6節『Three times Battle』
先手を切ったのは、樫木のほうだ。彼の両手に握られた群青の太刀『青電』が、跳躍した樫木と共に、神父の命を刈り取らんと凶刃を走らせる。稲妻が如き一閃が、修道服の男の眼前にまで迫る。だが、男は一切の回避行動を示さず、
「俊敏だが脆い。凶悪だが弱い。貴様の一閃が、私を捉えることはない」
その一突きを、右腕だけで防いでみせた。『青電』の刀身が、神父の肉を喰むことはない。神父は笑いながら、鬱陶しそうに刃ごと樫木を吹き飛ばす。眼前でクロスガードをする樫木に追い討ちをかけるべく、神父は地面を蹴り、空中を駆る。まだ体勢が整っていない樫木との距離を詰める。
だが、樫木も伊達に『異端狩り』の人間ではない。組織で鍛え上げられた判断力を以ってして、防御の一手を展開する。相手の攻撃手段は素手だ。それ故に、単純火力は低いはず。しかし———
(……『青電』の一撃を防ぐなんて、何者なんだ。直前に魔力を込めた動作もなかった。あいつは、あの一瞬で何をしたんだ?)
樫木の頭の中に懸念があった。本来、樫木の第一武装である『青電』は大木すらも一振りで両断するほどの切れ味を有している。その刀が、人間の命を奪えなかった。神父が生還した道理はわからないが、その“理由”にはおそらく彼の魔術特性が関わっているはずだ。で、あれば。それを攻撃に転用することも 、不可能ではないはず。それを考慮して、樫木は神父の拳が直撃寸前で防御術式を組み替える。
「……穿孔」
「……ッッッ!!!????」
だが、樫木の防御は成功しなかった。神父の直前の詠唱によって、樫木の防御術式は破壊された。神父の拳は、樫木の顔面を捉え、その身体をネットへと吹き飛ばす。
「瞬間的な魔術の組み替えは素晴らしいが、精度が低いな。一つでも脆い場所があるなら、そこをついてやれば、容易に瓦解する。その詰めの甘さは、所詮子どもと言うわけか」
神父は手袋についた砂を払いながら、激痛にうめく樫木の元に近づいていく。樫木の視界が揺らぐ。叩きつけられた激痛に悶えて、身体が思うように動かせない。第一武装である『青電』も手放してしまった。背の高いネットに背中を預けながら、樫木は殺すべき敵に視線を浴びせる。
「はあ……『異端狩り』を舐めるなよ……」
「……負け犬の遠吠えだ」
当然、今の樫木に反撃の余力はない。神父の一撃は存外、少年の身体に響いた。『青電』を振るう気力もない。神父は、その様子に違和感を抱いていた。負け犬の遠吠えと言ったものの、アレがあんな甘い攻撃だけ終わるはずがない。しかし、彼はその違和を切り捨てて、さらに歩みを進める。
1歩目。2歩目。
そして、3歩目でソレは炸裂する。
「……やるな」
『砂の蔦』が神父の左足に取り憑き、その歩みを阻害する。
樫木は荒い息を吐きながら、立ち上がり、第二武装『両翼』を展開する。第二武装『両翼』は一対の刃だ。左手に握るは、紅炎を纏う短刀『赫』。右手に握るは、蒼焔を纏う短刀『蒼』。
樫木は『蒼』を空振りして、真っ直ぐな視線を神父に向ける。
「答えてくれ。何のために、宿儺を復活させる」
神父は後方で新たな魔術を展開しながら、飄々と答える。
「この国を、変えるためだ」
その答えと同時。樫木は神父の回答を斬り捨て、爆発的な跳躍を行う。距離の制圧で一瞬であり、歓声があがるほどの動きの良さだ。そして、赫と蒼の一閃が同時に振るわれる。神父の顔を挟み込むように、美しい鉄の刃が迫る。神父はその両刃を両手の甲で防御し、左足から『砂の蔦』を振り払い、蹴撃を繰り出す。空気を割くような、高速な一撃。
自身の腹を目掛けて放たれた蹴撃を、樫木は『赫』と『蒼』を交差させて盾をつくり、防御する。樫木は蹴撃に込められたエネルギーを、後方跳躍へのエネルギーに変換して、神父と距離を取る。だが、それにとどめを刺すべく、神父の術式が発動される。上空に展開された魔法陣が生む『鉄針』の雨。それらが全て、標的の命を奪わんと降り注ぐ。
無論、樫木はそれを察知する。視線を上に向けて、防御術式——透明無色の魔力の壁を組み上げる。鉄針の雨はその防壁に弾かれ、敵の心臓を穿つことはできない。樫木は自身の爪でブレーキをかけながら、グラウンドの地面に着地する。そしてすぐさま攻勢に転じるべく、地面を蹴り上げようとしたとき、
「攻撃とは、『雨』だけではないぞ」
その言葉を聴いた瞬間、樫木の頭の中でアラームが鳴り響く。脳内に伝わった危険信号は、樫木の首を狙う『突き上げの針』の存在を気づかせる。間に合わない。回避行動では、自身の命は終了する。それを咄嗟に判断した樫木は、自身の右腕を犠牲にした防御行動を選択する。
「ッ……!」
金属が肉を喰む衝撃に視界が揺らぐ。
樫木は苦痛に奥歯を噛み締めながら、後退する。戦況は誰もがみても、樫木の劣勢だと理解できる。
背中の激痛。右腕の深傷。劣勢でありながらも、樫木は左手に握る『赫』を放すことはない。
「まだやるか、異端狩り?」
神父は余裕の笑みを問いかけながら、深手の青年に問いかける。今の樫木には、息を荒げて敵を睨むことしかできない。油断したら意識が飛びそうなくらい———彼の精神は擦り切れている。
沈黙の時間が過ぎる。神父は、死に体の青年にトドメを刺さんと、樫木の頭上に『鉄針の雨』を展開する。
「返事はないか。つまらん闘いだったよ。では、死ね——」
樫木の後頭部、心臓、四肢を目掛けて針が注ぐ。
「……泥壁!!」
だが、瞬間的に樫木を中心として泥の壁が立ち上がる。
その泥壁は、致命の一撃の雨を遥か彼方へと跳ね返した。
(まだやるか……しぶとい子どもだ)
神父は考察する。今の一瞬の出来事は、脳内回路を割いてでも考察する価値があると判断した。
(先の砂の蔦……あれは水の魔力元素を用いて状態を変化させた結果……なるほど。地の利は彼にあったようだな)
樫木の命を繋いだのは、水の秘術であった。『異端狩り』は優れた魔術使いでもある。やろうと思えばいつでもできたことだろう。ただ分が悪いのは、戦闘地が砂地ということであり———
「……化け物め」
そして、神父はその地の利が致命的であることをすぐに理解した。気づけば、樫木は自らの視界の中には居ない。
———巨大な影が、神父の姿を覆う。
いざ仰ぎ見よ、小さき者。
樫木は自身の足元に運動場のすべての砂を集め、水の魔力元素を混ぜ込んで、巨大な“峠”を作り上げる。樫木は屋上に匹敵する高さから、自身を追いやった敵を見下ろす。
まるで、小さな蟻を見るように。
無力な羽虫を潰すように。
神父は少年の圧倒的な目力に、少しだけ足をすくませる。
同じ人間のようには思えない。その眼には、凍土のような冷たさが宿っている。その時、神父にある記憶が蘇る。
『“異端を狩る者”は基本的に人外ばかりだ。ああ、もちろん比喩さ。けどロクなのがいない。破綻者ばかりさ』
的を得た言葉に、つい口元が緩む。
樫木の手が上空へと昇る。視界に映る少年は、手のひらの上に巨大な“渦潮”を創り出している。それが魔力元素のうねりが具現化した結果、というのは、神父には容易に理解できた。だが、神父とて戦闘者だ。こんなところで死ぬ器ではない。今の『異端狩り』に油断はない。あの『渦』はおそらく、現行の最大火力。全てを押し流す青の激流。ならば。
「防御術式機構、最大展開」
「激流•蒼界波ッッ!!」
神父は防御を選択する。振り下ろされる人工の津波を、男は生身で受け切ることを選んだ。空から超質量が降り注ぐ。圧倒的な暴力。絶対的な死。樫木は勝利の確信に表情を変えることはない。ただ、押し流される虫を見届けるように———冷たい視線を地上に突き刺す。
神父は、空からの暴虐を受け続けている。ギリギリで展開した防御術式『神盾』は、神秘の大波から神父を守り続けている。神父の術式は、宿儺の援助を得ていることで、その性能を向上させている。それ故に、破壊されることはないが———
(……圧されるのも時間の問題か。ここは退散だな)
神父は『神盾』を背に、かつてグラウンドだった地平を進む。樫木からの追い打ちを警戒して、目眩しとして煙玉を投げる。白い煙が校内を包み込む。神父は、その白霧の中に姿を消し——校庭には、少年のみが残った。
▼△
「……はぁ……あっ……グッ……」
土の断崖が緩やかに崩れていく。偽りの地平が、その姿を失くしていく。『異端狩り』の少年は胸を抑えながら、荒れた息を整える。樫木は、神父との戦闘で体力を摩耗した。彼に取って、この消耗は意外だった。ただの“人間”との戦いで、ここまでの切り札を使わされるとは、完全に予想外だったからだ。
黒い煙の幕は未だ途切れていない。条件は達成した。樫木もまた、傷を抑えながら、校庭をゆっくりと去る。
———ただ、基地まで歩く体力なんて、残ってはいない。
樫木はその意識を暗闇に落として、煉瓦造りの壁にもたれかかる。
▼△
一方で、『先生』は事案が起きた教会の目の前に立っていた。『身体強化』の魔術を足にかけることで、一駅離れた魔境へとビルの壁を伝ってやってきた。
「———」
男は思わず息を呑む。教会の荘厳さに、ではない。森の中を包む異様な雰囲気に、でもない。『先生』の衝撃の理由は、目前の存在の容姿にある。教会の扉の前に、ソレは立っている。
「……秋本」
秋本リョウ。自身が担任として持つクラスの生徒。特徴的な青髪のショートヘアを視認して、彼はそうであると判断する。しかし、その中にあるモノは違う。在り方が異常で、身に纏っている空気が異端だ。
『先生』はその異常を察知して、拳に魔力を込める。
「どうしたの先生? そんな顔をして」
秋本リョウは、いつも通りの、清々しい笑みを浮かべて男に問いかける。その言葉に、『先生』の魔力装填が緩まる。その動揺を狙うかのように———
「ガァッッッッ!!???」
黒い靄のような爪が、『先生』の身体を貫き、そして、肉を食む爪を勢いよく引き抜く。『勝利』を確信した黒い靄の主は、ゆっくり先生へ近づいていく。血の滴る音が、女の足音と重なる。
「なあんてね。そんなわけがないだろう、人間。蒙昧な夢からは醒めるべきだ。熱血も結構だが、思考が飛んでしまってはどうしようもないな」
地面に倒れ伏す男の隣で、生徒だったモノは口角を醜悪に吊り上げていた。