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第3話 初経験〜そして違和感


五月の最初は豪華三連休が重なっている。

世間一般ではゴールデンウィークと呼ばれる期間に

莉緒の所属する弓道部は強化合宿という名目で

栃木県にある有名な合宿所へと向かっていた。

二泊三日、朝早い集合に移動中は眠る生徒が大半だった。

「九十九君、眠くないの?」

偶然隣になったのか、顧問に仕組まれたのかは不明だが

横で眠そうに欠伸をする恵留に莉緒は小声で声をかけた。

「もしいびきなんてかいたら先輩の睡眠を

 邪魔するので」

「気にしなくていいのに」

恵留は「お構いなく」と答え、

スマホをいじり出していた。

「じゃあ遠慮なく」

莉緒は寝顔を見られない様にタオルを顔にかけて

ゆっくりと目を閉じた。


――――――


「各自荷物を部屋に置いたら昼飯の準備、

 その後一時から練習開始するぞ」


合宿所についたのは十一時を回る頃だった。

莉緒は運良く一人部屋に当たったこともあり、

広々とした部屋と布団を独り占めできた。

ただし昼間はダラダラする時間などはない。

指示があった通りすぐに集合して昼食の支度をしなければならない。


「有栖、意外と手際いいんだな」

なぜわざわざ前に座るのだろうか。

数多くいる部員の中で敢えて、

選ばれる理由はないのだが。


「意外とって何ですか」


中学の林間学校を思い出すようなカレーを食べながら

何となくの返事をしてみる。

「今年は有栖と九十九コンビに期待している」

「……」


あまりそういう事を言わないでほしいものだ。

仮にもまだ三年生もいる状態。

初めての後輩が出来たばかりなのにも関わらず、

二年のインキャと期待の新人の名前を出されては

嫉妬や怒りに周りが飲まれてしまう。


「頑張ります」

「おい九十九!お前もだぞ!」

「は、はい…?」


片隅で恥ずかしそうに恵留が返事をした。


「……?」

恵留の様子に若干の違和感を覚えたが

莉緒は気にせずにカレーを完食した。


「よーし、じゃあ三十分後から練習始めるぞ」

 

そこから先の練習はいつもの部活とは

比にならない物だった。

走り込みは当然山中なこともあり坂道も多く、

いつも以上にに体力を奪われてしまう。

筋トレは道場ではなく無駄に外でやらされる。

その上休憩はあるもののほぼ一日練習…。


「今年きつすぎ…」


恵留を含めて新一年生は完全に魂が抜けている。

経験済みであるはずの二、三年生も半数は

魂が抜けそうになっていた。

莉緒は夕飯後部屋に戻るなり、

その場に倒れ込んでしまった。


「はぁ…」


あの日、父親と揉めた日から

父親からは不気味なほどに連絡が一切途絶えていた。

その代わり母親からのクレームは多発している。


「先輩、いますか?」


スマホを睨めっこしていると、

突然聞き覚えのない女子生徒の声が扉の外に響いた。


「どうしたの?」

「失礼します」


ゆっくりと開いた扉には恵留と同じ、

新一年生が気まずそうに立っていた。


「あなたは…」

「綾瀬澪です、九十九君と同じ新入生で…」


話したことのない後輩に思わず緊張感が

込み上げてくる。


「えっと、綾瀬さんはどうしたの?」


恐らくそれは彼女にも込み上げたのだろう。

「あ、お風呂の時間を伝えにきました」

少し声が強張った雰囲気をしている。

「ありがとう、もう入れるの?」

「はい!三年生が今出たみたいなので

 先輩達の番です」

「わかった、今行くね」


澪はぺこりとすると静かに扉を閉めて

その場を去っていった。

一連の会話をした感想は単純だった。

「あんな可愛い子いたんだ」


――――――――――

「あ」

「あっ」


入浴を終え、自室へと戻る途中で

何の因果なのか恵留と遭遇した。


「先輩…」


普段と違うプライベートな服装をした莉緒に

恵留の頬は少し赤く染まった。


「今からお風呂?」

「はい、次一年なので」

「割と大浴場で気持ちよかったよ」

「ほんとですか?」


恵留は莉緒に軽く頭を下げて浴場へ向かっていった。

彼の姿が男と書かれた暖簾の中へ消えたのを

確認すると、莉緒は合宿所を後にした。

途中、三年生から「消灯時間あるからね」と、

不機嫌そうな言葉を投げかけられたが

気にしていない。


都会とは違う星空や月の見え方は

思わず見惚れてしまう美しさがあった。

合宿所から三十分程歩いたところで

休憩スペースの様なところがあったので

遠慮せずに座らせて貰う。


この感動を誰かに伝えたくて莉緒は恵留に

一通のメッセージを送信した。

部屋から持ってきていたイヤホンをつけて

最近ハマっている曲をかける。

一人の空間になると自由になれた気がした。

思わず歌詞を口ずさんでしまう程には

気を緩めてしまっていた。

そんな事をしながら待っていると、

突然背後から「先輩?」という声が聞こえた。

 

「お、きたきた」

「呼び出したの先輩でしょ?」

「うん、この感動を伝えたくて」

「感動?」


ほら、という様に莉緒は空を指差した。


「確かに凄いっすね…」

「綺麗でしょ」

「はいかなり」

恵留の言葉に嬉しさを感じる。


「てか九十九君さ」

「はい?」

「今日、昼間…また記憶飛んでたでしょ」

「うっ…」


昼間の違和感をど直球で聞くと、

恵留は少し気まずそうな表情を浮かべた。


「そんなことはないんですけど、

 一瞬ド忘れしかけてました……」

「そんなに突発的に消えちゃうんだね」

「すいません…」

普段部活をしている際は普通に見えるが

時折、ふとした瞬間に現実を思い出す。


「物覚えが悪かったり記憶が思い出せなかったり、

 急にド忘れしちゃったり……」

「事故にあったんだっけ?」

「昔事故で両親が死んで自分だけ脳に障害を残して

 生き残ったんです」

「なるほど」


満点の星空には合わない重めの話に

莉緒の表情は固くなってしまう。


「すいません、この話やめましょう」

「ううん、私の方こそごめんね」

莉緒は奥に詰めて隣に恵留を座らせた。


「九十九君も聴く?」

「いいんですか?」

「いいよ、好きじゃなかったらごめんね」

片方のイヤホンを恵留が装着したのを確認して

莉緒はスマホの再生ボタンをタップした。


「あ、これ…」

「知ってる?」

「僕も好きなアーティストです」

「ほんと?」

話を聞くと共通の好みが多いことがわかった。

平日の過ごし方は?

「家でゆっくりする」

好きな動物は?

「うさぎ」

誕生日は?

「三月九日」

というように基本的に好みは合う。

誕生日は同じ日の生まれ。


「部活で忙しいので休みぐらい寝たいです」

「わかる。お母さんの手伝いはさせられるけど、

 休みは寝たい」


誰もが共通しそうなことでも

共感されるのはとても嬉しく感じる。


「お母さんの手伝い?」

「あぁ…えっと配信者だから」

「なるほど…」

「ちなみにこの事は君に伝えるのは二回目だよ」

「えっ…すいません…」

「いいよ」


莉緒は所々、恵留の反応を楽しみながら

星空の下で初めて出来た後輩との会話を楽しんだ。

「楽しんだ」人との会話をそんな風に思えたのは

初めてのことだった。


「あ、そろそろ戻らないと…」

「あぁ、消灯時間あったね」

「行きますか?」

「九十九君はもう眠い?」

「いやそんなことは…」


莉緒は「もう少しだけ」と伝え、

また音楽を再生した。


「九十九君は家族のこと覚えてるの?」

シンプルな疑問を莉緒は恵留にぶつけた。


「んーぼんやり顔ぐらいは?」

「そっか」

「先輩は家族が嫌いですか?」

「嫌い」

「…」


莉緒の即答には恵留はいつも通りの

気まずそうな表情を浮かべた。

「じゃあそんな九十九君に質問です」


莉緒は恵留のイヤホンを外し、

自分のポケットにしまった。

恵留の前に静かに立つと深く呼吸をした。


「なぜ私が家族を嫌うか分かる?」


いつもの莉緒とは違う声色と表情に恵留は思わず、

息を呑んでしまう。


「あの…」

「割と簡単な質問だよ?」

「んー……土日に手伝わされるから…とか?」

「まあそれもあるね」

「は、はあ…」

恵留は正解を見つけようと必死に頭を回転させる。

側から見れば真剣に考えてることが一目でわかる。

「ごめんね、辞めよう」

莉緒は罪悪感に駆られ、

結局答え合わせをやめてしまった。


「え?」

「帰ろう」

「答え合わせは…」

「んー…」


莉緒はしばらく考えた後「いずれ、ね」と

秘密めいた笑みを投げかけた。


「は、はい…」

「君はいつも必死で可愛いね」

「っ…」

莉緒は踵を返して合宿所へ戻っていった。

恵留は糸が切れた様に暫く口を開けたまま、

動くことができなかったのだった。


――――――――

「九十九君」

「ん?」

翌日、恵留は練習の最中突然同級生から

声を掛けられた。


「えっと…」

「あ、ごめん、私綾瀬澪って言うんだけど…」

「綾瀬さん、どうしたの?」

顧問や莉緒以外には記憶の話は伏せていた。

いつも恵留はあたかも覚えていたかの様に振る舞う。

「ちょっと教えて欲しいんだけど…」

「ああこれはね」


綾瀬澪は恵留や莉緒、

他の部員と大きな違いがあった。

それは弓道が未経験であること。

正真正銘の初心者からのスタートであることだった。

本来であれば莉緒と恵留といったように二年生が

面倒を見るのが普通だ。

しかし莉緒は恵留のペア扱い。

完全新人を教えれるほどの余裕を持った

二年生もいない。

三年生の練習に付き合う方で忙しく、

合宿中は放置されてしまう。

「だからまずは筋力をつけて…」

「なるほど、じゃあ走り込みした方がいい?」

「うん、そうだね。僕も行くよ」

この様に恵留が面倒を見ているのだった。


――――――


「おお……すげえ……」

「ん?」

走り込みから戻ってくると、

弓道場が異様な賑わいを見せていた。

「何だろう?」

「いってみよっか」

恵留は息切れをしながら水分を取る澪を連れて

賑わう道場の方へと向かった。


賑わっている原因は簡単なものだった。

「っ……」

「ふぅ……」

そこでは三年の部長と莉緒の一騎打ちが行われていた。

莉緒の圧倒的な実力に盛り上がりを見せていたのだった。

「凄い…」

「……あっ」

初心者の澪ですらその凄さを痛感していた。

元中学生県大会優勝のエリートの名は伊達じゃない。

あまり記憶力がない恵留の脳裏にでさえ、

初めて見た朝練の時の印象は名前や顔こそ覚えられて

なかったが感動は思い出せるほどだった。


「次!…………おっ、九十九戻ったか」

「へ?」


三年の先輩が悔しそうに下がる中、

顧問は大声で恵留の名前を叫んだ。

「次はお前が挑戦してみろ」

「えぇ……」

「新人戦の前試合だよ」

「……はい」


そのやり取りの様子を莉緒は真剣な眼差しで

見つめていた。


「お願いします。」

「こちらこそ」


二人は同時に矢を射った――――。


――――――

当然、結果は惜しくも敗北だった。

「はあ…」

「綾瀬さん?そんな落ち込まなくても…」

「私あんな風になれない…」


試合後の夕食では昼間の繋がりから

恵留は澪と食事をとっていた。

「あの人もう6年ぐらいやってるから」

「いやでも同い年の九十九君も…」

「僕も同じくらいやってるよ」

「うーー…」

中学時代とは言え、県トップクラスの実力二名を目の当たりにして澪は絶望してしまっていた。


「綾瀬さんは綾瀬さんのペースで楽しもう」

「と、とりあえず新人戦じゃなくて

 来年の大会でいい成績残せる様に今は頑張る」

「僕も頑張らなきゃ」

「うん下剋上して」

「下剋上って…」

割と強気なことを言うんだ、と恵留は内心感じたが

その感想は心に留めておくこととした。


「じゃあ私、行くね」

「うん、綾瀬さんお疲れ様」

「九十九君もしっかり休んでね」


先に食べ終えた澪はそそくさと

食堂から立ち去っていった。

「ふぅ……」


記憶に障害を得てから人と関わらない様にしてたこともあり、普段しないことをした恵留の脳は黄色信号を照らしていた。


「優しいじゃん」

「!」


気づけば恵留の背後には莉緒の姿があった。

「有栖先輩…揶揄わないで下さい」

「君は相変わらず上手いね」

「…負けた相手への嫌味ですか」

「そんなつもりないよ」


莉緒は笑いながら恵留の肩を優しく叩いた。

「今日は勝てたけど新人戦、楽しみにしてるよ」

「はい、頑張ります」

「じゃあ……私も部屋戻るね」


恵留の脳裏に昨日の莉緒の風呂上がりの姿が

突然思い出された。

「……」

「変なこと想像しないで」

「してません」

「王道のやりとりだね」


莉緒はそういうと、振り向かずに手を振って

食堂から出ていってしまった。

不思議なことに記憶を曖昧にしてしまう恵留の脳は

なぜか莉緒の姿だけは明確に覚えてしまっている。

昼間の試合を遠目から見た時、

そのことを恵留は自覚した。


合宿も残り半日。

恵留は妙な感覚を振り切るように夕飯をかき込んで

口をパンパンにしながら大浴場へ向かうのだった。


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