第17節第3話『物部宿儺・III』
大樹の根元だった。シンジは息を切らしながら、小さく呟く。
「宿儺……!」
「……完敗だ」
4本の腕を力無く垂らし、片膝を立てて地面に座る宿儺は、弱々しく言葉を紡ぐ。シンジの目の前に、因縁の相手がある。先輩を傷つけ、先生の命を奪った仇が、目と鼻の先で弱っている。樫木なら、躊躇なく刃を振るうだろう。それはシエルとて同じこと。夏宮シンジは違う。シンジは、宿儺へと歩み寄る。
宿儺は何の抵抗もしない。自分の復讐をこれまでだ、と諦めているのか。シンジには、彼が自分を攻撃してこない理由がわからなかった。
「宿儺……お前は、僕の先輩や、先生の仇だ。僕は今……お前をめちゃくちゃしてやりたい気分だ」
「なら、すればいい。お前にはその権利がある。奪われたのなら、奪い返す。貴様たちが積み上げた歴史と、同じことだ」
「それじゃあ、ダメなんだ。宿儺」
「……なに?」
シンジは物悲しげな感情を瞳に浮かべて、言葉をこぼす。宿儺は困惑する。目の前の男が、自分を殺す選択肢をとらないと言っている。
「どういうつもりだ貴様? オレを野放しにすると? それはありがたいものだ。オレも復讐を続けられる」
瞬間、宿儺の真隣で魔力が爆ぜる。肝を冷やす宿儺。宿儺に向けられた一閃を放ったのは、衝動的になって魔術を撃ったシンジだった。
「……宿儺。お前のやったことは、本当に許せないことだ。街を壊して、人の命を弄んで、僕の大事な先輩にまで危害を加えて。……けど、ここでお前を殺したら……僕はお前と同じになる。それに、僕は君を救いたいんだ」
宿儺はシンジの発言に耳を疑う。
「……貴様……どういうつもりだ?」
「パンタシアは……確か、お前の善性が落とした『影』だったな。その『影』に、僕は命を助けてもらった」
「だから助けると? だが、あれはオレじゃない。貴様に助けられる道理は、ない」
呪いは、忌々しげに吐き捨てる。吐き捨てられた言葉を物ともせず、シンジは宿儺のそばに歩み寄り、片膝をつく。
「僕は、お前の善性を信じてみたくなった」
「……はぁ?」
「パンタシアは、お前の『影』何でしょ。それなら、彼も宿儺自身じゃないか。僕は、僕の命の恩人に報いたい。いいよね、樫木」
シンジが振り返る。宿儺も、シンジが振り返った方角へと目を向ける。そこには、ボロボロになった樫木の姿があった。
樫木は小さくほほえんで、
「ああ、それが最善策らしいからな。あの少年曰く。“呪いを真に祓うことは、それを許容することでしか叶わない”。“宿儺という呪いを祓うならば、彼に協力すべきだ”……先代討伐者の血を継ぐ人間の言葉なら、信じるしかないだろうよ」
「貴様ら……トチ狂ったのか? オレは呪いだ! 人間全てが憎い!! お前らは……オレを……」
宿儺は激しい動揺をみせる。それも仕方ない。殺意を向けてくるはずの相手が揃いも揃って、自分を許すなどというのだから。
「両面宿儺。お前の呪いは、オレたちが引き受ける。物部天獄の殺害……特例任務としてな」
「貴様ら……なぜだ、人間は……オレのようなものを……差別するはずじゃ……こんな、はずは」
宿儺は頭を抱える。自分が今まで思い描いてきた人間像と、シンジたちの行動が著しく乖離している。宿儺にとって人間とは、『自分を弄び嘲笑う種』であり、断じて、『自分を受け入れて、さらには協力してくれる種』などではない。
「宿儺。僕たち人間は成長する。成長して、いろいろなことを知った。そして、現代がある。昔とは価値観も、大きく変わっているんだ。だから、お前の知る人間はもう少なくなってきている」
「——」
「僕たち人間は、弱い生き物だ。お前の言う通り、少数派っていうのは多数派が抑えつけてきた。だけど、僕たちは今、そうい『少数派』の生物たちを受け入れるように努力している。君を見せ物にするような人間は、もうこの日本にはいないよ」
シンジは、左手を宿儺の前に差し出す。
「だから、やり直してみないか?」
「……」
宿儺は考える。自分は、人間への恨みを晴らすために行動してきた。最初はたった1人に対する人間への怒りだったはずなのに、いつしか肥大化して、一つの街をぶっ壊すほどのものになった。
「オレは、考えることをやめてたのかもな。人間は悪いものだと、いつのまにか決めつけていた。過去の怨恨に縛られていた……。貴様の言葉を信じてやる、夏宮シンジ」
宿儺は、差し伸べられた手に、自身の両手を重ねた。
「——」
久しぶりに味わった人肌の温かさに、宿儺は涙する。それはいくら自分が願えど、これまで手に入らなかったもの。恨みに取り憑かれた故に、忘れていたもの。涙をこぼす宿儺の肩を、樫木が叩く。
「……これからお前は異端狩りの管理下に置かせてもらう。ついてきてもらうぞ」
「ああ、どんな罰でも下せばいいさ」
「……帰るぞ、夏宮。今日は休養と治療だ」
「そうだね」
シンジは宿儺の手をとって、一緒に立ち上がる。そして三人は、異端狩り大阪支部に向けて歩き始めた。
——こうして、宿儺を巡る戦いは終わった。
宿儺の受容、及び管理——そして、『物部天獄の殺害』を目的とした『特例任務』の発令を以て、今回の物語は幕を閉じる。
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戸川区爆心地から少し離れたところだ。パンタシアと鮫島、それに秋本は、異端狩り本部の帰路へ着く三人を見送っていた。
「行かなくていいのか? 秋本さん?」
鮫島は自分の疑問を発する。シンジたちと一緒に帰らなくて大丈夫なのだろうか。
「ううん。私はこれでいいの。そろそろ、お迎えが来る頃だし」
「お迎え?」
鮫島が秋本の発言に首を傾げていると、隣にいたパンタシアが苦虫を噛んだように、渋い表情を浮かべる。
「秋本さん……」
「何か知ってるのか、パンタシア?」
「彼女は——」
パンタシアの言葉を遮ったのは、パトカーのサイレンだ。
それをみて、鮫島は『まさか』と思い至る。
「……そんなこと、あるのか」
鮫島は悲しげな表情を浮かべる。やがて3人を取り囲んだパトカーの一台から、警官服を着た男が姿をみせる。
「秋本リョウはいるか?」
男の冷徹な呼びかけに対して、秋本は一歩前に出る。
警官服の男は正直な態度に感心したのか、「ふん」と鼻を鳴らす。
「利口で結構。なんでオレたちが出てくるかは、言わなくてもわかるよな?」
警官の威圧的な問いに、秋本は黙って頷く。警官服の男は、部下から令状を手で受け取り、それを秋本は突きつける。
「秋本リョウ。お前を、殺人の容疑で逮捕する」




