92話 感情の芽生え
アーチェのことは、王室に報告された。
彼女は弓の勇者であり、アークヴィラン・ハンターとして現代でもヴェノムと肩を並べる有名人だ。
王都の市民がパニックにならないように――人間兵器がテロリストに成り下がったなんてニュースが広まらないように、劇場崩壊の件はオートマタの暴走事故として処理された。
アーチェの行方はヒシズ主導のもと、王国近衛兵が極秘裏に追っている。
俺としては複雑な気分だ。
アーチェがすべて悪いとは思っていない。
もしかしたら、アークヴィランの魔素に支配されている可能性だってある。
【掃滅巨砲】か……。
知らない能力だった。
アークヴィラン狩りをしていたアーチェだ。
シールのように魔素を回収して集め、既にその身に能力を宿している可能性もある。その負荷によって憑依になったのかもしれない。
「――ということがあったんだ」
「ふーん」
タルトレア大聖堂で懺悔しに来た。
……と言っても告解室に入ったワケじゃない。教会の古い長椅子の背もたれに肩をかけ、ふんぞり返るような舐め腐った姿勢である。
そんな俺を見かねたDBが注意した。
「貴方、神聖な大聖堂をなんだと思っているの?」
「なにってDBの家だろ? 仲間なんだから、少しくらい遊びに来たっていいじゃないか」
「家……。はぁ、私もセイレーンのように別荘でも建ててもらおうかしら」
DBはくせ毛を掻きながら皮肉を並べた。
「そのときはソードが設計から建築まですべてやって頂戴ね。ちなみに別荘なら、こんなワンルームじゃなくて、部屋がたくさんある三階建てがいいわ」
「なんだそりゃ」
「……ふん。冗談よ。せいぜい本気にしておいて」
なにをムキになってんだろう。
DBは気怠そうに司教座の台座から降りてきた。
「話を戻すわね。――症状を聞いたところ、きっと二号は憑依が進んでいる。そも、私が彼女をおかしいと感じたのは、もっと昔からよ」
「昔っていつ頃だ?」
「貴方が脱走した九回目。教暦2500年頃には、既にその兆候を確認していた」
五千年前か。……それはおかしい。
アークヴィラン襲来はそこから二千年後。
教暦4500年頃からじゃないとアークヴィランの存在は認識されていない。魔素と憑依の関係性が報告されたのも、さらにずっと後だと聞いている。
「アークヴィランが襲来したのは、歴史ではずっと後の話だろう?」
「そうね。私たちの特殊能力の正体が何なのか、まだ解明されてない頃だったわ。私も当時はアーチェの異常な言動の原因はわかっていなかった」
「異常な言動……?」
DBは両手の人差し指と親指を合わせた。
らしくもなく胸元でハートマークを作ったのだ。
無表情でそんなポーズをされてもシュールだ。
「――それは、愛よ」
「愛?」
「二号はね、私たちの中で初めて、人間で云う愛情が芽生えた人間兵器よ」
「本気で言ってんのか……」
人間兵器は感情が希薄だ。
感情がまったくないという意味ではなく、情動の振れ幅が極端に少ないのだ。
仲間の死を前にしても戦力が落ちないように。
勇者が記憶を処理された状態で目覚めても、過去に固執しないように。
「人間兵器が感情を露わにするのは異例よね」
「そうか。お前は毎回の記憶があるんだったか」
「ええ。アーチェが九回目におかしくなったのは、それまでの彼女と比較していたから気づいた」
ケアは勇者たちの変化に敏感だっただろう。
繰り返される魔王退治は、いつも同じ展開だったはずだから。
「九回目は剣と盾がいなかったから、それまでの魔王討伐と異なる展開になることは予想していた。でも、感情を持つ者が現れるなんて予想もしなかったから、私は警戒してアーチェというリーダーのもとから立ち去ったの」
「お前も九回目は逃げ出したのか?」
「私は治癒の勇者よ。自衛もできなくて仲間の治療なんてできないわ」
そういえば九回目の魔王退治で魔王に辿り着いたのは、パペットとメイガスの二人だったとプリマローズ本人から聞いている。
欠員は俺とシールだけではなかったのだ。
「プリマローズに挑んだのはパペットとメイガスの二人だけらしいが、アーチェは……?」
「メイガスが庇ってアーチェを逃がした」
「メイガス――」
魔法の勇者は慎重な性格だった。
暴走気味のアーチェの危険を察知したんだろう。
「二号の愛はメイガスに向けられたものよ。彼女はソードの代役としてリーダーになり、思考にエラーが出ていた。感情が端緒についたのも、彼女の負担を気にかけるメイガスがきっかけだった」
「その"愛"って具体的には……?」
「それを訊く? 野暮な男ねぇ」
DBが卑しむように嗤っていた。
訊いてみて後悔した。
「ま、大したことではないわ。芽生えたばかりの愛は極めて純粋なものだから。――人間で例えるなら、思春期を迎えた十代が互いの距離感を気にして、近づいたり離れたりするような、そんな些細なものよ」
気の強いアーチェがそんな風に恋に落ちていたのだと聞くと耳を疑う。
俺には到底理解できないものだ。
それこそ一度記憶をリセットされた俺は、他の人間兵器と比べても精神年齢が低い。
記憶を消去されたタイミングから計算すれば、DBの精神年齢が6500歳。他のみんなが5000歳。
一方の俺は400歳程度だ。
「私はアークヴィラン・データベースとして現代でもアーチェとやりとりしていたけれど、今回のように感情を剥き出しにしたことはなかった。アークヴィランの力の憑依と裏切り者という鍵刺激の存在が重なってオーバーラップしたのね」
「なるほどな……」
やっぱりアーチェの復讐劇は俺が原因だ。
他の人間をこれ以上巻き込む前に、さっさとケリをつけるべきだろう。