偽王太子アルフォンスが逃走したですって?
「エリカ、心から謝罪させてちょうだい。わたしったら、アルフォンスだけでなく殿下、いえ、レイモンドの育て方も間違っていたのね。乳母として、あなたに申し訳が立たなさすぎるわ。だからといって、そうよね。わたしの実子の仔犬ちゃんも、似たり寄ったりなのよね」
「ロッテ、あなたのせいではありません。というか、リュックもそうなのですか?」
「じつは、そういうことは尋ねたことがないの。彼は、いわゆる脳筋バカだから。剣一筋で、レディのことなど興味がないみたい」
リュックは、ほんとうに仔犬みたいで可愛らしいのに。あらゆる年齢層のレディたちからモテモテのはずよ。
「部下や同僚たちからは、異常なまでに人望はあるみたいだけど。残念だわ」
「えっ? では、リュックってそっち系なのですか?」
「わたしはそう睨んでいるわ。ねぇ、怖すぎるでしょう? だから、いまだに尋ねる勇気が持てないでいるのよ」
そうよね。可愛い青年のことが大好きなのは、レディだけではないわよね。強面の兵士だって可愛いのが大好きな場合もあるわよね。
「ご歓談中、申し訳ございません」
そのとき、親衛隊の隊員が駆けて来た。
護衛をしている隊員の中に、こんな人いたかしら?
「皇太子妃殿下、大至急王都にお戻り下さい」
彼は、厳かに告げた。
「拘束中の罪人が逃げだし、行方不明になっています。謹慎中のマチアス・バルリエ公爵が手引きしたのではということで、殿下みずからバルリエ公爵の屋敷に向かわれました。王太子妃殿下は、早急にお戻りいただくようにと。馬車で迎えに来ております。ご準備下さい」
なんてことなの。
偽王太子アルフォンスが逃げだしたですって?
大変なことになったわ。
「エリカ、戻りましょう」
ロッテと同時に立ち上がっていた。
彼女も事の緊急性を察している。
「いえ。お連れするのは妃殿下のみです」
隊員が言った。
「とりあえず、妃殿下を安全なところにお連れするようおおせつかっております」
こちらの表情をうかがったのか、隊員はすぐに続けた。
「わかりました」
そう言われれば仕方がない。
「ロッテ、先に行きます。馬は、こちらに預けておいていただけますか? 殿下にお借りした大切な馬です。何かあったら、彼に嫌味をたっぷり言われるに違いありません。それこそ、わたしの身に何が起ころうともです」
彼女に笑顔で言った。
レイモンドだったら、「あのとき貸した馬が……」という感じで一生涯嫌味を言い続けるはず。
「エリカ、わかったわ。馬のことは心配しないで。それよりも、あなたは大丈夫?」
彼女は可愛い顔を緊張で染めつつ、わたしの二の腕をやさしくなでた。
「ええ、大丈夫です」
うなずいてみせる。
準備といっても、泊りがけではないので荷物のひとつもない。この身ひとつである。
隊員の後についていった。
この牧場の表の出入り口ではない、家畜が行き来するような柵の向こう側に馬車が停まっている。
彼が準備した馬車というのは、街馬車のようなシンプルなものである。
王家の紋が刻まれていたり、煌びやかな馬車や装飾でキラキラしている四頭の馬もいない。
ほんとうにオーソドックスな二頭立ての馬車である。
「王家の馬車は目立ちます。万が一、襲われでもしたら大変ですからね」
隊員は、馬車の扉を開けながら言った。
「護衛の隊員たちはどこにいるの?」
周囲を見まわした。護衛の隊員たちどころか、人っ子一人いない。
見送りに来てくれたロッテも、不審そうに周囲を見まわしている。
「おれより後に使者が出発しているはずです。護衛も戻るようにとの命令の使者です」
「そうなの……。ロッテ」
馬車のすぐ横で歩を止めた。
「あなたは、護衛の隊員たちと戻ってきて下さい」
そして、彼女の方にへ体ごと振り向いた。




