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第12節『煉獄決戦魔境』

/12.1

 そこは、宿儺の記憶の最終地点にして、始まりのところであった。焼けこげた見せ物小屋。焦土となった地面には、雑草一本すら生えていない。生命の息吹が感じられない。そんな地獄の最中で、シンジはただ一人そこに立つ人間を視認した。


「両面宿儺」


 チリチリの黒髪と憎悪のこもった双眸。半裸の青年は、ゆっくりと首を動かし、シンジへと意識を向ける。シンジもまた、その青年を力強く凝視していた。因縁の相手が目の前にいる。3度目はおそらくない。これが最後の戦い。シンジは銃口を宿儺へ向ける。


「武器はそれだけか? 男」


 平安の亡霊が語りかける。シンジはその問いに答えない。自ら手の内を明かす必要はない。奥の手もない。だけど—–シンジは決して、自らの算段を語らない。その態度をみて察したのか、宿儺は肩をすくめて、乾いた笑いをこぼす。


「まあいい。あの精神体が何かは疑問だが、この終着の地に立ち入ったのだ。夏宮シンジ、貴様を歓迎するぞ」


 言動とは裏腹に、明確な殺意が込められている。宿儺は薄ら笑いを浮かべながら、右手の中で炎を躍らせる。大地を焼く炎。生命を許さない赤。絶対屠殺の魔術を、宿儺が紡ぎ出す。シンジもまた、拳銃の再装填を済ませる。最後の1発。これを命中させることだけに集中して、宿儺の攻撃を回避し続ける。無理難題感が強いが、これを成し遂げなければあの怪物に勝つことはできない。シンジは腹を括って、そして——


「そして永久に、我が記憶の中で死に続けろ」


 宿儺の冷徹な宣言と共に、シンジに高音真紅の大津波が襲いかかる。宿儺の手から躍り出た炎が、扇状に広がっていく。


(いきなり物量……! 脳死なのか、この怪物は……!!)


 シンジは視認してすぐに、意識を足元へ集中させる。現在、シンジの足には『神速』が施されている。連続的な瞬間移動を実現する奇跡を、異端狩りから預けられていた。シンジは地面を勢いよく蹴り、『神速』との相乗効果を受けて、宿儺の炎を回避する。


「——『鎌鼬」


 だが、次の瞬間には、シンジの身体が宙に浮かび上がっていた。地面が遠い。シンジは理解が追いつかない。宿儺の攻撃だろうが、あまりにも唐突すぎる。


「『焔網』」


 宿儺の行動は速い。詠唱簡略による魔術の即時発動。一切の予兆なく、竜巻のように焔が立ち上がり、シンジを取り囲む。

竜巻が嵐のような速度で、シンジに迫る。だが、シンジの判断は速い。


(……元素凝固!!)


 シンジが大気中の魔力元素を操作する。やがて元素は『巨大な膜』の形をなし、迫る焔を弾き飛ばす。そして、自身の真下にいくつもの水の層を作り上げる。


「耐えて見せるか、男」


 いくつもの水の層を作ることで衝撃を抑え、緩やかに地面に着地したシンジ。シンジの思いつきに、宿儺は薄ら笑いを浮かべながら喝采を送る。


「即興にしてはよくやった方だ。まだまだ俺を楽しませてくれよ、男」


 宿儺の賞賛にも、シンジは冷徹な視線を返す。そして、即座に攻撃へと転じる。右手を銃のようにして、水元素の銃弾を怒涛の勢いで弾き出す。無論、こんなものは宿儺に通用することはないと理解している。


(だからこれは……デコイだ!)


 だが、宿儺にとってこんなものは児戯のようなであった。弾道が複数ならまだしも、単一とは。宿儺は防御手段をとる様子も見せない。だが、宿儺は両掌を合わせて静かに呟く。


「焔滅界——創生」


 その宿儺の呟きで、戦況は一気に変化した。

△▼

 宿儺の放つ術式は、そのひとつひとつが奇跡のようなものである。『風』と『炎』の合わせ技。魔力元素を即時に操作・反応させる、というのは簡単なことではない。彼は精密、というわけでもない。針に糸を通す作業なぞ、宿儺の最も苦手とするところだ。ゆえに、彼の魔術は“大雑把”。“大雑把”に行動しても、うまいこと発動してしまうというのが、宿儺の恐ろしいところなのだ。


 両手を合わせた宿儺を視認して、シンジは思わず思考を停止させてしまう。その後に来る恐ろしく、激しい事象を理解してしまったから。逃げようと叫ぶ足は動かせない。先ほどまで勇んでいた姿勢が崩壊する。


「夏宮シンジ。貴様にふさわしい舞台を整えてやる。オレの核まで辿り着いたのだ。それを讃えずして殺すことはせん」


 宿儺にとって、シンジのような存在は珍しいものなのだ。大抵は、あの『懐古再現空間」で一生を終える。だというのに、奮起して向かってくる輩というのは1000年ほどぶりだ。ゆえに、宿儺は讃える。自らの秘奥の解放を以って。


「では拝謁せよ夏宮シンジ。これぞ貴様が見る最後の景色——『煉獄魔境・黄泉比良坂』なり!!』


 宣言と共に、熱波が押し寄せる。思考が停止し、まともに動くことができないシンジは迫り来る熱波を、腕で守ることしかできない。皮膚に伝わる高熱。上昇する体温。身体が焼けていく痛みを、シンジは歯を噛み締めて堪える。


(水の膜を展開できない……!)


 今シンジを襲う高熱は、水をも空気へと変じるものだ。シンジの魔術のレベルでは、宿儺の術式を防ぐことはできない。


(心臓をとる……とか、そんな話じゃなくなるぞ……!)


 シンジは攻撃へ転じることができない。宿儺が放つ圧倒的な熱のせいでうまく思考がまとまらない。


(やばい……このままじゃ本気で死ぬ……!)


 回避行動から次に繋げられない。シンジは消耗していく体力に焦燥感を抱きながら、覚悟を決めたように目を瞑り——


(僕の負けだ)


 やはり宿儺は強い。先生に発破を入れてもらったが、高揚感は一時的なもの。実力が上がったわけでもない。全ては思い上がりであった。銃弾1発を心臓に命中させる。そんな神がかりに頼った時点でシンジの敗北は決まっていた。シンジは、死を受け入れる。もはや身を焼く痛みは気にならない。


 ——しかし、シンジは違和感に気づく。


(……意識が、なくならない)


 焼きつくような痛みも消失している。熱も感じなくなっている。


(感覚が、麻痺したのか? 僕の身体は……どう成ってるんだ……)


 確認しようと、シンジは目を開ける。シンジは自分の視線の先に立つ男を直視して、驚きのあまり目を見開いた。


「先生……!?」


 その驚愕は、声としても溢れた。シンジの呼びかけに答えるように、少年の眼前の男は言葉を返す。


『夏宮ァ、よく耐えた。お陰で手前の治癒も間に合ったし、こいつに一撃与えることもできた』


 シンジには、『先生』の姿が、あまりにも大きく見えた。これが、大人だと。自分を守るために来てくれたという感動からか、彼の目から涙が溢れていた。だが、同時に疑問も飛来した。あの宿儺に一撃を入れた……? シンジは宿儺へと視線を向ける。


「……!!」


 そこには、腹部を押さえて血を吐く宿儺の姿があった。腹部には握り拳ほどの大きさの穴。貫通していて、向こう側の景色がよく見える。


「が……ぉ……おお……貴様は……あの時に……!」


 宿儺は狼狽しながら言葉を紡ぐ。それも当然だろう。混乱の原因は、やはり『先生』の存在だ。教会でとどめを刺したはずの存在が、一体どのようにして自分にこれまでの傷を与える力を手にしたのか。宿儺にとっては疑問であった。


『両面宿儺。もうテメェの好きにはさせねえ。直にチェックメイトだ。諦めろォ』


「チェックメイトだとぉ……!? 舐めた口を聞くな死人風情が……!」


 宿儺は大穴の開いた腹部を押さえながら、右手の人差し指の先に小さな火球を作り出す。狩人を睨む狼のような目つきで、宿儺もまた『先生』と呼ばれた男を凝視する。『先生』はその視線を意にも介さない。ゆっくりと宿儺へと歩み寄っていく。


「どういう理屈だ……! 答えろ、人間!! 貴様……どこで、それほどまでの力を!!」


 宿儺が叫ぶ。『先生』はそこで歩みを止めた。


『手前がくれたんだよ。手前の見ないようにしていた善意がな』


「善意……だと? このオレが……?」


 宿儺は混乱の色を見せる。


(オレの善意だと……そんなものあるわけがない。そんなもの、とっくの昔に切り捨てた。あの男に裏切られたあの時から、ずっと捨てたはずなのに———)


 宿儺は善性など持ち合わせていない、と自覚している。そんなもの千年ほど昔に無用のものだと理解したからだ。人間は裏切りを重ねる醜い生物。そんなものに善意を返す必要はない、と。ただ殺すだけと誓ったはずなのに——どうせこの男の妄言だと、宿儺は乾いた笑いをこぼす。


「貴様の妄言か! 死人になって、頭すらおかしく成ったのか?」


 『先生』は答えない。『先生』は俯いたまま、数秒、沈黙貫く。だが、シンジはこの答えを理解していた。両面宿儺には善性が残っている。あの空間で出会った、人となりのいい少年。あれこそが、宿儺が落とした『影』であり、わずかな善性なのだ。


 シンジが緊張を持ちつつ見守る中、やがて『先生』が口を開く。


『信じられねえなら見せてやる。テメェの善性があるってことの証明をな。そろそろ頃合いだろぉ、()()


「へっ!?」


 シンジは、『先生』の発言に思わず声をあげてしまう。そして慌てて右手で口を覆い隠す。宿儺は『は?』と眉間に皺を寄せる。だが、『先生』だけは勝ち誇ったかのような笑っている。


「秋本……オレが素体にしていた、あいつか……! だがヤツはオレの巨人体の一部だ。自立など、できるはずが」


『あるんだぜぇ。これがなァ』


 『先生』が宿儺の言葉を遮って、なおも笑みを浮かべ続ける。宿儺の困惑に答えを示すように、空間内に足音が響く。

シンジは、その足音に誘われるように視線を、音源へと視線を向ける。


「待たせちゃったね、夏宮くん」


 見覚えのあるその姿に、シンジはさらに涙をこぼす。

真紅の灼熱空間に、青白く発光する長髪が揺れる。コツコツと、地面にハイフールの踵が衝突する音が響く。それは、シンジが救わんとしていた人物が到来する音。その少女の姿はまさしく雷電であった。白いワンピースに、純白のフリルのついたミニスカート。スラリとした生足が女性らしさを溢れさせる。だが、纏う雷電に可憐さはない。悪を滅ぼす正義の雷を、その少女は辺りに迸らせていた。


「先輩……!」


 シンジは安心と歓喜から、笑みをこぼしてしまう。自分が救おうとしていたものが、生きていてくれたなら、これ以上の喜びはない。絶望的な状況でありながら、シンジの心は満たされている。


「先生、ありがとうございます。そして、ごめんなさい。私が独断であんなところに行ったばかりに、『先生』は……」


 秋本は申し訳ない、という感情に苛まれていた。自分の独断のせいで、あらゆるものが崩壊した。学校も。日常も。そして、『先生』までも自らの手にかけてしまった。その罪悪感から、彼女はなかなか立ち上がれずにいた。


 だが、今の秋本はもう違う。贖罪のために走り出した新たな勇士だ。


「気にすんな。オレはてめえたちを咎めるつもりはねぇ。ただ、自分のケツは自分で拭け。それだけだ」


 『先生』は秋本の姿を見ることなく、独り言のように言葉を紡ぐ。その姿は、徐々に薄れつつある。元より『先生』は宿儺の善性によって、存在が保障されていたものだ。秋本が到着するまでの時間稼ぎ。その奇跡を成就させるために、今までこの灼熱に立っていたのだから。


「——はい。ありがとうございます、『先生』」


 たった一言。秋本は感謝を告げて、消え去っていく『先生』の姿を見ることもなく、為すべきことへ意識を向ける。果たすべきは、宿儺の打倒。それだけだ。シンジは、少女の形をした雷電をただ見守ることしかできない。秋本リョウは、冷徹というわけではない。だから、『先生』の消失で心も砕けかけている。だが、それでも立てるのは——


「夏宮くんを守って、宿儺も倒す。両方やらなくちゃいけないのが、部長の辛いところね」


 守りたいものがあるから、彼女は立てている。迸る殺気と雷電。その威容は、宿儺の表情から余裕を失わせる。もはや、宿儺の一方的な戦いではなくなった。それは、宿儺自身も理解した。


「茶番劇もそこまで……だ。夏宮シンジ、秋本リョウ! お前らをくだし……全て灰にしてやる……!!」


 宿儺が傷を抑えながら、怨嗟を込めて咆哮する。その咆哮にすら、秋本は動じない。


「先輩……!」


 救いを求めるように、シンジが口をこぼす。


「大丈夫よ、夏宮くん。もう不覚はとらないわ。さあ——行くわよ、宿儺」


 シンジに不安を感じさせまいと、あえて明るく振る舞う秋本。そして、スイッチを切り替えたかのように、冷徹な視線を宿儺へ向ける。傷だらけの身体を稼働させる宿儺。もはやその体力は削れに削れているだろう。しかし、それでは倒れないゆえに大怨霊。太古の怪物、両面宿儺。


「その余裕、すぐに消し飛ばしてやる……! 秋本ぉぉおおおおおおおおおお!!」


「後悔するのは貴方のほうよ、両面宿儺!!」


 怪物の炎を、秋本は白雷で迎え撃つ。空中に稲妻が奔る。

こうして、宿儺との決戦の幕が上がった。

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