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レンズ職人の人生を変えた二つの発明

作者: 安藤ナツ

 私の祖先は戦争で敗れた国から逃げ出したガラス職人だったらしい。三〇〇年前の話だ。長い歴史の内に私の祖先は透明なガラスを一緒に逃げ出した職人達と発明し、流民だった職人集団を保護した商人はガラスを手土産に貴族になった。そんな幸運を運ぶ職人集団の中でも、私の祖先は特別に優秀だったらしく、透明なガラスを成形することでレンズを作り出した。その栄光によって、私の家はメガネレンズの作成の独占を許された。

 その結果、私の家は他のレンズ職人と比べて非常に貧乏な家になった。無論、レンズは素晴らしく高度な製品で、視力の弱った人々にとっては命を救うような道具だ。が、需要がまったくない。眼鏡を必要とするのは年を取った聖職者や高位の役人程度で、驚くほど買い手がいないのだ。最低限食い繋ぐ程度は出来るが、ステンドグラス等の花形と比べると収入は悲しくなって来る。

 高度な技術が必ずしも幸福を呼ぶわけでないと言うのは、如何にも寓話的だ。

 …………私が若い頃に戯れに創った『望遠鏡』もまた、そんな寓話の一つである。

 血は争えない。昔の人は上手い事を言ったものだ。




 望遠鏡は二つのレンズを筒の頭と尻に取り付けた道具である。造りは極めて単純。が、その効果は劇的だった。原理は不明だが、二つのレンズを通すことによって遠く離れた物を、まるで目の前にあるかのように見ることが出来る。こんな子供の玩具みたいな道具だが、何故か私より以前の一族は誰もその発想を抱かなかった。不思議でならない。

 戯れで作った玩具だが、これが売れた。売り先は主に軍で、より遠くを見ると言うアドバンテージは、陸でも海でも非常に重要な意味を果たした。他にも珍しい物好きな貴族や、傭兵や商隊と言った長距離を移動する人々にも需要があった。レンズが私の専売であったので、望遠鏡は言い値で売れ、まるで泡のように俺の貯金額は増えて言った。

 が、すぐに望遠鏡はタダ同然の値段で売る破目になったし、貯金は多額の賠償金の為に消えた。双眼鏡を発明して一年と少し経った頃の話だったと思う。私の偉大なる玩具は"十字教徒の健全で自由な生活を著しく侵害している”として教会から異端判定を喰らった。その判定を覆す為に大量の金が必要で、現金じゃあ到底足りず、国が代わりに払ってくれたのは良いが将来に亘って格安で軍に望遠鏡を卸す破目になった。

 しかし、私に下された判決はまだ温情があった。

 結局の所、この一見において私は彼――ゲイリー・ゲイオス先生のおまけでしかなかった。年の割に子供っぽいあの老人は、私の望遠鏡を軍の見張り役以上に喜んで使っていた。ただし彼の視線の先にあったのは地平線や水平線の彼方ではなく、遥か天上の星空だった。

 ゲイリー先生は高名な大学の教授職に就いたこともある才人で、様々な分野で名を知られていた。そんな彼の当時の興味は天体にあり、私に特注の望遠鏡を頼んだのも天体観測の為であった。ゲイリー先生は月を見て大層はしゃいで喜び、大量の謝礼金を払ってくれた。その際の経験を元に書かれた本が、僅か八ヶ月で十字教によって禁書認定された『月と地球。天体の運行について』である。

 望遠鏡で覗いた月は、過去三〇〇〇年の常識を覆すことに真の球体ではなかった。通説では、天上は神々の為の世界であり、宇宙は地上とは違う法則で支配された天界と呼ばれる楽園であるとされていた。だが、実際の月は違った。真の球と呼ぶには余りにも凸凹だった。私も実際にその目で見たが、月の表面はグロテスクなまでに抉れているのが確認できた。

 ゲイリー先生はその事実から、やはり宇宙は地上と何も変わらない物理法則が働いているのだと確信したらしい。そして、その勢いのままに先生は地動説こそが世界の正しい姿だと言う『月と地球。天体の運行について』を書き記した。

 その書籍が、教会の逆鱗に触れた。天動説を唱える聖書と著しく乖離するその内容は、全ての十字教徒を惑わし、教会の権威を貶める悪書だと各地で反対運動が起き、事の真偽を争う人達による殺し合いまで起きた。

 その後、ゲイリー先生は国家を惑わした罪で投獄された。王家の教育係であった功績があっても、その罪は許されるものではなかったらしい。先生は瞳を抉り取られた後に国外へと追放された。あの人は高名な先生だったから、どっかの外国に保護されたらしいが、その後の事は知らない。

 と、言うか、私は自分の裁判で精一杯だった。二〇〇〇年も昔に書かれたお話を事実だと信じ切っているあの狂信者達は、国(と言うか軍)の介入がなかったら私の一族を根絶やしにしていただろう。あいつら、私達一族が消えたら大事な大事な聖書が読めなくなるんだぞ!

 こうして、私の発明は私達の一族をとても貧乏にしてくれた。




 だが、その貧乏生活も、ひょっとしたらもうすぐ終わるかもしれない。

 私達に恵みをもたらしたのは、代々受け継いできたレンズだった。結局、私はメガネを売るしか能のない人間だから当然と言えば当然だ。しかし、先祖代々受け継いで来た物が我が身を助けると言うのも寓話のようではある。

 ことの発端は、今から十数年前、世の中に印刷機なる物が発明されたことだった。印刷機は文字通りに文字を印刷する機械だ。これにより、書籍の大量生産が可能になり、高価だった書籍は一般市民でも手の届く物になった。ここ十年で、目に見えて本を読む人間は増えたし、そこら中で捨てられている新聞は問題になりつつある。それだけ、文字の書かれた紙は一般化した。

 私の望遠鏡と違って、印刷機の発明者は滅茶苦茶に設けたに違いない。羨ましい限りだが、しかし印刷機は私に思わぬ恩恵をもたらした。

 世の中には、想像以上に目の悪い人間が多かったのだ。手元の紙に印刷された小さな文字を読むようになって初めて、人々は自分が遠視であることに気が付いた。他の人間が楽しそうに新聞や本を読むのを見ていれば、自分だって読みたいと考えるのが人情だ。そんな流行に追いつきたい人に必要なのが、先祖代々受け継がれて来た私の眼鏡だ。眼鏡は昔よりずっと売れるようになった。

 かく言う私も、歳をとって眼鏡がなければ新聞を読めなくなってしまった。昔は眼鏡なんてジジイになった証拠でみっともないと感じたものだが、今はこれが胸のポケットに入ってないと不安で仕方がない。

 今日も、目が覚めると真っ先にチェストの眼鏡を探す。眼鏡をかけてベッドから起き上がると、寝室を出てリビングを通り、玄関の小窓から投げ込まれた新聞を手に取る。朝食を取る際に新聞を読むのは社会的なムーブメントを乗り越え、習慣と化している気がする。

 さて、昨日は世界にどんなことが起こったのだろうか? 新聞を広げ、一面に目をやる。


 ――地球は丸く、宇宙の中心ではなかった!

 ――ゲイリー・ゲイオス著『月と地球。天体の運行について』禁書認定解除!

 ――教会は過ちを認め、法王自ら謝罪文を公表!

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