ep1 正義と悪と光と闇と
「死にたいのですか?」
それが少女の第一声だった。
銀の鎧を纏うその人物が少女だと断定できたのは、凛とした高い声と、その華奢な体躯の所為である。
その小さな体躯に似合わぬ大人びた声、兜の隙間から窺い見える漆黒の瞳は、青年のそれとよく似ていた。
自分と同じ、闇を含んだ濃い瞳。それを見つめ、青年は幾度か瞬きを繰り返す。
重そうな鎧を纏う少女の姿をつま先から頭まで眺めて、それからゆっくりと口を開いた。
「……お前が、勇者か」
「そう、呼ばれてはいます」
鈴を転がしたような綺麗な声で、少女は青年の問いに答えた。
凛とした声は、幼さなど感じさせない強さを持っている。
それに、『呼ばれてはいる』――まるで勇者とは思えぬ言葉だ。それは、どういう意味での科白なのか。
青年には、測り兼ねた。
けれど彼はそんな変わった少女に興味を持ったように、にやりと不気味に口許を歪ませる。
「ふうん。そうか、お前が勇者か」
女の勇者なんて珍しい――。
そんな驚きよりも、彼女への強い好奇心の方が青年の中で上回り、彼は少女をどこか楽しそうに見つめる。
「それじゃあ……お前が、俺のことを殺してくれるのか?」
それを期待して、青年は尋ねた。
どうせなら、殺してくれよ。そう願いながら、鈍く光る兜の下を見透かすように見据える。
青年は有無を言わせぬ――有無を言わさぬはずの――視線で、ちらりと覗く少女の黒い瞳を鋭く射抜いた。
懇願。或いは強制。
けれど――そんな視線を受けながらも、少女は少し間があったあとに重い頭を小さく振った。
「――残念ですけれど……私は貴方を、殺しに来た訳ではないのです」
それは、青年にとって予想外の言葉だった。
いつもの勇者なら、普通の勇者なら。
お前を殺すために来たと、殺気を隠そうともせずに剣を自分に向けるのだ。
お前などに言われなくてもと、纏わりつく殺意を剥き出しにして。
なのに、この少女は、殺しに来た訳ではないと――。
「……何故だ?」
「殺さないことに……理由が必要ですか?」
少し悲しそうな声音が、頭に響く。
青年はそれから、自分の低い声にすら、哀しみの色が含まれていることに気付いた。
「お前……、お前は、狂信者の仲間じゃないのか? あいつらの仲間なのなら、いや、同類なのなら……普通、魔王は滅びるべき存在だと」
「貴方はただの、人間でしょう。力も何もない」
「な……」
そう言い切った人間なんて、今までいただろうか。
自分に対して、ただの人間だなんて。力も何もないなんて。魔王に対して――。
青年はそんな少女に対し、思わず瞠目する。
「……あ……えと、ごめんなさい。……言い過ぎました」
青年の表情を見て何を思ったのか、少女は謝りながらしゅんと俯いた。
別にそういう意味ではないのだが、と思いつつも、青年は魔王である自分を気遣う少女に驚いて言葉も出てこなかった。
ただ、少女が一瞬見せた強い言葉に。
彼は否定――慰めることが出来なかったその代わりに、一呼吸置いてから、彼は別の言葉を口にする。
「……お前は……勇者、なんだな?」
「――ええ。みんなには……そう、呼ばれています」
――みんなには。
その言葉が一体どういう意味なのか、思索する時間も与えず、少女は続けた。
「みんなには、ですけど。ただ私は……別に、そういうのじゃなくて」
言葉が見つからないのか、単に言いたくないだけなのか、少女はそれから先の言葉に詰まる。
それを悟ってもなお青年はしばらく待ったが、少女から次の言葉が発されることはなかった。
やがて無意味な沈黙が過ぎ、ようやく仕方がないと思ったのか、青年は小さくため息を漏らして視線をすっと逸らした。
二人の間に、気まずい沈黙が流れる。
元々敵対すべき二人に、気まずさも何もないのだが。
「……お前。顔を見せろ」
そうして気まずい空気を打ち破るように唐突に、青年は少女にそんな要求をした。
勝手なことだとは自分でも分かっていたが、それでも言った。
そんな言葉に――何の意味があるかも、自分でも深く考えずに。
ただそう思ったから。脳を大して経由せずに。
「顔……ですか?」
美しい曲線を描く兜の下から、ちらりと困惑の色が浮かぶ漆黒の瞳が見える。
相手もまた、その言葉にどういう意味が込められているのか、測り兼ねているのだろう。
「ああ」
けれど、青年がその問いに答えることはない。ただ肯定の言葉。それ以上は何もない。
諦めたのか、それとも納得したのか。少女はしばらくの間のあとにそっと兜に手を添えた。
そしてゆっくりと、その表情を現す。
ゆっくり、とても緩やかに、まるでそれを手放すことを惜しむかのように。何かに怯えるように、怖がるように。
それでも外す。時間をかけながらも、それは段々露わになっていく。
そして、冷たい鉄の下から現れたのは――。
「――あ……」
青年は思わず声を上げた。
彼と同じか、それ以上に濃い漆黒の長い髪。
強い意志を秘め、深い闇を抱いた瞳。
美しいと表現するしかないほどに、整った目鼻立ち。
病的なほど白く、そしてきめ細やかな肌。
幼いながらも既に美しさの片鱗を覗かせる、バランスのいい小顔。
まるでそれは妖精か天使、或いはそれ以上の存在であるように――美しかった。
「改めまして、はじめまして。魔王――シャムシエル様」
――そしてそれは、譬えるならば。
一目惚れだった。