幕間 貳
宿儺と振熊の戦闘の火蓋が切られたのは、彼が天皇の元を去ってから5時間後——宵の入り、午後6時ごろである。先手を仕掛けたのは振熊だ。初手は上空からの急襲。いわゆる不意打ち。自慢の跳躍力で音もなく、屋上に飛び乗り、一閃を振り下ろした。無論、宿儺はこれをかわす。超常的、超越的な攻撃であったにも関わらず、宿儺は反射だけで死の一撃を回避した。
砂埃を払うように、振熊が自身の前で剣を払う。その視線の先に、忌々しげな表情を貼り付けた宿儺がいる。
「午睡を邪魔するなんて、随分と趣味が悪いな」
「どの口が言う。お前だな。仁徳さんが言っていた、『怪異』ってのは」
「そうだ。ならどうする?」
灰色の髪を持つ青年は、短い髪をかきあげながら言い放つ。振熊にとって、その問いは愚問そのものだった。異邦から遣わされた剣士は、答えを示すように『青銅剣』を構える。
「殺すよ。罪人には、斬首が相応しいんだから」
「抜かせ。オレには勝てねえよ、凡人」
その言葉と同時。青年……宿儺は両手を前に突き出す。突き出した右手に魔力元素が集まる。——そして、炎の奔流となって放たれる。振熊の身体を覆い隠すほどの火の大波。振熊はそれをかわそうとはしない。ただ頭を隠すように、腕を交差して防御の姿勢を取るだけ。けど、彼にとってはこれだけでいい。青年と宿儺の周囲に熱が籠る。身体が燃えているのではないか錯覚するほどの高温。やがて絶望の波は、振熊に降り注ぐ。
しかし、その波が振熊を殺すことはない。
炎の波は振熊だけを避けるように軌道を変えた。それは振熊にとっては予定調和であり、宿儺にとっては想定外だった。
「礼装か?」
宿儺は己の疑問を、即座に発する。
「タネを明かすと思う?」
「それもそうだな。道理がわからなくても、それを上回る火力で圧倒すればいいだけだ」
余裕の笑みを浮かべる振熊。それを灰に返さんと、宿儺が指先で魔力元素を躍らせる。振熊の視線の先に『F』の文字が浮かぶ。先の攻撃を受け流すと言うのなら、その防御を破壊する火力で圧せばいいだけのこと。魔力強化『F』の文字を通し、渾身の一撃を浴びせる。それに対し、振熊のやることは変わらない——防御。『攻撃は最大の防御』なんて言葉があるが、今の彼にとって『攻撃』はできるべき避けるべき行動だからだ。天皇の到着よりも先に『必殺』を撃たれれば、自分が敗北する。それを避けるために、再び防御の策に出る。
——そして、再び宿儺から炎が放たれる、彼の指先から放たれた熱線は浮遊する文字を貫き、振熊へと突撃する。続いたのは、激しい炸裂音。振熊の右手の甲に取り付けられた『ナニカ』が宿儺の次撃を完璧に防いだ。それは魔術礼装。宝石のように赤く煌めく刻印。名を『術撃転避』。魔力元素による攻撃の軌道をズラす効力を有する。魔力元素はより多い魔力元素に流される。その性質を利用した、というわけだ。しかし、どれだけ強固な防具であろうと、弾き飛ばせる『限度』がある。防御できるのは、あと片手で数えられる程度。
息をつく間も無く、宿儺が次の攻撃準備に移行する。ここで競り合っても仕方がない。自分の防御手段が失われていくだけ。刹那の思考の末、振熊は懐から白い『球体』を取り出す。『球体』を目にした宿儺は、ピタリと攻撃の準備を中断する。
「なんで中断した。どういうつもり?」
振熊の疑問提起。彼は『球体』を持っていない右腕で鼻と口を覆いながら問う。
「せっかくさ、オレを殺しにここまできたんだ。そいつの一撃くらいは一度喰らってやらないと、報われないだろ?」
「随分とした自信だね。けど、いつも思い上がりってのは足を掬われるものだよ」
「なんだって……?」
振熊の言葉の真意を汲み取れず、宿儺は眉間に皺を寄せる。
「こんな風に!!」
大柄の勇士が『球体』を地面に叩きつける。瞬間、それは炸裂し、白い『霧』が怒涛の勢いで小屋の中に広がる。宿儺は面食らったようなリアクションをして、辺りを見回す。——知らない技術。宿儺には学がない。見世物小屋で育ってきた彼にとって、振熊の起こした現象は不可解極まるものであった。
「逃げてんじゃねぇえええええええぇえええ!!」
咆哮。憤怒を表すように、縦横無尽に宿儺の『炎』が炸裂する。しかし、それは振熊には届かない。彼は今、飛騨の怪異から逃げ仰せた上、近くの家屋の屋根の上に立っているからだ。しかし、ヤツの魔術の火力はずば抜けている——と、振熊は痛感する。宿儺から放出された炎は、直線上の家屋を全て燃やし、地上に自制する草を焦がし尽くした。ただの一瞬。だが、宿儺がどれだけ強力な技を繰り出そうと、振熊の勝利条件は変わらない。天皇の到着を待つ耐久戦、そして、宿儺の必殺を防ぎ、こちらの奥義を撃つ。振熊は見世物小屋へ視線を向ける。小屋に満ちていた『霧』は薄れつつある。しかし、次に見世物小屋で起きた『攻撃』が振熊の肝を冷やさせる。
爆発。振熊は爆音から守るように、両耳を塞ぐ。続き、両手の塞がった振熊に、宿儺の炎が襲う。
「ほら、もっと楽しませろよ! こんなんでリタイアじゃあ、つまらなくて寝ちまうぞ!!」
四方八方。振熊は覚悟する。
これは、防御が間に合わない。『刻印』の起動も無意味。悍ましいほどの『熱』が、振熊の全身を突き刺す。
「あああああああああああああああああああ!!!???!!!!」
全身を焼かれる激痛に絶叫。歴戦の猛者たる振熊をしても、業火の高熱には耐えられない。勇士は腰を落とし、膝をつく。
「無様だなあ無様だなあ。遠くから遥々お疲れさま! これはもうゲームセットかな?」
振り返ることすらできない振熊の後ろで、怪異が嗤う。
振熊はその嘲笑を流石に受け止め——そして、笑みをこぼす。
「何笑ってるんだよ、お前。そんなに燃えてるんだ。もう死ぬだろ。重度の火傷。よしんば助かったとしても、一酸化炭素中毒でお陀仏だ。なのに、なんで……いや、狂っちまったのか?」
宿儺が憐れむような視線を向けて、右腕を振り上げる。
「では死ね。これは、手向だ」
振り下ろされる腕。だが、それは振熊の頭上で停止する。見れば、宿儺の両膝に切り傷ができている。一閃。
「ッ……!!」
苦痛に顔を歪める宿儺。そこに、振熊の斬撃が飛ぶ。
一瞬の動揺。わずかな隙が、形勢の逆転を生む。振熊の剣は見事、宿儺の身体に袈裟斬りを刻んだ。
「があああッ!!?!!!??」
「うまく決まってよかった。やられっぱなしも癪だし、反撃もしなきゃだ」
後ろに飛び退き、宿儺と距離をとった振熊が誇らしげに言葉を紡ぐ。
「礼装……重ね着か……!」
「ご明察。一回限りの防御策だ。炎を使うって、聴いてね。持ってきておいてよかったよ」
「次から次に、曲芸師かよ」
「いいや、狩人だよ」
宿儺はおぼつかない足で直立する。4本の腕の手のひらの上で炎を躍らせながら、思案する。——一度きりの防御礼装。先のアレを撃てば、あの気に食わないデブにとどめをさせる。勝算アリ。演算完了。宿儺が再び4本の腕で『印』を結ぶ。
「狩られるのは、お前だって言ってんだろ。オレが正しいんだから、オレが勝つ。それ以外は、全部燃やす!!」
耳を劈く咆哮。誰にも届かぬ怨嗟を込めた宣言と共に、宿儺の周囲の魔力元素が集い出す。
「“其は奇跡の護り。祈り、願い。無垢なる成就を、我が手の元に”」
その宣言と共に、振熊もまた詠唱を始める。夜天に赤い流星が昇る。陽はすでに落ち、2人を照らすのは、もはや地を燃やす眩い炎のみである。
「“罪も罰も。業を背負おうと、其は等しく我らを守護するもの。刻印励起、起点変更”」
「“燃やせ、焦がせ、冒せ、滅ぼせ、呪え”!!」
呪詛を紡ぐ宿儺。
護りを謳う振熊。
「核熱球」
「——まずっ」
あまりの温度上昇に、振熊を詠唱を止めて、本心をこぼしてしまう。防御手段の展開ができなかった振熊はもはや燃やさせるだけだろう。宿儺を起点として焔が広がる。いや、それはもはや津波と言っていい。怒涛の勢いで、街を、人を飲み込んでいく。悲鳴をあげさせる暇さえ与えない。
——これが、仁徳天皇の言っていた『必殺』。振熊の脳内を『死』の一文字に染め上げる人工の絶望。しかし、
『間に合った。あと数秒ズレていたら詰んでいた。よくやった、振熊くん』
土製の巨人が打ち破る。巨人は膝をつき、振熊を左手で覆い隠し、宿儺の必殺を受け止めていた。……天皇が事前に言っていた『秘策』の効力だ。宿儺は言葉が出ない。知識がない、というのは元よりだが、何よりたかだか土のヒトギタが自分の炎を受け止めたと言う事実に狼狽する。
「遅いですよ、仁徳さん」
『予定調和だ。宿儺との死闘、ご苦労だった」
「いや、まだ終わってないですよ。最後に、僕が首を落とすまでは」
『ああ——左様。決めてやれ、振熊くん。多くの人間を殺めたあの怪物に——然るべき裁きを』
「もちろん」
振熊が凛とした双眸をして、土の巨人の手の中から姿を現す。彼が握る『青銅剣』は、すでに必殺を放つ準備が整っている。防衛戦はこれまで。ならば、これ以上火力を渋る必要性はない。『僕たちの勝ちだ』なんて雰囲気を漂わせる振熊を直視し、宿儺は憤怒に襲われる。
「なんだお前ら!!オレの方が正しいのに!! お前らが間違っているのに!! なんでお前らが勝気になってんだ!!! オレは、オレを散々コケにしたお前らを許さないぞ……!! 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!!」
宿儺が印を結ぶべく動く。しかし、それは叶わない。
振熊がすでに宿儺の懐にまで入り込み、4本の腕のうちの一本を切り落としたからだ。
「キミの怒りは、僕にわからないよ。これまでどんな仕打ちを受けてきたかは知らない。けれど、それが万人を傷つけていい理由にはならない」
「テメェは……オレの何を知ってる———」
「何も知らない。わからない。恨みたいなら、恨んでいいよ。僕は、法に照らし合わせて決められた罪人を斬っているだけだ。僕はキミの事情を知らない。だから、この裁きをキミにとっては不当かもしれない。だから、憎めばいい」
腕の切断。今度は2本同時だ。
宿儺は残された最後の腕で抵抗を試みる。しかし、
「ガッ……!?」
「青銅剣は、正しい裁きを成した」
振熊が振り下ろした最後の一閃によって、それすらも叶わなかった。宿儺の意識が闇に落ちる。糸が切れたように、後ろへ倒れていく、振熊は剣を収め、地面に仰向けで倒れた災に視線を向ける。
「……やっぱり、動機だけ聞いておくよ。聞かせて、青年、キミが何を見て——なぜ、こんなことをしたのかを」
「……いって、どうにか、なるのか。オレの、怒りが……報われる……のか?」
「それはないよ。たとえどんな過去を背負って、悲惨な目にあったきた人間でも、人を殺して仕舞えばそれは正しい復讐じゃなくなる。無関係の人間を殺すなんて、なおさらだよ」
振熊は冷ややかな視線を浴びせながら、言い放つ。
人を殺して仕舞えば、それはどんな過去を背負っている人間だろうが善人だろうが『悪』になる。それが振熊なりの善悪論だ。振熊は一拍おいてから、
「けれど」
「キミをそこまで追い詰めた元凶も裁かないといけない。だから、聞かせてほしいよ。裁くに値する理由か、知りたい」
「……オレは……忌子だ。腕が4本ある…。異形、だろ。だから、捨てられた。……親に、見捨てられんだよ。そこから、変なおっさんに拾われて……——ああ、見せ物にされたんだ。そっからお前ら消費するだけして……最後は無関心になって……そしてまた見捨てた。……オレは、お前たちのそう言うところが嫌いで……嫌いで……厭で……殺したかった。全部、潰したかったんだ。気に食わないもの、全部、まとめてな」
今にも消えてしまいそうな、儚く細い声で、宿儺は言葉を紡いだ。自分を消費したものへの糾弾。無関心への批判。彼の恩讐が叶うことはない。これから先、永遠に。
「……キミの恨み、僕が買おう。キミの代わりに、その悪人を殺すよ」
最後に、振熊は救いを紡ぐ。宿儺の果たせなかった願い。やり方を間違えただけの、哀れな災害に、救いの糸を垂らす。——勇士のその言葉に、宿儺は安堵する。
眼を閉じる。視界には何も映らない。壊れたテレビのように、光一つ灯らない。
「ああ、もし叶うのなら。オレの手で——殺して——」
「……」
振熊は宿儺が絶命したのを確認すると、機械装甲を纏う天皇の方へと振り返る。
「おわったよ」
「此度の任務もご苦労であった。報酬は母方に渡しておく。それでよいな?」
「うん、それでいいよ。ねえ、一つだけ聞きたいんだけど」
「なんだ?」と天皇が応答する。
「ほんと、突拍子もない話なんですけど、天皇さんは『来世』とか、信じますか?」
「愚問だ。人は死ねば終わる。続編などあるものか。閉じられた本が再び開かれることはない——それが、人の生だ」
「夢がないね、天皇さん。もし、記憶を引き継いだまま第二の生を歩めるとしたら——彼は、近い将来同じことを引き起こすかもしれない」
突拍子もない話ではあるが,可能性がないとは言えない。
「なので、将来のために『策』を遺しておくべきだと思います」
「具体的には?」
「僕を『青銅剣』の魔力元素リソースにして欲しいです」
振熊は心意気を示すように、片足を前に出して、天皇へ進言する。だが、一拍おいてから、天皇は首を横に振る。
「……認められない。第一、君自身、私が君を雇用した理由は知っているだろうに」
仁徳天皇が振熊を雇用したのは、その凄まじい戦力ゆえだ。今彼を失うということは、天皇にとって大打撃となり得る。だから、認められない。そんな自己犠牲は許容できない。
「なら、『血』はどうですか」
「血だと?」
「僕の『血』は神の魔力が宿っている。これを後世に遺せば、宿儺が目覚めたときの対策になります」
振熊には神の血が流れている。猫武一族は代々、ツクヨミの血が継いでいる。月の女神。神の血を継ぐものは、本来では扱えない“神器”を扱うことができる。『神器』の威力は先ほどの通り。宿儺ほどの怪異であろうと容易く討伐できる。
「しかしキミの『血』を遺してどうする?」
「僕の『血』は、凡人を神器の適合者にするものです。相応しいものが打ち込めば、僕と同じ『神器の適合者』になる。後世の人間に託すんです。真の宿儺討伐を」
未来でも見据えているかのような発言に、やはり仁徳天皇は首をかしげる。『真の』とは、どういう意味なのか。
「待て。宿儺は蘇るとでもいうのか?」
振熊は数秒の沈黙ののち、静かに語り始める。
「……彼の怨嗟は、人類の業への報復かのように感じました。報復——あれは一つの『罰』に近かったのかも。僕たちは『罰』を力で退けてしまった。つまり、然るべき報いを跳ね除けた」
「その報いを果たすために、ヤツは再び日の本に来ると? 飛騨の惨状を、また引き起こすのか……!?」
天皇の問いかけに、振熊は静かに頷く。
宿儺……あの少年は、人間の無関心さ、排斥・淘汰への怒りを原動力にしていた。振熊が彼との闘いで感じたことであり、事の真偽はわからない。振熊には疑念があった。たとえあの少年を貶めた元凶を殺したとて、彼の怒りや無念は晴れるのだろうか、と。
「天皇さんの言う通りかもしれません。僕たちは、力を残したらいけない。けれど、後世で蘇る災を『束縛』する策は残しておきましょう。執行猶予を稼ぐアイテムを、僕がつくります」
「キミの言うことは、本当に突拍子もないな。……私の召集に応じることができるのなら認めよう」
天皇は条件を提示する。振熊は、気が緩んだのか口角を少し上げる。
「ありがとうございます。じゃあ、帰りましょ〜」
「待て。飛騨の者を弔ってからだ。災に刃を向けた勇者に、然るべき賞賛と黙祷を与えねば」
天皇のその言葉を受けて、踵を返そうとしていた振熊の動きが止まる。彼はそのまま飛騨の戦地に向かうように方向転換する。
「そうですね〜。華は添えましょうか〜」
穏やかな少年の声が、戦地に響き渡る。
⭐︎⭐︎
こうして、古墳時代の激戦は幕を閉じた。歴史書に刻まれることのない、人々の編纂によって『なかったこと』にされた諍い。飛騨を襲った災害は、一人の勇士と天皇の手によって仕留められた。




