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一人暮らしのベランダにて

コラムとエッセイ

作者: 沢木秀

 初めてコラムというものを読んでみた。今まで避けてきたわけではないが、これまでの自分が読んできた書籍は、総じて誰かの考えたフィクションの世界の話だった。日常、という言葉からはかけ離れているようなファンタジー。現実ではない世界。架空の人物。想像上の出来事。それとは違い、実在する土地を舞台にした物語も読んだ。過去に生きていた偉人の名が出てくることもある。そこに確かにリアルを感じることがあった。しかしやはりフィクションの世界であり、現実ではなかった。

 それでよかった。誰かの日常を共有したいと思ったことはない。あくまでフィクションの世界。現実ではないからこそ、自分の生活と切り離して楽しむことができる。それがよかった。

 人が本を読むとき…本でなくとも映画でもいい。アニメ、ゲーム、ドラマ、なんでもいい。何かしらのコンテンツに触れるときの考え方は、大きく分けたら2種類だと思う。物語の世界に自分を投影して、その世界観の中に自分を存在させる。登場する人物の中の誰かに共感し、その登場人物の周りで巻き起こる出来事に感情を揺さぶられ、一喜一憂したりする。嫌な性格の人物に本気で腹をたてたりすることもあるだろう。物語と自分を繋げた楽しみかただと思う。こう表現することが正しいかどうかはわからないが。

 一方、あくまでも物語であり、自分とは別の世界。それを覗いているような楽しみかたもある。僕はこちらに分類される人間だ。知らない世界で巻き起こる様々な出来事、登場人物たちの関係性。

 主人公が人生の岐路に立たされている。どう行動するかで今後の人生が大きく変わる。もしかしたら、大切な人を失うことになるかもしれない。はたまた大きなチャンスを掴むかもしれない

「ああ、これは大変だ。彼はどうするんだろう」

そんな風に遠巻きに見ている。だって僕は外の世界の登場人物だから。

 そんな僕にとって、コラムという存在は自分の生活に関係するものではなかった。そもそもコラムとエッセイって何が違うんだ。というかエッセイなのかエッセーなのかどっちなんだ……調べてみた。エッセイとエッセーは、どちらで表現されることもあるそうだ。コラムとエッセイは、違いはあるものの同じ用途で使われていることもあるらしい。言葉とはそういうものだと思う。実際には違う言葉なのに、間違っている言葉なのに、世間一般に広まってしまう。それが正しいことのように認識される。言語学者と呼ばれる人たちはどう思うんだろうか。歯がゆいのか、それとも、それはそういうものだと感じるのか。僕にはわからないが、少なくとも僕は言語学者じゃない。正しくはないのかもしれないが、エッセイの方が自由な印象を受けたのでこれからはエッセイという言葉を使うことにしよう。

 僕は言いたいことを簡潔に伝えることが苦手だ。エッセイと呼ばれるものを書いてみたくなった。だが、広く知られているわけでもない人間。そんな自分のエッセイって誰に需要があるのか。いや、ない。意味はあるのか。それなら自分でいくらでも後付けすることができる。何が言いたいのかと言うと、自分の思ったこと、感じたことを表現してみることに言い訳が欲しかったんです。誰に? と言われれば、今までエッセイと呼ばれるものに触れてこなかった自分にです。

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