第9節『シエルvs神父』
戦闘、勝負において人間は必ず戦略を考え、組み立てる。自身の名誉、優越、或いは単純に『勝利』のために、方程式を組み上げる。それは、異端狩りであるシエルにとっても、無名の神父にとっても同じことだ。
(……啖呵は切ったものの、劣勢なのはおそらく私。樫木から聞いた話だと、攻撃を跳ね返すって)
シエルは思考する。だが、その思考を遮るように、
「棒立ちとは腑抜けているなぁ!! 異端狩り!」
神父からの右回し蹴りが、シエルの顔面目掛けて飛翔する。
(まずっ!)
ほぼ反射的。本能レベルで感じ取った脅威に、思考よりも先に腕が動いた。シエルの縄が神父のふくらはぎの部分に絡みつく。シエルはこれを好機とみて、縄から手を離し、神父から距離を取る。
(……どこまで跳ね返すか、やってみる価値はある!)
後方へ跳躍したシエルは、空気に背中を預けながら、右手を銃の形にする。そして、土属性元素が『瓦礫』の形となって、神父へと突撃する。だが、彼が慌てる様子を見せることはない。神父には余裕すらある。しゃがみ込んで、小学生が運動靴を脱ぐ時に靴紐を解くみたいに、自身の脚に絡みついた縄を解いている。
そして、シエルの魔術が炸裂する。だが、神父の前の『空間』で魔術は爆ぜた。縄を解き終えた神父が掌の上で、魔術で創り上げた小さな『槍』を踊らせる。余裕で立ち上がる彼の浮かべる笑みに、シエルはただならぬ脅威を感じる。
「貴様の縄、まるで生きているみたいに絡みついた。解くのに時間がかかったぞ。身体を縛る力……存外厄介かもな」
神父は言葉を紡ぎ終えたと同時、手のひらで踊らせていた『槍』を射出する。シエルは前方に、5本の凶器を視認する。
あの数は、たとえシエルの縄であろうと全てを縛り付けることはできない。槍が迫る。白銀の槍が、シエルの脳天を貫こうとした瞬間———
「は?」
シエルの身体が下へとおちる。空を駆る凶器は、異端狩りの命脈を断つことなく、虚しく空を切る。困惑する神父とは別に、シエルはデパートの3Fのホームセンターエリアを走っている。
(あいつ……私の術式は知らなかったようね。溶融術式……床を溶かして、自分を下に落とした。バレていたらやばかったけど……よし、これで次に繋がった)
溶融術式。自身が触れているものを溶かす魔術。自分が触れていないものは溶かせないし、溶かせるものも制限がある。たとえばセラミックタイル。これは容易に溶かすことができる。逆に溶かすのが難しいのは金属だ。金属は火属性元素を掛け合わせた溶融でなくては、溶かせない。
(……やつに触れて、身体ごと溶かすのもアリ。それを狙える可能性があるか……次は試す)
シエルはその機を伺うために、一度ホームセンターエリアの人目のつかないなところに身を潜める。
▼△
上層に取り残された神父は、眉を顰めていた。異端狩りが魔術を扱うということは了解しているが、あそこまで稀有なものを扱う人間がいるとは思ってもなかった。
物質をあそこまで容易く溶かしてしまう魔術に、神父は一瞬だけ感動を覚えたのだ。人間がナイアガラの滝や富士山の頂上からの景色を見て感動するように———
「……無駄な時間稼ぎだ」
だが、今神父にとっての最重要任務は『異端狩りの殺害』だ。魔術発見の感動に浸かっている暇はない。神父はシエルが生成した穴から、3階へと飛び降りる。神父は自身の周囲に、大量の槍を生成する。殺戮に丁寧さは必要ない。それは、証拠を残さない臆病な犯罪者のやることだ。神父にとっての殺戮とは、ただそこに死体があればいいだけのこと。神父が指で鳴らした音と同時に、神父を取り巻いていた槍が四方八方へと発射される。
——まずい!!
神父の動きを陰から監視していたシエルは、その横暴な攻撃手段に鳥肌が立った。縄では防御できない。とはいえ、あれだけの数の凶器をどうやって防ぐか。
——反射を、狙う!
運動エネルギーを有する物体というのは、壁とか床とかいった障害物に衝突した時、必ず跳ね返ってくる。壁や床の跳ね返り係数が、0でない限りは。下へと放たれた槍は直接。上へと放たれた槍は跳ね返りを経て。
——一瞬。神経のいる作業だけど、被弾は減らさないと!
そして、シエルが行動にうつす。槍が床に触れた瞬間に、術式を発動するという、防御を。
シエルの防御手段による異変には、神父もすぐさま気づく。
「溶かす……というのは、物質だけではなく、魔力元素によって組成されたものもか。だが無傷とはいくまい。
なあ、シエルとやら」
神父による縦横無尽かつ横暴な攻撃が終わったのを確認して、シエルは額や腕、脚から血を流しながら陰から姿を表す。
「神父なら祈ってなさいよ。なんだってそう、横暴なのかしら。衣装が汚れたじゃない……」
「聖職者とて荒療治をするときはある。それが今だ、シエル。見誤ったな」
神父は悠然と拳を構える。シエルも背中から縄を取り、両手で持って構える。両者の視線は鋭い。シエルは苦痛を堪え、顔を歪ませることなく、視線を神父に向けて突き刺す。そして、シエルが足を前へ踏み込むよりも先に、
「終わりだ!! 女!」
だが、シエルは小さく微笑む。
「今! エーテルダウナー、戻りなさい!!」
「なに!?」
シエルの叫びに、神父は思わず立ち止まる。ただのはったりなのであれば、神父もそれを理解し、足を止めることはない。だが神父は感じ取った。あの露出狂の異端狩りの瞳から、底しれぬ自信を。そして、一瞬の躊躇が隙を生む。
四階から豪速で、『縄』が神父の元へと戻っていく。橙の残像を残しながら、蛇のように間合いを侵略する。
「忘れたか女! 私の『神盾』は万物を通さん!」
男の言葉通り、縄の侵略は『神盾』によって防がれる。
それを視認した直後、シエルは素早く座り込み、床に掌をあてる。
「戦闘において大事なのは、地の利!」
「醜い抵抗だ! 諦めろ!」
神父の足元の床が溶ける。落下する神父は二階のファスターフードコーナーの机に激突する。だがダメージは少ない。神父はすぐさま立ち上がり、シエルの属性魔術の追撃を避ける。神父は視線を上をあげ、生成した『槍』で天井をぶち抜く。そしてそこから、脅威的な跳躍力をもって3階に復帰する。
(消えた……いや、逃げたのか?)
神父は辺りを見回す。人の気配はない。この空間には、異端狩りと神父が刻んだ戦痕した残されていない。
(下らん。最後は逃走か)
男は踵を返す。神父にとって、これは想定内のことだった。女の武器……あの縄はあまりにも攻撃に向いていなかった。相手を縛る・引き寄せる・絞殺する——あの縄でできることといえば、その程度だ。だが、それは相手を縛ることで初めて成立する攻撃。あらゆる攻撃を受けつけず、弾く《神盾》を持つ神父にとって、それはないも等しいものだった。
(あの溶かす魔術……最初は驚かされたが、大したものではない。あれも防御向き。床を溶かし、座標をずらす回避。触媒を介しての発動もできるようだった。攻撃に活かすことは難しい。大したことのない、女だった)
だが、神父は違和感を捨てきれていなかった。
(しかし、あの女の言葉。まだ策があるようにもみえた。油断はできないか)
“戦闘において大事なのは地の利”。神父は、この言葉が引っかかっていた。異端狩りは、精鋭の戦闘員たち。その内の一人たる彼女が意味のない行動をするだろうか。
(否———!)
「勘がいいじゃん、なんとか神父。あんたの防御は強い。今の交戦だけでも、それは理解できた。あんたの防御をカチ割るには、もっと優れた火力がいる。仕込みを発動するには、この条件が必要だった」
「なんだ貴様! どこから喋っている!!」
どこからともなく聞こえる異端狩りの声に、辺りを見回す神父。だが、女の姿はどこにもない。さっき感じていたあの魔力の流れはどこにもない。神父の貌に焦燥が浮かぶ。
(仕込み……いや、あり得ない。この私が察知できないなんて、あるのか……?)
神父の頬に汗が垂れる。
(だが、いかなる攻撃も私の盾は通さない。受けてやろうじゃないか、シエル)
神父が腹を括り、覚悟を決めて、『神盾』を展開する。神の盾。すなわちそれは、人為を悉く薙ぐ無敵の防壁。この盾がある限り神父は無敵だ。それは依然変わりない。だが、この世に決して壊れないものはない。規格外の衝撃。或いは衝撃の累積。それを実現するのは———
カチッ、とボタンを押すような音が薄暗い空間に響く。神父はその音を聞いて、瞬時にこれから何が起こるのかを察する。
(貴様は、そのために……なるほど、確かにこれは)
廃ショッピングモールが内側から爆ぜる。爆破の張本人は、“縄”をつかって、鳩の翼に捕まっていた。暗闇に覆われた空から、赫い地上を見下ろす。
「完全勝利。『縄』と『溶解』の出番は今回はなかったなあ。
どんな強固な防壁だろうと、爆破の風圧には勝てない。『縛り』で効力をあげたのもあるか」
シエルは、勝利の余韻に浸る。だが、彼女にはまだ仕事がある。
「両面宿儺……止めるわ、必ず」




