序章 ドルフィニア魔法学園
1
まだ少し肌寒い四月の始め。
気持ちのいい程晴れた空と、隣から聞こえる小鳥の囀り。それらはまるで自分達の新たな学園生活の始まりを祝ってくれているようだと、アルマは柄にもなくそんな事を思っていた。
目の前にはコの字を反時計回りに九十度回転させたような建物。長い年月雨風に晒された壁は少しくすんでいる。
名門校と名高い、ドルフィニア魔法学園の校舎。
「晴れてよかったな。絶好の入学式日和だ」
彼女の言葉に隣で黒いカナリアを撫でていたフィアは小さく微笑んだ。
「ねえねえ早く行こうよ二人とも!」
「あ、待てよロープ」
急かすように校舎へと駆けていく妹の後を追う。しかし幼馴染がついてきていない事に気付きアルマは足を止めた。
「フィア?」
名前を呼んでも反応がない。カナリアはいつの間にか静かになっていた。
ロープも異変に気付いたのか振り返る。それと同時に、フィアの身体はゆっくりと前のめりに倒れていった。
「フィア!?」
慌てて駆け寄る二人。遠くから誰かが上げた悲鳴が聞こえる。
場が騒然とする中、カナリアだけが空に佇むそれを捉えていた。
自身と同じ影絵のように真っ黒な鳥の姿を━━。
2
ドアを開けたその部屋は、救急箱と薬品がしまわれている棚があった。
端にあるベッドらしき物にはカーテンがかかっていて中がよく見えない。
けれどそこから、何かを啜るような音が聞こえてくる。
私はゆっくりとそこに近付き、そおっとカーテンを開けた。
そこにいたのは━━━━。
◇◇◇
夢を見ていたような気がする。内容はうっすらとしか覚えていないが、あまり気分のいいものではなかった。
身体をベッドに預けたまま辺りを見渡す。四方はカーテンで囲まれていて部屋全体がどうなっているのかは把握出来ないが、たぶん保健室だろう。
ベッド脇の椅子にはブレザーとリボンが置いてあった。
ふと、枕元に一枚のカードが置いてある事に気付く。手に取り確認すると、それは自分の物だった。黒いカナリアの絵が描いてあり、裏面は全体的に黒ずんでいる。
カードをブラウスのポケットにしまっているとカーテンが開いた。
現れたのは青紫色の髪を一つにまとめたスーツ姿の女性。
「気が付いたか。気分はどうだ?」
「あ……はい。大丈夫です」
そうか、と口にするとその人は説明を始めた。
「今は入学式が終わって生徒達は教室に戻ったところだ。新入生はこのあと授業内容や注意事項についての説明があるんだが、出られそうか?」
身体には依然倦怠感が残っているが、動けない程ではない。私が頷くと、教室へ案内するから身支度を整えろと彼女は言った。
「ああ、言い忘れていたが私はお前のクラスの担任のイザベラ・シャノンだ。よろしく」
よろしくお願いします、と上着を羽織り終えた私はそう返す。
「しかし魔力枯渇で倒れるとはな。昨日何か大掛かりな魔法でも使ったのか?」
教室へ向かう道中、シャノン先生が尋ねてきた。
「えっと……。そう、ですね昨日ちょっと研究に熱中し過ぎて」
「まったく、勉強熱心なのはいいが無茶をするのは感心しないな。自分の力量を把握してこそ一人前だ」
「おっしゃる通りですね。以後気を付けます」
咄嗟についた嘘に罪悪感を覚えながらも会話の流れに沿った返答をする。
その後はお互い喋る事なくただ足を動かした。
外ではカラスが鳴いている。それがやけにうるさく感じた。
◇
教師不在の一年A組の教室では隣の席のクラスメイトと会話をして時間を潰していた。
そんな中、鏡写しのようにそっくりな赤髪のショートボブの二人は未だ空席のその場所をぼんやりと眺めていた。
数分後、ドアが開き二人の人物が入ってきた事で喧騒は段々と静かになっていく。
先頭を歩く女性は既に全員が知っている。このクラスの担任だ。生徒達の視線はその後ろを歩く少女に集まった。
腰まで伸びた水色の髪は穏やかな海の浅瀬を連想させ、髪と同様の色をした瞳からはおとなしそうといった印象を受ける。
彼女を見た瞬間アルマとロープの表情が明るくなる。
少女が座るとシャノンは教卓に置いてある手の平サイズの冊子を手に取った。
「今から生徒手帳を配る。後ろの席にまわしてくれ」
手帳が全員に行き渡ったのを確認すると再度口を開く。
「改めて諸君、入学おめでとう。これから三年間ここドルフィニア魔法学園でしっかりと勉学に励み、優秀な魔法使いになれるよう精進していってくれ。早速だがこの学園について軽く説明しようと思う。手始めに授業内容からだ」
そう言うと黒板に四つの単語を書き始めた。
「我が校では一般的な科目の他にこの四つが加わる。まず一つ目、魔力学。主に魔力に関する知識や安全な活用方法について学習する。ちなみに私が担当だ」
区切りのいいところまで話すと、一番左の言葉を差していた指示棒を移動させる。
「次にルーン文字。魔法陣やその他術式に使用する文字を勉強する。魔法実技は言葉の通り実際に魔法を使い、技の精度を上げる事を目的とした授業となっている」
最後に一番右の単語に棒を置いた。
「薬学は薬の調合についての授業だ。この四つの授業以外でも魔法の上達を目的とした内容が組み込まれているぞ」
一通り授業内容の説明が終わると次に注意事項についての説明が入り、その後学園内を案内してもらう流れになった。
「フィアだいじょーぶ?」
「身体はなんともないのか?」
道中、双子が心配そうにフィアに声をかけてきた。
「うん、平気よ。心配かけてごめんね」
にこりと笑う彼女を見て、二人は胸を撫で下ろす。
学園案内は三階から二階、一階、そして屋外へという順番に進んでいった。
頻繁に使用する教室や場所を見て回った後、自分達のクラスに戻る。
時刻は午前十一時。新入生はここで下校だ。
「明日から本格的に授業が始まる。くれぐれも忘れ物をしないように。それでは解散」
シャノンが締めの言葉を言うと、生徒達は各々教室から立ち去っていった。
3
「ねえねえ、帰る前にもう一回庭園見に行こうよ!」
玄関へ向かう途中ロープが唐突に切り出した。
庭園というのは案内の際に訪れた場所の一つだ。園芸部が管理しているとその時説明があった。
先程は長く滞在出来なかった為、もう一度行きたいとロープが言う。
フィアとアルマも興味があったようで、その提案に乗った。
早く早くと急かすロープの後ろをフィアはアルマと一緒に歩く。
「フィアさん」
すると背後から自分を呼ぶ聞き慣れた声が聞こえてきた。
振り返るとそこにいたのは白い手袋を身につけた三十代前半の男性。着ているスーツはシワ一つなく、七三に整えられた茶髪と合わさって理知的な雰囲気を漂わせている。
フィアの叔父であり、この学園の教師でもあるカイン・ジェムティアーズだ。
「具合はいかがですか?」
彼もやはり憂いを帯びた目をして聞いてきた。
「ええ、もうなんともありません。すみませんご心配をおかけして……」
「それならよかった」
藤色の瞳を細めて、安堵の表情を浮かべる。
「帰り道は気を付けて。今日は早めに休んでくださいね」
その言葉に頷くと双子とともにまた歩きだした。
庭園は西棟を越えた先にある。
茶色い地面を進んでいくと前方に華やかな色が見えた。
辺り一面に広がる黄色のカーペット。
石畳で舗装された通路の両脇には無数のスイセンが植えられている。そして所々に生えている樹木はカエデの木だ。
通路に沿って歩くと噴水に辿り着く。そこから石畳は噴水を囲むように円形に敷かれていた。円からは更に二本の通路が伸びており、端まで行けるようになっている。
「やっぱり迫力があるなあ」
アルマはスイセンにスマホを向け、ロープははしゃぎながらその辺を駆け回った。
ここでふとフィアは奥に人がいることに気付く。
ブレザーとスラックスを身につけたその少年は日傘を差していた。
三人に気が付くと柔らかな笑みを浮かべながらこんにちは、と優しい声音を響かせる。
全体の雰囲気は霧のような脆さを感じさせ、けれども爛とした赤い瞳が彼の存在を幻ではないのだと主張している。
このひどく歪な在り方をした少年を、フィアはどこかで見たような気がした。