一話 きっかけ/今後
きっかけ
今から話すのは私がドルフィニア魔法学園に入学した日の事、入学式が終わり校内を回っている時の話だ。
ジェムティアーズ先生に連れられてやってきた三階の美術室には、上級生が製作したと思われる数体の球体関節人形があった。
全て百五十センチ以上、一番大きい物だと百七十センチくらいはあるだろう。髪も瞳の色も着ている服もバラバラだ。
その中の一つ━━緑のワンピースを身につけた栗毛の少女の人形に目を奪われた。
どれも素晴らしい出来であったが、目の前のそれは他とは群を抜いている。
まるで本物の人間のようだ。固くて冷たい筈のボディは触れれば程よい弾力と温もりを感じられるんじゃないかと思えるくらいに。
それに見惚れている内に一人取り残されている事に気付き、慌ててみんなを探す。
幸いにもすぐに見つける事が出来た。階段を降りている。
なんとか追いつこうと私は全力で廊下を走り、そしてその勢いのまま階段を下っていく。
それがいけなかったのか途中で足がもつれてしまい転落した。
けれど私の身体は踊り場に叩きつけられることはなかった。列の最後尾にいた人が受け止めてくれたのだ。
相手が尻餅をついた事により私は彼の片膝の上に乗る形になる。
怪我はありませんかと気にかけるその人に私の心は奪われた。
線が細く病的なまでに白い肌。色素の薄い髪がより儚さを際立たせるが、対して瞳は真っ赤に力強く輝いている。
人形が動いていると思う程に、その少年は美しかった。
◇◇◇
ルカが化身を暴走させてから三日が経過した。
週明けの月曜日の夕方、もうすぐ部活が始まろうとしている時間。コンビニエントクラブの部室にはフィアと部長、そしてアビゲイルがいた。
正確に言えば部長の本体は別の場所にいる。いつもの事だ。
「ルカくんの様子はどう?」
丸椅子に座り真剣な表情でピンクのツインテールの少女はフィアに尋ねる。
「学園に通えるようになるのはまだ時間がかかるけど、順調に回復していっているから退院はもうすぐだと思うわ」
「そっか、よかったあ」
同じく椅子に腰かけている水色髪の少女の言葉に、アビゲイルはほっと息をはいた。
「━━謝りたいって言ってたわ」
「え?」
一瞬何の事かと思ったがすぐに心当たりを思い出す。
「あなたを襲ってしまった事、かなり後悔しているみたいよ」
「……そっか」
「あなたはどうなの?」
そう聞かれた彼女はどう答えればいいかと思い悩んだ。
正直未だにあの少年の仕業だという実感が湧いていない。信じたくないという訳ではなく、幻術が解けた際に見た実際の記憶の中の彼は普段の彼とかけ離れていたからだ。
だからと言って全く気に留めていないと言えば嘘になる。
「化け物に襲われたと思った時は本当に怖かったし、その犯人がルカくんだって知った時はすごくショックだった。━━だけど怒りとか許せないったいう感情はあんまりなくて、どちらかというと可哀想って気持ちの方が強い……かな」
「そりゃあんな話を聞かされちゃあねえ」
部長がぽつりと呟いた。
騒動が収束した後、他言無用という条件付きで三人はカインから話を聞いたのだ。ルカの特異体質と家庭環境についてを。
「彼がアビゲイルさんを襲ったのはろくに食事を与えられなかったのが原因だろうし、まともな食事を摂ればもう人を襲う事はないんじゃないかな」
パソコン越しから聞こえる発言に同意し、アビゲイルは再度口を開く。
「そういう訳だから次ルカくんに会った時にあんまり気に病まないでねって伝えておいて」
フィアにそう頼むとそろそろ部活が始まるからと言って少女は去っていった。
「━━それにしても血以外の物食べたら魔力が減るなんて、難儀な体質だなあ」
床に置かれたダンボールに目を向けていたフィアの耳に、少年の独り言が入ってくる。
「一応お医者さんの話では今のところ目立った変動は見られないそうです」
「やっぱりこういうのって一気にがくっと下がるんじゃなくて、少しずつじわじわと減っていくものなのかな」
「そうかもしれませんね。ところで部長、これは?」
ダンボールの中に複数ある輪ゴムで留められた筒状の紙を一つ手に取って尋ねた。
「ああそれ? 近々行われる行事のポスターだよ。貼ってきてくれって先生に頼まれたんだ。という訳でフィアさんちょっと行ってきて」
「分かりました」
手に持っている一つを元に戻すと、箱を持ち上げて少女は早速仕事に取りかかった。
今後
午後七時半を過ぎた頃。仕事を終えたカインはルカ・スフィアがいる病室に来ていた。
「驚きました……。もう爪がここまで伸びているなんて」
病院食を食べている彼を見て驚愕の声をあげる。
ぎこちなくフォークを動かしている右手の中指と薬指の爪は綺麗に生え揃っていた。剥がされたのが六日前、通常完治するのに一ヶ月はかかるので驚異的な回復力といえるだろう。
「昔から傷の治りが他の人より早いみたいで」
そう口にするとルカはポテトサラダを頬張って顔を綻ばせた。
痣もほとんどなくなっている。この様子だと今週中には退院になるだろうと予想したカインは今後について話すことにした。
「スフィアくん、ここを退院してからなんですけど━━」
担任が真剣な表情で話し始めたので少年は手を止める。
「君には一旦私の実家に来てもらいます」
「え?」
予想していた内容と違って思わず声を漏らした。
医師から聞いた話では退院後は孤児院で生活する事になるというものだった。
「スフィアくんは魔法使用許可証というのをご存知でしょうか?」
ルカが首を横に振ると、カインは説明を始める。
「魔法使用許可証というのは魔力を持つ人間が七歳になる年に取得しなければいけないものです。これがないと魔法を使ったり学ぶ事が出来ません。そして君はその許可証を持っていない事が判明したので講習を受ける必要があります」
要するに自分は魔法使いとしての義務を果たしていない状態なのかと少年は納得した。
「丁度私の母が講師の資格を持っているのでお願いしたところ快く引き受けてくれたので、どうせなら自宅に来てもらおうかと。わざわざ孤児院に足を運ぶよりもそっちの方が効率がいいでしょう?」
「確かにそうですけど……。いいんですか? お邪魔しても」
「ええ、気を遣う必要はありませんよ。妹家族も住んでいますし、一人増えたところでどうって事ありません」
にこりと笑う彼を見て、それならとルカは厚意に甘える事にした。
「ありがとうございます、ジェムティアーズ先生」
「いえいえ。それでは水曜日に母と妹が来ますので詳しい話はそこで」
分かりましたと頷くと男はところでと話を続ける。
「何か困っている事や気になる事があれば遠慮なく言ってくださいね。出来うる限りサポートしますので」
「今のところは……あ、そういえば一つ聞きたい事があって……」
なんでしょうかとカインが尋ねるとおもむろに口を開いた。
「ライルさんは今どうしていますか? ここに来てから一度も会ってなくて」
笑顔だった男の表情が、世話係の名前を出した途端に曇る。口に手を当てて深く考え込んでいる様子を見て何かあったのかとルカは心配になった。
「落ち着いて聞いてくださいね? ━━ライルさんは逮捕されました」
しん、と静まり返る室内。聞き間違えたのかと思った少年は黙ったままだった。しかしやがて、それが間違いではないと理解すると目を見開きカインの腕を掴む。
「なんで……っ、あの人は何も━━!」
「直接危害を加えていなくても、虐待を放置していたとなれば罪に問われるんですよ」
取り乱しているルカに対して男は至極冷静に事実を述べた。
「そんな……」
掴んでいた手を離し少年はうなだれる。
「……あの人も脅されていたみたいですし、情状酌量の余地は充分にあるので刑期はそんなに長くはならないと思います」
だからそんなに落ち込まないでとカインが言うと、ルカは俯いたまま小さく頷いた。
◇◇◇
ルカと別れた後、カインは病院の駐車場に向かった。車に乗り込むのと同時にスマホが震える。母からの電話だ。
「はい。━━ええ、たった今伝えてきました」
スマホ越しからしゃがれた声が聞こえてくる。
「少年の祖母については?」
「もちろん伏せてあります。━━ええ、私もその方がいいと思うので。━━はい。……はい。分かりました、それではその時間に。━━はい、お待ちしています。おやすみなさい」
通話が終わるとスマホを鞄にしまい、マンションに戻る為に車を走らせた。