94話 人形師の英才教育
俺は門の陰に身を潜め、ヒンダとヒンダの母親のやりとりをひっそり見守ることにした。
魔導通話のことを思い出すと、あの母親に直接対面したら、どのリアクションをされるか考えたくなかったからだ。
グレイス座の正面入り口の前にはスージーもいた。
どうやら困っているような表情だった。
「ヒンダちゃん、お母さんもこうしてわざわざ迎えに来てくれたんだから……劇場もこんなだし」
「嫌だ! せめて劇場が片づくまでは此処にいる!」
察するに、きっと連絡したのはスージーか。
そうでなくても、グレイス座の劇場が吹きっ晒しの崩壊状態になっているなんてニュースはハイランド王国中に駆け回った。
王営の娯楽なだけに国民の印象は強かっただろう。
ヒンダの母親ももちろんそれを知って、娘がどうなったのか心配するのは当たり前だ。
「劇場が壊れたのだってあたしのせいだ……あたしが捕まっちまったばかりに……」
アーチェに捕らわれたことを気にしていたようだ。
ヒンダの母親は首を傾げている。
「捕まったってどういうこと?」
「あっ、あ~……お母さん、気にしないでください。ちょっと中のオートマタに不具合があったせいで、ヒンダちゃんもその時のことを……ね?」
公にはアーチェの仕業ではなく、オートマタの暴走事故で劇場が破壊されたということにしてある。
スージーは何とかその場を切り抜こうと言い訳しながら、しどろもどろしている。
正面の扉が開き、劇場からパペットが出てきた。
「こんにちは、ヒンダさんのお母様」
「あら、座長さん? 家の娘がお世話になってます」
「いえいえ、お世話になっているのは我が劇団の方ですよ。いつもありがとうございます」
パペットは一礼して愛想よく微笑んだ。
ヒンダを説得して家に帰してくれるのだろうか。
おそらく、この場で一番ヒンダへの影響力がある人物だろう。パペットが「帰りなさい」と言えば、きっとヒンダもラクトール村へ帰ってくれるに違いない。
そうすれば、俺も一つ任務完了だ。
色々と気がかりなことが多いこの王都で、ヒンダの存在は俺にとって足枷になることがある。
アーチェの奇襲もそうだ。
彼女の安全を考えたら、村に戻ってほしい。
スージーも、劇場がこんな状態になってヒンダの面倒を見切れなくなっている可能性もある。
「――お母様、ご安心ください。ヒンダさんは私が責任を持ってお預かりします」
だというのに、パペットはそう言い放った。
スージーも、母親も、驚いて目を瞬かせている。
ヒンダだけが嬉々として目を輝かせていた。
「でも、うちの娘も学校が……」
「学校なんて必要ありませんよ。この子には才能があります。人形師としての才能が」
パペットは語気を強めて真剣な目をした。
「当劇団の座長である私の目に狂いはありません。どうかお母様も娘さんの才能を認めてあげてください。私がヒンダさんの将来を保障します。必ずや、立派な人形……いえ、この劇場のメインキャストとして育ててみせます」
「そ、そこまで言われるなんてっ……感激しすぎて当のあたしもムズ痒いな……」
ヒンダはもじもじしていた。
なんだかパペットにしては押しが強いような。
俺が知らないだけで、今のパペットにはそういう一面もあるのだろうか。
「でも……」
「大丈夫です。英才教育のようなものです」
「英才教育?」
「芸の道は大変ですが、若くから鍛錬を積めば、その分、原石は磨かれますからね。どうでしょう?」
ヒンダの母親は難しい顔をしていたが、少し悩んだ末に、今日は帰ることにしたらしい。実家の連絡先をパペットに伝え、ヒンダの説得を諦めてしまった。
見送ったスージーは、パペットに振り返って眉間に皺を寄せながら尋ねた。
「パペットさん、いいんですか?」
「ええ。ヒンダさんはこの劇団員になる素質がある。それは間違いないから」
「こんな状態で稽古なんてできるんですか?」
「大丈夫。むしろ辞める子が増えて人員が足りなかったくらいよ。――さ、行きましょう」
「わーい! パペットさん大好きっ」
機嫌を良くしたヒンダがパペットにしがみついた。
その頭を撫で、パペットはそれを受け入れた。まるで姉妹のようである。
そうして三人は劇場の中に戻っていった。
「あ゛っ――」
「ん?」
正門の前で、ヒンダの母親とばったり出くわした。
本当に緊張しているのか、狼狽して口をパクパクさせている。
「ソ、ソソソードくん」
「……よかったのか? ヒンダのこと」
ヒンダの母親は慌ただしく前髪をいじったり、服の裾をはたはたと叩いて居住まいを正していたが、少しして落ち着いたようで、深呼吸してからようやくまともに会話してくれた。
「娘は、好奇心が強いんです」
「そうみたいだな」
「私も昔はそうだったので……強く言えないわ」
母親はかなりヒンダに遠慮しているようだ。
あれだけ生意気な娘に育ってしまったのも頷ける。
「そのうち、ちゃんと家に帰ってくると思います」
「そうか? あの様子じゃ当面は――」
「むむ娘もきっとソードくんが好きだと思います!」
ヒンダ母はのぼせ顔でそう告白した。
まるで思春期の女が想いを告げるかのような狼狽ぶりだった。
「はぁ? なんだ急に」
「あの子は素直じゃないから……。家ではソードくんの話ばかりしてるんですよ。今回もソードくんが都会に引っ越すって聞いてから、コソコソと準備をしていました。連絡が来たとき、あぁやっぱりって……」
「人形一筋だって言ってたぞ」
「素直じゃないんですよ」
ヒンダ母は繰り返し、笑顔でそう言った。
にわかに信じがたい話だ。
今だって俺そっちのけでパペットにベッタリだし。
「今回の旅行も、あの子にとって良い経験です」
「よくわからねえな」
「親になればわかります。――それに、ソードくんがいるから、離れていても安心です。あの子を、お願いしますね」
裏切りの勇者も随分と信用されたもんだ。
あいつのこと、ただの面倒だと思ってスージーやパペットに押し付けようとしていたが……。
やっぱり俺が見てやらないとダメか。
ヒンダ母は菓子折りを送ると言って、俺の住所を聞き出すと丁寧にお辞儀して帰ってしまった。
「……」
俺は門の前で一人残された。
本当によかったのか?
親がいいと思ってるなら……。でも……。
なんだかモヤモヤする。
ヒンダだけの問題じゃない。
パペットの強引さにも驚いているからだ。
――英才教育。確かに聞こえはいい。
王営の劇団員ともあれば、将来も安泰だろう。
その道に生きるものにとってはグレイス座は憧れの劇団なのかもしれない。
でも、どうにも異様な雰囲気を感じてしまった。
あの強引なパペットから。
ピロン――。
腕に巻いたプライミーの着信が鳴った。
何かメッセージが届いたようだ。
エスス魔術相談所からだ。
『ソードさん
初仕事です。気を引き締めて取り掛かってね。
:内容 【排管からの悪臭調査】
:依頼主 【王都東区マグリル商会一同】
:歓楽街一帯の排管から悪臭が発生している。
商会は王室に申告したものの、対応が遅い模様。
客足が遠のくことを危惧している。
添付の地図を参考に、現地調査をお願いします。
原因が判明し、排除できた場合、追加報酬あり
エスス魔術相談所 リンピア』
ちょうど最初の依頼が届いたようだ。
なるほど。悪臭調査ね。
最初はやっぱり汚れ仕事を任されるワケだ。