4節『強奪』
それから2日ほど時が過ぎた。『集合場所』の最寄駅の改札に掲げられた掲示板にこうあった。
『2020年4月16日 日曜日 12:55』
屋外で、ご丁寧に西暦まで教えてくれる時計はそうそうないだろう。珍しい、と感想を抱きながらシンジは駅構内を歩く。
今日は部活動の日だ。シンジの属する『オカルト調査研究部』は毎週日曜日と水曜日を活動日としている。水曜日は教室で打ち合わせ。日曜日は屋外での実習・調査といったところか。
『集合場所』というのは、シンジの地元の戸川から二駅離れた森岡駅の改札前だ。森丘は戸川と打って変わって、閑静な田舎町だ。別世界、という感想をシンジは当時抱いた。自然が取り残されたままの原風景。何人も侵害することができない、原始の在り様。多くの緑で覆われたその町は、来客の心を安らかなものにする。シンジは、『オカルト調査』という名目で森丘やってきた。まるで似合っていない。
シンジが改札を抜けると、切符売り場の前で立っている女性を発見する。
(先輩は相変わらずジャージなのか……)
そこには、端正な顔立ちからは、想像できないほどのぶっきらぼうな装いをしている先輩がいた。秋本リョウ。戸川高校の3年生。シンジと同じく、『オカルト調査研究部』に属している。彼女の通う高校は私服制だ。女性陣からしてみれば、格好のオシャレチャンスであるはずだ。なのだが。
『……それ、毎日服考えるのめんどくさくない?』
それからというもの、彼女はジャージ登校一筋なのだ。2人は挨拶を交わし、雑談しながら目的地を目指す。今回の目的地である森には名前がついている。『森丘森林』。区画整理が行き届いていない自然の領域であり、多くの種類の虫や鳥を観察することができる。開発できない理由は、シンジが知っている限りでは一つだ。それは、自然を犯すと祟りが降るという噂。もちろん、シンジは以前この調査に赴いた。たとえその祟りの現象を観察することができないとしても、その噂が立つ原因程度は調べればわかるのではないか、と考えたからだ。結果は壊滅的だった。それ以来、シンジがこの森に近づくことはなかったのだが。このような成り行きで再び向かうことになるとは、当人も想像していなかった。
「ここだね」
秋本は、『森丘森林』の入り口の手前で立ち止まる。シンジもそれに合わせて、立ち止まることにした。そこは、まるで異世界に繋がるゲートのような———異様な雰囲気を纏っている。『準備はできた』とでも言うように、シンジに一瞥を送った後、秋本は再び歩みを進める。彼もその後を追う。
両面宿儺の死体。それが今回の実習における最重要調査対象だ。曰く、それは奇形の武人。天から齎された力は、彼の在り方を狂わせた。最終的にはとある人物に討たれたそうだ。シンジは曖昧な知識を反芻しながら、森の中を征く。
「けど、両面宿儺の死体なんて本当に現存してるのかな。千年以上前の人間なのに」
「ガセの可能性は捨て切れないね。画像なんていくらでも加工できるし。まあけど、それは私たちが調査をしない理由にはならないし」
秋本は軽快な足取りと共に、言葉を紡ぐ。
「そういえばだけどさ。夏宮くんはどれくらいまで両面宿儺を知ってるの?」
「Wakipediaってかじった程度です。意外と資料が残っていなくて」
「……なるほど。では、少し両面宿儺について話しましょう。
目的地までの暇つぶしです」
そう告げて、秋本は両面宿儺について語り始めた。
▼△
その子どもは、ある小さな村で生を迎えた。だが、両親は赤子の誕生を喜ぶことはなかった。理由は単純。普通じゃなかったから。生まれてきた赤子は異形の一言に尽きる。顔が二つ。腕が4本。足が4本。2人の人間が背中合わせでくっついているような———悍ましい姿。彼が路上に捨てられるのは、そう遅くない話であった。
幼児は確実に憎悪を募らせていた。両親への怒り。世間の憎しみ。怨嗟の泣き声だって、誰の耳には届かない。
『どうして』
『どうして』
だが、その叫びは、たった1人の耳にだけ届いた。その人物の詳細は、現代になってもわかっていない。しかし、その人物が捨て子を変容させた要因であることは間違いない。
忌子は、そうして神へと成り上がったという。
『断罪の儀式の宿命を背負う両面の忌子』。たった1人に祭り上げられた奇形児は、新たに『両面宿儺』という名を手に入れた。
「酷い話だな。捨てるなんて……親として、どうなんだよ」
一連の話に怒りを感じたシンジは、いつの間にか拳を握りしめていた。
「両面宿儺が忌神になったのは、しっかりとした理由があるんです。彼の基底にあったのは善意のはず。けれど、両親と周りの環境が、彼を『悪』にねじ曲げた。まあ、擁護できるような話でもないけどね〜」
「…………」
シンジの頭には、次の言葉が思い浮かばなかった。『悪霊』『呪霊』といった存在には、逸話があることも少なくない。悪霊には悪辣な所業の記録が。呪霊には凄惨な末路が。その在り方に相応しい過去があるというものだ。『過去最大の怨霊』なんて異名がつく存在に、そんな逸話は相応しくない。それに驚いたからなのか———彼自身にもわからなかった。
「ついたよ。ここが宿儺の死体が見つかったという場所。慰安の大聖堂」
足を止めた2人を、荘厳な雰囲気を纏う聖堂が迎える。
「こんなところになんで、こんな建物が? 誰も寄りつかないって話はずだったけど……」
「それは私にもわかんない。まあ昔の人が祟りを恐れて、宿儺を祭る聖堂を建てたんじゃない?」
「昔の人って……」
それにしては、随分と近代的な建築物だ。その威容は、かのノートルダム大聖堂を思わせる。秋本が聖堂に向けて一歩踏み込んだとき、辺りに金属音が響く。シンジも秋本も動揺したが、すぐに音の正体を理解した。聖堂の扉が重々しく、外側に開かれる。手動ではなく、自動のようだ。オカルト調査研究部の部員はこの程度で怖気付くことはない。数々の心霊体験が、彼らを鍛えた。
「来客は喜ばしいが、よりによって年若い幼子とは。心が痛いから、やめてほしいのだが。……それよりも……君たちも———『彼』を目的として、来たのかな?」
聖堂の奥から、男の声が響く。秋本は、ただ声の正体の判明を待つ。
「……と、歓迎はされてみたいだな。まあ、いい。君たちで完成だ」
「……ッ! 夏宮くん! 下がって!! いい! 銃、構えて!」
「え?」
シンジは、唐突な要求に対応できない。先輩が急に声を上げた理由がわからない。ふと、聖堂の方に向けると、扉の奥でナニカが蠢いているのを視認する。それは———まるで———あの、奇形児のような。だが、棒立ちしているシンジを、聖堂の奥から伸びる触手が狙う。シンジは反射的に銃を構え、凶弾を放つ。だが、その一撃が命中することはない。
「……バッカ!!」
秋本は瞬時にシンジの前に立ち、触手の攻撃を受ける。
「先輩ッ!?」
触手は秋本の腹部を貫いた。だが、血が流れることはない。聖堂から姿を現した男は、醜悪に顔を歪める。
「チェックメイトだ」
「見込みが甘いんじゃない!?」
秋本も自前の魔術で抵抗する。属性粒子を練り上げ、水弾を創り上げる。装填された凶弾は4発。息をつく間もなく、それらは神父に向けて発射される。黒い前髪を後ろに流した男は、それをかわすような所作すら見せない。秋本は疑問を抱く。なぜ、この凶弾を避けようとしないのか。しかし、その答えはすぐに判明した。
「なっ……そんな!?」
その光景には、シンジもまた目を疑った。秋本が放った凶弾は、あの黒い『靄』が掴んでいたからだ。男の余裕の理由は、これだった。秋本の腹部を貫いていた触手が、秋本に巻きついていく。
「くっそぉぉぉぉおおおおお!!」
シンジは手にした銃でがむしゃらに発砲する。その魔弾はすべて、黒い靄によって防がれる。
「———今度こそ、終わりだ」
そしてその触手は、秋本を聖堂の奥へと一気に引き摺り込む。
「ッ、秋本先輩ッ!!」
シンジは発砲しようとするが、
「くそっ、なんで今弾切れするんだよ……!」
秋本が引き摺り込まれるのを、ただ見ることしかできなかった。黒い靄が消えていく。黒い修道服で身を包む男も、背を向けて、聖堂の暗闇の中へと消えていく。
「おっと、逃げるなよ異端者。仲間は返してもらうぜ」
しかし、その声と同時。修道服の男に向けて一閃が奔る。それは一本の矢であるようにも、シンジには見えた。振り返ると、そこには1人の少年が立っている。猿面をつけ、忍者なような装いをした男。彼が放ったであろう一矢は、黒い靄が破壊する。脅威を認識した長身の男は、ゆっくりと振り返る。
「なるほど。到着が早いな、異端狩り。真っ向勝負と行くか。不安分子は早めに潰せておけた方がいいからな」
神父が振り返るよりも先に、矢の弾幕が教会に振りかかる。特別な加工をしているのか、その弾幕は教会を貫いていく。神父はその攻撃に対抗すべく、黒い靄を展開する。シンジは完全な混乱状態だった。わけがわからない。その一言でしか、今の状況を表せない。その威容な状況に、シンジは教会に背を向けて、逃げ出す。
森を下って、下って———彼は森丘駅の改札を通り抜けて、ホームの椅子の座る。息を切らして、回らない頭に鞭を打つ。この状態でも、あることは確信できた。
「……先輩を……取り戻さないと……!」
あの怪しい神父に、先輩が奪われたということだけだ。