本物の王太子をぶん殴れ
アルフォンス・ロラン王子の反逆事件で王宮内が大騒ぎになるかと思いきや、静かな朝を迎えた。
森の中のレイモンドの隠れ家から外に出ると、枝葉の間から射し込む朝の陽の光が眩しすぎる。地下室にいたから、余計にそう感じるのかもしれない。
隠れ家の周囲では、夜露に濡れた茂みや枝葉がキラキラ光って幻想的な雰囲気を醸し出している。
長い一夜だった。ほんとうに長かった。
地下室から地上に出て来てから一番最初にしたことは、思いっきり伸びをすることだった。
体のあちこちが痛む。そのことに、いま初めて気がついた。
それはそうよね。あれだけいろいろなことをやったりされたりしたからよね。それこそ、死にそうになったほど。
打撲や擦り傷で、体中が痛むのは当たり前よ。
思いっきり伸びをしつつ、周囲を見まわした。
すでに偽王太子のアルフォンス・ロランは、連行されてしまっている。王宮警察と親衛隊が、慌ただしくウロウロしてはいる。だけど、すごい事件のわりにはひっそりとしている。
「エリカ」
レイモンドが、隠れ家から出て来た。
「ひどい顔だな」
彼は、憎たらしいほど美しい顔に同情の色を浮かべている。
「ひどい顔ですって? 悪かったわね、ひどい顔で。どうせわたしは不吉きわまりない黒髪に黒い瞳で、鼻ぺちゃで一重まぶたでのっぺりした顔よ」
それでなくても大変な一夜だったのよ。それが何? このタイミングで、顔のことを指摘するわけ?
「はああああ? エリカ。いまさらきみの顔のことを言っても仕方がないし、もはやどうしようもないだろう? そんなことは、きみに子どものときひどい目にあわされて以来知っていることだ」
「ちょっと待ってよ」
体ごと彼に向き直り、詰め寄った。
いまの彼の発言は、いろいろツッコみたいことだらけだわ。
「とにかく『ひどい顔』というのは、疲れただろうって言いたかったんだ。きみのその顔のことではない。あっ、もしかして顔のこと気にしているわけ? そうだったのか。きみは、自分の顔のこと気にしているんだ」
レイモンドの美貌には、いまやいたずらっ子みたいな笑みが浮かんでいる。
「人間って、外見じゃないよ。いくら美しいレディでも、ほら、性格が悪かったら最悪だ。連れて歩くにはいいだろうけどね。それとか、遊び相手にだったら。おれは、そんなレディは勘弁してもらいたいよ。たとえ顔は悪くても、やさしくてお淑やかで気遣い抜群で明るくて前向きで側に寄り添って元気づけてくれたり黙って話をきいてくれたり、なんてレディが理想だな」
繰り返し強調したいけど、昨夜は控えめにいってもひどすぎる一夜だった。あんなハードでデンジャラスでバイオレンスでちょっぴりミステリアスな一夜を、どうにか無事に生還したのである。
それが、「理想のレディ像」をきかされることがシメなわけ?
いまのわたしは、以前と違ってガマンしない。耐えない。そして、溜めこまないことをモットーにしている。
「戦利品妻」は、もうおしまいにしたのよ。
気がついたら、両方の拳をギューッと握りしめていた。
「歯を食いしばりなさい」
つぶやくように忠告していた。
「えっ、なんだって?」
彼のいたずらっぽい笑みは、朝の陽の光の中で夏のヒマワリのように輝いている。
「歯を食いしばり、足を踏ん張りなさい」
かろうじて忠告を繰り返すことが出来た。
「エリカ、レイモンド」
国王陛下が手を上げつつこちらに向ってくるのが、レイモンド越しに見えた。
「将軍閣下」
ほとんど同時に将校や兵士たちが、右の方から近づいて来るのが目の端に映った。
「ガッ!」
鈍い音がした。
「うわっ、閣下っ!」
「あははははっ!レイモンドがエリカに一発食らった」
せっかく静かな朝だったのに、途端に騒がしくなった。
将校や兵士たちは、レイモンドの腹心の部下たちである。
彼らは、わたしの祖国を攻め滅ぼし支配したセルネ国軍を祖国から追いだしてくれた。そして、いまは残存兵の駆逐と祖国の復興を行ってくれているのである。
もっとも、それを知ったのはつい先程なのだけれど。
とにかく、将軍であるレイモンドがわたしの鉄拳を食らったということで、兵士たちは慌てふためき始めた。だけど、将校たちはニヤニヤしていた。
そして、国王陛下は大爆笑していた。
国王陛下や将校たちが笑っていた理由はわからない。




