第13節『稲妻と十字架』
/13.1
互いの咆哮が空間に響いた後、次の瞬間には、秋本は攻撃に転じてきた。白い稲妻を纏い、直線上を滑空する秋本。もちろん素手で突撃する愚行は犯さない。手に握るは雷電の剣。担い手に勝利をもたらす断罪剣。
「——ッッッ!!」
宿儺も、それを迎え撃つべく、魔術発動のための構えをとる。だが傷が痛んで、うまく構えが取れない。『先生』の攻撃は、ここにきてあまりにも致命的なものになっている。
やがて、秋本は宿儺の眼前にまで迫る。このままでは、敵の攻撃を受けてしまう。さりとて、術式による迎撃は今はできない。
「殺った!!」
秋本の力強い宣言と共に振るわれる一閃。空より振り下ろされた一撃は、宿儺の首元からへそのあたりにかけて傷を刻んだ。殺した実感のなさに納得を抱きながら、秋本は言葉を紡ぐ。
「なるほど、半身引いていたからか。道理で斬った実感が薄いわけね。けど、もう魔術を使う余力もないみたいだね」
宿儺が自身の攻撃を魔術で迎撃しなかったことから、秋本はそう考える。それは宿儺にとって“事実”であるから、とても笑えるような話ではない。腹の大穴に、秋本の電閃による裂傷。これほどの傷を受けても、呪いは倒れることを選ばない。大昔からの怨念ゆえかは、宿儺自身も理解できていない。
「決着よ、宿儺」
秋本は剣を収めて、宙にいくつも雷電の弾丸を浮かべながら、宿儺に告げる。だが、宿儺はニヤリと口角をあげた。
——どうして、この状況で?
秋本の思考を困惑が染め上げた。宿儺の傷はもはや治癒でどうにかなるレベルではない。魔術も撃たないほど弱っているのに、どうして。秋本は宿儺を凝視して、そして気づく。
宿儺の周りに黒いモヤが立ち込めている。霧のような、実体感のない、虚な靄。そして、秋本はそのモヤに見覚えがあった。
——あれは……竜?
宿儺を取り囲む靄はやがて、角、翼、爪、尻尾のようになっていく。危険を察知した秋本は、即座に電撃を射出する。進撃する雷電。本来ならば息の根を止められるであろう、それは宿儺の『靄の翼』によって弾かれた。
「なっ……!??」
「言っただろう。すぐにその余裕を消し飛ばす、と。よもや忘れたわけではあるまい。オレの本質は“靄”だ。これは、外界の知識から得た“ドラゴン”と生き物とやらの複製だ。この“靄”はその形状を記憶し、オレに翼と爪を与えた」
宿儺は翼をはためかせながら、続けて言葉を紡ぐ。
「だが……傷は治せん。オレももう限界だ。だが、女に劣るほど弱ってはいない。貴様の言う通り、決着をつけてやろうではないか。秋本リョウ」
「……望むところ。けど、まだそんな余力があったんだ」
秋本は宿儺の戦意に応えるように、両手に電撃の剣を握る。不意をつかれたが、取り出すほどではない。というか、混乱してはいけないのだ。シンジに不安を与えてはいけない。シンジに傷を与えてはいけない。秋本は先輩としての威厳を保つため、なんとか奮い立って、宿儺を睨む。
「西洋の竜……実在は定かではないらしいが、仮想空間においてはその存在が証明されるそうだ。オレの靄の形状記憶は、仮想記憶から持ってきたものだ。光栄に思え、女。仮想空間最高峰の竜の模倣で、貴様を灼いてやる」
宿儺が黒い両翼を広げると、それに呼応するように、背後に炎の奔流が立ち上がる。そして、同時に空へと飛び上がる。秋本はそれにつられるように、空へと舞い上がる。宿儺は4本の腕の掌から、秋本へ向けて炎の奔流を放つ。秋本は雷撃でそれらを迎撃しつつ、宿儺へ向けて、剣を構えて猛進する。雷と炎の衝突が激しい閃光を生む。
——眩しい……!
シンジは腕で目を覆い隠す。両面宿儺の本質たる『靄』。『靄』が象ったのは、人間が生み出した仮想の竜種。すなわち、二次元の仮想存在。人間の創造力によって生み出された、最強最悪の災厄にして禁忌….!!
その禁忌に向けて、雷撃の二閃が振るわれる。だが、竜種の力を得た宿儺はそれを軽々と躱わす。宿儺は秋本の攻撃を躱わすと、今度は大きく距離を取る。秋本の視界から、彼の姿が遠のく。秋本は、宿儺の姿は小さな黒い点程度にしか捕らえられない。
「せっかくだ。竜の真髄を見せてやる」
宿儺の背後に、炎で五芒星が描かれる。秋本は、その予備動作を危険と察知する。
——なら、先に潰すまで!!
秋本の背後から、いくつもの雷電が奔る。放たれた雷電は、その全てにおいて高電圧だ。多量の雷属性元素を操作することにより実現される攻撃。秋本の雷撃が、宿儺へと降り注ぐ。
だが、その雷撃すらも宿儺は防いだ。厳密にはいうと、防いだのは彼の前に突如として出現した二本の赤い三叉槍だ。
「ちょっと……それはインチキがすぎるんじゃない!!??」
「オレは貴様らの創作物を有効利用してるだけだ。元を辿れば、インチキをさせているのは貴様たちだ」
「……ッ!」
「オレは人間が嫌いだ。格下を笑いものにし、無情に切り捨てる貴様たちを、心から憎いと思っている。だが、貴様らの創作物は評価している。貴様たちの豊かな想像力のおかげで、今のオレがあるんだからな」
宿儺は、宙に浮遊させた2本の槍を自身の手前で交差させて、言葉を紡ぐ。秋本は続けて雷撃を放つ。しかし、それも赤い槍があっさりと弾き飛ばす。
「どうした? もうネタ切れか?」
宿儺が『止めを刺す』と言わんばかりに、槍の切先を秋元へと向ける。秋本もバカではない。もはや普通の魔術攻撃は彼には通じなくなった。秋本の頬に汗が流れる。それは、ひとえに焦り故のことだった。腹に大穴が開いているにも関わらず、これほどのポテンシャルを発揮できる宿儺に戦慄しているのだ。
「……そう、かもね。私は、もうこれくらいしかできることがない」
諦観めいた目つきで、秋本はシンジへ向けて雷撃を放つ。
雷撃はシンジの眼前に直撃し、地面から黒い煙を立たせる。
その一連の行動を見た宿儺は、右手で目を覆い隠し、顔を挙げて高らかに笑う。
「ハハハ!! せめて一緒に死のうってことか! 面白い、では、望み通り殺してやろう」
宿儺は4本の腕と翼を大きく開く。宿儺の背後の五芒星が真紅の輝きを放つ。秋本は、それに対して何の防御動作を行わない。宿儺の翼に、槍に、掌に魔力元素が集まっていく。それに呼応するように、空間の温度が上昇していく。秋本は、頬を垂れる汗すら拭わない。どこか、肝が据わっているような——覚悟を感じさせる眼差しを宿儺に送る。
——哀れな女だ。あれほどの啖呵を切ったのに、最期は棒立ちで死を迎えるとは。
——こいつを殺して、あの男を殺せば、ゲームセットだ。
宿儺は自身の勝利を確信し、腕を振り上げる。
「壊焔——」
だが、必殺を下そうとした宿儺の動きが停止する。宿儺はすぐに自身の身に起こったことを探る。
——!!? なにが、起きた!!!??
宿儺を縛るのは銀色の鎖。翼や脚、宿儺の身体の部位全てを巻き込んで、鎖が宿儺の動きを封じていた。
——この忌々しい神気……! この鎖、まさか!
『ああ。やっと、お前を直に咎められる日がきた。両面宿儺。いや、ちゃんとした名前で呼ぶべきか』
空間に少年の声が響く。声の主の装いは黒いジャージだ。セットされた髪が男らしさを強調し、そのシルエットには何の攻撃性も感じさせない。
「忌まわしい血め……まだ残っていたか!」
宿儺は憎しみと怨嗟を込めた視線を、その影へと送る。影の主……ジャージの少年はその視線をものともせず、腰からぶら下げていた鞘から剣を勢いよく引き抜く。現れたのは、群青の刀身を有する一太刀。
「ソウガ……!?」
その一部始終をみていたシンジが言葉をこぼす。夏宮シンジの親友にして同級生——鮫島双牙が、どういう経緯か、この獄炎の戦地に姿を現したのだ。
「物部宿儺。お前を裁きにきた」
こうして、最もこの事変に無関係であるはずの人間が、灼熱の怨恨魔境へと足を踏み入れた。
突如として出現した例外によって、シンジたちと宿儺の戦いは、さらに激化していく。
/13.2
1時間ほど前。戸川区南西に位置する『戸川区5丁目』の住宅街の一角。鮫島の自宅は、他の住宅と比べて明らかに異質であった。他の住宅が平屋か2階建て、あるいは3階建てにあるのに対して、鮫島の自宅は脅威の5階建てだった。見栄を張るためではない。その答えが、5階のリビングに鎮座している迫撃砲だ。正確には、贋作かつ改造品だ。
「これであの怪物を仕留められるのか?」
砲身に手を置いた鮫島が、五階の室内で目を瞑っている女性に訊く。自身の手前で手を重ねている所作から、どことなく温厚で礼儀正しさを感じさせる。
「中れば。操作はあなたに任せます、ソーガ」
「マジか……母ちゃんがやってくれよ……」
鮫島は与えられた責務の重さに、少し愚痴をこぼす。鮫島の母はその愚痴に、何の反応も示さない。聖母のように、目を瞑って僅かに微笑んでいるだけだ。
——『殲滅砲身・礫砂』。これが、鮫島がこれから操作する兵器の名前だ。古墳時代から受け継がれた外来技術。現代に至るまで鮫島の家系が改良してきた決着武力。鮫島の操作によって、黒鉄の砲身は、闊歩する巨人に向けられている。街を闊歩する黒い靄の巨人。鮫島はアレとちょっとした因縁がある。だからこそ、鮫島は現在、宿儺討伐に向けて意識を集中している。
「ソーガ、わかっていますね」
「わかってるよ。“超火力攻撃の後、現地に向かい、巨人を拘束。宿儺の捕縛と和解”だろ?」
「御名答。では、発射準備を」
母親の催促に鮫島は頷きを返し、発射工程の処理へと移る。
——ったく。街を壊すヤツと和解なんて。
——昔の人はどれだけ平和主義なんだよ。
処理を一つずつ進めながら、鮫島は考える。普通なら考えられないことだ。現代社会では、調和を乱す人間……というか存在は否応なく『悪』と断じられる。そこにどんな理由が関係ない。人を殺め、街を荒らし、我欲を満たした時点で世間体は『悪人』なのだ。だが、母親の方針は違う。あくまで“和解”なのだ。罰を与えるわけでもない。命を奪うわけでもない。
鮫島はそこに、どんな意味が隠されているかは知らない。
——まあ、けど。それがオレの役目だっていうなら。
『発射シークエンス完了。命令待ちです』
攻撃準備完了のアナウンス……女性の機械音声から迫撃砲から流れる。
——やるしかない!!
「発射ァ!!」
そのアナウンスの直後だった。
目を瞑っていた母親が目を見開き、声を荒げて発射を宣言する。それと同時、阿吽の呼吸で鮫島は発射のボタンを押し込む。直後、砲身の機構が動作し、銃口から群青の奔流が放たれる。魔力元素を転用したことによって生じた莫大な火力が、無遠慮に街を練り歩く巨人へと向けられる。
「……はァ……ハァ……」
発射工程を完遂させ、緊張から解放された鮫島は息を荒げる。ベランダの地面に尻もちをついた鮫島に、母親が駆け寄る。
「ソーガ、戦いはこれからです。十字架の準備を」
「……わかってる!!」
母親の掛け声で、鮫島は己の気を奮い立たせ、立ち上がる。そこから階段を降り、『十字架』を持って、家を飛び出す。目指すは煉獄の戦地。母親は五階のベランダから、鮫島を見守っていた。
「あとは任せました、ソーガ。重荷を背負わせて、ごめんなさい」
/13.3
「うおっ……」
戦地に到着した鮫島は、目に飛び込んだ光景に思わず声を漏らしてしまう。黒い靄の巨人が膝をついている。目や耳といった人間のパーツは、そのモヤには存在していない。靄は人を象っているだけに過ぎない。
——にしても、熱いな……。
巨人が居座る付近は高熱で包まれている。故に、その温度はアフリカのそれとは比にならないぐらい暑いのだ。しかし、鮫島にはこんな暑さでどうこう言っている暇はない。迅速に、宿儺本体が待つ空間を目指す必要がある。
鮫島は家から持ってきた『銀の十字架』を巨人にかざす。
「“開け獄門。我は汝に裁きを示すもの。我は汝の呪いを祓うもの。千の怨嗟、慟哭はこの刻を以て霧散する”」
鮫島はいつか母親に教わった詠唱を紡ぐ。
「“血は満たされず欲は横溢し、汝の意識を掻き乱す。我は、それを縛る鎖”」
それは、代々受け継がれる退魔の言。平安において、ある退魔師が創り上げた束縛魔術。
「“其の名こそ神装・封魔銀鎖。我が宣言を以て、姿を見せよ”!!」
鮫島による高らかな宣言。掲げられた十字架が鈍く発光し、同時に、数十本の鎖がアスファルトを突き破って、空へと昇る。心臓すらも焼き尽くしてしまうような熱空間の中、鮫島は詠唱をやり切った。鮫島の詠唱と共に、空へ伸びていた銀色の鎖が宿儺へと向かっていく。そして、その鎖は、巨人をボンレスハムのように縛り上げる。
——さて、行くか。
「ま……て!」
巨人の内部に入りこもうとした鮫島を止める声。鮫島は声の主を確かめるまでもなく、言葉を返す。
「大丈夫です。ご心配なく」
「いっぱん……じんが……にげ…ろ!」
それは先の戦いでボコボコに傷を負った樫木であった。防御礼装を砕け、生身の身体が露出している。しかし、鮫島はその制止にも足を止めることはない。鮫島だって、宿儺の恐ろしさを十分に理解している。1時間足らずで街を蹂躙し、迫撃砲の一撃を以ってしても致命に至ることはない現代の怪物。なら、どうして彼は宿儺に挑む? その答えを示すように、鮫島は振り返って、十字架を突きつける。
「“処刑人”。この言葉の意味は、わかりますよね」
「……!」
処刑人。曰くそれは最初に宿儺を討伐した『根子武振熊』の血を継ぐ人間の総称。異端のことを調べ上げている樫木は、すぐに鮫島の発言を理解する。そして、驚きのあまり顔を顰めてしまう。
「鮫島……だったか。お前の名前は」
その顔に見覚えがあったからだ。校内で幾度かすれ違ったことがある。夏宮シンジと行動しているところも、見たことがある。樫木の驚愕は、『そんな馬鹿な』という感情の方が大きい。そしてその問いに、鮫島を頷きを返す。
「夏宮と秋本先輩を、頼む」
樫木は肩の傷を手で隠しながら、途切れ途切れにそう言った。鮫島はそれに対して、『もちろんです』と言わんばかりに微笑んで、そして巨人の内部へと立ち入った。
樫木はそれを見送ると、焦げた地面へと仰向けで倒れ込む。暗い空。見慣れた夜天に星の輝きはない。ただドス黒い煙が、戸川区の空を覆っている。
「——宿儺……強かった——」
樫木はそれだけ言うと、意識を闇に落とした。




