僕の物語「川の流れ」
何もかもがドラマを早送り再生で見るように過ぎ去っていった。彼に言ったとおり、未だに忘れられずにいる。そして、僕は大阪へ戻って来た。そして、彼との約束を破り、彼女と会うことになってしまった。僕は何一つ解決できなかった。彼女についても、彼についても、そして自分自身についても。
今日、大阪に戻って初めてアクセルを握った。両親は僕のバイクを置いてくれていた。とても綺麗に手入れされていた。カワサキのライムグリーンのバイクは、僕を待ち侘びていたかのように心地良いエンジン音を響かせた。
僕は高校を卒業してから初めてバイクを買った。僕は中学3年の頃からバイクに憧れていたし、16歳になった頃には乗りたくて仕方がなかったが、両親は許さなかった。だから、その頃の僕は、暇があればバイクレースのビデオを観て過ごした。バイクを手にしてからは、彼女を乗せて山や海へとショートツーリングに出かけた。そして彼女と別れた日、バイクを車庫に閉じ込めた。
バイクは心地良い排気音を立てて、車庫を飛び出した。長い間乗っていなかったが、運転の方は身体がしっかりと覚えていた。いつもタンデムシートに乗っていた彼女の感触と共に。
僕は大和川の堤防に上がり、アクセルをどんどん開けた。メーターが120km/hを指していた。周りの景色は絵の具をぶちまけたように過ぎ去っていく。しかし、川は流れ続けている。そして僕は生き続けている。バイクが僕に言った。
「何を悩んでいるんだ。過ぎ去ったことは忘れるんだよ。周りの景色のように過ぎ去ろうとするものに何があるというんだ。周りの景色は終わったんだ。川だけ見つめていればいい。」
「そうかもしれない。でも、川の流れる方向が見えないんだ。海に続いているのか、小川になって尽き果ててしまうのか。」
「川の流れる方向が見える奴なんて、どこにもいないよ。」
バイクが諦めたようにそう言った。僕は更にアクセルを開けた。そうかもしれない。僕が地方へ逃げようとしていた前日に彼女から電話があった。
「愛してたの。私あなたを愛してたの。」
僕は混乱した心を鎮めながら、彼女がもう一度話すのを待った。ほんの5分ほどであったが、異常に長く感じられた。
「私やっぱりあなた以外は愛せない。」彼女の放った銃弾が僕の胸に風穴を開けた。
「もう終わったことなんだ。」
「愛しているのよ。」
「すべて終わったんだ。」
次の瞬間そこには、いやに冷静な別人の僕がいた。先ほどまでの僕はすでに銃弾に貫かれ死んでしまっていたのかもしれない。
「私を連れ逃げて。お願いよ。」
僕は目を閉じた。そして、首を横に振った。
「できない。」
そして受話器を置いた。それから何度もベルが鳴り響いていたが、15分後ベルの音は闇に吸い込まれてしまった。
僕の頭は心とは裏腹に冷静だった。彼は妻を失い、子供は母親を失うのだ。できない。
ハンバーグレストランのグラスやプレート皿、サラダボールのように、僕の手から滑り落とす訳にはいかない。できない。
もうすでに決心なついていたはずどはなかったのか。できない。
今では僕と彼女の子供とどは失うものの大きさが違い過ぎる。できない。
もう鳴らない電話を見つめながら36回「できない。」と言ってから、グラスに残ったウィスキーを飲み干し、涙を堪えて眠りに就いた。眠りに就くまでの間の冷たく硬いベッドの感触は今でも忘れられない。
僕は夢な中でバイクに跨っていた。背中越しに彼女を感じていた。しかし。振り向くと彼女はいなかった。後ろを振り向いている僕にバイクが言った。
「もう終わったんだ。」と。
そうかもしれない。僕はうなずいてみた。しかし、彼女を感じる度、何度も何度も振り返っていた。とうとう、目覚めるまで前を向いて走ることができなかった。もう終わったんんだ。