五話 嵐の後の閃き
強風と豪雨と落雷。
帰宅してからも天気は悪くなる一方で、ものすごくうるさい。
外の喧騒を聞きながらベッドにうずくまっていると、ガチャリとドアが開いた。
「まったくひどい雨だ」
叔父は愚痴りながらベッドに近付いてくる。そして身体を起こした僕の頭に手を置いた。
髪をとかすように手は下に移動し、顔に触れると頬を掴まれ上を向かされた。
お互い見つめ合う形になる。彼は僕を見てにやにやと笑っていた。
もう何度も見ているのに、その笑みを向けられる度に背筋が凍る。
怯える表情に満足したのか、顔から手を離しそこから更に下へ。首筋、脇腹━━、腰に触れられたあたりで嫌悪感に耐えきれず身震いした。
僕の隣に座るとお腹に手を回す。外部の刺激に反応してぐう、と音を立てた。
「腹減ったか?」
か細くはい、と返事をする。上手く声が出せない。
「いいか、この家にいたいなら俺の言う通りにしろよ? お婆様の所に戻るのは嫌だろ?」
「はい……」
お腹を撫でていた手が、今度は僕の右手を掴む。
「この前みたいに暴れなけばちゃんと飯もやる。もしまた抵抗したら━━」
話の途中、人差し指の爪の下に親指を入れて強く押しつけてきた。痛みに耐えようと目をつぶる。
「分かっているな?」
「…………はい」
吹き荒れる風と打ちつける雨と、激しい光と音で主張してくる稲妻。
余計な事を考えないように心を空っぽにしていくと、段々とそれらも気にならなくなっていった。
◇◇◇
昨日の嵐が嘘のように本日は快晴だ。
朝、部長から来てほしいとメールをもらったフィアはいつもより早く家を出て部室に向かった。
ルカの事も気になるが、今は依頼に専念しようと頭を切り替える。
「分かりましたか? 魔法陣の効果」
「ああ……うん、まあ」
パソコンから返ってきたのは曖昧な反応。
「それで、どういったものでした? やっぱり幻術系の……?」
「…………なかった」
「え?」
声が小さくてよく聞き取れなかったのでもう一度尋ねた。
「あの魔法陣にはなんの効果もなかったよ」
今度ははっきりと聞こえたが、言葉の意味がすぐに理解出来ず数秒の間動きが止まる。
「そ、それってつまり……」
「うん。適当に文字を並べてあっただけって事」
予想だにしなかった展開にフィアは思わず絶句した。無理もない、有効な手がかりだと思ったものがただ時間を消費しただけに終わってしまったのだから。
はあ、と部長がため息をつく。
「なんでもっと早くに気付かなかったんだろう……。徹夜してまで調べたのが馬鹿みたいだ」
疲労からか、元々覇気がない声であったが今日は輪をかけて元気がない。
そんな状態の彼だが前向きな意見も付け加える。
「だけど完全に無駄って訳じゃない。犯人が残した可能性は充分にある。魔法陣やルーン文字は時間が経つと専門の機械を使わないと見つけられなくなるから、あそこに人に見られたら困る物があってそれから注意を逸らす為にわざと置いたのかも」
言われてみれば確かにと彼女は納得した。あの多量な文字も、分析に時間をとらせる為のものだったとしたら━━。
もう一度庭園を調べてみる必要があると判断したフィアは早速行動に移す。
ドアノブに手をかける少女にいってらっしゃいとパソコン越しの彼は見送った。
◇
昨日の大雨の影響で石畳はてらてらと濡れていた。
花や葉に付いた水滴は日の光によって宝石のような輝きを放っている。
噴水の傍までやってくるとフィアは魔力を放出した。庭園全体に行き渡ったのを確認するとゆっくりと、どんな些細な事も見逃さないよう意識を集中させて歩きだす。
通路、木の周り、花壇や噴水の中までくまなく調べた。一度のみならず何回も何回も同じ所を行ったり来たりして。
けれど何も見つからない。
もう消えてしまったのか、あるいははなからここには何もなかったのか。
疲れたフィアは一旦足を止めた。結果が伴わない行為程苦痛なものはない。
こんな事をしている場合ではないのは重々承知だが、ぼーっと花を眺めた。
雨水を着飾ったスイセンが風でゆらゆらと揺れている。
それを見て唐突に閃いた。犯人は何か動かせる物に書いたのではないかと。
花だった場合事が終わった後引き抜けば証拠隠滅になる。
そんな事されてはさすがにお手上げだ、もっと見つけやすい物に書いてくれてないかと思いながら再び歩きだして、アビゲイルが倒れていた場所でまた立ち止まった。
被害者が退いた今、そこは事件が起きる前となんら変わりない。
━━退く……?
フィアは閃いた。花以外で動かせる物━━否、そんな事をしなくても勝手に移動してくれるものがあるではないかと。
彼女はすぐさま庭園から立ち去った。
あの少女はもう来ているだろうかと校門から校舎までの道を見渡していると、丁度そこを歩いていた。
「アビゲイルさん!」
「あ、どうだった? 魔法陣の効果分か━━」
「ちょっと失礼するわ」
彼女の言葉を遮って魔力を流す。両手、脛、顔に変化がない事を確認すると、彼女の後ろにまわり込んだ。
「ど、どうしたのよいきなり」
相手の奇行にアビゲイルは理由を尋ねるが、答えは返ってこない。
フィアは少女のうなじを見た。そこで今にも消えてしまいそうなくらいに薄い数個のルーン文字を発見する。
そしてもう一つ。文字のすぐ横に赤い点が二つ、何か細く鋭い物で刺されたような跡があった。
そちらも気になるがとりあえず今は文字が完全に見えなくなる前に部長に見てもらおうとアビゲイルの腕を掴む。
「来て」
「ちょ、ちょっとお!」
突然腕を引っ張られた彼女は、ただただ困惑した声をあげるしかなかった。
◇◇◇
ロープ・フレイムは普段と違う朝を送っていた。
まず始めに登校時に幼馴染と会っていない。いつもなら坂の前の歩道で反対側からやってくる彼女と合流して姉とともに学園へ向かうのだが、今日はいなかった。
そしてもう一つ。入部届を提出してくると言って姉が職員室へ向かった。いつもならホームルームが始まるまで三人でお喋りしているのだが、今は一人ぽつんと自分の席に座っている。
要するにものすごく暇だった。
このままでは退屈で死にそうだと感じて廊下に出る。他の生徒が教室へ向かう中、その流れに逆らう形であてもなくふらふらと歩いた。
玄関が近くなるにつれ人の密集度も高くなっていく。
わらわらと大勢が蠢く中彼を見かけた。
ふらふらと、割と本気で今にも死ぬのではないかと思えてしまう程足元がおぼついていない。
「ルカくーん、大丈夫?」
声をかけると相手はぎこちない笑みをこちらに向けた。