九話 病室とプリンと新展開 【一章終了】
空が薄暗くなった頃。
フィアはカインとともに市内の病院にやってきた。
病室へ行こうとする少女に、カインは医師の話を聞いてから向かうと伝える。
叔父と別れ彼女は一人廊下を歩く。
ルカがいる病室が見える位置まで来ると中から看護師が出てきた。相手はフィアに気付くと少し悲しげな笑みを浮かべながら会釈をして去っていった。
少女はドアの前に立つとノックをする。
「ルカくん。私よ……フィアよ。入ってもいい?」
中から返事はない。
「……入るわ」
部屋の中の彼はベッドで上体を起こしたまま俯いていた。
患者服から覗く腕には包帯と、無数の痣が見える。
備え付けのテーブルに置かれた病院食はほとんど手を付けられていない。スプーンの上には一口分おかずが乗せられているが、彼が口にした様子は見受けられなかった。
「……お腹、空いてない?」
そんな筈はないと思いながらもフィアは尋ねた。ルカは答えない。
「もう我慢しなくてもいいのよ?」
言いながら家から持ってきたプリンを机の上に置いた。
「……僕は」
少年の口が微かに動く。
「僕はこれからどうなるんだろう……。叔父の所にも実家にも帰らなくていいって言われたけどそうなるとどこに行けば……」
ルカの胸は不安でいっぱいだった。
虐待から解放されたがこれで終わりではない。ずっと病院にいられる訳ではない為早急に新しい住処を探さなければならないし、他にも課題は色々とある。
そして何より一番恐れているのが━━。
「もう本当に僕には魔力しか残っていないのにそれさえ失ったら……」
魔力しか取り柄がないと言われ続けてきた少年だ。それを奪う行為に躊躇いがあるのは仕方のない事だろう。
彼の胸の内を聞いたフィアは何か言葉をかけなければと思ったが、こういう状況で気の利いた事を言える程器用ではない。
「難しい事を考えるのは後にして、今はやりたい事をすればいいと思うわ」
だから彼女は下手な慰めよりも、自分が抱いた気持ちを素直に伝える事にした。
「ルカくんはどうしたいの?」
少女の言葉に反応してルカは顔を上げる。
どうしたいと問われれば食欲を満たしたい以外にない。
机の上には病院食と、そしてプリン。料理研究部での出来事を思い出す。
本当はあの時食べてみたかった。けれど怖くて、結局は拒絶したのだ。
おそるおそるそれに指差すと、フィアが蓋を開けた。そしてスプーンですくって少年の口に近付ける。
じっと見つめた後、ルカはゆっくりと口を開いて受け入れた。
初めて食べたそれは冷たくて、滑らかで、他にも言葉で言い表せない感情が押し寄せてきて思わず涙が零れた。
「お口に合わなかった?」
慌てた様子のフィアに首を横に振って違うと伝える。ルカ自身も何故泣いているのか分かっていないようだ。
もう一口食べると彼は美味しいとしゃくり上げながら答える。
フィアはその言葉に安心して、容器が空になるまで食べさせた。
◇◇◇
「━━ああ、院の方からも連絡があった。引き受けるつもりだ。準備が出来次第その少年のもとへ向かう。━━ああ。お前の方から伝えておいてくれ、それじゃあな」
整頓とは程遠い書斎の中、老婆は自身の息子と電話でやり取りをしていた。
部屋の端にあるテレビではニュース番組が報道されている。
「ミリア」
通話が終わると目の前にいる娘に声をかけた。
「部屋の準備をしておいてくれ」
こう言うと彼女は頷き部屋を出る。
一人になった老婆は本棚から一冊のアルバムを引っ張りだした。適当に開いたページには白黒の写真がいくつも貼ってある。
その中の一枚に視線を向けた。そこに写っているのは背の高い少女ともう一人。
「あいつ……」
そのもう一人の少女を撫でながら、彼女は呟いた。
ニュース番組は現在歴史博物館の盗難事件を報じており、盗まれたとされるデザイアカードの写真が映し出された。
そこに描かれていたのは、真っ黒なカラスだった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。一章終了です。
引き続き楽しんでいただけたら幸いです。