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四章 偽りの香り 散りゆく花の残り香

 リティルは、風の城の応接間で、ミモザの精霊・アシュデルと向かい合っていた。

彼の背には、ミイロタテハの蝶の羽根が生えていた。そして、その頭にはミモザの丸く零れるような黄色い花が咲いていた。

「いいんだな?一度風一家に入っちまったら、抜けられないぜ?」

「うん。でも、リティル様は城に閉じ込めたりはしない」

「はは、すでに放浪してる居候がいるからな。けど、グロウタースに定住するなら気をつけろよ?」

「もちろん。同じ轍は踏まないよ。でも、メリットは大きいと思うけど?」

「腹黒だなー。はは、おまえのことはよく知ってるよ。よろしくな、アシュデル」

裏表なく笑うリティルに、アシュデルも目元を緩ませた。リティルは、風の中から水晶球を取り出すと、アシュデルに手渡した。

「これがほしかったんだろ?」

「うん」

風の水晶球。風一家と協力精霊を名で繋ぐ、通信装置だ。

「ほしいだけなら、一家に入らなくても、おまえなら渡すぜ?」

「グロウタースにいるには、戒めがあったほうがいい。風の王の傘下なら、気も引き締まる。今回のことは、不本意だ。自分を許せないよ」

「死は、救いでも、償いでもねーよ」

「でも、最大の罰だ。インファ兄の命を、危険に晒してしまった。あなたには、ボクを断罪する理由がある」

それを聞いたリティルは笑い出した。

「ハハハハ!冗談だろ?今回のあれは、完全にインファの油断だぜ?グロウタースの民に、それも人間の女にやられるとか、どうなんだよ!あいつってな、たまにとぼけるんだよ。目が覚めたら、ペオニサに謝らなけりゃならねーのはインファの方だぜ?」

「でも!」

「日常なんだよ。風にとっちゃあな。ジュールが言ってなかったか?」

「……聞いてる」

「協力精霊で、いいんだぜ?」

意地悪に笑いながらこちらを伺ってくる風の王に、アシュデルはムッとした。しかし、すぐに感情を納める。

「一家にいないと、できないことがある」

アシュデルは、ミモザの花を手の平に咲かせた。その花が散るように消えると、古びた鍵がその手に乗っていた。

「グロウタースに点在する、ボクのアトリエに通じる鍵だ。どこでも扉の鍵穴に差し込めば、ボクの滞在してるアトリエに繋がるよ」

リティルは、鍵を受け取りながら苦笑した。

「おまえ、スレスレだな」

「ナーガニアの許可は取ってるよ」

神樹の精霊・ナーガニアは、異世界を繋ぐゲートを管理している精霊だ。風の王妃・シェラの精霊的母親で、風の王・リティルの義母にあたる。ゲートの能力は、ナーガニアとその娘である花の姫の固有魔法だ。不可侵とされている力の1つだ。気難しい貴婦人で、彼女の協力を取り付けるのは至難の業のはずだが……アシュデルはいったい、どんな取引をしたのだろうか。いや、もっと簡単な方法があったな。と思い当たった。

「オレの名前出したんだろ?」

「ナーガニアって、本当にリティル様贔屓だね。でも、ちゃんと制約はついてる。鍵と扉、繋がるのはボクのいるアトリエだけだ」

「それでもかなり際どいぜ?」

「大丈夫。ゾナ先生とはきちんと繋がってるから」

「ゾナ!おまえなぁ!」

ゾナと聞いて、リティルはガバッと立ち上がると、ソファーに近い、暖炉の前に置かれている肘掛け椅子に向かって声を荒げた。

誰もいなかったはずのその肘掛け椅子に、突如気配が生まれ、つば広の三角帽子をかぶった人物の後ろ姿が椅子の背もたれ越しに現れた。

「オレの危うい探究心の我が儘だ。大目にみたまえ」

黒いローブを着た、お伽噺に出てくる魔女のような出で立ちの、三十代の知的な男性は、悪びれた様子もなく笑っていた。

時の魔道書・ゾナ。イシュラースの三賢者に数えられている、大賢者だ。どんな属性の魔法も解析してしまう、魔導狂いだ。その手腕には、イシュラースの三賢者筆頭の花の王・ジュールも一目置くほどだ。

「危ういってわかってるから、たちが悪いんだよ!ちっ!知らねーのはオレだけか」

唸るようにリティルは舌打ちした。

「いや、ジュールもアシュデルの居場所は知らなかったよ。だが、オレが繋がっていることは、薄々知っていたかもしれないがね」

ゾナは、アシュデルの師だ。大賢者の弟子のアシュデルは、期待された通り、成人後の今大魔導と呼ばれるに相応しい魔導士だという。アシュデル自身は、あまり実感はないのだが、グロウタースで生活するのに困らないのはありがたい。

「なんか、ジュールに外堀埋められてってる気がするんだよな……」

 リティルは唸った。

風一家に所属する花の王の子供達は、アシュデルを加えてこれで3人目だ。元風の王のジュールは、戦いに明け暮れ、短命な風の王の運命を、自身も命を落としていることから案じている。

リティルを守ろうと、何かと画策する。

「おまえも、妙な理持ってねーよな?」

「ないよ。リャリス姉が目を光らせたから。ボクの魔導士の才能は父さんからの遺伝かな?大丈夫。花の十兄妹で苦しんでるのは、兄さんだけだ」

「苦しんでるよな……」

見ていてわかる。だが、理ではどうすることもできない。ノインは「見守ることも覚えろ」と言うが、導きたい性分なのだ。聡明な兄がいてよかったなとは思うが、見ているだけというのは……ああ!もどかしい。

「ごめん……でも、どんな結末になっても、リティル様を裏切らないって誓うから」

「アシュデル……おまえも背負うなよ?」

心配だ。ペオニサと仲がいいから余計に。きっと、頭のいいアシュデルのほうがより多く見えてしまうだろうから。

「それは、難しいかな。兄さんに何かあったら、ボクが代わりにインファ兄を支えるくらい、許してほしいよ」

「はあ………………ペオニサを守ってやりてーのに……」

「ごめん……でも、兄さんの選択を、嘆かないでほしいんだ」

ただただ凪いだ空のように澄んだ微笑みを浮かべるアシュデルに、リティルは頷くしかなかった。


 風の精霊を真に想うのなら、その命を守らねばならない。

頭ではわかっている。命の行く末を見守り、時に命を奪い、運命を全うした魂を再び生まれるために葬送する風の精霊は、とても優しくて、とても傷つきやすい。

『闇の力は、翳りの女帝であっても未知の部分が多いわ。闇の知識であるわたしにも、日々揺れ動く感情の力は複雑で、解析には時間がかかるの』

半透明な黒豹が、項垂れるペオニサに、だから焦るなと言いたげに力説してくる。

彼女は風の王夫妻の次女である、闇の王、翳りの女帝・イリヨナの側近だ。

翳りの大樹・ツェル。闇の知識を持つ闇の専門家で、インファの容態を診察に来てくれたのだ。

「大丈夫ですよ。これくらいの呪いなら、2、3年保ちますから」

広い天蓋付きベッドの上で体を起こして座っているインファは、まるで命を脅かす呪いにかかっているとは想われない様子で、飄々と微笑んでいた。

「もお、何油断してるのよ!ペオニサがいなかったら、死んでたわよ!」

枕元では、プリプリとセリアが怒りを爆発させた。

「死にませんよ。城へ強制連行され、寄って集って治療されてましたよ」

「それはそうだけれど、ペオニサの機転があなたを守っているのは確かよ?呪いの進行に気がついて、心臓に結界を張るなんて、わたしには思い付かないわ」

青い光を返す不思議な黒髪に、光の粒のような花を咲かせた、大きめの紅茶色の瞳の可憐な美姫が、困ったように微笑んだ。

花の姫・シェラ。風の王・リティルの妃で、インファの母だ。

「母さんなら、これくらいの呪い、定着前に吹き飛ばしていましたよ。呪いを注射するという発想はなかったですからね、対処が遅れたオレの落ち度です。助かりましたよ。ペオニサ」

「え?ううん。もっと早く、シェラ様頼るべきだったよ」

いつもの元気のないペオニサに、皆は困ったように視線を交えた。

「気にしないでください。大丈夫ですから」

笑うインファを見ていると、もう脅威は去ったかのように錯覚してしまう。しかし、彼の内部では、ペオニサのかけた結界と心臓を止めようと進行する呪いとが戦っている。あんな咄嗟にかけた魔法で、インファの命を守れたことが、未だに半信半疑だ。

「そろそろアシュデルとリティル様のお話、終わったかしらね?インファ、わたしどうなったか聞いてくるわ」

セリアが立ち上がった。

「あ、オレも――」

「ペオニサ、インファにかけた結界を見てあげて」

フンワリとヤンワリとここに残りなさいとシェラに言われ、ペオニサは「あ、うん」と頷いていた。

「たのむわよー、ペオニサ!」

セリアはヒラヒラと手を振って、ソファーや本棚のある、続きの間へ続くアーチを越えていった。

「気を使われてしまいましたね」

フッとインファが笑う声を聞き、ペオニサは見送っていた顔を瞬間インファに向けた。

「意味深なこと言わない!正妻に公認な愛人枠なんて、オレ、ヤダからね!」

ムキになるペオニサとは対照的に、インファはどこか楽しそうに笑っている。

「では、略奪ならいいんですか?」

「オレ、二度とインファの前に立たないけどいい?」

本気で睨んでくるペオニサに、インファは苦笑した。彼は本当に、このネタには乗ってこない。インファとしては、乗ってほしい。なぜなら、インファのそばにいれば、否応なくそうした悪意には晒されるからだ。

インファは、何を言われても飄々としていて手応えがないために、悪意は、ペオニサに狙いを定めている。ペオニサも、大抵のことには動じない。こんな華やかな容姿だ。男性と噂されたこともあったが、想像の斜め上の対応で蹴散らしてしまった。

そんなペオニサだが、インファとの噂に対してはいつもの余裕がなくなってしまう。噂操作を日々しているラスがもみ消しているが、インファを攻撃する恰好のネタだと消しても消しても湧いてくるしまつだ。

「睨まないでください。軽口が過ぎました、すみません」

「ごめん、そのネタだけは乗れない。たぶん、冗談に映らない」

乗れないペオニサの心の奥に何があるのか、さすがにインファも気がついている。

容姿だけが好きだったペオニサは、インファの内面も好きなのだ。

それは何もおかしなことではないのだが、理と、端から見ると恋人のように見えてしまう事実に、ペオニサは翻弄されていた。

欲望を伴わないのなら、それは友情ですよ?グロウタースと関わるため、数々演じてきたインファは、ペオニサの恋人を演じることも、実は苦ではない。理によって縛られるペオニサは、実はインファにとって、最大の安全パイなのだが、とうのペオニサはそれがわかっていないらしい。今はそう言い切れるインファも悩んだことには悩んだ。ノインが「あるがままを受け入れろ」と言ってくれなければ、本気で愛人にしようとしてしまったかもしれない。相棒のように冷静に見えていれば、ペオニサをここまで悩ませることはないのだろうなと自分の未熟さに嫌気が差す。

「セリアとインジュは、誤解しませんよ?」

「それでも、罪悪感は半端ないよ。オレにとっても2人は、大事なんだ。ねえ、オレのしょうもない結界がいい仕事してるって、ホント?」

ズイッと、ペオニサはインファに詰め寄った。

 逃げてしまうんですね?話題を変えてきたペオニサに、インファは苦笑を漏らすと、小さくため息を付いた。

「そのようですね。オレには感じられないんですよ。構築式教えてください」

「ええ?精霊大師範に見せるの!?笑わないでよ?」

本気で抵抗を感じている顔をしていたが、ペオニサは渋々手の平に魔方陣を展開してはいとインファの前に差し出した。インファは、緑色の光で書かれたそれを、手の平に受け取った。

「………………正気ですか?」

「えっ?な、なに?マズいことしてる?」

「生命維持も組み込まれた、文句のつけようのない結界です。これは『しょうもない』と言えないレベルの魔法ですよ」

「ええ?嘘ぉ?んん?あれ……?」

「どうしました?」

「これ、オレがかけたヤツと違う。こんなびっしり書き込む余裕なかったんだ。でも……インファの中にあるヤツとは同じだな……ノアちゃん何かした?」

ペオニサが声をかけると、蝶の羽根からモンシロチョウの羽根を生やした黒い球体が抜けてきた。恋愛の守護精霊を自称する、ペオニサの守護精霊・ノアだ。

『何もしてないわよ?わたし、闇の力しか使えないし。あなたって特殊なのね。普段緑色の力、大地の力のほうが強いのに、怒ったあの時は金色だったわ』

「あ、はは……オレ、なんか風の力も百パーセントで使えるみたいでさ……」

『もうやめてね?死んでもいいって感じだったから』

ノアの言葉に、インファは笑みを深めた。

「なるほど?」

「こ、怖い怖い怖い!ごめんて!もうしないから!」

「頼みますよ?あなたに死なれたら、立ち直れませんから」

「うわっ!ハートにぶっとい矢が突き刺さってきた!うわー……好き……」

『あなた達、それで恋愛感情ないっていうの?』

「ないよ?」

「ありませんね」

ペオニサはキョトンと、インファは微笑を浮かべて言い切り、2人は顔を見合わせて声を上げて笑った。

「ペオニサ、小説は大丈夫ですか?」

「うん。リティル様がいい仕事してくれたから、順調だよ!あ、でも、ちょっと相談に乗ってほしい箇所あってさ」

「オレでよければ、どうぞ。暇ですから、ここで書きませんか?」

「あっはは、ありがと、インファ!原稿持ってくる」

慌ただしく部屋を出て行くペオニサを、柔らかい微笑で見送ったインファだったが、思い詰めるように表情を険しくした。

 一方、部屋を飛びだしたペオニサは閉めた扉の前で俯いた。

『ペオニサ?小説取りに行くんじゃないの?』

スイッと動かないペオニサの目の前に、自称恋愛の守護精霊・ノアは飛んできた。

「あ、うん……行く……」

『どうしたの?』

「……インファのあの呪い……オレが死なないと、解けないんだ……」

『え!?なによそれ!ペオニサ!』

「みんなは、オレのことも守るつもりだ。インファも」

『ダメよ!インファも死なないでって言ってたわよ?』

「記憶を……消せばいい。そうすれば、インファは傷つかない」

『本気で言ってる?』

不安そうなノアの声に、ペオニサはパッと明るく笑った。

「冗談だよ。そんなことしたら、リティル様に殺されちゃうよ。あっはは。早くインファの所に戻ろ!」

インファのところに公然と入り浸れる!とウキウキなペオニサの背中を、ノアは見送っていた。

わかるのだ。彼が本気であることが。ノアは、自称ではなくペオニサの守護精霊なのだから。


――そんなにお好きでしたら、命くらい、賭けられますよね……?

ハッと目を見開き、インファは飛び起きていた。

「大丈夫?」

はあ、はあ、と息を吐いていると、そっと暗闇の中寄り添うぬくもりを感じた。

「ええ……ですが、夢見は最悪ですね」

汗びっしょりだからと、ヤンワリ手を放させようとすると、セリアはそれを拒んだ。

「ペオニサの動きはどうですか?」

「昼間はあなたが、夜はラスが監視してるわ。今のところ、何かする気配はないわね。それでも不安?」

インファは黙した。

「インファの為に生まれた精霊……なんて、あなたやインジュと同じなのね。だからよね?」

純血二世――精霊を両親に持つ、希有な精霊。

不老不死の精霊という種族は、交わりによって子を成さない。世界が新しい力を認知したとき、目覚めるという産まれ方をする。稀に、母の腹を借りて産まれてくる精霊がいるが、それは、究極魔法と呼ばれ、故意に産み出していることが殆どだ。勝手に産まれてくるのは、世界に数多咲き誇る花の精霊くらいなものだ。それも、コントロールできるらしく、ジュールは10人で打ち止めだと言っていた。

 インファとインジュは、純血二世だ。

インファは、花の姫・シェラの、リティルを守ってほしいという願いから産まれ、インジュは、精霊の至宝・原初の風が、リティルを守りたいと、憧れた雷帝・インファの息子として産まれたいという願いから産まれた。

共に、風の王・リティルの為に存在している精霊なのだった。2人とも、命の行く末を見守る風の王から、強すぎる運命の糸を断ち切られ、リティル無しではいられないという狂気からは解放され、自由意志を守られていた。

「そうです。オレも若気の至りで、父さんには散々迷惑をかけました。インジュも、同じ事を言うと思います」

運命の糸を切るには、風の王であっても相当に骨の折れる導きだ。インファもインジュも翻弄されて、幾度も命を落としかけた。リティルが言うには、元風の王のジュールは、実験的にペオニサを造ったが、運命に雁字搦めではないという。インファの容姿が好きすぎるのは、あれはあいつの素だと言い切られ、なんと思えばいいのか微妙だったのは記憶に新しい。

インファを裏切れないのはそうだが、それ以外は自由意志を約束されていると聞いて、安心している。だが、ペオニサはその理を引け目に感じて、インファが恋人に間違えられたことを切っ掛けに、今現在迷いの中にいた。

「あなたがリティル様の為に命賭けた場面は遭遇してないけど、インジュはスレッスレだものね。あの子の場合、かなり無茶しても生き残っちゃうから、ハードル低いのが気になるけど」

セリアは、汗に濡れたインファの前髪をそっと額からどかした。安眠妨害され、疲れは見るがそれほど深刻でもなさそうだ。

「今はリャリスが手綱を握っています。インジュ自身も心得ていますから、心配いりませんよ」

インファは汗を流してくると言って、セリアに一度口づけしてからベッドを降りていった。しばらくセリアはベッドで1人考えていたが、ベッドを降り、浴室へ向かっていた。

風の城には広い浴場があるが、部屋には皆浴室が備え付けられている。セリアは遠慮なく、水音のする浴室を開いた。

「ねえ!死を偽装するのはどう?仮死状態に――」

湯煙の中で、水を滴らせたインファが驚いてこちらを見ていた。

「あら、もの凄くいい体ね」

さすがわたしの旦那様。と、セリアは頬を赤らめて笑っていた。ばっちり視線が、上から下へ移動していた。

「ありがとうございます。見慣れたものと思っていましたが……。セリア、あとで聞きますから扉を閉めてください」

雷帝妃は悪びれた様子なく「ごめーん」と笑って、扉を閉めたのだった。

「…………昔は、悲鳴を上げて逃げていたんですけどね……」

お湯を出しっぱなしで、唖然とインファは呟いてしまった。

 昨夜の話をペオニサにすると、彼は笑い転げた。

「アッハハハハ!セリア、最高!いいなそのセリフ!いつか使おう」

ペオニサは、昼間はインファの寝ているベッドの隣に机を持ち込んで、執筆していた。夜は自室へ戻るが、目立った動きはなかった。

万年筆を動かし始めたペオニサを横目に、インファは手にした本に視線を落とした。

「ねえ、インファ、夜中にシャワーって、どしたの?」

「はい?」

「話聞く限りじゃ、色っぽい感じでもないしさ」

万年筆を置いて、ペオニサがインファを見た。笑ってはいるが、探るような視線だった。

「仕事できるくらい回復してるか、呪いが進行してるか、どっち?」

インファは栞を挟むと、本を閉じた。

「夢見が悪いんですよ」

「呪いのせい?」

「おそらく」

「正直、話してくれると思わなかった」

「話しても話さなくても、あなたは行動してしまいますからね。セリアがいます。大丈夫です」

インファは、優しげに微笑みを浮かべた。

安心させるようには微笑んだが、本当に心配はいらないのだ。確かに、眠りを阻害され最近寝不足だが、セリアと、無意識のペオニサの癒やしで、3年くらいはこのままでいられる自信がある。

「インファ……あ、あのさ……オレのこと、忘れてくんないかなぁ?」

言い辛そうに、躊躇いがちに、ペオニサは最後は視線を合わせて言った。

 記憶を捨てるということは、記憶の中でその人を殺すということだ。

ペオニサは言葉の真意を、説明する気だった。インファなら、聞いてくれると思っていた。

「ちょっと、ちょっと待って!うわっ!」

掴み掛かられるとは思わなかった。ペオニサの方が、ほぼ20センチインファよりも背が高くてがたいがいい。押し戻せるはずだったが、椅子に引っかかって足をすくわれてしまった。

椅子の向こう側へ落ちるように倒れたペオニサは、後頭部を打っていたが、殆ど足音を吸収してしまう絨毯だ。あまり痛くはなかったが大の男に完全に押しつぶされ、苦しい。

「インファぁ!退いてぇ……大丈夫?」

上に乗っているインファが動かない。え?なに?どしたの?とその肩に手を触れた。

「え?ちょっと、熱ない!?い、いつから眠れてないの?」

「――耳元で、騒がないでください……頭が割れます」

「何我慢してんの!言ってよ!」

ペオニサはガンッと足の下敷きになっている椅子を蹴ってどかすと、やっと体を起こしてグッタリしているインファを助け起こした。

引きずるようにしてベッドに戻すと、その額に手を置いた。

高熱か?と思ったが、さほどでもなくペオニサはホッとした。寝不足による一時的なものだろう。これくらいなら、オレの力でも癒やせると、治癒魔法をかけ始めた。

「あの、さ」

インファが何も言わない。ペオニサは気まずくて、やっと声をかけた。

「はい」

瞳を閉じて、治療を受け入れているインファの声が、硬かった。不機嫌さはそれだけで伝わってくる。

「インファに、呪いがかけられた元凶の記憶がなくなれば、インファの中で死んだのと同じになるじゃない?呪い、解けるかもって、聞いたんだ。オレも死にたくないしさ。だって、死ぬのって絶対痛いじゃない。痛いの、ヤダなぁって」

「それで、呪いが解けたとして、あなたはオレと、出会いなおしてはくれませんよね?」

瞳を開いたその視線が、ペオニサを責めていた。

呪いを解いたあとのことは、何も考えていなかった。

出会いなおしてと言われ、出会った頃、あからさまに警戒されて、絶対零度だった金色の瞳を思い出して、もう一度、その瞳で射貫かれ続けることを覚悟できるのか?とペオニサは思ってしまった。忘れろと言われたインファが、それを思って、そして怒りを感じてくれたことに、心が震えるほど嬉しかった。もう、この記憶だけで生きていける!と思えてしまうほどに。

「インファ、オレ、この城から出らんないよ?住処だって定めちゃったからね。家族だよ?」

「いいえ。アシュデルやナシャのように、殆ど風の城にいない、そんな生き方をするつもりですよね?小説家のあなたなら、それができます。むしろ、風の城に関わらなくてすむそんな生き方こそ、あなたの望むところではないんですか?」

放浪している風一家の薬師である、毒の精霊・ナシャ。医者として外科手術もこなす少年の姿をした精霊だ。彼は十年単位で城に帰ってはこない。

一家の一員となったアシュデルにいたっては、風の城に足を踏み入れることすらないかもしれない。

そんな生き方ができる?できてしまうのだ。宝城十華であるペオニサには。

ペオニサは、インファの言葉でそれを知った。悪くないな。そう思ってしまった。その方がいいのでは?そう思ってしまった。

「オレ、これからも小説書き続けるよ」

「ペオニサ!答えてください」

「宝城十華の小説を、インファ、牡丹の精霊・ペオニサを忘れても、読んでくれるよね?あんたは忘れないよ。オレ、覚えててくれるのが、宝城十華でもかまわないよ!」

「それであなたは――」

生きられるんですか?生きる目的である『雷帝・インファ』を失って、その存在を保てるのか、インファは問えなかった。

「生きられる」と、泣かない瞳で言い切られることが怖かった。

インファが、記憶を消すことを決めれば、ペオニサは二度とイシュラースにすら帰ってこなくなる。宝城十華の新刊が出なくなっても、ペオニサを忘れたインファは気がつきもしないだろう。

ペオニサは、雷帝・インファの為に生まれさせられた精霊だ。雷帝・インファに受け入れられている今、インファに手放されれば、用済みとなったとみなされて、世界はペオニサを殺すだろう。

ペオニサの死を、インファは、気がつくことすらない。

「決めてよ、インファ!あんたは、生きなくちゃいけないだろ!」

「あなたを……友を犠牲にしてでも、命を繋げと言うんですか?」

なぜそんなことをしろというのか。時間さえかければ、こんな呪いなど消せる。ペオニサが命も、記憶も賭ける必要はないのだ。そう言って、納得させることなど、インファには容易い。そのはずなのに、売り言葉に買い言葉となった今、口論から抜け出せなかった。

「そうだよ!犠牲ったって、オレ、命賭けるわけじゃないし。命がかかってるあんたとじゃ、天秤にかけるまでもないよね」

あなたの命もかかっていますよ!なぜ言えないのか、不可解だった。

なぜ、この期に及んで、ペオニサの話さない彼の秘密を、知っていると言えないのか、インファ自身にもわからない。

「だからさ、インファ」


「遠慮なく犠牲にしてよ」


涙すら、流れなかった。

そんなことはできないと、彼の提案を飲まないことはできる。

だが、これで彼は姿を消すだろう。逃げることは得意な彼だ。アシュデルという味方もいる。歩くことすらままならないインファでは、彼の逃亡を阻止できない。


 どんなヒロインだよ。

ペオニサは呆れていた。

なぜ、いつの間に、オレはヒロインの役をやっているんだろう?と、ペオニサは項垂れた。

雷帝・インファのロマンスは、とっくの昔に、ペオニサがこの世に生を受ける以前に終わっている。

セリアから馴れ初めを聞いて、小説にしてしまうほど興奮した。

それなのにまだ、インファは、ヒーローの役をやらなければならないのだろうか。

こんな三流、終わらせてやる!

ペオニサは、魔法に抵抗しきれずに意識を失ったインファを見下ろしていた。

こんな、弱って……。普段なら絶対、ペオニサの魔法なんて弾き返すだろうインファが、意識を封じられるのを拒めなかった。

「遠慮なく犠牲にして?できるわけないだろ!インファは……優しい人なんだ……」

ペオニサが何者か知っているインファが、記憶だとしても消すことはできない。そんなことをすれば、理に縛られているペオニサの命が危ないと、きっとそう思っている。

インファの思っていることを理解していたのに、口論になってしまった。あんなことを言うつもりではなかった。インファが、ペオニサを犠牲にしないことばかり考えて、自分をすり減らしていることには目を向けようとしないことに、苛立ってしまった。

インファの傷ついた瞳が、胸に突き刺さっていた。

もう、見てられないよ……。眠りを阻害されて、精神を徐々にすり減らしているインファは、肉体的にも衰えていっている。

こんな状態で、3年も保つの?一秒だってヤダよ!何もできない自分が、苦しかった。せめて、寝てほしい。意識を封じてしまえば、精神に干渉しているらしい呪いも手は出せない。いや、出させない。

これって固有魔法?ペオニサは、インファが相手だと普段より強力な魔法が使えるるのでは?と違和感を感じていた。だが、どんな魔法なのかわからない。

「ノアちゃん、オレのこと、探れる?」

『霊力?固有魔法?ペオニサの中身なら、何でもわかるわよ?』

「インファを助けたいんだ。使える力、何かない?」

『うーん……この凄く強い治癒能力使えないかしら?それか、呪いは闇の力の範疇だから、反属性の光?それとも、目には目をで闇?』

「オレ、使えそうだね」

魔法は発想力だとリティルが言っていた。想像力のたくましいおまえは、きっと向いてるとも言われていた。

『ねえ、どうして1人でやろうとするの?インファを傷つけることに、意味なんてある?』

「ないよ。なんか、インファとはこうなっちゃうんだよね……。オレ、インファの為なら死ねるくらい好きなのにさぁ……」

『ホントにどんな関係?』

「友達」

『ホント?』

「ホント。ノアちゃん……オレの中身ならわかるんじゃないの?」

恋愛感情ないの、わかるよね?とペオニサは困ったように眉根を潜めた。

『わたし、恋愛の守護精霊なの!その人のためなら死ねるって、最上級の愛じゃないの?』

「愛?……そだね、愛だね。うん。オレ、インファが滅茶苦茶好き。だから、呪いを解く」

ヒロイン上等!ペオニサは開き直った。

インファの意識を封じていられるのは、長くて3日。セリアに事情を話せば、3日はこのまま寝かせておいてもらえる。

足掻いた先に何も見つからなかったら?やはり、命を――そう思いそうになってペオニサは首を振った。

散るのも、記憶を弄るのもなしだ。生き残ってやる!ペオニサはインファのそばを離れた。

ペオニサの決意に反して、インファに絶望を与えてしまっているとも知らずに。


 子供だった幼少期、雷帝・インファの姿を初めて見たときから、彼は、ペオニサの最上の宝だ。

求めるモノは何もない。ただ、笑った顔が見たいと思った。

一緒に笑いたいと思った。

だから、彼に愛され笑顔を向けられる2人を、無意識に参考にしてしまった。

精霊を両親に持つ、純血二世は、幼少期も過ごし方で成人後の姿形、性格までをも決定される。

花の精霊は癒やしを得意としている。ペオニサが女だったなら、そういう迫り方をしてしまったかもしれない。女嫌いのインファには、受け入れられることなど万に一つもないが。

だが、ペオニサは男だ。インファとセリアの間に、無謀に入り込むお邪魔精霊にはなり得ない。それに、そんなことをすれば、インファを傷つける事にしかならない。

ペオニサは、何が彼の癒しになるのか、無意識にそれをリサーチしてしまった。

雷帝・インファの友達になりたい。その心のみが、ペオニサを作ったのだ。

雷帝・インファの為に生まれた精霊というジュールの思惑は、ペオニサ自身の見つけた願いによって書き換えられていたのだ。それをジュールでさえしらない。

 一人前の精霊の仲間入りを果たしたペオニサは、幼少期に何を思って何をしたのか、忘れてしまった。ただただ、なんでオレ、会ったこともないのに、インファの容姿が好きすぎるんだろう?と疑問に思うのみだった。

最上の宝には、触れるなんてもっての外で、その姿を見ることさえ恐れ多い。

ペオニサは、インファに会う気はなかった。インファに異常な感情を抱く兄が、すぐ上にいたということも大きく、ペオニサはただただのうのうと、無駄な命を生きた。

 しかし、運命はペオニサを押し流し、勝手にインファを巻き込んだ。

会ったこともない、言葉を交わしたこともないインファを、自分でも異常だと思うほど心配して、力も大してないペオニサは、方向性は違うがインファに異常な感情を抱く兄を恐れながら、インファに対して過剰に緊張しながらも彼の前に立ってしまった。

「綺麗だ……何この人、信じられないくらい綺麗……」自分でも変態だとわかっている。

インファに気に入られようとか毛頭なかった。ただただ、積年の想いが爆発して、息をするように顔を見れば「綺麗だ」「綺麗だ」と言ってしまった。

一方的に口説いて見えたペオニサは、インファに受け入れられてしまい、端から見たら同性の恋人のような、しかし本人達は生物に反した心は抱いていなく、アンバランスな奇妙な関係になってしまった。

しかし、インファが色恋が苦手なことを知っているペオニサには、同性の恋人に間違えられることを受け入れがたかった。ペオニサの理が、ほとんどのことを「ま、いっか」と開き直れるペオニサを、開き直らせてはくれなかった。ペオニサはインファの「友達」になりたいのであってそのほかの関係には、拒否反応が起こってしまっていたのだ。

ペオニサの理を知っているインファが「偽りですよ?演技ですよ?」と言って笑ってくれても、受け入れられなかった。

 だからこうなった。傷つけたくないのに、笑っていてほしいのに「大丈夫ですよ?」と気を使わせた笑顔しかさせられない。

「おまえ……それ、無理難題って言うんだぜ?」

目の前には、珍しく頭を抱えたリティルがいた。彼の周りには、シェラ、セリア、インジュ、リャリス、そして、ジュールにアシュデルもいた。話には入ってこないが、暖炉の前の肘掛け椅子にはゾナ、紅茶セットの乗っているワゴンのそばにはラスもいた。

インファを除く風四天王とイシュラースの三賢者が全員いて、その弟子もいる。なんて、贅沢なんだろうか。

「うん。オレ一人じゃ、死ぬしかないから。お願い!華麗に死んでみせるから、オレを蘇生して!」

顔の前で手を合わせて懇願するペオニサに、王と知恵者は盛大にため息を付いた。

「おまえがやるより、インファがやった方が確実なんだぜ?苦痛にも強いしな」

呪いは、ペオニサが死ぬか、インファが呪い殺されるかで解けるのだ。蘇生させる事ができれば、偽装の死を選ぶのは2人のうちどちらでもよかった。

「うん。そうだよね。わかってるよ。ごめん、インファの意識封じてきちゃったから、3日は目覚めない」

「はあ?」

リティルの顔には「あのインファがおまえの魔法で?」と信じられないと張り付いていた。

「ボクが見てくる。兄さんの魔法でインファ兄がそうなってても、期間は間違ってるかもしれないからね」

アシュデルがノッソリと立ち上がり、そそくさと応接間を出て行った。

「あっはは。オレ、インファに限りなのかなぁ?強い魔法が使えちゃうみたいなんだよね」

「インファ限定ではないかもしれないわ。発動条件はわからないけれど、たまに驚くような魔法を使っているわ?」

無意識なの?とシェラがペオニサを伺うように首を傾げた。

「固有魔法か?」

ジュールは、リャリスとインジュを見た。

「えっとですねぇ、リティルの固有魔法の無性の愛に似てると思いますけど?確かに、お父さん相手が多いですねぇ」

何か、特別な力を感じるとインジュは言った。

「ああ、ペオニサマジックのことか?」

「なにそれ?」

恥ずかしい名前!とペオニサが身震いした。かまわずリティルは続けた。

「おまえが軽口叩けば叩くほど、痛みがなくなるってヤツだよ。おまえ、誰が血みどろで帰ってきても、笑いながらベラベラ喋ってるだろ?怪我してるの忘れられるって、評判なんだよ。よくあんなに喋ってて切れた神経まで繋げるよな」

すげーなと、怪我常習犯のリティルが笑った。リティルの場合、怪我した瞬間、シェラが遠隔で癒やしてしまうので、ペオニサの出番はほぼ皆無だが。

「いつも心の中は嵐だよ?よく生きてるなぁって、下っ腹が寒いよ?喋ってないと引きつっちゃうよ!?ついでに笑ってないと、泣けるよ!?」

ひいい!とペオニサは鳥肌でも立ったのか、自分の体を抱いた。

「でも、インファって怪我少ないよね?大怪我なんて、してるの見たことないけど?」

インファに治癒魔法使ったことないよ?とペオニサは、インジュが言った「お父さん相手が多い」という言葉を否定した。

「お父さんは心労の方が深刻なんですよぉ。ボクとお母さんがなんとかしてますけど、ペオニサが来てから楽になりましたよぉ」

うんうんと、しみじみインジュが言った。

「ええ、そうね。あの人、リティル様と同じで自分の事無頓着で後回しだから」

セリアとインジュに同時に視線を送られて、ペオニサは居心地が悪かった。何となく、2人の仕事を横取りしたような気になってしまったのだ。

「ありがとう、ペオニサ」

「え?」

セリアが笑った。本心を隠してではない笑顔だと、ペオニサには感じられた。

「インファはホントに、なんでもできちゃうから。この城にいる人達も、インファに一度は助けられてるわ。だからね、遠慮しちゃうのよ。あのふてぶてしいノインだってそうなんだから!」

「ええ?あの人インファの相棒で親友でしょ?遠慮、してる?」

力の精霊・ノインは、最上級精霊で風の王・リティルの兄的ポジションで、精霊大師範の異名を持つインファを抑えて、風の城の三賢者の1人だ。

思慮深く聡明、控えめでクール、二十代後半の見た目をしているが、大人だなぁと憧れてしまうような精霊だ。

「してますねぇ。遠慮するから、ボクの戦闘指南役に引っ張ったんですよぉ。無駄に大人ってこういうとき厄介ですよねぇ」

「その点、あなたはインファに遠慮しないわ」

「してるよ!?」

「そぉお?遠慮してる人が、綺麗だ好きだ息の根止めてって迫れる?」

人の口から改めて聞くと、凄いことを言ってる……と、ペオニサは息を詰まらせた。

「う、ぐ……あの超絶美形を前にすると理性が吹き飛ぶんだよ!うわあ……寝顔も綺麗だった……」

「すまんな、変態で」

張り付いた笑顔のまま、ジュールがリティルに詫びた。謝罪を受けたリティルは、明るい顔でニヤニヤしていた。

「インファがいいって言ってるんだよ。かまわないぜ?」

「あ、ははは。インファは、身の危険とか感じないのかなぁ?案外無防備なの?」

「その気のない人に、危険なんか感じませんよぉ?ペオニサ、意識して触らないじゃないですかぁ。いつ抱きつくか、賭けになってますよぉ?ボクは、永遠にない方に賭けてます」

それを聞いて、ペオニサはガクリと項垂れた。インファに申し訳なさすぎる。

「この、雷帝・インファの為に生まれてきたっていう理がなかったら、オレ、インファが好きすぎることなかったのかなぁ?」

「なかったと思いますよぉ?他の精霊と同じように、下心で近づいたり離れたりしたんじゃないです?」

「そうだよね……会えなかったよね……。オレがこんなじゃなかったら、インファは、勘違いされて襲われたり呪われたりしなかったよね……」

「ペオニサ!インファから離れたいなんて、言わないわよね?」

不穏な会話に聞こえたのだろう。危機感のある声でセリアが問うた。

「セリア……離れてほしいって、思わないの?オレ、実は、インファがほしいのかもしれないよ?言葉では、どうとでも言えるじゃない」

「ほしいのか?」

硬質な声で、ジュールが問うた。

「かもね。インファ危ういよぉ?オレに落ちちゃうかもよぉ?あっはは!なんでオレなんかを、掴もうとすんの?おかしいよ!」

「理解できない?」

本当に?と念を押すような声でセリアが言った。

「理解できないね!オレと、恋人に間違えられて、否定しても信じてくんなくて!現在進行形でセリア一筋なのにさ!色恋が苦手なのに引っ張り出されて!距離置こうとか思うでしょ!普通」

「逃げると追いかけちゃうのよ、あの人。聞いてみたらいいわよ」

知らないとは、気楽なモノだと思う。

「もう、インファは、嘘しかつけないんだ」

「どういう意味?」

「インファ、オレを拒絶したら、死んじゃうと思って、きっと本心を言えない。ねえ、この理、何とかなんない?あのインファが、恋人でもいいなんて、おかしいよ!」

ペオニサは縋るように、父王を見た。皆の無言の視線が、ジュールに集まる。

「すまんな。おまえの本質に触れる理となってしまった。なんとしようもないのだ。だが、インファから拒絶されても死なんぞ?おまえには、インファと並ぶ、生きる目的があるからな」

「うーん?……あ、宝城十華?」

「そうだ。小説家というもう1つのおまえの姿が、おまえをおまえでいさせてくれる。まったくおまえというヤツは、導き甲斐のないヤツだ」

そうか。そうだったんだ。「宝城十華」はペオニサの逃避のためのもう1つの顔だった。それが「ペオニサ」という存在を守るモノとなっていたとは、貫いてみるのもありなんだなと思った。

「そんなことないぜ?オレはハラハラさせられっぱなしだぜ。1回死んで呪いが解けたら蘇生させてくれなんて、インファが知ってみろ!おまえ、そんなこと考えたこと後悔させられるぜ?」

「あっはは!寝てる間にやっちゃえばいいんだよ。姉ちゃん、魔法書いて?」

弟から笑顔を向けられたリャリスは、フウとため息を付きながら紙の上にサラサラと何事か書いた。

「お兄様は、現在全力で意識にかけられた封印を、解こうとしていると思われますわ。時間がありませんのよ。物理的に命を絶ってくださいまし。あなたの意識がなくなると同時に、仮死状態にし、呪いが解けたら蘇生を開始しますの。お父様、魔方陣を描いてくださいまし」

「うむ。リティル、修練の間を借りるぞ」

「ああ、好きにしてくれ。物理的にか……ペオニサ、インファの風花の剣には負けるけどな、オレの剣も切れ味いいんだ。一思いに頸動脈いけ」

リティルは風を集めショートソードを抜くと、ペオニサにズイッと差し出した。ペオニサは、ゴクリと生唾を飲み込みながら、それでも風の王の剣を受け取った。

「う、うん……痛いのヤダなぁ……。ここ切ると、すっごい血が出るよね?かえって気持ちいいかも!?」

「変な世界の扉、開かないでくださいよぉ?はあ、お父さんには絶対に見せられないので、ノイン呼び戻してくださいよぉ。あの人くらいじゃないと、止められないかもしれないんで」

ノイン!?ノインも呼んじゃうの?力の精霊・ノインは、世界最強の精霊だ。今、出かけている彼を呼び戻すまでしないと止まらないの!?と驚愕するペオニサだった。


 修練の間は、どんなに暴れても傷1つつかない強固な守りの魔法がかけられた、ただ四角いだけの部屋だ。魔法を構築したり、解体したりと、暴走する危険のある事柄をするのに適した、真ん中に水晶球の乗った腰高の柱が立っているだけの部屋だ。

ジュールは、リャリスの依頼通りの魔方陣を床に描いていっていた。

「親父、オレってさ、誰かモデルあんの?」

「ん?わたしはただ、インファの助けになれる精霊を産み出したかっただけだ」

それだけ?それだけで、オレ、こんな変態になったの!?とペオニサは否定したかった。

「雷帝・インファは、触れてはならん男だっただけだ」

「インファに気に入られるのは、大変ってこと?」

「そうともいう。心がないのか?と思えるほど冷静すぎる」

「ええ?嘘だぁ。インファ、すげぇ動揺しまくるよ?小さい失敗も結構してるし、あの人完璧って言う人、何にも知らないんだよ、インファの事」

「見せんのだ。インファは隙を見せん。おまえが知れているのは、ひとえに、おまえがインファの特別だからだ。わたしでさえ、未だにインファを見誤る。故に助けそこなる」

「……助けたかった?本当は、親父自身がインファを助けたかったって事?」

「そうだ。頭がよすぎて、貧乏くじを引く。ああ見えて不器用なヤツだ。リティルのように、割り切れず、苦しまんでもいいところで苦しむ。おまえは……インファの救いとなった。離れてやるな」

魔方陣を床に描いていたジュールは、手伝うことのできないただ立っているだけの息子を見上げた。

「風の仕事、手伝えないよ?小説描くことしか取り柄ない、それも取り柄なのかわかんない半端者だよ?インファが好きすぎて、追い詰めちゃってるよ!?」

「受け入れられているだろう?おまえが……セリアとインジュを参考に、その性格を構築してしまっていたとしても」

「!」

「見ていればわかる」

ジュールは再び作業に戻ってしまった。

「本来のオレは……どんなだったんだろう……?オレが、今とは違うオレだったら、インファは、オレと友達になってくれたかなぁ……?」

呟いたペオニサの問いに、答えられる者はいなかった。


 魔方陣を描き終えたジュールには「おまえが決めた事だ。やり遂げろ」と言われた。

怖い怖いと言っていたが、今、風の王の剣を見下ろしている心に恐怖はなかった。

リャリスは、インファは全力で抵抗しているだろうと言った。それはそうだろう。忘れてくれと言ったペオニサが、意識に封印をかけてきたのだ。よからぬ事を考えている事ぐらい、聡いインファはすぐに気がつく。

ただ、眠れていないようだったから寝てほしかっただけだったんだけど……と言ったところで、言い訳にしか聞こえないだろう。

「怒るよね……どうしてオレ、こんなかなぁ……」

インファを相手にすると、グロウタースで女の子達にしているようにはできない。

甘く温かな雰囲気でいられない。宝城十華が、ペオニサの目指すところなのに。

あんたと笑い合いたいと、インファに唯一願ったその言葉は、難攻不落の雷帝・インファを完全に落とした。

その願いを、ペオニサは叶えてこられたのか、わからない。

インファのそばにいることで、彼を、苦しめているんじゃないかと、ペオニサはずっと思っていた。最近、キチンと話をしなければならない場面に限って、喧嘩になってしまうし、本当に上手くいかない。

 ハッと、ペオニサは我に返った。

リティルの貸してくれた剣を見つめて、考え込んでしまっていたことに気がついたのだ。悩むのはあとだ。今はインファを呪いから解放しないと。ペオニサは、自分の首に刃を宛がった。これを、一思いに前に引くことだけが、ペオニサの仕事だ。他のことはすべて、賢者と名高い精霊達がやってくれた。

贅沢なお膳の上に、ペオニサはただ乗っかっていればいいのだ。

 グッと手に力を込めようとしたときだった。開くはずのない扉が、開いた。

「え……?インファ……?」

扉を開け放したインファは、中に立つペオニサを認めると、足を踏み込もうとして立ち止まった。

あ!封印が!と叫びそうになったペオニサはホッと、胸をなで下ろす。念のためにと、ペオニサは誰も入れないように入り口に封印を施していたのだ。

その、緑色の淡いガラスのような封印を、インファは見回し、両手をついた。

今、インファは呪いで霊力を冒されて、魔法を殆ど使えない。ペオニサのかけた拙い封印を、解く力すらないらしい。

「ペオニサ!」

怒ってる怒ってる!ペオニサは、ビクッと身を固くするとハッとして、首に宛がっていたリティルの剣をサッと背に隠した。

「何を隠したんですか?」

「え?え?な、何もないよぉ?」

バッチリ見えてたでしょ!?目が泳いだ。

「イ、インファこそ、なんでここにいるの?親父達は?」

「何か企んでいるようだったので、痺れさせておいてきました」

嘘ぉ!足止めしてくれるって!足止めしてくれるって、言ったのに!ああ、ノインだ……!と思った。彼は味方してくれるとは限らない。彼の裁量で動くのだ。彼が、インファを行かせるべきと判断すれば、最大の障害となり得る。それよりも、と、ペオニサはインファを伺った。

「起きるの早くない?」

「タレコミがあったんですよ。十華様はやはり崇高なお方だと。つまりは、あなたが命を絶つ選択をしたのでは?と思ったんです。止めてください。それから、ここから出てきてください!」

うーん予想外。あの人、ペラペラと邪魔だなぁ。死んでなお邪魔してくるエカテリーナを、さすがに鬱陶しく思ってしまった。説明しなくちゃ。気を取り直したペオニサは、錚々たるメンバーと打ち合わせたことを話そうと、口を開いた。

「あのさ、インファ――」

「それしか方法がないのならば、その役、オレがやります。あなたは、痛みに耐性がないでしょう?」

「それはそうだけど……なんでそう、簡単に犠牲にすんの?」

「物事には、適任というモノがあるでしょう?オレの役目なんですよ」

「それはわかる。でも、譲れないんだな。ねえ、インファ、オレに守られてくんない?上手くやるからさ」

ペオニサは、背に隠したリティルの剣をインファの目にさらした。全体的に明るい部屋の中で、リティルの剣は鋭い光を返した。

 あのインファが、瞳を見開いて息を飲むのをペオニサは見た。

そうだよそう。そういう顔。隠された感情をさらけ出して、もっと見せて?

雷帝・インファは、冷酷な場面こそ眉根1つ動かさないと聞いた。でも、だからと言って、感情が動いていないことにはならないんじゃないかなぁと、常々思っていた。だってインファは、あの本物の強者であるノインを参考にしている。誰かを参考にしている時点で、偽りだ。その仮面の下に、本当の顔がある。「オレだって、悩むことはある」とノインですら言うのだ。表情が動かないからといって、感情がないことにはならない。

応接間で、一家であっても声をかけることを躊躇うほど、険しい顔をしていても、優しく微笑んでいても、それは、あんたの本当の顔なの?と思っていた。

偽りを感じると、ペオニサは疼いてしまって、そして言ってしまう。

「ねえ、インファ、そんな悩ましい顔で見つめちゃって、すげぇ羨ましい!オレ、書類になりたい」

これでも空気は最大限読んで発言している。行き詰まりを敏感に察して、ラスが紅茶を用意し始めたりとか、ノインが「根を詰めるな」と気遣うのを聞いてからにしている。

「はい?」と顔を上げるインファが見せる、一瞬の揺らぎ。思考の迷路を壊されたインファが、ぽかんとするその顔が好きだ。

してやったりと思う。

「愛しています!だから、止めてください!」

「え?」

幻聴だと思った。

あ、愛?愛って、愛?なになに?オレ今、インファに告白された!?

「あなたが何をオレに求めているのかわかりません。オレの愛情はわかりにくいと言われていて、インジュとセリアは長い間オレからのその言葉を待って、伝わっていると思っていたオレは捨てられかけました!あなたもそうなんですか?」

「や、待って待って!セリアは奥さんで、インジュは息子でしょ!オレ、他人!オレ男よ!?友達に愛は叫ばないって!あああああ焦った!インファがそっちに目覚めちゃったかと思ったよぉ!」

あ、焦った!軽口叩きすぎて、インファも発言がそっち方面へ感化されているのかもしれない。

ヤバイ。これはインファの美を褒めちぎるのを控えないと、めくるめく耽美な世界の扉を開いてしまう!

ペオニサが別の事に危機感を覚えたそのとき、インファは苛立った声を投げてきた。

「では、なんですか!オレから離れたい理由はなんですか?」

ペオニサの瞳が、ジロッとインファを睨んだ。

ダメだダメだと思うのに、インファの言葉にイライラしてしまう。彼が悪いわけではない。インファは、ペオニサを思って言ってくれているのに、どうにも受け入れがたいのだ。

「それ、あんたが言う?ねえ、あんたがオレをそばにおくのは、インジュとセリアに似てて、手離したら死んじゃう精霊だからじゃないの?」

「ペオニサ……」

インファが言葉を失う。次の言葉を探すインファに畳みかけるように、ペオニサは言葉を投げつけていた。

「オレ、死なないよ?インファがいなくても、オレ、生きていけるよ?もう、無理しなくてもいいよ!気持ち悪いでしょ?自分の奥さんと息子を模した、まがい物の男に、綺麗だなんだって叫ばれてさ!あげく、恋人に間違えられて!呪いまで受けて。どう考えたって、おかしいよ!」

笑わないで。優しい微笑みで、全部隠さないで。あんたにさせたいのは、そんな顔じゃない!もっと普通に――自然な感情で、飾らずに付き合いたい。

どうして、言い争いになってしまうのか。傷つけたいわけじゃないのに、宝城十華では考えられない感情を、インファにはぶつけてしまう。

「手放せないのは、オレなんです。あなたが何者でもかまわないんです。ペオニサ、あなたがセリアとインジュを真似ていることなど、すぐにわかりましたよ?ジュールからは害のない男だと聞いていましたが、さすがに鵜呑みにはできませんでした」

最愛の妻と、愛する息子と似ている明らかに不審な精霊。それが、ペオニサだった。

何か、思惑があるのだと思った。警戒して警戒していたが、ペオニサは一向に何も仕掛けてはこなかった。

要求が何もないことも、割とすぐにわかった。だから受け入れた?わからなくなる。

本当は何かを求められていたのに、それにずっと気がついていないのではないのか?察しの悪いインファでは、到底気がつくことなど無理なのだ。

言ってくれなければわからない。求めてもらわなければ、与えられない。

仕事に行き詰まれば、それがわかるのか茶化してきて、よくない思考の迷路をぶち壊してくるペオニサを、インファを頼りにしていた。何者にも代えがたい友と、ペオニサはすでになっている。

失いたくないのは、インファの方だった。

「あなたは何も、要求してこなかったではありませんか!セリアとインジュには、愛してほしいと、わかりやすく愛してほしいと要求されていますよ?望みがあるのなら、言ってください!」

「ないよ!あんたに望む事なんて、何もないよ!ずっと言ってるだろ!」

自分の言っていることが、あり得ない事なのだと、ペオニサは気がつかない。搾取されるばかりではないが、インファは常に求められている。インファに与えていることすら気がつかないで、何もいらない!と怒るペオニサと、どう接していいのかわからない。見返りのない関係は、インファにとってはあり得ないのだから。

「では、なぜですか……?」

「あんたが苦しめられてるのが、ヤダから。呪いを早く解きたい。そんだけ。扉閉めてよ。これから血まみれになんなくちゃいけないんだ。見せたくないよ」

「ペオニサ!」

「お願いだから!インファ、あっち行ってて。あっはは!ねえ、呪い解けたらさぁ、さっきのもう一回言って?後悔したあんたの顔見たいなぁ」

ペオニサは背を向けた。

何この会話。まだ、オレとインファに物語を紡ぐことを要求すんの?もう、いい加減にしてほしい。インファは友達で、その美を近くで愛でる対象なのだ。彼がいてくれるだけで、幸せだ。それ以上に何がある?ペオニサは、苛立ちが納まらなかった。

「望んでない……オレは何も……望まないと、ダメなの?花は、風を狂わせるだけだっていうのかよ!ああ、そうかよ!」

ペオニサは、リティルの剣を首に宛がうと、一気に前へ引いていた。

「ペオニサ!」

あ、はは……まだいたんだ……イ、ン――ファ

血が抜ける。ドサッとペオニサは床に倒れていた。

痛みはないが、寒さを感じる。そして、なかなか意識は失えないモノなんだと、知った。

あー……親父……インファ止めてくれるって言ったのに……。ペオニサのかけた封印の向こうで、インファが名を呼んでいる。それを、ボンヤリ見つめていた。

なんで?

なんで、泣くの?

不思議そうにペオニサは、名を呼びながら泣いてくれるインファを見ていた。

このまま死んで、生まれ変わったら、もう少しまともな関係でいられるようになるのだろうか。

泣かないでよ。愛を叫ぶよりらしくないよ?

血にまみれた手を、ペオニサは伸ばしていた。掴んでほしかったわけではない。ただ、その涙を拭いたかった。止めてよと言いたかっただけだった。

ああ、そっか。笑ってほしいなら、笑えばいいんだ。

意識が闇に落ちる。ペオニサは、精一杯笑った。

そんな彼の両耳の上に咲いた、牡丹の花が散るのをインファは見た。


 これはもう、本当にセリアとインジュに土下座した方がいいのだと思う。

「あー……えっと……解けた?呪い」

自室で目を覚ましたペオニサは、神妙な顔で枕元にいるセリアとインジュに、寝顔を観察されていた。体を起こさないまま、2人に問いかけてみる。

「解けましたねぇ」

「解けたわね」

よかったじゃないか。しかし、2人からは喜びの感情が感じられなかった。責めるような訴えるような色が、その瞳に浮かんでいる。

「インファ、寝込んだり?」

「はい」

「刺激強いわよ!目の前で首掻き切るなんて」

淡々と頷くインジュと、怒鳴りたいのに気を使って控えめに怒るセリア。

あああーまずったーーー!ペオニサは、顔を両手で覆った。

「うん。ごめん!イラッとしてズバッとやっちゃった!インファがしつこくてさぁ。泣かしちゃったね……」

来てしまったならしょうがないと、説明するつもりだったのだが、インファは話を聞いてくれなかった。皆はどんなときも冷静に話を聞いてくれるというが、ペオニサはあまり話を聞いてもらえてないけど?と反論したい。

こちらも売り言葉に買い言葉で、喧嘩腰になって言わなくてもいいことを言いまくってしまうから、あいこなのだが。

「貴重だわ……」

「はい。お父さんをあれだけ泣かせられるって、もう恋人でいいです。ボク、応援します」

……この親子も頭のネジが大分外れていると思う。オレってまともだよね!?誰かに確認したい。

「冗談でもダメ!断る!全力で断る!インファは愛でるモノであって、肉体貪るモノじゃないの!」

「違いがわからないわ」

「展示品には手を触れちゃいけないってヤツ。うわ……会いに行きづらい……抱きつかれたらどうしよう!?オレ、散っちゃう!」

「花、蕾のままだけど、大丈夫なの?」

「あ、うん。貧血が治まればまた咲くよ。徹夜しても散っちゃうから、そんな大したことじゃないよ。はあ……死ぬってあんな感じなんだ……」

「もうしちゃダメよ!」

「しないよぉ。痛いのヤダし、インファが泣くからしないって。そう言って突くと怒るかなぁ?」

「動けるなら、会いに行ってあげて」

「ええ?いいの?それってさ、正妻の余裕?」

「あら、インファがほしいの?」

「いらないよ」

「即答なんだから……嫉妬心も湧かないわよ!」

「ええ?そう?気持ち悪くない?」

「あなたって、二言目にはそれよね。もう、開き直ればいいじゃない。どんなに否定したって、インファが好きでしょう?」

「そこは否定しないよ。眼福!愛でたい!でも、それだけだから。それ以上を求めるなら、それはもうオレじゃない。そんときは散るから、心配しないで!」

「心配するわよ!あなたはもう、家族なんだから!」

セリアが抱きついてきた。うわあ、役得!とペオニサは、抱きしめ返さないまま頭を掻いた。

「あっはは!ありがと、セリア好きだよ」

「そういうところよ!もお!わたしも好きよ?ペオニサ」

フフフとセリアとペオニサは顔を見合わせて、ほのぼの笑っていた。

「こういうのも、タラシって言うんですよねぇ?」

「あっはは!インジュも好きだよ!」

「あーはいはい。ボクも好きですよぉ?ペオニサ。その勢いで、お父さんにも愛を叫んできてくださいよぉ」

「うっわ!緊張する……。うん。じゃ、行ってくるね!」

ゴソゴソとベッドを降りたペオニサは、着替えると言って浴室の扉へ消えた。

 インジュがハアとため息を付いた。

「正直、ペオニサがここまでやるとは思わなかったです」

「インファに丸投げしたかったの?」

珍しく悔やむように俯く息子に、セリアは問うた。

「はい。それが、風一家じゃ普通です。死ににくいボク、リティル、お父さんが候補です。それが、暗黙の了解ですよぉ。何の為に、四天王がいると思ってるんですかねぇ?」

「教えないからよ!ペオニサを風の仕事から遠ざけてるじゃない。わたしも驚いちゃったけど……」

「驚き通り越してますよぉ。お父さんが丸め込まれるなんて、最強じゃないんです?あんなお父さん……初めて見ましたよぉ……」

壊れちゃうかと思った……と、インジュは、項垂れた。

インファには目覚めてすぐに、どういう算段だったのか説明していた。

ペオニサに任せてみろと言ったジュールと押し問答になり、インファは霊力が衰えているにもかかわらず雷を放ってきた。足止めを買って出ていた者は、インファの想いを汲んで彼を行かせたのだ。

インジュも含め、全員ペオニサは丸め込まれると思っていた。

だが、ノインとリティルが様子を見に行った時は、散々たる有様で、2人でもインファを落ち着かせることには骨が折れた。

「ペオニサはやるだろうなって、思ってたぜ?」と、リティルには怒られた。リティルが邪魔しないようにと、承知で足止めを行ったノインが「すまない」以外言えなかったのは記憶に新しい。

「もう、保護精霊だなんて、言ってられませんねぇ」

「インファは嫌がるでしょうけどね」

「このままの方が危ないですよぉ。大丈夫です。ボクとラスで鍛えるんで」

「ちゃんとしてよ?ペオニサが死んじゃったら、あなたの命を蘇生に使っちゃうんだから!」

「あはは。いいですよぉ?ボク、それくらいじゃ死なないんで」

とは言っても、非戦闘員枠からは外さない。

インジュとラスが教えるのは、身を守る方法と、一家の暗黙の了解だ。それに異を唱える時は、キッパリしっかり意見を言うことを徹底させなければならない。

リティルとインファは、特に、一家の命の行く末に敏感だ。2人に内緒で死ぬことは、あってはならないのだ。


 着替えさせてくれてはいたが、自分の血で髪や肌が汚れていた。

固まった血を洗い流して鏡で首を見てみたが、切ったのが嘘だったように一筋の痕も残ってはいなかった。

はあ……とペオニサは大きなため息を付いた。散った牡丹の花が、ほころび始めていた。

「あそこまで、壊すはずじゃなかったんだけどなぁ……」

インファの涙を見たのは、あれが最初ではないが、あんな、壊れそうな涙を流させるのは不本意だった。

「オレも結構激情型なんだなぁ」

ペオニサは自分を、腑抜けだと思っている。あんな、怒って自分の首が切れるような、そんな人格が眠っているなんて、思わなかった。

「これが、風の力100パーセントの弊害かなぁ」

戦う事が運命づけられている風の精霊は、血気盛んだ。反対に、大地の精霊はおっとりした者が多い。

「反属性かぁ……気をつけよう」

でも、髪が瞬時に乾かせるのは楽だ。ペオニサは髪が短い方だ。長い髪は手入れが面倒だと思っていたが、風の精霊達が綺麗な金色の長い髪をしているのは、そういうわけかな?と変なことを思った。

 浴室を出ると、インジュとセリアはいなかった。どこにインファがいるのか聞いていなかったが、寝込んでいるというのだ、自室にいるだろう。ペオニサは、何を話せばいいかなぁ?と気が重たくなりながらも、雷帝夫妻の部屋を訪ねた。

ノックすると、中から「開いていますよ?」とインファの声がした。

起きているんだ。そう思ってホッとしながら、ペオニサは遠慮がちに扉を開いて、遠慮なく中へ入った。

「ペオニサ……」

インファはベッドではなく、扉を入ってすぐの書斎となっている部屋にいた。

モスグリーンの壁紙に、夜の森を思わせる暗い木々の絵が描かれている。天井には、星形のシャンデリアが灯っていた。

こじんまりした2人掛けのソファーに座り、目の前のテーブルには書類が置かれていた。

「仕事してんの?ここで?」

ああと、インファは手元に視線を落とした。

「体はもう、なんともないんですが、応接間に居づらいんですよ。ラスが仕切ってくれていますから問題ありません」

「ふーん」

ペオニサは、遠慮なく向かいに腰を下ろした。背の高すぎるペオニサでは、テーブルが低すぎる。

「あのさ、インファ――」

「謝罪は必要ありません。取り乱したのは、オレです」

「聞いてよ。オレの話」

なんで、怖がるの?顔を上げないインファが、恐れていることに気がついた。

雷帝・インファを、皆は完璧だという。でも、完璧なインファなんて、風一家に入ってから見たことないけど?とペオニサは思う。

「オレさ、城を出て行ったりしないよ?」

「そうですか」

感情が読めない。インファは、感情を隠すことにも長けている。それは知っている。

「出てってほしい?アシュデルも一家に入ったし、あいつと一緒なら、リティル様も許可してくれそうだよね」

インファは顔を上げたが、何も言わなかった。言えなかったといった方が正しいかもしれない。

「小説家って、場所選ばないからいいよね。あいつも道具作りが得意で、魔法薬から、時計とかさ、装飾品も作っちゃうんだ。縁結びに貢献したいって、親父と連携すんだってさ」

「あなたには、アシュデルと暮らしたほうが、いいのかもしれませんね」

「インファ、あんたそれでいいの?オレたぶん、1回出たら戻ってこないよ?」

「オレに、止める権利はありませんよ」

「この人のどこが、冷静沈着で隙がないなんて評価になるんだろう?」

「他人の評価など、そんなモノですよ。あなたも、数々誤解されています」

「そだね、ここに来る前さ、ラスに聞いてきたけど、あんたとオレの噂もあるんだってね」

もちろんもみ消していると、風の城の執事は暗さの全くないいい笑顔で言い切った。

「それ、いつから知ってたの?」

「噂は噂ですよ」

「まさか、いいって言ってないよね?否定してよ!そんなこと言われたらさぁ!」

「問題ありませんよ」

「大ありだって!男に迫られる方が怖いよ?あんたさあ、オレからしたら華奢だし。あああ!マジか!そんな目で見られてもまったく動じないから、変だと思ってたんだ。色恋が苦手なのにさ」

面と向かって言ったヤツがいるのだと、ペオニサは察した。

雷帝・インファになんてことを!と思うが、味方がいれば敵もいるのは必然で、そう言った輩が悪意でもってインファを傷つけたのだ。

「ちょっと考えれば、わかることだったよね……。オレは、自制が効かないし……」

「かまいませんよ。オレには、敵が多いですからね。悪意には少なからず晒されます」

「インファ……顔上げてよ」

ややあって、インファはペオニサを見てくれた。

「オレは、ヒーローに守られるヒロインじゃない」

「……知っていますよ」

「インファを、オレのヒロインにするつもりもないよ。それとも、望んでほしい?」

「それが望みなのだと言われたら、頷いていたかもしれません」

「なんで?」

「返せるモノが、何もないからです」

「返してもらうほど、オレ、インファに何もあげてないよ」

この人、こんなに儚げだったっけ?ペオニサは、インファの浮かべた優しい笑みに思った。

「なんで、その気もないのに、オレに売っちゃおうて思っちゃったわけ?オレがそんな告白したら、マジだよ?冗談じゃなく、貞操の危機だよ!?」

「こんな容姿ですからね」

「えっ!?経験……ないよね?」

「ありませんよ。手込めにされるほど、弱くはありません」

風の王も知らないことだと、インファは静かに微笑んだ。

「あんたさぁ……なんで傷つこうとしてんの?オレ、首切る以外に、なんかした?」

なぜなのかわからない。インファに、求められている意味がわからない。

オレ、この人に何したの!?恐ろしいのはこっちの方だ!とペオニサは心の中で戦慄していた。

「では、どうすればいいんですか?」

「どうって……待ってよ!オレって友達だよね?それともオレ、扉開いちゃった?違うよね?そんな気配ないし……」

縁結びの力の強いペオニサは、色恋を正しく見る目がある。インファの好意が、恋愛のそれでないことは確かだ。

だったらなんで?

「何が怖いの?オレの何かだよね?」

聞くのが怖い。インファの恐れを聞いてしまったら、もう二度と会えなくなるかもしれない。それは嫌だなぁと、ペオニサの心が拒否している。

「恐れなど、ありませんよ」

「嘘つくとすぐわかるんだよ」

「見破れるのは、あなたくらいです」

「勝手に動かないって、約束する。だからさぁ、言ってくんない?」

「ペオニサ……オレの心に、触れないでください」

うっわあ……!インファじゃなきゃ思わず抱きしめちゃってたって!これ、あなたが好きですって言ってるようなものだからああああ!いい。でも最高!って思ってるオレはヤバイヤツ!平常心平常心と、ここで心の声をだだ漏れさせるわけにはいかないと、ペオニサは耐えた。

これでも、空気読める男なのだ。

「オレじゃなきゃ、誤解してるよ?えっと、待って、考えるからさ。………………ええと、不器用さんだねぇ?」

「わからないんですよ。ペオニサの言葉に翻弄されていることはわかっても、上手く、取り繕えないんです。易々と侵入を許して、掻き混ぜられて――」

「待った!それ以上具体的に言っちゃダメなヤツ!オレの脳内大パニックだからこれ以上言っちゃダメ!おーちーつーけーオレえええええ!」

何これ何これええええ!雷帝・インファの中身って、こんな感じなの!?ああ、でもわかった。インファが何を恐れているのか。

「ごめん。インファが守ってたモノ、オレが、壊しちゃったんだね?ごめん!インファがさ、本音チラチラ見せてくれるのが楽しくってさ。突っつきすぎちゃった。自重する。マジ自重するから!戻ってきて?インファ!」

これ以上官能小説家刺激されたら、絵面的に最悪なことになる!とペオニサはガバッと机の上に土下座する勢いで頭を下げた。

「謝罪は、必要ありませんよ。皆が言うんです。最近調子が良さそうだと。相談に来る精霊達からも、最近雰囲気が優しくなって話しやすいと言われましたね」

恐る恐るペオニサが顔を上げると、泣きそうな顔で微笑むインファと目が合った。

「そばに、いてくれませんか?オレには、あなたが必要です」

堪えきれずに、インファの瞳から涙が零れ落ちた。

「そんな精神状態で、大丈夫?オレさ、インファには自制効かないから、インファにとっては容赦ないと思うよ?」

「オレが、求めているんですよ?」

「あ、うん、そだね……ヤバイ……何これ!?嬉しい!アッハハハハハ!なんでそんな最高なの?」

「そうですか?無様なだけですよ」

「そんなことないよ。血が通った人なんだと思うだけだよ。遠巻きに見てたインファは、完成された芸術品みたいだった。それがさ、こんな、愛しい人だとは思わなかった」

インファが瞳を見開いた。

「あ、あれ?愛しいって何?うっわ!ないわ!これだから誤解されちゃうんだよおおおおお!十華ぁ!ちょっとは自重してぇ?」

「そんなに好きなんですか?」

「ええ?す、好きだよ?インファはオレの理だし、十華はどうしてもあんたを恋人にしておきたいみたい。あ、でも、肉体関係はなしね!考えられない。絶対ヤダ!」

「知っていますよ。誰が誤解しても、オレは」

「はわああああ、腰砕ける……!こんなの離れらんない……」

「それは、なによりですね」

「や、もお、やめてぇ!照れる。照れちゃうからぁ!」

身悶えるペオニサを見ていたインファは、微笑みを浮かべると、呟いた。

「百華の癒し」

「え?なに?」

「あなたの固有魔法です。軽口と共に発動するようですね。精神に作用する魔法です。やっと、完成されたようですね」

「いい効果?」

「ええ、もちろんですよ。風一家にとっては、この上ない恩恵です。オレにも……」

「そこでなんで、うつむくの?」

「風は、花から搾取するだけです」

ふうん?とペオニサが俯くインファを、上から男性的に見下ろした。

「花は、さ、風に抱かれたいんだよ。まあ、オレは男だし、オレの好きな人には、すでに最愛がいるからね。この固有魔法、願いを叶えてくれたってことだね。花の理も、風紀も乱さず、誰も不幸にしないで、インファを癒やせるんだからさ!」

そういって、ペオニサは、心底嬉しそうに大輪に咲き誇る花の様な明るい顔で笑った。


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