第6話 異なる理由〜そして約束
「結構涼しいね」
「もう暑くなってますからね」
映画館を出た二人は次の目的地であるカラオケに
到着した。
二時間六百円と比較的安く、学生デートには
うってつけのところ。
田舎とは違い遊ぶところがたくさんある都内だとしても安く時間を潰せるのはいいものだというのが
莉緒の正直な感想だ。
「先輩、何歌います?」
「ここはメンズファーストでいこうか」
「わかりました」
そもそもカラオケに誘ったはいいものの、
歌自体が特段得意なわけではない。
タッチパネルを操作してアーティストの名前を
検索する。
今の時代、本当に便利になったと感じる。
その気になれば歌詞の一部、歌唱履歴、
ランキング等で歌いたい歌がすぐに見つかる。
「ん」
曲を決めかねていると聞き覚えのある音楽が
部屋に流れ始めた。
「これどこかで聞いたような」
「さっきの映画の主題歌です」
「あぁ、そうじゃん。歌えるの?」
「まあ一応?」
少し緊張気味にマイクを握る恵留。
しかし歌い始めてみると大したものだった。
興味本位で割り込み採点なる機能を投入する。
「ちょっ」
「ほら集中しないと」
流石に恥ずかしかったのか動揺が
歌声に影響を与えた。
しかし莉緒の妨害を受けながらも結果は九十三点。
素人にしてはかなり上手い部類だろう。
「じゃあ次、先輩の番です」
「その顔ムカつく」
ドヤ気味の顔は無性にイラつきを覚えさせた。
莉緒は恵留に対抗して恵留の好きだといった曲を
入れ、試合さながらの集中力を見せつけた。
「おお……」
挑発した張本人でさえ挑発を後悔するほどに
莉緒の歌はガチだった。
「まあこんなもの?」
「………………参りました」
結果は九十七点。圧勝だった。
大人気なくも莉緒は恵留にも勝るドヤ顔で
ソファに大きく腕を広げて足組みをする。
「次こそは…」
「何度でもかかってくればいいよ」
「次はこれで……」
「ねえ、違う」
ふと莉緒は我に返った。
「何がですか?」
「わざわざカラオケ誘ったのに思わず、
普通に歌っちゃった」
「え、カラオケが目的なのでは?」
莉緒は飲み物を一気に飲み干す。
「真剣な話があったんだった」
「……」
その言葉に歌う気満々だった恵留も
流れ始めた曲を中断してマイクをテーブルに戻した。
「真剣な話って何ですか」
「九十九君、スマホ見せて」
「…」
莉緒は恵留の目をじっと見つめた。
「何で急に」
「…お父さんと連絡先交換してたよね」
「まあ交換しましたけど」
「やりとり見せて」
いつもであれば動揺しながら慌てる恵留。
そしてこの流れであれば素直に
莉緒の言うことを聞くところだろう。
無論、莉緒もそうなると思っていた。
「まず僕の真剣な話からしてもいいですか?」
でも違った。
「何急に」
「聞いて欲しいんです」
初めてみる恵留の真剣な表情。
莉緒は思わず「わかった」と答えてしまう。
「ありがとうございます」
「んで、何?」
恵留は数分前に莉緒がしたのと同じ様に
飲み物を一気に飲み干した。
「先輩は僕のこと好きですか」
「…………」
この男は今、何と言ったのだろう。
莉緒の脳内は理解ができずに完全に思考を停止した。
「は?」
「先輩は僕のことが好きですか?」
どうやら聞き間違えではなかったらしい。
もしくは恵留自体が壊れてしまったのか。
「何で私が君を好きだと思うの?」
「好きだと思うわけじゃないんですけど…」
「は?」
「実は少し前に綾瀬さんに告白されて…」
「ああ」
《そういうことか》
莉緒の中で何かの辻褄が合ってしまった。
恵留は最近ドタバタしていたこと。
いつも来るはずのない綾瀬澪が朝練に来たこと。
噂が流れているという割には綾瀬澪以外から噂について聞かれたりイジられたりすることがなかったこと。
勿論、周りの部員や同級生に友達と呼べる人や気軽に話す様な人と話すことが普段からないので裏で言われてるだけという線もあった。
「つまりは綾瀬さんと付き合うから私に好かれたら
困る、って言いたいわけ?だとしたら悪いけど、
君の自惚れが…」
「違います」
「は?」
「告白されても断ってるんで…」
「はぁ?」
恵留の話を簡単にまとめるとこうだった。
一、遊ぶ約束をした直後に綾瀬澪に告白をされた。
二、告白はされたけど断っていること。
三、綾瀬澪から自分(莉緒)と恵留が恋人だという
噂あるということを聞いたということ。
四、綾瀬澪が自分(莉緒)のことを嫌いだということ。
「話はわかったけど、それで何で私があなたを
好きということになるわけ?」
「噂になってるってことは僕か先輩の振る舞いが
そう思われるものだったのかなって…」
莉緒は思わず大きく深いため息を漏らしてしまう。
「残念だけど」
「自惚れがすぎるよ。《九十九恵留》」
マイクを手にして莉緒は強い眼差しで睨みつけた。
「……」
「別にあなたを好きとかそんなのはない」
「ならよかったです…」
「私は誰とも付き合わない。何でかわかる?」
「え、えーっと…」
いつのまにか恵留には普段の気弱っぽさが
戻っていた。
気弱に戻られてしまうと強気な言い方に
罪悪感を感じさせられてしまう。
「まったく…」
莉緒はマイクを手放し、ソファに浅く腰掛けた。
「強く言いすぎた」と先に謝罪を入れ、
前屈みになって頭を抱えた。
「じゃあ先に聞くけど、九十九君はなぜ断ったの?」
「僕には記憶力が乏しいっていう欠点があるので…」
「ほう」
「正直に結論から言います」
「僕も誰とも付き合うつもりはないです」
「そうなんだ」
目も泳がずまっすぐにこちらを見ている。
口数もいつもと大差ない
どうやら本当のことを言っているらしい。
「学生時代の恋愛は幻だと思うんですよ」
「それは同感だね」
人間というのは単純な生き物なのだ。
数少ない青春時代を謳歌しようと大人の真似事をする。
些細なことで好きになって
些細なことで嫌いになって
些細なことでまたくっつく。
そこに「愛」と呼べる感情は存在せず、
承認欲求や居場所、ヒエラルキーのトップに
立つためにただただ本能に従って錯覚をする。
無論全ての人とは言わない。
一部の人はその出会いから
一生を捧げる人もいるのだから。
「記憶力が乏しい分メモとか使ったりとか
身体に染み込ませたり、直前に名前を確認したり、
やり取りを見返したりして僕は弓道やレッスンを
こなしてきました」
「レッスン…やっぱり仕事の話進んでたんだね」
「はい」
恵留はスマホのトーク画面を開いた状態で
先ほどの莉緒の要求通りに差し出した。
「これは…」
トーク履歴は父親の嫌なところを詰め込んだ様な
ただただ見ててイラつきを覚える内容が話されていた。
基本的に命令口調なのがまた腹立たしい。
「明日、部活を休んで本番に臨みます」
「そっか。だから最近ずっと…」
「そうです」
莉緒はスマホを恵留に返し、ソファに寝そべった。
「…」
「先輩が誰とも付き合わない理由も一応、
聞いてもいいですか?」
「まあー……大体同じだけどね」
「今回の君の様に私と一緒にいれば、
一緒にいてくれた人は不幸になってしまうから」
「今回君がしてくれたことは嬉しくもあるけど、
当然申し訳ないと思ってるの」
そう言葉を紡ぐ莉緒は少し悲しそうな、
何ともいえない雰囲気を醸し出していた。
そんなこと思わなくていいのに。
恵留は素直にそう思ってしまった。
「不幸って、お父さんのことですよね」
「あれは人じゃないよ」
「そんなことは……」
「娘だろうが後輩だろうが妻だろうが使える
《道具》としてしか他人を見れない可哀想な生物」
「何て返答すればいいわからんです」
「だよね」
別に誰かを好きになろうと思ったことはない。
誰かと付き合いたいとも思ったこともない。
友達が欲しいと思ったことも、ない。
昔からただ自由になりたいと
そう願っているだけだった。
それを叶えられない父親に生まれたことが
人生最大の汚点だと莉緒は語った。
「だから私は誰とも付き合わない」
「じゃあよかったです」
「え?」
「考え方が一致してれば何言われても
逃げれると思って」
「………………確かにね」
「じゃあ今後もいい目標でいてください」
「じゃあ君は私の代役でいてね」
恵留は莉緒の言葉に「はい」と返事をして
左手小指を差し出した。
「何これ」
「指切りげんまんです」
こんなのもわかんないの?という不思議そうに
首を傾げる恵留に莉緒は思わず吹き出してしまう。
「子供じゃあるまいし…」
「じゃあ高校生っぽい意味合いをつけましょう」
「どういうこと?」
「左手は信頼とか精神面のスピリチュアル的な
意味合いがあるらしいんです」
「な、なるほど…?」
「先輩は僕好きにならないし、
誰のことも好きにならないーーこれを信じるって
意味で指切りげんまんしましょう」
「確かに高校生っぽい」
莉緒は恵留の差し出してる小指に
自身の小指を重ねた。
そして子供時代の様な指きりげんまん嘘ついたら…
という合言葉を奏でて指を切った。
「お互い信頼ですね」
「きもい」
「うっ…」
「じゃあここからはリベンジマッチといこうか」
莉緒はタッチパネルを操作すると、
先ほどの恵留が歌うのをやめた曲を二回分入れた。
「あ、歌えってことですか?」
「いや?フェアに行こうか」
「いい目標にならないといけないからね」
莉緒は始まった曲を先ほどよりも力を入れて
真剣に歌った。
「えぇ……」
莉緒の意図を理解した恵留が思わず、
項垂れてしまう程にレベルの高い歌声に
なっていたのだった。
――――――
「うん、君はまだまだだね」
結果は二時間のカラオケで十曲ほど勝負をし、
十勝零敗。
莉緒の圧倒的な勝利だった。
平均点数も九十七以上と平均九十四の恵留は
完膚なきまでに敗北してしまった。
「新人戦以外にもここもトレーニングしないと…
あぁでも仕事始まっちゃうと朝練が…
いやぁでも…あーもうっ、時間が足りない…」
「まあいつでも勝負は受けて立つよ」
「必ず勝ちます」
時刻は夕方となっており、
都内の高いビルが夕焼けを反射して街全体が
オレンジ色に輝いていた。
「明日、連絡待ってる」
「何かあれば報告しますね」
別れ際、そんな約束をした。
恵留が到着した電車に乗るとすぐに扉は閉まった。
ふと振り向いてみると、ホームで電車を待つ莉緒が
何か口を動かしていることに気がついた。
「君が後輩でよかった」
そう言ってるような気がしたが
扉が閉じてしまっていて確認ができないまま、
電車は出発してしまった。