第8話 未来の占い〜そして変化
第八話
「そこの演技はもっと残酷に冷徹に」
「はい」
「もっと低い声でキモがられる感じで」
「キモがられる感じ、ですか」
恵留の役者デビューから一ヶ月半が経過した。
季節も梅雨から夏に移り変わり、
冬服も夏服へと切り替わっていた。
恵留の今の生活は午前中だけ朝練と学校、
昼間からレッスン、夕方から撮影、家で学校の課題…。
当然隙間隙間でやるべきこともあるため、
二十四時間びっしりスケジュールが埋まってる状態だった。
「あぁ…」
「恵留、大丈夫?」
「は、はい」
売り出しの高校生とは思えない動きに
思わずマネージャーも心配してしまう程だった。
「着いたら起こすから寝てなさい」
「課題があるんです。単位落とせないですし」
「真面目か」
芸能科でもない一般的な進学校の為、
役者業に対して寛容な対応はしてもらえない。
出席日数が足りなければアウト、
ギリギリ許されたのが課題の期日内の提出厳守だった。
そうすれば多少は目を瞑ってもらえるため、
恵留に選択肢はやることしかなかった。
「レッスン休む?」
「いや、涼介さんに叱られるんで…」
「あのクソ役者」
と、思わずマネージャーですら漏らしてしまう。
「いや社長に怒られますよ」
「とりあえず無理しないこと。
朝練とかとりあえず休めるとこで休んで」
「はい、ありがとうございます」
恵留はそう返事をしたが無論休むつもりはない。
もうインターハイ予選が二週間後に迫っていた。
約束の新人戦は冬だがその結果を占うのに
最もいいチャンスなのだから踏ん張るしかない。
勿論理由はそれだけではないのだが…。
「頑張ります」
恵留はその日からも何も捨てずに
インターハイ予選までの日々を走り切るのだった。
――――――――
「今までの成果を全て今日ぶつけろ」
日差しが照りつける中、莉緒を含めた弓道部員たちは
インターハイ予選会場へとやってきていた。
「ついにきたね」
「絶対負けません」
当然、恵留も莉緒も出場するべく、
大勢の部員の中に紛れてそんな会話をしていた。
「終わったらみんなで飯行くぞ」
この時は誰もが恵留も莉緒もいい成績が残せて
みんなで顧問のお金でご飯が食える。
そんな風に思っていた。
二年生の莉緒にとっては二回目の、
一年生の恵留にとっては初めての予選に臨む。
当然二人の心内には緊張があった。
「大丈夫?」
「当然。この日のために寝る間も惜しんだんですから」
今思えばこの言葉に気づいていれば、
何か未来が変わったのではないか?と思ってしまう。
「じゃあそろそろ行こうか」
「先輩よりいい結果出します」
後悔先に立たずとはよく言ったものだと思う。
どんなに頑張っても「後」に起こることが
対策ができるわけがないのだから。
試合は順調に進んでいたと思われた。
「九十九君…?」
しかし恵留は矢を射ったと道時に
残心を残すことができずにその場に倒れてしまった。
「九十九恵留が倒れた」その事を理解するのに
数秒かかってしまった。
莉緒は慌てて恵留に駆け寄り、
恵留の名前をそばで呼び続けた。
それに反応する様に顧問や大会関係者が駆け寄り、
応急措置や救急車の手配などが大急ぎで行われた。
――――――
「過労と熱中症です」
医者に言われたのは高校生であれば、
中々聞かない理由だった。
倒れた事を聞きつけた恵留のマネージャーから聞いた話によれば、恵留の役者としての才能は本物だったららしい。
莉緒の代役として出演した番組は演技力を買われ、
出演シーンが増やされた。
事務所――要は父親の所属するマネージャー曰く、
恵留が正式契約となったのはそのことがきっかけとなり、
父親の押しもあって賭けてみることになったらしい。
結果的に賭けは大勝ち。
今の撮影されているドラマでも元々は脇役だったものを
モブAという名前からきちんとした役名を与えられる活躍を見せているという。
「んん…」
「起きたー?」
「あれ、先輩…」
過労で倒れた恵留が目を覚ましたのは
結局午後八時を回った頃だった。
「大丈夫?」
「病院ですか」
「王道なやりとりさせなさいよ」
「へ?」
「ここは、、?とか言いなさいよ」
「いや明らかに部屋白いし」
「つまんない」
目を覚ました恵留は少し気だるそうに身体を起こし、
伸びをしたり首を回したりした。
「僕倒れたんですね」
「覚えてるの?」
「なんか朝から気持ち悪いなーと思ってたんですけど、
矢を射ろうとして力入れたら限界が来ました」
こんなに過労で倒れた人は話せるものなのか?と
思ってしまうほど淡々と乾燥を延べる恵留。
「とりあえず寝てて。先生呼んでくる」
「どっちの?」
「両方」
「えぇ…」
莉緒は部屋の外にいた看護師に状況を伝え、
担当医を呼んでもらった。
担当医が来るまでの間に学校にも連絡をし、
顧問も病院へとやってくるのだった。
「一日二日しっかり休めば大丈夫ですよ」
医者のその言葉に莉緒は胸を撫で下ろした。
その後、恵留は顧問から小一時間ほど説教をされる羽目になってしまった。
「もうやだ」
二人きりになった病室。
疲れ果てた様子の恵留に莉緒は呆れた表情を向ける。
「自業自得、しっかり休みなさい」
「はい」
「役者、大変なの?」
「全然ですよ?褒められてばかりで自己肯定感?
爆上がりです。」
恵留の表情を見れば、
それが嘘であることは明確だった。
それでも莉緒は敢えて突っ込むことはしなかった。
「マネージャーさんから聞いたよ」
莉緒はベッド横にある椅子に腰を下ろした。
「え?何を?」
「脇役、メインにしたんでしょ」
「メインまではいかないですけど、
セリフは増やしてもらいました」
「すごいじゃん」
恵留は照れくさそうに頭を掻いた。
「てか先輩、帰らなくていいんですか?」
「なんで?」
「もう遅い時間だし」
「そんなに早く帰って欲しいの?」
少し意地悪な雰囲気で言葉を返すと、
いつも通り慌てて「違います」という。
思っていたより普通の様子に莉緒は安心感を覚えた。
「帰れっていうなら帰るけど」
「だから違いますって」
「遅くなると危ないですよ」
「優しいじゃん」
病室には昼間の試合会場とは違い、
静かな雰囲気を醸し出していた。
月の光が今日はとても弱く感じる。
少し笑い合った後の無言を切り出したのは
恵留の方だった。
「先輩、勝ちましたか?」
「当然」
「本選?」
「嘘。負けちゃった」
「……」
莉緒は椅子から立ち上がり、
窓を開けて外の空気を部屋に取り込んだ。
「君が倒れて私も顧問も大慌てで試合どころじゃなかったから三年生とか綾瀬さんに任せて私は辞退したよ」
「すいません」
「バカだね、人の命より重いものはないんだよ」
「……」
莉緒の言葉は恵留の心に深く突き刺さった。
「高校生で過労ってバカじゃないの?」
「…………」
「あの人は知ってるの?あなたのスケジュール」
「知らない、と思います」
「わかった」
「先輩?」
莉緒は突然スマホを操作を始め、
耳に当てがった。
「ちょっ……何してるんですか」
恵留は慌てて身体を起こしてスマホを奪った。
「返して」
思わず怯んでしまう莉緒の強い眼差し。
恵留はスマホの電源を落として莉緒に返した。
「何するのよ」
「言わないでください」
「言う。これ以上働かせない」
数分前とは打って変わった空気感は
呼吸をするのも息苦しさを感じてしまう緊張感に
包まれていた。
「大丈夫です」
「熱中症も重なって倒れた時に頭打ったりなんかしたら
死ぬことだってあるかもしれないんだよ」
「それは……」
恵留は俯いたまま、そう言葉を発する莉緒の目を
見ることはできなかった。
「…君が死んだら」
莉緒は恵留の横に立つと、
その頭を細い腕で引き寄せた。
「もしも君が死んだら私は悲しい」
恵留にとって初めて聞く声だった。
莉緒のか弱く、震えた声…。
少なからず莉緒の中では責任を感じていたのだ。
本人が「後悔してない」等と言っても拭えるものではない責任を。
「無理しないで」
莉緒は引き寄せた頭を抱きしめる力を強め、
小さな声でそう囁いた。
恵留は小さく「はい」と答えたが
暫く抱きしめる力は弱まることはなく、
結局、莉緒は母親が迎えに来るまで
恵留を抱きしめることをやめなかった。
「約束だから」
去り際に言葉を残して莉緒は母親に連れられて
病室を後にするのだった。
部屋に一人になっても体には僅かに莉緒の温もりが残っていた。
莉緒の言うことは全て正しいと感じている。
しかし、恵留の心は一つ……『今まで通り頑張るしかない』それだけだった。
新人戦の占いだと思って頑張ってきたこの数ヶ月。
役者業が加わって確かに心労は募っていた。
朝練もレッスンも撮影も学業も
何一つ溢さずにやってきたのは当然、
莉緒との約束のためでもあった。
でも恵留の心にはもう一つ、僅かながらの楽しみがいつのまにか出来ていた。
それは――――
「おはよう、九十九君」
「おはようございます」
「今日も眠そうだね」
そんな些細な会話から始まるたった三十分前後の朝練。
誰にも邪魔されず、何も考えずに素の自分でいられて
莉緒と直接会えて話せる唯一の時間。
恵留の心にはいつの間にか、
その莉緒との時間が大切なものになっていたのだった。
だから……。
「すいません、先輩」
夜の静かな病院で恵留はそう呟き、
布団を頭まで被って睡魔に誘われるのを待った。