つ欠伸をした。

「インファ……」

ペオニサは体を起こしながら、眠い目をこするインファを凝視していた。

「はい」

「ここで、何してんの?」

「ゾナに、霊力を正してやってほしいと頼まれたんですよ。霊力に関して、オレの右に出る者はいませんからね。違和感も痛みもないでしょう?」

フフとインファは得意げに笑った。まったく、事件を起こす前と変わらない笑みだ。

「怒って……る?よね?」

「怒っています」

「だよねだよね!ご、ごめん!言い辛くて、でもでもさ、話すつもりだったんだよ?」

「ゾナから聞きました。固有魔法の発現と暴走はよくあることなので、その点は問題ありません。被害らしい被害はなかったとジュールからも聞いていますしね。オレが怒っているのは――」

ニッコリインファが笑った。その綺麗な笑みに、ペオニサは蒼白になった。

インファが、この上なく怒っていることがわかったからだ。

「なんの予備知識もなく、準備万端のジュールと対決させられたことですよ。あなたが監禁されたがったことと、オレを挑発したことで、風の城から出たくないのでは?と推測しました。インジュも吐くは喚くはで、大変だったんですよ?父さんには首を絞められましたし、ノインにはしばらく揶揄われますよ」

一気にまくし立てるように言い切ったインファは、最後には拗ねるように俯いてしまった。

「親父……太陽の城に連れ帰るって……?」

「ええ、そうです。その方がよかったですか?昨夜は風の城がいいと言っていましたが」

「風の城が!インファのいるとこがいいよ!」

「それは何よりですね。勝った甲斐がありますよ」

インファは晴れ晴れと笑っていた。その笑みに安堵しながら、しかしどうやって?とペオニサには半信半疑だった。

いかにインファとて、本気のジュールの話術には敵わない。固有魔法・劇作家をまったく知らなかったインファでは、戦う前から負けが決まっていたような戦いだったはずだ。

「どうやって、親父を諦めさせたの?論理武装してたでしょ?」

「ああ、それは」と昨日の顛末を面白おかしく話してやろうと思ったところで、ノックも無しに扉が開いた。

 バチンと音を立てて、封印が切り裂かれた。

「ノックをしたまえ。息子の部屋とて、私室だよ?」

ズカズカと部屋に入ってきたのは、ジュールだった。ジュールは凄みのある笑みを浮かべていた。

「これは失礼。昨日インファが言ったことが本当かどうか、確かめにきたのだ」

ペオニサは、立ちはだかる壁のような父王を、恐る恐る見上げていた。

「昨夜は、お楽しみだったか?」

「な!」

ペオニサは、ニヤリと下世話な笑みを浮かべるジュールに、カッと頭に血が上った。

「ええ、楽しい一夜でしたね。久しぶりに白熱してしまいましたよ」

え?当然の様に言ってのけたインファに、信じられずにペオニサは友の顔を見ていた。

その時、友が、なんと言ってジュールからペオニサを守ったのかを悟った。

「インファ……?」

ペオニサの立ち居振る舞いで、超絶美形で女性を毛嫌いするインファが実は男色故だったのだという噂が、イシュラースにはびこっている。ラスがいくらもみ消しても、ペオニサがそばにいる限り、その噂は次々に立つ。インファは、所詮噂だと取り合わないが、それは、近しい者達が信じていないからだ。セリアが鼻で笑ってくれているからだ。

花の王・ジュールを、インファは信頼し頼りにしている。兄と慕ってくれているリャリスの父で、息子・インジュの義父だ。

その人を相手に、インファは、ペオニサと結ばれている芝居を打ったのだ。風の城にいたいとペオニサが暗に匂わせたから!

「ペオニサ、問題ありません。あなたはオレを選んだんです。それでいいんですよ?」

真実を言わなくていいと諭す言葉は、インファの芝居を信じた者にとっては、事実の肯定に聞こえることだろう。

「いいわけ……ないよ……インファ……なんで……?あんたはだって!」

「傷つかないでください。らしくありませんよ?」

あやすような、優しい口調で、インファはペオニサの瞳から流れた涙を拭く。細く繊細に見えるその指は、硬くかさついていた。

「仲睦まじいことだな。ペオニサ、インファはこうやって、何もかも犠牲にできる男だ。愛するのは容易ではないぞ?おまえにこの男を守る覚悟がないのならば、潔くわたしの元へ帰ってこい」

インファは、噂に汚される覚悟を決めて、そばにいてくれているのだと、ペオニサはやっと悟った。

どんな悪評を立てられても、本質さえ見失わなければ絆を守れると、インファはペオニサを守るためにずっとずっと、諭してくれていたのだ。

ペオニサは、微笑を浮かべる美しく気高い友の顔を見た。

この人が美しいのは当たり前だ。俯かないで空を見上げ続ける覚悟を、決めているから!

ペオニサは流れた涙を乱暴に拭った。そして、インファに小さく頷いてみせた。

「オレは風の城にいる。インファのそばで、みんなを癒やし続けてやるんだ!」

ペオニサの宣言を聞いて、ジュールはフッと笑った。

「インファ、合格か?」

「合格も何も、オレはすでにペオニサを手放せませんよ?奪わないでください」

フフと笑うインファと笑みを浮かべるジュール。なんて、怖い絵面だろうか。

「さて、ゾナ、昨夜の白熱の議論、ジュールに聞いてもらいましょう」

「おや、もう芝居はいいのかね?リティルが信じてしまい、あわや大惨事だったという渾身の大舞台だったのではないのかね?」

「ジュールには見抜かれていますよ。オレの本気が試されただけです」

「フフ、まあ、なあ、フフ。これでもあの一言目には度肝を抜かれたのだぞ?途中でインジュが笑い出しただろう?あれで、芝居だと気がついたのだ」

「インジュのせいでしたか」

「ああ。おまえを穢してしまったか?と本気で焦っていたが、インジュ……あいつは本当に。グロウタースへ行くそうだな。昨日は調子が悪そうだったが、大事ないか?」

え?親父が優しい!?と驚愕していると、ペオニサはジュールに睨まれた。

「ペオニサが癒やしてくれましたからね。今日はピンピンしていると思いますよ。劇作家のことも気になりますが、クエイサラー城下のことも気になります。何があったんですか?ペオニサ」

頷いたペオニサは、皆が開いてくれたパーティーでのことを話始めた。


 宝城十華の新刊の発売を祝うパーティーだったために、あの日は、親衛隊も素性を把握していない客が出入りしていた。それはいつものことだ。

その為に、警備は万全にしてあったのだが、レイビーは不安げに「リティル様に来ていただくわけにはまいりませんか?」と言ったという。

レイビーはインファの怪我の事も知っていた。今は完治して、顔に傷は残らなかったことも話していたが、名を出しづらかったのだろう。

「心配事?」と問うと、レイビーは歯切れが悪かった。

まだ、殺人事件が終わっていないからと。どうやらそれだけではなさそうだが、ペオニサは影は忙しいからと、リティル達が護衛につくことを断った。

あれからペオニサもインジュとラスに鍛えられ、護身ぐらいはできるようになっている。会場全体に結界をかけ、不審者を把握するくらいのことならできる。

一応インジュの耳には入れたが「ノアちゃんがいるんですから、大丈夫ですよぉ」と言われた。それは、実力試してくださいと言われたのだと解釈した。

「インジュ……」

インファの霊力が熱を帯びたのを感じて、ペオニサはアタフタしたがジュールがポンッと肩を叩くと、インファは感情を納めた。

それで?と先を促され、ペオニサは頷いた。

 当日も、別段何事もなくパーティーは進んだ。

暑苦しい同性愛者のファンに「恋人紹介しろ!」と迫られたが、レイビーが「インファ様は恋人ではありません!」とキッパリ否定してくれた。

「クエイサラー城下のイベントには、オレも行きますよ?」

「えっ!?いや、でもさ……」

「インファに付き合ってもらえ。こうも知れ渡ってしまえば、やりにくいだろう」

「そ、うだけど……考えとく……」

インファは何を心配しているのだろうか。ペオニサはお茶を濁しながら、先を話始めた。

お酒もほどよく入って、ペオニサは恒例の舞を披露したという。

大地に属性が近い花の精霊は、踊りが上手い精霊が多いのだ。ペオニサは、主催者からの要望もあり、この日も例に漏れず踊った。

そのとき、些細な事故があったのだ。

踊りを終えて、レイビーが駆け寄ってきたとき、彼女は客の1人とすれ違った。

「レイビーちゃんのドレスが、切られてたんだ。切り口に血みたいな赤いインクもつけられてて、明らかに敵意があったと思う」

「レイビー嬢はなんと?」

「たまにやっかみで、嫌がらせがあるって言ってた。大したことじゃないって言ってたんだけど、少し様子がおかしくてさ。ノアちゃんにずっとついててもらってるんだ」

「相談してください」

「ええ?いや、だってさ!オレの個人的なことだよ?」

「オレは風の城の副官ですが、あなたの友人でもあります。それでなくとも、家族の相談には乗っていますよ?」

「あーえっと、ごめん……」

「それだけでは、ないのだね?」

「香水の匂いがしたんだ」

「フェアリアですか?」

「それが……オレの匂いなんだ」

「ペオニサ」

「は、はい!」

「風一家は、原則単独行動禁止です。自分の失態か、利用されてかは問題ではなく、些細なことでも気がついたことは、四天王に情報をあげることになっています。ペオニサ、お仕置きされたいんですか?」

「うえ?お仕置き!?インファがしてくれんの!?」

……この人には、何がお仕置きになるんでしょうかね?目を輝かせるペオニサとは対照的に、インファは瞬間無表情になった。副官としては、この上なくやりにくい。

「変態ですまんな」

「名物だと、オレは思うがね。ペオニサ、自分の香りと言ったが、香水なのかね?」

「え?オレの匂いはこの花の匂いだよ。そうじゃないんだ。明らかにオレの香りに似せて作った香水なんだ。レイビーちゃんも感じてたらしくて、気味悪がってたんだ。でも、実害があったわけじゃないから、どうなのかなぁって」

「この話を、レイビーさんから父さんとインジュが聞いているわけですか……」

「波乱の予感しかしないが、交代するのかね?」

「父さんは鼻がいいので、この件は適任だと思われます。インジュはなんでもそつなくこなしますから、オレの出番はなさそうですけどね」

「宝城十華をターゲットとしているのならば、ペオニサが行くべきではないか?」

「しかし、ペオニサが行けば、件の香水の匂いが紛れてしまいますよ?」

「向こうにはノアちゃんもいるよ。リティル様とインジュに任せとこうよ。レイビーちゃんが気にして、あんまり来るなって言われてるし。あの、さ、劇作家の事なんだけど……」

怖ず怖ずと、ペオニサはインファの顔色を窺った。

「破棄する必要はありませんよ。オレの勘が正しければ、その魔法はオレを守ってくれていたはずです。大いに泣かされましたけどね」

「え?そ、そうなの?よかったって、思っていいの、かな?」

「ええ、そう思っていてください。……ペオニサ、クエイサラー城下へ行きましょう。少し胸騒ぎがします。オレも風の王・リティルを守るために生まれた精霊です。王の危機には敏感なんですよ」

「え?」

耳を疑うペオニサに、インファは静かに微笑んだ。ジュールは少し気まずげに、その瞳を伏せた。

「話をしましょう。ペオニサ。オレ達、親子3代にまつわる話です」


 その頃、出版社の前でインジュと合流したリティルは、レイビーに会っていた。

リティルの顔を見るなりレイビーは、安堵しすぎて涙ぐむほどで、精霊2人は驚いた。

「落ち着いたか?ビックリしたぜ?そんな思い詰めてるなら、十華に言ってやってくれよ」

レイビーは、リティルに背中を撫でられ、ハンカチを握りしめながら鼻を啜った。

「はい……申し訳ありません」

「何があったんです?兄さんと十華も呼びますよぉ?」

インジュの申し出に、レイビーは「十華様に心配かけたくないのです」と首を横に振った。

そして、レイビーは、風の城でペオニサが語ったと事と概ね同じことを語った。そして、その話には、後日談があった。

それを話そうとしたレイビーの言葉を遮るように、黒い球体が突如レイビーから飛び出してきた。

『リティル!』

「ん?ノアじゃねーか。最近見ねーと思ったら、おまえ、ここにいたのかよ?」

驚いたレイビーは「きゃあ!」と悲鳴を上げて、隣のリティルに抱きついていた。リティルは慣れたもので、至極自然にレイビーを受け止めていた。

「あ、あの……」

「ああ、こいつは十華にくっつけてる守護精霊のノアだ。十華のヤツ、君が心配でコッソリつけてたんだな」

「そ、そうなのですか……?」

レイビーは、モンシロチョウの羽根を生やした黒い球体にしか見えないそれを、恐る恐る見つめていた。

『そんなことどうでもいいの!リティル、この人可哀想なの!』

大きな蜂のような飛び方で、ノアは怒った口調で訴えてきた。

「なんだよ?」

『ストーカーよ。この人、ペオ――』

「ああっと!リティル、いつまでレイビーさんのことハグしてるんです?ノアちゃんもちょっと落ち着きましょうかぁ……?」

ペオニサと呼びそうになったノアの言葉を遮り、インジュはニコーリと微笑んだ。見た目にはキラキラスマイルだったが、ノアには地獄の番人の笑みに見え「ひいっ!」と縮み上がった。

「あっ!ご、ごめんなさい。リティル様……」

リティルに抱きついたままだったことにやっと気がついたレイビーは、あからさまに動揺してバッと離れた。リティルはいつもの、爽やかな笑みを浮かべていた。

この笑みにみんな騙されちゃうんですよねぇ。と、レイビーの信用を易々と掴んでいるリティルに、インジュは凄いなぁと見つめていた。

「はは、いいよ。で?ノア、十華が、なんだよ?」

『じ、十華……と、同じ匂いの人が、周辺をウロウロしてるのよ!』

「実体あります?」

『それがわからなくて。気配はあるけど、気がつくと香水の残り香だけで……ホラーよ。はっきり言ってホラーよ!』

「十華に報告したか?」

『したわよ。したから、リティルとインジュが来たんじゃないの?……何かあった?』

「あーそういうことですかぁ。十華と兄さんがちょぉっとありまして、詳しいこと聞けないまま、ボクとリティルがレイビーさんの様子見に来たんですよぉ」

『ええ?あの2人、また何かあったの!?もう、付き合っちゃえばいいのに』

「友情だぜ?友情。実はな、オレ、昨日からいるんだよ。あの、エカテリーナの事件から、何か変わったかと思って、ウロウロしてみた」

「収穫ありましたぁ?」

「収穫かどうかはわからねーけどな、エカテリーナの家、競売にかけられてるな。新聞記者の旦那、どこ行ったんだろうな?」

リティルがそう言うと、レイビーがえ?という顔をして、何かを考えているようなそんな素振りを見せた。

「ん?なんだよ?知ってるのかよ?」

「ええと、わたしの記憶では、あのけしからんファンの女性は、未婚……だったはずです」

「えっ!?ボク、調べてきます!」

「おいインジュ兄!1人じゃ……って大丈夫だな。攻撃されたらもう実力行使でいいからな。任せたぜ?」

「はい!」

末弟の言葉に、素直に従ってインジュは慌てて部屋を飛びだしていった。

「はあ……レイビーの言ってることが事実なら、かなりヤバいぜ……オレ達が偽情報掴まされるなんてな」

『わたしの仲間がやったの?』

「ん?まだいるのかよ?自称恋愛の守護精霊」

アシュデルの話では、生まれても一晩しか存在できないと言っていた。ノアがまだ存在しているのは、ペオニサが作ってしまったからだが、定着した特殊中級精霊がいるのだろうか。

『わたし達繋がってないから、わからないの……』

「悠長にしてられねーな。インファ兄は必須だな。あとは、ラスか……ったく!報告しろよな!」

苛立つリティルを、レイビーは不思議そうに見つめていた。

「あの、リティル様が隊長様ですか?」

「ん?ああ、オレ達三兄弟とラスのチームは、オレがリーダーなんだ。大丈夫だ、心配するなよ。オレ達優秀だぜ?」

ニカッと笑うリティルに安心する。なるほど、彼が隊長をしているのはこの安心感故なのだろうと、レイビーは納得したのだった。

 その後、ホントに調べてきたのか?と思える速さで戻ってきたインジュから、エカテリーナの夫と思われていた人物は、勤務していたはずの新聞社に勤めていた事実はなかった。


 誰が、狙われているのだろうか。

それとも、ただ悪意のままに無差別に傷つけているのだろうか。

「どこまで、現実……?」

先に来ていたリティルとインジュに合流したペオニサは、数ヶ月前、リティルと泊まった宿に部屋を取っていた。

情報収集に飛ぶラスの補佐について、インジュは出掛けてしまった。リティルはノアとレイビーの護衛についていた。

ペオニサはインファと宿に待機を命じられていた。

「ここでは、オレ達のすべてが舞台上で、偽りですからね。ですが、こちらで生きている人々にとっては現実です。オレ達は、レイビーさんのような人達を守っているんですよ」

「オレは、関わりすぎたんだよね?」

「あなたは、精霊としての節度を守っていましたよ。レイビーさんと関われるのは、せいぜい数十年です。このまま、オレ達が精霊だとバレなければ、このままで構いません」

「いいの?それで」

「そんな精霊は、案外いますよ。父さんが寛大になったのは、ここ百年くらいですかね?」

インファは、風と小鳥達が集めてきた噂を紙に起こしたものを吟味していた。

「ねえ、もし、オレの魔法が原因だったら……」

「リティルが調べてくれました。あなたの力は感知されていません。それに、あなたの香りの香水が出回り始めたのは、最近ですよ?」

「いつから?」

「それを今、ラスとインジュが調べています。焦らないでください。黒幕を見誤るわけにはいきません」

「……インファ『花言葉は危険な香り』読んだ?」

「ええ」

「犯人、黒だと思ってた女性の旦那だ。偶然……なのかな」

「……あなたは、本当は女性ということはありませんよね?」

「うえ!?お、男だよ?」

知ってるよね?と言おうとして、お互い裸を見たわけじゃなかったなと思った。しかし、ペオニサを女性と間違う猛者はいない。

インファの確認の真意を、なぜかドギマギしてしまったペオニサは理解できなかった。

「あの小説では、最後の最後まで、主人公の男装の麗人は男性のように書かれていました。女性だと知っていたのは、助手である男性1人です。女性を匂わせる表現は散りばめられていましたが、読者は、性別が明かされる最後まで、助手を同性愛者だと思ったはずです。オレもそうだと思っていました」

「そ、そう?そんな上手く書けてた?」

「ええ。やられましたね。最後の助手の殺し文句『オレだけの女でいろよ』はよかったですね。……男装の麗人……その役をやるのは、オレですかね?」

「ええ?ちょっと!ちょっと待った!」

過去にペオニサは、一緒に着物着ようよ!とインファに言ったことはあったが「いいですよ?」と快諾されないことが前提だった。

それなのに、最近のインファは、彼らしからぬ発言が多い。無理をしているのか、風の仕事では普通のことなのか、新参のペオニサでは判断がつかなかった。

それを感じてか、インファは笑うと「冗談ですよ」と言った。

「フフ、小説を模していると考えるのは乱暴ですよ。あの新聞記者は、あなたが小説を書く前から潜伏していたんですよ?」

「そう、だよね……。あの家に、何か残ってないかな?」

「気になりますか?だとしても、許可できませんよ?どうしてもというのならば、オレが行きますが?」

「オレは、留守番?」

「ええ。一人置いて行くと何をしでかすかわからないので、レイビーさん宅へ送ります。これ以上勝手に動いて、リティルの怒りを買わないでください」

「インファは1人で行くの?」

「現状、オレしか動けませんからね。明日ならば、ラスかインジュを引っ張りますよ」

「わかった。明日にしよう?」

「そうしてくれると、ありがたいですね」

そう言ってインファはペオニサに微笑んだが、彼が納得していないことは見抜いていた。

そうですか。オレが狙われていると、ペオニサは思っているんですね?彼が行動するのは寝静まった深夜だろ。ラスに連絡するのだろうなと、インファは推理していた。

 情報の整理を終えたインファは、明日に備えようと早々に寝ることを提案した。案の定、ペオニサは頷いた。

そして深夜、ペオニサはそっと起き出すと、ベランダへと出て行った。それを、インファは闇の中見つめていた。

 ベランダへ出たペオニサは、水晶球を取り出し、ラスに話しかけていた。

「ラス、今、いいかなぁ?」

『ペオニサ?どうしたんだ?』

ラスはすぐに答えてくれ、何かあった?と案じてくれた。

「あのさ、オレと一緒に例の家に行ってくんないかなぁ」

『いいけど、インファには話した?』

「うん。明日行ってくれるって。でもオレ、あの家に近づいてほしくないんだ」

『それは、勘?確信?』

「勘。オレ、インファの為に生きてる精霊だから、インファの危機に敏感なんだ。嫌な予感がする。それを確かめたいんだ」

『インファが危険なら、あんたはもっと危険だと思うよ?』

「うん。だから、ラスにお願いしてる」

『1人で行かなかったのは、進歩だけど……うん、わかった。行こう?でも。インジュも一緒だよ?』

「ありがと!インジュもね」

『明日一緒に怒られてあげます!その為には何か見つけないとですよぉ?』

「それは……あんま期待できないかも?」

『香水事件もそうだったけど、何も見つからないからね。しょうがないかな?』

見上げると、ヒュンッと1羽のハヤブサがベランダの手すりに急降下してきた。

『行こう。蝶に化身して、オレの背中にしがみ付いていて』

頷くと、ペオニサはその場にしゃがみ込み、ミイロタテハに化身するとハヤブサの羽毛の中に潜り込んだ。それを確認して、ハヤブサはサッと空へ舞い上がったのだった。


 競売にかけられているという、エカテリーナの家はしんと静まり返っていた。

高級住宅街とあって、賊に荒らされないように門から屋敷全体に結界が張られていたが、インジュは易々と壊していた。あとで張り直せばいいと、なんとも豪快だった。

「待ってましたよぉ?何を調べるんです?」

ボク達みんな初めての場所ですけど。と、インジュはどこかウキウキしていた。そんな緊張感皆無なインジュに和む。

「アテがあるわけじゃないよ。ただ、リティルが最初この家に来たとき、彼女が既婚者だって言われてもないのにそう言ったんだ。どうしてだったのかなぁと思って」

インジュは堂々と玄関の鍵を外して、何の警戒もなさそうに扉を開いた。

あの日見た玄関、そして広々とした廊下が闇に沈んでいた。

「リティルに聞けばいいじゃないですかぁ?」

「そうなんだけどさ、オレもわかるかなぁ?って思って」

中は、手つかずのようだ。あの日のまま、置かれている小物の位置まで同じようで、不気味さがいっそう際立っていた。

 あの日、エカテリーナについてリビングに通された。ソファーに座ったペオニサと、部屋の中をウロウロして一向に座らなかったリティル。

ペオニサは、手の平に灯した光魔法を片手に、リティルが何をしていたのか部屋の中を歩いてみた。

「……?」

高そうな壺や、ガラスでできた花の置物などと一緒に、写真が置かれていた。

幸せそうなペオニサの知らない男女とともに映る、エカテリーナの姿があった。

友人の結婚式だろうか。女性は白いウエディングドレスで、男性はタキシードだった。

「エカテリーナも、被害者ですかねぇ」

ヒョイッと腕越しに写真を覗き込んだインジュが言った。

「この写真に細工されてたと思う?」

「はい。ここへ来たとき、リティルはこれを見て、エカテリーナが既婚者だと思ったんだとすると、その可能性大ですねぇ。この2人に見覚えありますぅ?」

そう問われて、ペオニサはうーんと、穴が空くほど写真を見つめた。

女性はわからないが、この男性……ずいぶん綺麗な顔をしているなと思った。まあ、インファには負けるけど……と思って、はっと気がついた。

「この人、殺人事件の被害者だ」

「既婚者だったんだ」

「被害者、女性の敵!みたいな人でしたよねぇ?エカテリーナもその1人だったとかですかねぇ」

「結婚式に呼ばれるくらい仲がいい友達の旦那と寝てたってこと!?オレ、理解できない……。あ、オレ、傍目にそう見えてたんだ……?」

「インファが誤解されたのは、ペオニサが香水つけられたあとだよ?誰も知り得ないじゃないか。それに、始めに恋人役やったのはリティルだよ?」

「う、うん……」

「なんです?どこかで問題発言しちゃってたんです?」

「いつだったかは忘れたけど、宝城十華と語る会で、オレ、すげぇ好きな人がいるようなこと話したんだ……」

切ない片思いの話を聞いて、同意してしまった。そして、口が滑ったのだ。

「……もしかしなくても、インファの事思ってた?」

「あ、あはははは。ちょっと尋常じゃないくらい食いついてこられちゃって、ただ好きなだけで、どうこうなるつもりもなくて、手が届かない人だし、とか言ったかなぁ?」

「解せないですねぇ。その言い方だと、ペオニサは被害者サイドですよねぇ?」

「語る会自体、快く思われてなかったのかなぁ?応募の条件に、現在片思い中の人、宝城十華に恋心のない人っていうのがあるんだけどなぁ。まあ、鵜呑みにするしかないから、親衛隊がいるんだけどさ」

「その相手、レイビーさんだと思われたんじゃないんです?」

「え?」

「巷を騒がせてた殺人事件と、ペオニサの事件は別物だったんじゃないんです?エカテリーナの破滅っぷりが痛烈すぎて、忘れ去られちゃったんですけど、あれ、ターゲットは初めからレイビーさんだったのかもです」

殺人事件は、アシュデルの香水を悪用した結果生まれた邪精霊達が引き起こしたモノだ。

犯人はすでに、アシュデルが特定して影に始末され、香水は回収されている。魔法は、かけた者が命を落とせば解けることが一般的だ。エカテリーナも闇の魔導士だった。香水に呪いをかけたのは、彼女だったのなら、初めに追っていた犯人とは違うことになる。

今、売られている「フェアリア」は悪用されない魔法がかけられている。あれは無害となったが悪用防止の魔法がかけられていない、回収を免れてしまった香水だったならあり得る。影の仕事は表には出ないため、初めに香水を悪用した魔導士がまだ生きていたのだと思っていたが、すでにそこから違うのかもしれない。

「ってことは、もう、レイビーはターゲットから外れてる?」

「ですねぇ。ペオニサ、お父さんが危ないって思ったんですよねぇ?それって、ペオニサの想い人が、お父さんだって思われてるからじゃないんです?」

「え?ちょっと待って!それってさぁ、オレの想い人が狙われてるってこと?で、でもさぁ、レイビーちゃんストーカー被害に遭ってるっぽいよ?」

「それは、レイビーさんにちょっかいかければ、十華が出てきて、十華が出てくれば、お父さんも出てくるって思われたからじゃないんです?」

「でも、インファはエカテリーナに殺されたって思われても、不思議はなかったんじゃないのか?」

ラスの言葉に、ペオニサは僅かに青ざめた。

「あー……オレ、下手打った……。パーティーの席で、恋人襲われたって聞いたけど大丈夫だったか?って聞かれて、恋人じゃないけど、ピンピンしてるよ?って答えちゃったよ!」

「……ペオニサ香水が出回り始めた時期と一致してますね……」

「今日はここまでにして戻ろう。これ以上突いて何か出たら、さすがにインファに言い訳できないよ」

「待って。もう少し――」

「ペオニサ、ダメだよ?インファが来てしまうから」

家の奥の闇を見つめて動かないペオニサの腕を引きながら、ラスが諭すように声をかけた。

「ここに来ること、許したのはインファなんだ」

「ああ、どおりですんなりだと思った。わかったよ。でもさ、明日も付き合って?」

「わかりましたよぉ。はあ……お父さん、また囮買ってでますねぇ」

「させないから!」

ムキになるペオニサに、インジュとラスはため息を付いた。

かばい合って大惨事になる未来を見た気がして、後始末が大変だなと思ってしまったのだ。インファは合理的だ。

なおかつ肉体も精神も、インジュには劣るが丈夫だ。非戦闘員のペオニサを危険に晒すくらいなら、自分がという考え方は変わらない。

最上級精霊で、超回復能力持ちのリティルとインジュも、もし同じ立場なら迷わずそうする。さっさと終わらせて、次の事案にかかりたい。ということもある。

 ハヤブサのラスに送られて宿に引き返したペオニサは、部屋の電気がついていることに青ざめていた。

『ごめん。インファには連れていくことを報告しておいたんだ。思ってること、ちゃんと話して?』

そういうとラスは、蝶のペオニサをベランダに下ろして飛び去ってしまった。縋る暇もなかった。

しかたない。自分で蒔いた種だ。

「おかえりなさい」

掃き出し窓を開けると、インファは寝る前にそうしていたように、書類を広げていた。

「面白いことがわかってきましたよ」

インファは、どう切り出そうか困っているペオニサに、まるで怒った様子なく声をかけてきた。

「宝城十華はかなり前から、何者かに目をつけられていますね」

「え?オレ、見られてた?」

「ええ。見守っているつもりかもしれませんが、かなり気味が悪いですね。そして、レイビーさんは邪魔な存在とみなされたようです」

「なんで、レイビーちゃんだったの?」

「関係を邪推されたようです」

「それ、付き合ってるってこと!?」

「十華、あなたはレイビーさんには触れますからね」

「あ……」

意気投合したりすると、彼女とは自然と手を握り合ってしまう。確かに、他の者とは違う接し方をしてしまっていた。

「大丈夫ですよ。ストーカーの目は、現在オレに向いていますから」

「……インジュ?」

「すみません。泳がせたほうが納得すると思いましたから」

さらりと言ってのけるインファに、カッと怒りが湧いてしまった。それも見越していたのだろう。インファは、フフと微笑んだ。

「副官のオレは、こんなモノです。幻滅しましたか?」

「……いや、副官だから……」

無理矢理納得しようとしているペオニサの姿に、顔を見ない彼の姿に、インファは小さく笑った。

「こちらに、巻き込みたくはありませんでした。無様なオレで、いたかったんですけどね。あなたの前では、気兼ねなく失敗できるので、楽でしたよ。しかし、そろそろ冷徹無慈悲な、風の王の副官に戻らなければなりません。この大陸で1番非力な、人間の女性に遅れを取っている場合ではありませんからね」

「インファ……」

「あなたとオレとでは、守り方が違うんです。そんな顔をしないでください。皆が言っていたでしょう?あなたは、オレの、特別なのだと。意味が、わかりましたか?」

「うん。やっと、わかったかな?それ、副官としてはマイナスだった?」

「そう言ってくると思っていましたよ。あなたは、なぜそんなに辛辣なんですか?」

「ごめん。自覚してる。インファ相手だと、なんか取り繕えない。宝城十華でいられないんだ」

「普段から、そちらなんですか?」

「そだね。華やかで楽しくて、ペオニサよりかは、好かれるヤツだと思うよ?十華だったら、あんたを傷つけないで愛せる自信ある」

「そこまでなんですか?」

「もうさぁ、否定しててもしょうがないよ。オレは、雷帝・インファの為に生まれた精霊なんだ。愛情レベルで言ったら最上級でしょ?救いなのは、性別の垣根は越えてないことだよね。安心してよ。好きすぎても襲ったりしないからさ」

あっははと笑うペオニサが、傷ついて見えた。

「こういう風の仕事に関わるの、これっきりにする。あんたが危険な目に遭わないかって心配しすぎて、邪魔する自信あるんだ。こんな理持ってるオレは、インファのそばには、いられない」

「……それが最善です。オレとしても、翻弄されているあなたを見るのは、苦しいですからね」

静かにインファは笑った。

「まるで、別れ話をする恋人のようだと思いませんか?」

「あー……ごめん」

「楽しいですよ?」

「嘘ぉ」

「本当ですよ。オレ達は、役者でもありますから」

「こんな役、演じることないじゃない!?」

「だからですよ。なかなか刺激的ですね」

インジュとラスが、インファはグロウタースではノリがいいと言っていたことが、思い出された。にしても、これは……本当に?とペオニサはインファが心配になった。

「あ、あのさ、前、男に襲われそうになったことあったって、言ってたじゃない?あれってさ、オレが付きまとう前も、あったの?」

「ありましたよ?オレがまったく女性を寄せ付けないので、そっちかと思われたようですね。そんな噂が立たないように徹底的にやりましたから、それからはありません。オレとの噂が根強いですが、あなたは大丈夫なんですか?」

「オレ?オレはないよ。この図体だしさ。一家に入ってからは、なんか、怖がられてるような感じが……リティル様が何かしたの?」

「ああ、あれですか」

「知ってんの?」

「ええ。牡丹の精霊・ペオニサは雷帝・インファのモノなので、ちょっかいをかけると雷帝・インファの怒りはもとより、風の王、煌帝、旋律の精霊の怒りも買う。という噂ですね」

「風四天王大集合!?オレ、四天王の愛人ポジションだったの!?」

なんの力もないのに、風一家になったあげく、雷帝・インファの周りをウロチョロしているのに、何の嫌がらせもされないことが、ずっと疑問だった。

それが、風に愛される花という噂とは、なにこれ美味しすぎる!

「あながち外れてはいませんね。現在、四天王の総力を挙げて、事案の解決に当たっていますから」

ないですよ?こんなこと。と、インファは苦笑した。

「わーお、なんて贅沢!そういえば、いいの?これ!」

「風にとって花は、厄介な存在なんですよ。あなた方が、風に散ることを本望だと思うように、風は、花が散らないように護りたいんです。この精霊の理が、長らく、風と花を遠ざけていました。今、風一家に花の精霊は3人です。あれだけの力を持つ風の王妃も、無条件の庇護対象ですよ。アシュデルが城に滞在する人だったなら、ゾナに任せておけずに構っていたかもしれませんね」

「危ういところある!?あいつに」

「オレからすれば、スレスレです。あなたにいたっては、監禁レベルで心配ですね」

「あんたが言うと、是非してください!って言いたくなる不思議」

「そこは抵抗してください。ラスとインジュがあれだけ動くのは、オレとリティルの為だけですよ?」

「治癒能力高くてよかったよ。何にも取り柄なかったらさ、申し訳なさすぎる!」

「オレにとっては、何もない方がよかったですよ」

「え?」

「何もなければ、選択肢に入ってきません。副官として、無傷での狩りが難しい場合、戦地へ行ってほしいと思わなくて済みますから」

「あ……」

ペオニサは、大怪我をして城に担ぎ込まれたインジュの事が思い出されていた。

魔物狩りのことは、ペオニサも聞かないし、皆言わないので、何がどう危険なのか殆ど把握していない。ただ、サソリ型はどこもかしこも毒がある強敵で、インジュからは「解毒覚えてくださいよぉ」と冗談のように言われていた。

傷の手当てと見立てはできるが、毒や麻痺などの状態異常の治癒はまだ勉強中で、外科医で薬師のナシャとリャリスが作った薬にほぼ頼っている現状だ。そうだとしても、その場で応急処置できれば、苦しみも短く軽くできる。

「オレに、利用させないでください」

「利用すればいいだろ!力が……伴わないのわかってるけどさ」

インファは違うと、首をゆっくり横に振った。

「宿命なのはわかっています。一家の一員となり、役割と居場所を確保したあなたを、オレは副官として管理しなければなりません。仕事の中身を知れば、あなたは……。あなたの能力は高いです。闇を扱えるというだけでも、グロウタースの案件に連れていきたくなりますよ。ですからそれが、嫌なんです」

「あっはは」

突然笑い出したペオニサに、インファは顔を上げていた。

「なんだ。オレ結構使えるんだ?使えないから、困ってんのかと思ってたよ」

ホッとした様な顔で、ペオニサは笑ってうんうんと頷いていた。

「オレ、戦わないよ?シェラ様と違って、相手の血にまみれると治癒の力が落ちちゃうからね。絶対守ってくれるっていうなら、連れ歩いてよ。その代わりさ、何があっても、命、保証してあげるよ?」

インファは、一瞬目を見張ったが盛大にため息を付いて、困ったように笑った。

「大きく出ましたね。もう、利用しない手はないではないですか」

「あっはは!いいねぇ!風四天王の愛人ポジション。いい男よりどりみどりだよ!ああ、楽し!あ、一応自衛はできるよ。インジュにお墨付きもらってる。防御魔法は……ノイン得意だっけ?帰ったら教えてもらうよ」

防御魔法もそこそこできると、ラスから報告を受けている。

それにしても、そこでノインですか?オレではなく?と思ってしまったのは、内緒だ。

しかし、風四天王と以外とは組ませない。ペオニサがなかなかやると思われて、無茶をさせるようなことがあってはならない。

彼は、非戦闘員なのだ。そんな彼を傷1つつけずに守れるのは、風四天王以外にいない。そこは断固として死守すると、心に決めるインファだった。 


 翌日。エカテリーナの家の玄関前で、ラスとインジュはインファと合流した。

「喧嘩別れするかなぁと思ったんですけど、そうならなかったみたいで、よかったですねぇ」

今日、2人で来ることは知っていたが、正直、インファに怒られて、風の城に強制送還されると思っていた。しかし、最近その認識は、改めなければならないなと思い始めている。インファはペオニサに連敗しているのだから。

微妙な距離に立っているペオニサに声をかけると、彼は眉毛を釣り上げた。

「喧嘩?したした。この人強情なんだよ!」

「あなたに言われたくありませんね。十華、オレから絶対に離れないでください」

「ヤダよ。いつまで彼氏気取りなの?誤解されて困るの、そっちでしょ!」

「あなたに何かあると、リティルに睨まれるんですよ!あなたは民間人です。自覚してください」

「へいへーい!」

「十華……困らせないでください」

ポンポン言い合う2人の様子に、絶好調だなとラスとインジュはフッと笑った。

じゃあ、乗っかりますか?インジュがニコニコ笑いながらラスに目配せすると、ラスは僅かに頷いた。

「オレとインジュもいるけど、リティルはいない。十華、無茶しないでくれ」

「わかったよ。ラスのそばにいるから、よろしくね」

そう言ってペオニサはさっさとラスの隣へ来た。

ラスは戸惑うなような素振りを見せたが、インファは「頼みましたよ?」と視線で伝えた。ラスは小さく頷いてくれた。

「嫌われちゃいましたねぇ、兄さん」

「困ったものですね。行きましょう」

インファは疲れたようにため息を付くと、借りてきた鍵で玄関の扉を開いた。

今日は、この家を管理している者から、正式に鍵を借りてきている。リティルは何をしたのか、インファが借りに行くと管理者はなぜか汗をしきりに拭っていた。水の国であるクエイサラーは1年を通して涼しい土地柄であるというのに。

 足を踏み入れるとインファは、あの日のまま時が止まっているかのようだなと感じた。

「絡みつくような気配がありますねぇ。十華、留守番の方がよかったんじゃないんです?1番そばにいるのがラスっていうのも、ちょっと」

男性恐怖症のあるラスは、四天王以外の男性に抱きつけない。反属性爆弾という固有魔法が意志とは関係なく発動して、相手を吹き飛ばしてしまう。それはペオニサも例外ではなかったはずだ。

何か起こったとき、最大限ペオニサをかばえないのだ。

「十華が選んだんです。いいではありませんか」

インファは飄々と、チラリとリビングを覗いたが、続く廊下を先へ進んだ。この奥へ足を踏み入れるのは皆初めてだ。

「ここまであからさまとは、思いませんでしたね」

「この匂い……香水ですねぇ」

先行していたインファとインジュが立ち止まる。2人の鼻孔を、人工的なペオニサの匂いがくすぐっていた。

「オレが行こうか?」

斥候能力に長けたラスが申し出る。

「そうですね。頼みます」

道を空けると、ラスは、緊張気味に足を踏み出した。ここから先には何かがある。開放的な造りの家で、明かりはついていなくとも、窓から差し込む光で廊下全体が見えている。なのに、まとわりつく不安が消えない。

目視でも危険はない。魔法による罠も診た感じではなさそうだ。

「十華、こっちに――」

前触れは何もなかった。1人離れて立っていたペオニサに、インファが声をかけたこと。それが引き金だったと思う。

「床が崩れる!」

瞬間警告したが、数秒ではどうしようもない。インファが踵を返すが間に合わない。皆、廊下の下にあった空間に飲み込まれた。

………………………………………………………………

 衝撃にペオニサは、目を開いた。

「あたたたた……凄いなあの人、あの一瞬で風魔法かける?」

ペオニサは上を見上げた。2階分くらいの高さを落ちたようだが、振り向いたインファが放った風が守ってくれた。ペオニサも風はフルスロットルだ。しかし、咄嗟に使えないことを見抜かれていたらしい。本当に使えなかったが。

だが、とペオニサは自分の尻の下に視線を向けた。ペオニサの下には、大きなベッドだろうか。あの高さから落ちても、無傷で助かったのでは?と思えるフワフワしたモノがあった。薄暗くて、なんなのかはよくわからない。

「うーん。引き離された?」

インファから?それとも……?

ターゲットがインファにしろ十華にしろ、早く誰かと合流しないとと、ペオニサは座るのにいい高さのそれから降りて立ち上がった。

コツンと音がして、ペオニサは視線を上げた。

「インファ?」

暗闇に立つその人に、背格好から名を呼んだ。彼は答えずに、天井の穴から頼りなく差し込む薄明かりの中へゆっくりと姿を現した。

「2人きりですね。十華」

その姿を見たペオニサは、咄嗟に後ずさりしていた。しかし、下がることはできずにフワフワのそれの上に再び尻餅をついていた。

「インファ……?あっはは……何?なんの冗談?」

あ、これ、ヤバイヤツだ!数々濡れ場を書いてきたペオニサには、自身にその経験はなくともその空気感はわかる。経験豊富ですよね?と昔、取材を受けたとき言われるほど、ペオニサの妄想は妄想の域を脱しているのだ。

好きな人とはいえ、その気もないのにこういう雰囲気にされると、怖いモノなんだなと、ペオニサは引きつっていた。

インファは見ず知らずの人に突然襲われたと言っていた。飄々としてるが、彼だって怖かったはずだ。

「あのさぁ、こういうところでそういう雰囲気にしないでくんない?オレもさすがに怒るよ?」

「期待、してるんですか?可愛い人ですね」

「いやいやいやいや、可愛いのはあんたでしょう!?何言ってんの!?」

そうツッコんでしまって、ペオニサははたと我に返った。

……この言い回しはダメなヤツだった!ペオニサは心の中で頭を抱えた。18禁な意味で誤解を招く。ペオニサは、容姿的に自分とインファだったら、がたいのいい自分より、細身なインファの方が可愛いに当てはまると思っただけだった。

言ってしまったモノはしょうがない。この、インファにしか見えない偽インファが何者なのか、この状況に乗るしかない。

「なに?こんなとこで、可愛くしてほしいの?昨日オレの機嫌損ねたからって、サービスよすぎない?」

怖っ!インファ相手に、攻められるわけないよ!?だって、インファだよ!?泣きたい。現実では手すら握れないのに、組敷く方なんて、想像すらできない。

ペオニサは、インファで妄想は、心も頭も拒否するため、考えたこともないのだ。

好き好き言いまくっているが、いつ嫌われるか気が気でないのだ。

そもそもなんだ?この状況!黒幕は、宝城十華の想い人ばかりを狙っているらしいが、自分がその位置に納まりたいがためだったということだろうか。

黒幕は、いったい……。これまでにペオニサは、告白されたことは何度かあるが、クエイサラー城下では一度もなかったはずだ。だが、言われなかっただけで思われていたことは認めざるを得ない。

宝城十華と語る会での記念撮影、パーティーでのスナップ写真。そこに映り込んでいたエカテリーナを思えば、秘めた恋心を持っている者がいることは、否定できない。

「でもさぁ、一言言わせてくんない?」

あと1メートルの距離に立ったインファに、ペオニサは睨むような視線を向けた。

「オレ、あんたに欲情したこと1回もないよ?これからもあり得ない」

風の塊が落っこちてきた。

「ハハハハ!想いが全部、欲望まみれだなんて思わねーことだな!」

落ちてくると同時に鋭い軌跡が、インファを薙いでいた。しかし、その一撃は躱されていた。

「まったくです。友人だと、何度も言ったと思うんですけどね」

飛び退いた偽インファは、背中に衝撃を受け、自身の腹を見下ろした。そこには、血にまみれた槍の切っ先が覗いていた。

背後を取ったインファは槍を無慈悲に引き抜くと、トンッと軽く踏みきり、偽物を飛び越して、リティルの隣に並んだ。

「彼に見覚えはありますか?十華」

見覚え?インジュとラスに両脇を固められながら、恐る恐る小柄なリティルの頭越しに見やったペオニサは、しばし考えた後、思い至った。

「……あ!あの時の新聞記者の人!?えっと、ロイスさん?」

なんで?ペオニサは絶句していた。彼に取材を受けたのは、かなり前の事だ。あの頃はまだ、クエイサラー城下に出版社を置いたばかりで、知名度は低かった。

それでも何度か宝城十華と語る会は開催でき、運営の目処が立ってきた頃だった。

そんなころに舞い込んだ取材の話で、レイビーが名前を売ってこい!と鼻息荒かったことが思い出された。

言葉の前にどんな言葉があったのかは覚えていないが「――経験豊富ですよね?」と言ってきたのは彼だ。レイビーがピクッと怒りを滲ませたが、そう見られても仕方がないと思っていたペオニサは気にも留めていなかった。

「経験豊富なんてそんな。オレ、童貞ですよ?」レイビーが隣で吹いていた。「大丈夫?」と声をかけると、彼女は「ダイジョウブデス」と片言だった。

その後、宝城十華と語る会の掟のことや、ファンとの付き合い方などを話し、できあがった記事は、大いに宝城十華を褒めそやすものだった。

あの記事が出て以降、派手な女物の着物を着崩して羽織るペオニサは、クエイサラー城下の名物作家と言われ、商業区である5番街で有名人となった。しばらくはレイビーと親衛隊が警戒していたが、逃げ足に定評のあるペオニサは、大きな騒ぎを起こすこともなかった。

「結婚、してたよね?てか、魔導士だったんだ……」

彼は答えなかった。

「どこまであんたなの?」

やはり彼は無言だった。

「発端は、妻の不貞行為ですか?」

インファの硬質な声に、ペオニサはリビングの写真を思い出した。

「それと、オレを誘惑するのとどんな関連があるの!?インファに変身までしてさ。怖かった……香水の匂いがしなかったら、気絶してたかも」

「危険を前に、意識を手放さないでください」

「インファじゃなかったら気絶しないよ!はああ……本物にあの目で見てほしい……」

「安定の変態だな。十華が元気でよかったぜ」

リティルは楽しそうに笑うと、さてと、新聞記者を見据えた。

「おまえは斬る。言い残すことはあるか?」

インファは容赦がなかった。あの傷ではこのままここへ放置すれば死ぬだろう。一撃で命を奪わなかったのは、おそらく慈悲だ。

新聞記者――ロイスは、ペオニサを見た。ような気が、リティルはした。

「十華さんは、崇高なお方だ。何者も穢してはならない」

あっ――ペオニサが息を飲む。ロイスは、隠し持っていた短剣で、自らの心臓を貫いていた。その場に倒れるロイス。リティルが身構えた。

ロイスの亡骸から、見慣れた黒い靄が立ち上り、徐々に形を作り始めたからだ。

インジュが動いていた。インジュの障壁魔法がロイスの周りを覆う。

「魔物……」

ペオニサが呟いた。

「魔物は、心の闇が作り出します。多くは、闇の領域で消化され、残った芥が魔物として一部イシュラースに生まれ落ちます」

「魔物狩り。オレ達風の精霊の、通常業務だな。闇の魔法使いは、どの大陸でも迫害に遭ってるよな。それはな、こういう状態に陥りやすいからなんだ」

黒い艶のない靄は、大きなトカゲのような姿で落ち着きつつあった。「ラス」とリティルに名を呼ばれ、ラスが自分の背よりも長い、黒いクオータースタッフを構えて皆の前に立った。

大きいといっても、イシュラースで目にするよりもずいぶんと小さい。極小よりも、もっと小さい大きさに分類されるのだろう。

「可哀想に。あなたは奥さんを、きちんと愛していたんだね?」

ラスの姿がペオニサの視界から一瞬消えていた。ペオニサが次ぎにラスの姿を視界に捉えた時、狩りは終わっていた。


 新聞記者のロイスが、離婚したのは、宝城十華に取材を申し込んだその時だった。

彼の妻、エカテリーナは、友人の夫と不倫をしたからだ。

妻の友人女性も離婚した。

妻の不貞行為と、離婚調停で心身を壊したロイスは、宝城十華の記事を最後に新聞記者をやめた。

 閉じこもっていたロイスを外へ引っ張り出したのは、友人の1人だった。彼は現在片思いをしているといい、何を思ったのか、宝城十華と語る会に応募するといい、なぜかロイスも巻き込まれた。

そして、受かってしまった。

 あの日取材した宝城十華と再会したが、彼に近づくことは許されなかった。

それでも、彼の話は華やかで楽しくて、ロイスは心を持ち直した。その後ロイスはクエイサラー城下を離れた為、語る会に参加したのはこの1回だけだった。

 それが、もう一度参加する事となったのは偶然だった。

片思いを実らせた友人が、結婚前にもう一度語る会に参加したいと連絡を受け、ロイスは快諾して応募し、見事受かった。

そこでロイスは、宝城十華に想い人がいるらしいことを知る。

手の届かない人を思う、片思いの告白を受けての十華の反応だった。

「それ、すげぇわかる。オレも、幸せならそれでいいって思えるくらい好きな人がいるから」

共感する十華は、レイビーに小突かれて失言に気がついたらしい。

「や、恋愛的な意味じゃないよ?いるでしょ?恋愛抜きにして、この人好きだなぁって人」

弁解する十華の様子に、会場は大いに盛り上がって、十華は質問攻めにあった。だが、彼は頑なに「恋愛感情じゃない!」と言い張った。

その時ロイスの心に、妙な心が生まれた。しかしロイスはそれを振り切った。

 彼女に会うまでは。

ロイスは、もう忘れたはずの元妻に会ってしまった。彼女は、宝城十華と語る会に入れないと訴えた。話を聞くと、それはそうだろうと呆れた。

彼女は、宝城十華にストーカーまがいの行為をしているうえ、応募要項を読んでいないのか『あなたは、宝城十華に恋心を抱いていますか?』の部分を毎回『はい』に丸をつけていた。なぜこんな問いがあるのか?と疑問に思っていたが、それで弾かれる者もいるのだと、彼女の頭を疑った。

「十華様をなぜ好きではいけないんですか?あのお方だって、同じ事をしていますでしょうに」

同じ……事……?エカテリーナの言葉に耳を疑った。愕然とした。ロイスは、宝城十華が、取材した数年前と同じだと思い込んでいた。

彼は、好きな人がいると言っていた。彼ほどの人だ。想いは通じるだろう。そうすれば、その先は?

「――その中の1人がわたしだとしても、いいじゃありませんこと?」

彼女はずっとしゃべり続けていたようだ。最後の言葉だけが聞こえてきた。

こんな女と、宝城十華が同じはずはない。そう思うのに、なぜ、こんなに裏切られた気分になるのだろうか。

 そして、エカテリーナは事件を起こした。

宝城十華と語る会にどうやってか潜り込み、こともあろうに彼に抱きついたのだ。彼女はつまみ出され、会場は一時騒然となり、語る会は中止となり、皆退場を余儀なくされた。会場から出されるとき、ロイスは十華を振り向いた。

不祥事を詫びる秘書のレイビーに、苦笑しながら慰めるような十華の姿。

彼の手が、深々と頭を下げる彼女の、頭に触れた。

たったそれだけのことだった。

宝城十華は誰ものでもない。

宝城十華に触れてはいけない。

宝城十華は、宝城十華は――ロイスはこのとき、闇に落ちた。

 ロイスは、エカテリーナを隠れ蓑にすることを思いつき、彼女に暗示をかけ、復縁したことにして家に潜り込んだ。

新聞社を訪れると、皆同情的で驚いた。騙すことになることが、心苦しかったが、ここに所属する新聞記者で、エカテリーナの夫であると暗示をかけた。

さて、どうやって宝城十華の特別である、レイビーを殺すか。と、考えていると、エカテリーナを宝城十華が訪ねてきた。

同性の恋人を連れて。

だが、十華の初々しい反応とリティルは健全で健康的で、始終十華をからかうような態度に、清い関係だなと思った。エカテリーナは大いに嫉妬していたが。

香水の事を聞かれ、使用済みの香水をプレゼントしたと彼女は喜んでいた。気持ちの悪い女だ。彼女と夫婦をしていたなんて、とても信じられない。

 香水……巷を騒がせているという殺人事件のことが、すぐに閃いた。これでも元新聞記者だ。調べてみると、黒の魔導が関わっていることがわかった。

「十華様が穢れていないか、今夜わかりますわ……」

仄暗く笑うエカテリーナが、黒の魔導に手を染めていることはすぐにわかった。何をしたのかと問い詰めれば、彼女は悪びれなく言った。

「恋の守護精霊様にお願いしたんです。わたしを選んでくれない十華様を懲らしめてくださいって」

彼女の話では、信じられないことだが、香水を使って”お願い”すると、恋の守護精霊が現れて振り向いてくれない男を断罪するというのだ。

そんな理不尽な話があるか?

しかし『フェアリア』はそれなりに数が出回っている。それにしては、被害者の数が少なすぎる。その恋の守護精霊とやらが出てくる条件があるのだということは、容易に知れた。

だが、それは大いに利用価値がありそうだ。

エカテリーナに、宝城十華が振り向いてくれないのは、レイビーがいるからだと囁けば、嫉妬に歪んだ見にくい顔をした。

なるほど、こんな危険な女のところに、レイビーを連れてくるわけにはいかない。それで、同性の友人に頼んだといったところか。と一応納得はできたが、解せない。この香水の噂は、かなり広まっているはずだ。一時『フェアリア』は店頭から消えたらしいが、今は再び置かれているはずだ。

エカテリーナと接触したかった?誰が?

ロイスは、ああと合点がいった。あの、リティルは捜査官なのだ。件の香水をつけ、宝城十華に不審な動きをしたため、レイビーが心配して捜査の依頼でも出したのだろう。

あれほどの有名人だ。警察に知り合いや友人くらいいるのだろう。

 監視していたロイスは、異形の者をレイビーと間違えて追いかける十華を追いかける、リティルの姿を見て、彼の正体が、隣国・炎のカルティアにある組織・影の一員だと知った。

これは予想外だった。影が関わっているとなると、明日にもエカテリーナは闇に葬られるだろう。宝城十華の想い人を突き止めたかったが、そこまで利用はできないかとガッカリした。だが、異形との戦いに現れた3人の影、その中の1人を見た時、彼だと思った。

インファと呼ばれたその人と、宝城十華との間にある空気。間違いない。彼だ。彼が、宝城十華の想い人だと確信した。

 インファは、ただ美しいだけの男性ではなかった。

宝城十華の為に持てる武器を最大限利用する彼の姿に、尊敬すら感じた。

そして、嫉妬も。

「私怨です」と言いながらも、エカテリーナの処分を夫に委ねたことには驚いた。有無を言わさず、エカテリーナは殺されると思っていたのだが、インファとリティルはそうしなかった。

彼女はすべてを失う。それは、本当に夫婦であったなら、最大の罰だろう。

そう、本当の夫婦であったなら。

 エカテリーナはまだ使える。ロイスはエカテリーナに囁いた。

「インファを、殺せ」呪いを込めた注射器を握らせると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

新聞社を使い、網を張っていると、インファとリティルは『フェアリア』の調香師と接触した。これで事件は終わったはずだが、彼等はなぜか引き上げなかった。

インファに、黒の魔導師とはいえ、素人の女が一矢報いることはできないと思っていたが、彼は、宝城十華に気を取られてエカテリーナの手にかかった。

その後インファは、人知れず姿を消してしまったが、あの呪いで、インファが生還できるはずがないと思っていた。

 だが、それは覆った。

宝城十華の新刊発売のパーティーで、彼は言ったのだ。

「それ、もしかしなくてもインファの事だよね?恋人じゃないよ?あの人奥さんいるよ?ええ?死んでないよ!元気だよ。もう1回言うけど、恋人じゃないから!」

生きている?生きているだって?耳を疑った。

会わせろと詰め寄られた十華の間にスルリと入り、レイビーが気丈に毅然と「インファ様はご友人です!」と強調して追い返していた。

宝城十華は、普段どこにいるのかまったくわからない人物だ。

インファに至っては、事件が解決した今、もう姿を現さないだろう。

だったら、唯一宝城十華と連絡の取り合えるレイビーに揺さぶりをかければいい。

 そして、やっと宝城十華の前へ立てた。

インファを友人だと否定するが、とてもそうは見えない。

彼はインファを、愛しているのではないのか?仲間の生暖かい雰囲気から、公認であることは疑いようがない。

官能小説を書き、あれだけの恋愛話に乗れる彼が、あの日のまま経験がないとは思えなかった。

十華の素直ではない態度にも苦笑するだけで、本気で困ったり不快感を持っていないインファも、少なからず想っていることが伺い知れるのに、触れ合っていない仲とは思えなかった。

彼が穢れていたら、殺してやろう。

宝城十華は、穢れなき存在でなければならないのだから。

 インファの姿で迫れば、十華は狼狽えた。初心な様子だったが、やはり肉体関係にあることがわかった。

失望した。

終わらせようと近づくと、彼は言った。憎らしげに睨んで。

「オレ、あんたに欲情したこと1回もないよ?これからもあり得ない」

嘘のない瞳。大事にしているモノを穢されて、心底怒っている目だった。

ああ、あなたは、やはり、至高の人だった――……


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