第15節『暗澹たる血河の果てに』
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変容は一瞬だった。日常は瞬く間に崩壊した。
ジェンガが崩れるように——あっという間に、灼熱の大河が人類の建築物を呑み込んでいく。幸い、戸川区全員の避難は済んでいる。しかし、事態はなにも好転していない。むしろ悪化している。鮫島、秋本、それにシンジは、空を衝く大樹が全てを破壊していく様を歯噛みして、傍観するしかなかった。
「……ッ」
パンタシアの防御礼装と転移術式で、シンジたちはどうにか結界の張られたビルの屋上に逃げ込むことができた。秋本は、樹による蹂躙に対する怒りを堪える。
「……僕の失態だ。まさか、こうなるまでの怨嗟を溜め込んでいたなんて、想像していなかった」
絶望した眼で、パンタシアが言葉をこぼす。これは宿儺から溢れた『影』である彼にも、想像できなかった結末だ。何と、無関心なことか。パンタシアは己の無能さを心の中で叱咤する。あれが1000年の呪いの果て。宿儺というものの、最終地点だ。
「あれは、倒せるの?」
黒く淀んだ空を真紅に染め上げた大樹を見上げて、シンジはつぶやいた。シンジの頭の中は、両親への心配と宿儺を討伐できるのか不安でごちゃごちゃだ。
「……倒せない。彼も言っていただろう? 彼の本質は靄だ。靄は実体がない。実体がないものに攻撃は命中しない。宿儺は呪いだけど、どこまでも現実の規則に則った怪物なんだよ」
宿儺の『影』が返したのは残酷な答えだ。
「いや、パンタシア。オレの攻撃は中るはずだ」
肩を負傷した鮫島が、宿儺の『影』が導き出した解に待ったをかける。
「なん——いや、そうか。キミはたしか、“処刑人”か」
『なんだって』と疑問を呈そうとした宿儺の『影』だが、すぐに思い当たる節があったのか、納得したように口元に拳を当てて、言葉を紡ぐ。処刑人。宿儺を討伐した根子武の血を継ぐ、現代の討伐者。それこそが、鮫島双牙という人間。
「……“処刑人”は『鎖』と『剣』を持つ。宿儺とはこの知識を共有したからわかるけど……宿儺はキミが“処刑人”であることをもう理解している。初弾の『鎖』。あれは、宿儺がキミを『虫のようなもの』と捉えていたからこそ、命中したものだ。今の宿儺に中るかどうか——」
「やってみなきゃ、わからない」
鮫島はパンタシアの前に立ち、腰にかけた鞘から再び剣を引き抜く。『断罪剣・青銅機関』。根子武が遺した『霊装』にして、『神血』の流れるものにしか扱えない特級の神器。対象の罪の重さによってその威力を変動させる、まさに罪人に極刑を与えるためだけに造られたような処刑武装。
シンジも秋本も黙って、鮫島の背中を見守る。パンタシアは、どこか不安げな表情を浮かべていた。
「行くぞ——!!」
鮫島が勢いよく『剣』を振り上げる。それを契機として、群青の処刑機関が駆動する。魔力元素を吸い上げ、それをエネルギーへと転じていく。魔力元素が暴風のように吹き荒れ、ジャージの少年が振り上げる剣に収束していく。シンジも秋本も、そしてパンタシアさえも、屋上のさまざまな物体に捕まりながら見守り続ける。
「処刑機関『黒鉄の棘殲』、稼働!」
鮫島の咆哮と共に、群青の剣はその刀身を大きく伸ばす。
具体的には、雲を突き抜けるぐらい。不思議なことに質量はないようで、鮫島は悠々と剣を振り上げ、構えている。
数秒の間。永遠と思えるほどの沈黙が流れる。
そして、時が来る。
「古来より罪を裁く剣!!」
鮫島の宣言と共に、群青の大剣が唸る。刀身が轟音と共に鋸のように変容し、その真価を顕にする。『断罪剣・青銅機関』の第一形態『処刑機関・黒鉄の棘殲』。その第一形態の最大解放によって撃たれる絶技『古来より罪を裁く剣』。処刑剣は宿儺の罪を『許されざる行為』とみなして、さらにその刀身を刺々しく変容させていく。
「なるほど。確かにそれなら、鉄の処女だ」
パンタシアは合点がいったように呟く。
直後、建築物が激しい光に包まれる。鮫島が振り上げた断罪の宣告が、ついに天にまで燃やさんとする大樹へと下る。鮫島は己の勝利を確信していた。それはきっと、“処刑人”という圧倒的な立場ゆえだろう。『処刑人が逆に刑を喰らう』。そんな跳ね返りはないと、鮫島は考えていた。シンジは腕で目を覆い隠していた。強烈な光から瞳を守るためだ。秋本はもしもに備えて、魔術の展開準備を進めていた。パンタシアは、鮫島の攻撃の行く末を見届けていた。
——結論から言おう。
鮫島の一撃は無効化された。処刑人であるはずの鮫島が、攻撃を放った次の瞬間には、屋上を囲うメッシュフェンスに叩きつけられていた。
「カウンターッ!? ここまでの本能を備えているのか、宿儺は!?」
「双牙!!」
硬直状態を一気に解き、鮫島へと駆け寄るシンジ。
「なら反撃の反撃!」
秋本はフェンスに叩きつけられた鮫島を一瞥して、準備していた大量の魔力元素砲を撃ち放つ。超高電圧の光線が、真紅の大樹目掛けて飛んでいく。
“——”
炎。大樹は心臓のように蠢くと、身を守るように炎の壁を展開する。超高温の隔離壁が、秋本の電撃を吹き飛ばす。
「もんげーっ!!!??」
対して、大樹は炎の流星群で応じる。降り注ぐ圧倒的熱量。秋本は呆気に取られて、防御行動に出るのが遅れる。
「先輩! ふざけてる場合じゃないです!!」
業炎を水のベールが防ぐ。シンジの魔術、その最大解放による防御壁の展開である。
「アキモト、ナツミヤ! サメジマを連れて、ビルの中へ!
ここは撤退だ! 水のベールも有限だろう! ここは捨てるしかない!」
パンタシアの号令と共に、秋本とシンジが動く。シンジは鮫島を背中に乗せて、ビルの内部へと入る。それに続いて、パンタシアと秋本もビルへ入る。
「“転移”!」
瞬間、シンジたちはさっきまでいたビルとは違うところに移動する。焔の流星群が建築物を焦がしていく。そこに躊躇はない。ただ当然のように。自然の摂理として作用して、人類の文明を奪って行く。人類の敵対者たる大樹は、自らの威を示すように、赤い光を湛えていた。
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暗闇だった。
光のない、自然音だけが響く空間。異端狩り・大阪支部の隠し部屋。及び、支部長の専用部屋である。空間には、二人の人間がいた。一人は、火傷と裂傷が激しい男性。意識をギリギリで保っている樫木光貴。そして、もう一人は——
「キミの奇跡を以ってしても倒せない……か。“処刑人”の攻撃すらも弾く大樹。キミはどうみる、樫木ちゃん」
樫木の視線の先で座る、背丈の高い痩せ気味の男が言葉を吐く。
「……ヤツは規格外だ。オレの奇跡も魔術も通用しない。シエルの『隠し玉』も多分……」
樫木はバツが悪そうに言葉をこぼす。
「それは違うよ、樫木ちゃん。まだ活路はある。靄であろうと、現実に存在している以上、物理法則に従った生物なんだよ」
「けど、オレたちにはもう打つ手は」
「それは違うよ」
「……ッ!!!??」
樫木の言葉を遮って、痩身の男はあっさりと言い切る。
だが一体どうやって? 実体のない、心臓も霊核も存在するかわからないものをどうやって殺すというのか?
「水蒸気、水、氷……。樫木ちゃん、キミは高校生なんだから、『物質の三態』くらいはわかるだろう?」
「気体、液体、固体、ですよね。けど、それがどうしたって言うんです?」
樫木はまだ、支部長の言わんとするところが掴めない。そんな樫木にヒントを与えるように、支部長は続けて言葉を紡ぐ。
「これに照らし合わせると、今の宿儺の状態は『気体』のようなものだ。そこにあるのに、手に取ることはできないもの。樫木ちゃん。それにどうしたら触れられるか、考えてみなよ」
「——なるほど。確かにそれならいけますね。けど、あんな巨大な大樹、どうやって……」
樫木は支部長の言葉の真意を掴んだものの、次なる疑問にぶつかってしまった。考え込むように、顎に拳を当てて俯く。
支部長の言葉の真意とは、ずばり『冷凍』である。この世の物質はある一定の温度に到達すると、その形態を変える。液体は気体に。気体は固体に。固体は液体に。その現象を人為的に引き起こし、宿儺を実体化させるというのが、支部長の考えだ。しかし、あまりにも現実性が低いと樫木は考えた。あの樹はソラに至るほど成長し、その規模も京セラドームひとつ分ほどとなった。あれほどの巨大なものを、一体どのようにして、一度で昇華させればいいのだろうか?
「夏宮シンジ。彼を利用すれば、勝利できる」
「リーダー、どうして夏宮のことを……!」
「まあ、細かいことは今はいいじゃないか、樫木ちゃん。彼の魔術属性は『水』だったね。夏宮ちゃんにより強いエネルギーを撃ち込めば……あるいは魔術属性の変質が見込めるんじゃないかな?」
「しかしそれは!」
あまりにも個人の意思を尊重していない。夏宮シンジが現在戦地に立っているのは、それは彼が望んだからだ。誰に言われたわけでもない。彼は、彼自身で『先輩を救いたい』と願ったのだ。樫木はそれを知っているからこそ、躊躇の様子を見せたのだ。
「もちろん、本人の意志を尊重して貰えばいい。だけど樫木ちゃん。その場合、僕たちは『最終手段』の起動を余儀なくされる。つまりは、敗北なんだ」
対して、支部長は声色ひとつ変えず、歌うように言葉を紡いだ。樫木は、己の弱さを痛感する。自分で解決できない事案の出現。異端狩りもまた、追い込まれている。樫木は、腹を括ったのか、ドアのほうへと振りむく。
「元素活性剤は今、その一つしかない。三分間の決戦になるよ」
樫木は、支部長から受け取ったアンプルをみる。手のひらにのったガラスの容器。中に入ってるのは、魔術師の性能を上昇させる活性剤だ。
「シエルくんは既に出撃させてある。致命の一撃を与えるためだけの出兵だよ」
「…………」
樫木は沈黙する。そして、支部長を一瞥して、部屋から退室した。残された痩身の男は、暗闇の中で、ニヤリと口角をあげる。
「まあ、『最終手段』を起動させることはないだろうけどね。だって、夏宮ちゃんは磨けば光る原石だし。……さあ、暗澹たる焔をトドメを刺してこい。樫木ちゃん」
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宿儺が大樹へと変貌する少し前。ショッピングモール廃墟爆心地の中央。神父が倒れていた。修道服は焼けこげ、裸体が露わとなっている。
神父の右手の指がピクリと動く。驚くべきことに、神父はあれほどの爆破に直撃してもなお、意識を保っていた。彼の保有する防御術式が作用したからだ。だが、あの爆破によって宿儺によって強化された防御術式は破壊されてしまった。
「ガぁ…アア……あの……メスめ………!」
焼けこげた神父は、シエルへの憎悪を唱えながら、立ち上がる。シエルという女の異端狩りの策にハマった神父は、ご覧通りボロボロとなり、致命に至っていないのがおかしい傷を負うこととなったのだ。
「私の……私の……宿儺はッ……どこだッ……!」
神父は辺りを見回す。呪霊・両面宿儺。神父が自らの手で呼び出した呪い。呪いの起動には成功したが、その後の計画はシエルの登場でクシャクシャに瓦解した。だがまだ立て直せる。神父は、視界を四方八方へ動かし、宿儺を探す。
そして。
「———」
目にしてしまった。天に昇る呪いの昇華を。
大樹へと変貌して行く巨人。巨人の周りの建築物はマグマへと沈んでいく。その高さは、東京スカイツリーのそれに匹敵するほど。その怪物の変容を目にしてもなお、神父は口角をあげた。
「宿儺……やはりお前は最高の呪いだ! 全てを壊せ両面宿儺! ああ、そうだ! 他の誰も貴様の息吹を祝福しないだろうが、私だけは認めてやるぞ! 呪いの雄叫びをあげるんだ、ハハハハハハハ!! ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
神父は両手を広げて、空を仰ぐ。待ち望んだ展開に笑いが止まらない。両面宿儺は、もはや国を脅かすほどの呪いとして顕現した。火傷の痛みなど、この歓喜に比べれば些事も同然。
「では、私は下地を整えるとしよう。ガキどもを、全て殺さねば」
もし宿儺を殺す連中がまだ残っているとすれば、それは考慮すべき脅威だ。そして、殺さねばなるまい。
「戦地は、向こうか」
こうして、新たなる脅威が戦地を向かい始めた。
絶望は終わらない。シンジたちと宿儺たちの決戦もまた、幕を開けたばかりなのだから。




