第1話 出会いそして再会
「あぁ」
午前五時――隠れていた太陽が淡い光で暗闇を照らす。
徐々に明るくなっていく部屋。
その中には生命活動をギリギリ維持する一人の女の姿があった。
目の下には真っ黒な隈を作り、机に飾られた高校時代の写真とはまるで別人の顔になっている。
机に乱雑に並べられた筆記用具は本来の役割を果たせなくなっている。
「お預かりしますね」
「お願いします」
依頼していたバイク便の男性に分厚い封筒を渡して
女の最後の仕事は幕を閉じる。
「なぁんだ。最後の一本か」
散らかった部屋から見つけた潰れた煙草の箱。
火をつけ、ゆっくりと煙を体内に吸い込む。
「メグ。これでまた会えるよ」
この人生で唯一愛したヒトに語りかけると未だに涙が
込み上げて溢れてしまう。
半分以上残った吸い殻を灰皿に捨ててゆっくりとベランダへと足を運んだ。
「ふぅ……」
深く深く息を吐いて女は空を見上げた。
女の頭の上を数羽の雀たちが鳴きながら去っていく。
その姿を追うように女は身体を宙に放り投げる。
重力に逆らえずに落ちていく間に蘇るのは
たった数ヶ月前の記憶だった――。
――――――――――――
〜五年前〜
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「あ〜疲れた。莉緒〜カメラ止めて」
「うん」
都内に住む高校生『有栖 莉緒』は母親に言われ、
1時間近い撮影をしたカメラの録画ボタンを停止した。
春休みだというのにも関わらず、莉緒は有名配信者である母親にアシスタントを手伝わされる日々を送っていた。
「お母さん、私もういい?」
「うん、いつもありがとうね〜」
莉緒は母親にカメラを渡して自室へと戻っていった。
机の上には新学年から使う教科書や新しいノートが散らばっている。
「春休みってなんでこんな短いのかなぁ…旅行も行けてないし結局お母さんの仕事の手伝いしかしてない」
そんな愚痴を漏らしながらもリュックへ教科書を詰めて
明日に向けての支度を進めた。
テレビをつければ決まって卒業シーズンならではの音楽番組やそんなテーマの番組やニュースばかりだった。
どこの桜が咲き始めたとかこの時代の卒業ソングはこれだとか……。
{いや〜娘がね、この曲好きなんですよ!
毎日聞いてて飽きないの?って聞いたら〜}
「……こんな曲知らないし」
テレビから聞こえる聞き慣れた声にどうしても表情が歪んでしまう。
嫌な顔を見ないようにテレビの電源を切り、
莉緒は自分のベッドに寝そべった。
時刻は既に夜の十一時を回っている。
朝から一日母親の手伝いをして終わったのは八時。
そこからご飯を食べてお風呂に入って支度をして……。
ゆっくりと目を閉じた莉緒はそのまま深い深い眠りへと誘われていくのだった。
「おはよう。お母さん」
「あ〜莉緒、おはよう」
朝を知らせる鬱陶しい日差しに起こされ、莉緒は用意されていた朝食を口にする。
机には三人分の食事が用意されているが一人分にはラップが施されていた。
「お父さんは…」
「どーせ帰ってこないわよ。でも用意しないと怒られるし、形だけでもね」
「ふーん」
この母親は何故父親と結婚したのだろう、
と興味が湧いてしまう。
だが下手のことを言って気まずい空気にしたくなかった。
莉緒は空気を読んでその思いを心のうちに留めた。
「行ってくるね」
食べ終えた食器を片付け、
母親に見送られながら莉緒は自宅を後にした。
部活の朝練をする為にかなり早い電車に乗る為、
テレビで見るようなおしくらまんじゅう状態の電車に乗ることはない。
今日に限って座席にも座れてしまったせいで
考え事をしやすくなってしまう。
莉緒の心配していることはただ一つ。
自分も先輩になってしまうこと、だった。
当然のことだが高校二年生になるということは
高校一年生―つまり後輩ができるということ。
友達のいない莉緒にとっては憂鬱なことだった。
車内に最寄り駅のアナウンスが流れ、
渋々と莉緒は電車を降りた。
「行くかぁ」
覚悟を決めて駅から学校までの道のりを重い足を動かして向かっていった。
「あれ…?」
朝、誰も人がいない筈の道場に一礼をして
足を踏み入れるとそこには見たことのないスニーカーが
丁寧に横に揃えて置かれていた。
自分以外に朝練に来る部員がいることに驚きはしたが
顔馴染みである以上緊張する理由はない。
莉緒は定位置に荷物を置いて道着に着替えを済ませた。
「失礼します」
誰がいるかが不明な為、念のため挨拶をして練習場の扉を開けた。
その瞬間、莉緒の目に入ってきたのは
射られた矢が綺麗に的のど真ん中に命中する様子だった。
「…………」
何より驚いたのはその射った人物だった。
「ん?」
「………………誰」
見たことのない人だった。
身長は平均的で丸眼鏡をつけた男子生徒。
莉緒の脳内は必死にそれに当てはまる部員を探したが
部員の誰にも当てはまらない生徒だった。
「もしかして……」
「あ、今年からこの高校入ります。九十九恵留って
いいます……先輩ですか?」
淡々と自己紹介を済ませる後輩。
思わず呆気に取られてしまった。
「あ、あの……」
「あぁごめんなさい。えっと二年の有栖莉緒です」
人見知りが思わずモロに出てしまった莉緒は
少し気まずそうに恵留から目を逸らした。
「えっと九十九君?でいい?」
「はい、大丈夫ですよ」
「弓道部入るの?」
「一応やってたので…」
「そうなんだ」
朝七時の弓道場に気まずい空気が流れる。
「えっと…気にせず続けて?」
「あ、はい!」
莉緒の言葉に恵留は少し嬉しそうに練習を再開させた。
吸い寄せられるような綺麗な構えから放たれる矢は
綺麗に的に命中をした。
そこから恵留は何本も打ったがそのほとんどが
的の真ん中に綺麗に命中していた。
上手いなこの子、と莉緒は素直に感心をしてしまった。
「先輩はやらないんですか?」
「へっ?」
不意に声を掛けられたことによって変な声が出てしまい、
恥ずかしさに脳がフリーズしてしまう。
「あ、すいません」
「ううん、私も隣失礼するね」
莉緒は恥ずかしさを振り切るように朝練の準備を始めた。
軽くストレッチをしている間にも恵留は驚く程の命中率で当てていく為、変なプレッシャーを感じてしまう。
情けないところは見せれない、莉緒はそう意気込んで
まるで全国大会の決勝戦かのような表情を見せた。
そんな気迫の一撃は吸い込まれていくように
的のど真ん中に命中した。
勿論ここで気は抜かない。
しっかりと残身を残し、構えを解いた。
よかった、と心の内で呟きながら少し心配そうに横に視線を向けた。
「すげえ…」
「え?」
そこには目を子供のように輝かせた恵留が軽い拍手をしていた。
「ちょっと。やめてよ」
「有栖先輩って弓道上手いですね」
「歴が長いだけだよ」
「長いだけとは思えないです」
変なテンションの後輩に褒められ、
莉緒は思わず少し照れてしまう。
「君も十分上手いよ」
「そうですか?ありがとうございます」
素直な後輩を見ていると思わず笑みが溢れてしまった。
「ほら。早く練習するよ」
「はい」
そこからは特段会話はすることはなく淡々とお互いに
朝練を進めていった。
そもそも新入生が朝練ってしていいものなのか?
という疑問は若干残るものの敢えて指摘するほど
校則や先生の犬ではない。
「じゃあ正式に入部したらまた」
「はい、放課後またきますね」
予鈴が響いたことによって初めましての後輩との
初めての朝練は終わるのだった。
「それでは今年度も生徒同士切磋琢磨をして各々の志望大学に入学できるよう準備をしていってください」
莉緒の通う高校は都内でも有数の進学校のため
教師も生徒も意識が高い者が多い。
その分、生徒同士のライバル意識が高いのかと言われると特段そういう訳でもない。
「ねえねえ莉緒、ここの問題なんだけどさ」
「それこの前も教えたと思うんだけど……」
「あり?そうだっけ?」
「だからここはこうやってやるんだよ」
莉緒の唯一の話せるクラスメイト伊藤加奈は
何故この進学校に受かったのかがわからない時がある。
確かに文系科目はかなり成績がいい。
しかし理系科目に関してはかなり悲惨な成績だった。
「莉緒はなんだかんだで教えてくれるから優しいよね」
「教えないとしつこく言ってくるでしょ?」
「まあ当然っしょ?」
「もう……」
その後莉緒たちは新学期早々実力テストという名目の
春休みの課題の抜粋テストを受け、
初日の登校日を終えるのだった。
「じゃあね、莉緒」
「うん、また明日」
部活が違う為加奈とは教室で別れた。
そもそも友達という訳でもないので
長時間一緒にいる理由はない。
莉緒は駆け足で部室まで向かうのだった。
「あれは……」
弓道場の近くまでやってきた莉緒は
数メートル先に今朝出会った新入生、九十九恵留がいるのを発見した。
勿論声を掛けるほどの仲ではないのは重々承知をしていた。
しかし、朝のこともあったので莉緒は悩んだ挙句に恵留に声を掛けるのだった。
「えっと…九十九君?」
「え?」
恵留は急に声を掛けられたことに驚いたのか
不審そうな表情を浮かべていた。
その顔を見た瞬間莉緒は後悔した。
馴れ馴れしすぎた、と。
「あ、あの…九十九君、だよね?」
「そ、そうですけど…」
「朝はありがとうね」
「朝…?」
何か様子がおかしかった。
朝話した時の彼とは何か雰囲気が異なっていた。
「朝練で会ったよね?」
「えっと…あー…誰なんでしたっけ…?」
「あ、ごめん、そうだよね」
朝のたった一時間程度話しただけで名前を覚えてもらえてると調子に乗ってしまっていた。
初めて出来た後輩だ、と舞い上がっていた自分を
ひたすらに心内で責めるのだった。
「一応朝練一緒にした有栖莉緒…二年生です」
「あ……あ、有栖先輩…すいません」
「ううん、私の方こそごめっ…」
「違うんです」
「え?」
恵留は食い気味に莉緒の言葉を遮った。
話を聞くと恵留は幼い頃に事故に遭い、
物事を覚えにくくなってしまっているらしい。
つまり、一種の記憶障害を患っているとのことだった。
「だからすいません…今思い出しました…」
「変に声かけてごめんね」
「いや、ありがとうございます。こんな風に話しかけてくださって嬉しいです」
「よかった。じゃあ部活行く?」
「はい!」
莉緒は少し安心をして胸を撫で下ろし、
彼をリードする様に部室へと向かうのだった。
「あ、てか今日部活ないじゃん…」
「え?」
今日は入学式初日。
テストもある兼ね合いで部活は簡単に言ってしまえば、
自主練のみだった。
つまりは顧問も部室には来ないため入部届を提出することは出来ないのだ。
「えっと…帰ろっか」
「はい、帰りましょう」
「ごめん」
「いやいや…」
莉緒は顔を赤くしながら恵留と共に駅までの道を
進んでいくのだった。
「先輩って弓道長いんですか?」
「五年ぐらいだよ」
「それであんなに綺麗なんですね」
莉緒は瞬時にツッコミを入れたくなった。
絶対君の方が上手いでしょ、と。
「ありがとう」
勿論そんな言葉を飲み込んで感謝を述べた。
「九十九君は長いの?」
「一応小学校からやってるんです。まあ人の顔は覚えられないし、先生の名前もなかなか覚えれなくてボッチでしたけど…」
少し気まずそうに頭を掻く恵留だが
そんな恵留に莉緒は何か近いものを感じていた。
「私もボッチだよ」
「え?」
「人とあんま仲良くなれないんだ」
「え、そうなんですか?」
莉緒は友達がいない。
理由は簡単――家庭環境が特殊だから、である。
母親は有名配信者であり父親は……。
要は小さい頃から有名人の子として腫れ物の様に扱われ、
気安く話しかけてもらえなかったのだ。
莉緒自身もポジティブな性格でもアクティブなタイプでもないので結果的にボッチを引き起こしたのだった。
「…………」
「ん?九十九君?」
「あの…すいません…」
あぁ、またこれか。と莉緒はため息を漏らしてしまう。
いつも自分の身の上話をすると引かれてしまい、
最終的に話す機会が極端に減るのだった。
「あ、あの…」
「いいよ、無理に話さ…」
「先輩のお母さんとお父さん…って有名なんですか?」
「・・・・は?」
想像していたことと全く違う言葉に莉緒の思考回路は
ショートしてしまう。
「えっと…一応…?昨日の夜もテレビに…」
「ごめんなさい、全く知らなくて…」
「・・・」
「はははっ」
莉緒は思わず笑いが込み上げてしまった。
同時に自惚れたことによる恥ずかしさも込み上げてしまう。
「ごめんごめん。そうだよね。知らない人もいるよね」
「すいません」
「謝らなくていいよ。自分が恥ずかしくなっちゃった」
「今日見てみますね」
「いや、見なくていいよ」
「ええ知っといた方がいいのでは…」
莉緒は困惑する恵留に対して何か感じたことのない感情を抱いてしまった。
「九十九君、面白いね」
「いやそんなことはないです」
「じゃあ私こっちだから」
困り顔の恵留に軽く手を振って莉緒は丁度来た電車に急いで乗り込んだ。
莉緒は電車の座席に座り、スマホで自分の両親の名前を
検索をかけた。
当然メディア露出もここ数年で増え続けた父親は
簡単にウキぺディアや色んなサイトで特集を組まれている。
母親は連日の投稿や動画投稿サイトのオフ会映像や
配信者事務所の運営者としても特集を組まれていた。
普通に接してくれる同年代がいたことに
嬉しさを感じてしまう。
知らない間に電車は最寄り駅に着き、
息が詰まる自宅へ帰ってきてしまった。