ガラスの人形
遠い空の彼方の国々、西の果ての「くもりの国」。
年中くもりばかりのその国に、人形作りのおじいさんがいました。
おじいさんの作る人形は可愛らしく、生き生きとして、まるで今にも動き出しそうと評判でした。
いつもにましてどんよりと雲の厚い日のことでした。
暗い作業部屋の中、おじいさんは机に向かっています。
「わしももう年だ。おそらくこの子たちが最後だろう。」
机に立っているのは、樫の木できた人形。
パズルのような寄木細工で組み立てられた男の子です。
もう一人は、ガラスの女の子。
ツヤツヤとした肌、ぷっくりとした唇。透き通った美しい肌。
見るものを引きつける立ち姿。
名人の作品にふさわしい子どもたちでした。
並べた二人を前に、おじいさんは何事かをつぶやきました。
聞いたこともない言葉を一語一語発する度に、おじいさんの掌から光の粒が生まれ、
二人の人形を包んでいきます。
一晩たったのでしょうか。
おじいさんはまだ呟いています。
声も途切れ途切れになり、光も弱々しくなる頃。
ゆっくりとガラスの人形が口を開きます。
同じくカシの木人形も動き出します。
手をゆっくりと上げ、口を動かし始めました。
「はじめまして」
「はじめまして」
二人は同時にお辞儀をしました。
「おお、良い子たちじゃ」
おじいさんは目を細めました。
カシ人形は元気な男の子です。
寄木細工の体を様々に変えて、ガラスの人形を笑わせます。
鳥の形やボールの形に体を組み替えます。
小さくなったり、四角くなったり。
カシ人形はガラスの人形が好きでした。
彼女が笑うと、ガラスの体にこだまして、コロコロと声が響きます。
くもりの国の弱々しい光にさえ、笑顔がキラキラ光るのです。
「ああ、もっともっと光が強ければ、君はもっともっと輝くのに」
カシ人形が曇り空に向かって恨めしそうに言うと、
ガラスの人形は困ったような、笑ったような顔をしました。
「曇りだっていいじゃない。雲はあなたのようにいろんな顔を見せて飽きないわ。」
褒められたのかな?
カシ人形にはよくわかりません。
どんよりとした空を好きにはなれないまま、楽しい日々は過ぎ、
突然、終わりました。
おじいさんが倒れたのです。
二人は懸命に看病しましたが、三日三晩おじいさんはベッドに伏したまま目を覚ましません。
四日目の朝、ようやく目を開け、声を絞り出しました。
「どうやら、神様が迎えに来ているようじゃ・・・。」
途切れ途切れ、おじいさんは語りはじめました。
東の果ての魔法が盛んな国に生まれたこと。
流行病で家族を亡くしたこと。
それから魔術を学んだ。
家族の代わりに人形に命を吹き込んだ。
罪となり、追われてしまった・・・
この国にたどりつき、寂しさのあまり、時々人形に命を吹込んだこと。
「私たちの他にも命の人形がいたの?」
「そうじゃ。私の魔法は自分の命を分けているだけのもの。時が過ぎればただの人形に戻る。」
二人は周りの棚に飾られている人形たちを見渡しました。
「お前たちもいずれは普通の人形に戻る。それまではこの家にゆっくり暮らすといい・・・。」
「おじいさんの生まれた国を教えて。」
カシ人形は突然聞きました。」
「聞いてどうする・・・・。まあいい・・・。」
深くため息をついて、一言。
「光の国」
二人は二人ぼっちになりました。
おじいさんの弔いも終え、しばらく経ちました。
カシ人形は窓辺の椅子に座り、ぼうと空を眺めています。
「あなたはどうするの?」
ガラスの人形は針と糸を器用に動かし、カシ人形の服を直しています。
「決めた。」
「ん?」
「光の国に行く。」
「このままではいずれただの人形に戻ってしまうよ。光の国に行けば、なんとか命を伸ばしてもらえるかもしれない。旅に出よう。」
それに光が当たれば、ガラスの人形をもっと素敵に笑うに違いないし。
「そうね。私たちはお腹も空かないし、喉も乾かない。人間よりもずっと荷物が少なくて、旅も楽ね。」
「悪い奴らが来ても、僕の硬い腕や脚で追い払ってあげるよ」
ガラスの人形は笑いました。
カシ人形はその笑顔をもっともっと見たいと思いました。
工房に別れを告げ、二人は旅立ちました。
光の国は、灼熱の草原を東に進み、黒い森を抜け、七つの剣の山を超えた東の果てにあると。
おじいさんは教えてくれました。
カシ人形の足取りは軽く、テクテクと草原を進んでいきます。
草原には恐ろしい獣たちが住んでいますが、食べられない人形には興味を示しません。
それでも二人は音を立てないよう静かに歩いていきます。
太陽が高く登った頃、曇りが途切れ、強い光が差し込みました。
ガラスの人形がキラキラと輝きました。
ああ、やっぱり綺麗だ。
カシ人形はうっとりしました。
一瞬周りが暗くなりました。
空を見上げると、ハゲワシたちが空をグルグルと回っていました。
ガラスの人形の光は平な草原ではどこまでも届きます。
目の良いハゲワシは興味を持ったのです。
鋭いクチバシでガラスの人形をコンコンと突き回します。
「きゃああ」
ガラスの人形は頭をかかえて、ツルツルとした肌がハゲワシの爪でキシキシと鳴り響きます。
服に今にも爪がかかり、あっという間に空に連れ去られそうです。
「あっちいけ!」
カシ人形は剣の形に体を組み替え、ハゲワシたちの頭とポカリポカリと叩きます。
続いてガラスの人形も剣となったカシ人形を持ち、振り回します。
ハゲワシたちは食べられないと思ったのか、また空の彼方に去っていきました。
「大丈夫?!」
ハゲワシたちの爪のせいで二人の服はあちこちに切り裂きができましたが、
体は無事のようでした。
「早く草原を抜けよう」
二人は駆け足で走り続けます。
幸い、ライオンやハイエナは匂いのしない二人には興味がないようです。
川や沼を避けるため、夜はじっとやすみ、昼に走り続けました。
夜を三回超えた頃、とうとう二人は草原の終わり、黒い森の入口にたどり着きました。
森の中は、あちらこちらに暗闇が吹き溜りのように待ち受けていました。
気をつけて歩かないと、たちまち互いを見失いそうです。
それでもカシ人形は元気でした。
ここなら嫌なハゲワシはいないし、音を立てさえしなければ、獣たちは自分たちに気づきはしない。
お互いの手を離さずに、ゆっくり行こう。
二人は目で会話をしながらそろりそろりと進んでいきます。
突然、右側の暗がりがぐらりと動きました。
二人は思わず叫び声を上げそうになりました。
大きな黒い熊が立ち上がったのです。
熊は鼻をヒクヒクと鳴らし、グルリグルリと辺りを見渡します。
二人はゆっくりと木の陰に身を寄せました。
クマは盛んに鼻をガラスの人形に向けます。
その先は、よくよくを見て見ると、ガラスの人形の襟首に向けています。
そこにはあのハゲワシの羽が刺さっていました。
ハゲワシの匂いに惹かれているようでした。
カシ人形はそっとその羽を抜き去り、熊の鼻先に持っていきます。
熊は熱心にその匂いを嗅ぎはじめました。
カシ人形はそうっと羽を地面におきました。
クマは鼻面は近づけて、羽を嗅ぎます。
二人はゆっくりと離れていきます。
鼻息で舞い上がった羽が鼻をくすぐったのでしょうか、クマは突然大きなクシャミをしました。
ブオオオオオーーーーン
二人はビックリし、思わず走り出しました。
クマは逃げる二人を追いはじめます。
森の中では、草に足を取られうまく進めません。
あっという間に追いつかれます。
カシ人形は形をくみかえ、スケートボードになりました。
幸い、開けた下り坂に差し掛かっていました。
「いくぞ!」
ガラスの人形をのせて、すごいスピードで滑り出しました。
クマは下り坂では遅いのです。
運が良かったのか、引き離すことができました。
「もう熊は見えないわ。
元に戻りましょう。」
「まだまだ。ついでに少しでも先に進もうよ。」
どんどん早くなっていきました。
その途端、下り坂の終わりに大木が現れました。
「避けてーーーー」
「むり~」
カシ人形はバラバラになってしまいました。
飛び散ったカシ人形をガラスの人形は集めています。
「なんとか、これで全部。かな?」
「ごめんごめん。」
「部品がなくなったら元に戻らないのよ。」
カシ人形はちょっと落ち込みました。
ようやく二人は七つの剣の山にふもとにつきました。
剣のように鋭い高く急な山々が連なっています。
歩くのもやっとな急な坂。深い谷が至る所にあります。
二人は注意深く歩を進めます。
体が軽いカシ人形は楽々を進んでいきますが、体が重いガラス人形はつらそうでした。
足取りも重く、なかなかすすみません。
運悪く風がどんどんと強くなっていきます。
ゴー
ゴー。
今度は軽いカシ人形が飛ばされそうになります。
ゴー
ゴー
木々が揺れて踊っています。
いつの間にか周りはすっかり暗くなっていました。
どこかで休まないと…
暗闇の中、二人は、休めそうなところを探します。
風をしのげそうな洞窟や、まして山小屋の灯りも見つかりません。
闇の中、目を凝らすと
枯れかけた大木に大きなウロがありました。
なんとか二人が入れそうな大きさです。
身を寄せ合って潜り込みました。
さすがに疲れたのか、ガラスの人形はぐったりして動きません。
「もう少しだよ。この山を越えれば、光の国だ。」
カシ人形の声は自分自身も励ましているようでした。
「きっとたどり着ける。」
ガラスの人形はつぶやきました。
嵐は二人の思いを裏切るかのようにますます強くなります。
古い大木はギシギシとひずみます。
カシ人形は外を見渡しました。
闇の奥に、ぼんやりと灯りがともりました。
「家?」
一瞬の喜びもつかの間、
ぼんやりとした灯りは少しずつ大きくなっていきます。
横へ横へと広がっていきます。
「ちがう、山火事だ!」
嵐が起こした火はいつの間にか二人の周りに広がっていました。
風と夜が、煙も匂いも隠してしまったのです。
熱気の壁がじわりじわりと伝わってきます。」
人形たちは必死に走ります。
少しでも木々の少ない開けた場所を探して、光とは逆方向の暗い方へ。
ようやく木々が途切れ、少し広い踊り場が見えました。
あそこなら凌げるかもしれません。
その瞬間、カシ人形の足下が崩れました。
「アッ」
踊り場は崖になっていたのです。
カシ人形は浮き、その瞬間落ちはじめました。
ガラスの人形がとっさにその手を掴みます。
カシ人形の体を必死に引き戻そうとしましたが、引き上げることができません。
ぶら下がるカシ人形はなんとか崖に足をかけようとします。
ガラスの人形は風に煽られるカシ人形の手に力を込めますが、
落ちないようにするのが精いっぱいです。
背後には火が迫ってきます。
「手を離すんだ!下は川だ。
僕なら浮かぶし、溺れたりしない。」
「ダメよ。この流れじゃ、あなたはバラバラになるわ。
戻せなくなる!」
崖下の真っ暗な川は不気味な音を立ててます。
岩を叩く響きが吹き上げる風に乗って二人に届きます。
夜空には、火の粉が羽虫にように舞い上がります。
一匹二匹、カシ人形の肩にとまりました。
わずかな静寂。
二人は闇に飛び込みました。
どれほど時間が経ったのでしょう。
いつ朝が戻ったのでしょうか。
カシ人形はわかりません。
目を開けた時、空は妙に歪んでました。
目を凝らすと、目の前のガラスのせいだと気づきました。
「目が覚めた?」
ガラスの人形の声が、頭の上から響きます。
ようやくカシ人形はガラスの人形のお腹の中にいることに気づきました。
川に飛び込む間際、ガラスの人形はカシ人形の体を小さく組み替え、お腹の中にしまい込んだのです。
ふたをしっかりと閉じ、体を丸めてじっと流れに逆らわず、一晩かけて岸辺にたどり着きました。
恐ろしかった山は遠くに見えます。
嵐は通りすぎ、小鳥のさえずりが聞こえます。
ガラスの人形から出てきたカシ人形は、体を元に戻しながら周りを見回しました。
川のせせらぎが心地よく、森の中の開け岸辺です。
朝日が気持ちよく当たっています。
「もうすぐ光の国っ」
声が止まりました。
ガラスの人形は傷だらけだったのです。
ツヤツヤした肌はヤスリをかけられたように曇り、ひび割れさえ見えました。
カシ人形はわかりました。自分が気絶している間、
彼女は激しい流れにのまれ、川底、岩、流木ありとあらゆるところにぶつかったのでしょう。
「ちょっと失敗しちゃた」
ガラスの人形は笑いました。
「ぼく、ぼくを、守って・・・」
「ううん、そうじゃないわ。」
「もう、魔法が消えてしまうの。」
「山に入る前からなんとなくわかった。体が重くて、目もよく見えなくなって。
ああ、魔法が消えかけているって。」
少しずつ、ひび割れが大きくなっていきました。
膝の一部が剥がれ落ちました。
カシ人形は震えながらガラスの人形を抱き寄せます。
震えながら、腕の中に包み込みます。
彼女は足もとからキラキラと崩れていきます。
光が登ってくるようでした。
「あ、あ、あ」
消える、きエル・・・
腕の中のガラスの人形はどんどん軽くなっていきます。
「楽しかったよ。」
彼女は優しく笑いました。
一番好きな笑顔でした。
「ごめんね。」
カシ人形の腕の中で、
ガラスの人形は崩れ落ちました。
ガラスの破片を前に、カシ人形は立ち続けました。
なにを間違ったのだろう。
なにをあやまったのだろう。
なぜあやまったのだろう。
カシ人形はいつまでも立ち続けました。
人形たちのそれからを知るものは誰もいません。
ただくもりの街には、短い言い伝えが残されました。
七つの剣の峰を越えた東の果て。
玉のガラスが敷かれた川のほとり。
青々と生茂るカシの森。
ガラスのきらめくせせらぎ。
木々を抜ける風さえも輝く。
岸べよ。
そこは光の国。




