85話 王家の異変Ⅱ
ヒシズは困り顔でこめかみを押さえていた。
武器庫に差し込む月明りが白い肌に掛り、悩ましい表情すら絵画的だ。
「"変"って、どんな風に?」
「うーん。これが家族以外の方に伝わるかどうか心配なのですけど、例えば、わたくしのお父様――国王タルヴィーユ八世で言いますと」
タルヴィーユ・ダグザ=ド=ロワ
ハイランド王の名だ。
タルヴィーユ八世は齢60を超えてもなお公務への姿勢は衰えず、昨今のアークヴィランによる環境問題への取組みも盛んだと云う。
その沈思的な威風が評判で、民衆の支持は厚い。
「お父様は……民衆のイメージとは打って変わって、家庭ではお茶目な一面も見せる、それはそれは無邪気な性格をしたお方ですわ」
「良い親父さんじゃないか」
「はい。わたくしも誇りに思ってます」
娘にもその性格は遺伝しているがな。
「しかし、最近のお父様はどうも愛想が悪く……」
「ほう。具体的には?」
「……以前のような無邪気さがなくなり、表情にも陰りがあって……なんというか雰囲気が暗いのです」
「疲れてるだけじゃないのか?」
国王なんて公務で多忙を極める身だろう。
たまには疲れを見せたっていいじゃない。
人間だもの。そーど。
「いいえっ。疲れた時はその姿を人に見せぬよう、自室に篭るのがお父様でした。その方が休まるからって……。でも今は、あえてわたくしたちにそんな姿を見せている節があります」
「はぁ……。そうか」
高齢な国王の性格が急変するとも思えない。
ヒシズが言うように、身内にしかわからない違和感ってもんもあるだろう。
人格の豹変。
不幸にもそういう事例に心当たりがある。
気鬱の類いか、心境の変化か、あるいは――。
「それが始まりでした。お父様の様子がおかしいことを、最初は母に相談していました。なのに、母も似たように変わってしまって……。そのまま兄、姉……と順番におかしくなり……」
ヒシズは次第に弱気になり、声も細くなった。
家族が変わり果てる様を見せられ、ヒシズもさぞ怖かっただろう。
「いずれわたくしも……と思うと宮殿に居づらくて」
「それで逃げてたのか」
「ええ。だって、夕食では顔を合わせてしまいますもの。王家の仕来たりなのです。宮殿に住まう王侯貴族は必ず食事を共にする、と――。わたくしの侍女である婆やは伝統を重んじる性格なので、強制的にわたくしを夕食の場に引っ張り出そうとするのです」
婆や、とはさっき必死にヒシズを追いかけていた初老の女だろう。
なんだ。本当に鬼ごっこだったのか。
夕食に顔を出さないおてんば娘と、顔を出させようとするお手伝いさんの攻防戦。微笑ましい。
「……なんだか、あたしもお腹が空いてきたな」
ヒンダが両手で腹を押さえている。
手で蓋をした腹の奥から虫が叫んでいた。
俺たちはスージーと夕食を取る約束だ。
そういえば、スージーは今頃どうしてるだろう。
帰っちゃったかな……?
あるいは今もユミンタワーの赤い亡霊が怖くて、帰るに帰れず、途方に暮れているかもしれない。
「王女様も腹が減ってるんじゃないか?」
「勇者とはいえ不躾な質問ですわね?」
「人間兵器だからな。――俺たちもこれからだ。一緒にどうだ?」
ヒシズは、ひくりと体を震わせて頬を染めた。
どぎまぎしたように身をよじらせている。
「このわたくしを食事に誘うなんて……お父様の耳に届いたら、どやされますわよ? ま、まぁでも歴史に名高い勇者様のお誘いです。望むところですわ」
「王家ご用達の店なんて期待するなよ」
「ええ。たまには庶民のお食事もいいですわ」
「よし――」
俺の心労を減らそうとしてくれた礼だ。
詳しい話は宮殿を抜けてから聞くとして、この辛気くさい武器庫を出てスージーと合流しよう。
そう思い、来た道を引き返して王室事務局の廊下へ戻ろうとしたが、どうやら宮殿中が騒がしい。
「ダメだ。こっちも王女殿下のお姿は見当たらない」
「吊り橋と城門の見張りを強化しよう。……家出でもされてみろ。パパラッチが嗅ぎつけて、王室の恥が世間にばら撒かれる」
黒服に身を包んだ警備の会話が聞こえた。
わりと大事になっている。
王室も大変だな。
宮殿の物陰から様子を探っていた俺とヒンダに、当の本人であるヒシズ王女は小声で語りかけた。
「お気になさらないで。戦争中でもありませんし、王族が宮殿に閉じ籠る時代でもありませんわ。頃合いを見て、婆やにも連絡しておきますので」
ヒシズは手首のプライミーを見せつけた。
そうだ。どこからでも連絡手段はある。
「でも、こんな警戒態勢じゃな……」
周囲を見渡して、なにか策がないか考えた。
石造りの廊下に飾られた銀鎧が目につく。
年代物で、他国との戦争中に使われていた鎧を模した物のようだ。
「これだ」
俺は【狂戦士】を使って黒の全身鎧姿になった。
ヒシズは最初ぎょっとしたが、「これが噂の……」と言いながら興味深そうに鎧に触れた。
どうせ一日一回は行使する【狂戦士】。
シールに倣って、変装でやり過ごそう。
「ヒシズもこの鎧を着てくれ」
「わたくしがこんなむさ苦しい鎧を……?」
「変装だ。ヒンダも曲芸師みたいな服だし」
「曲芸!? これは劇団リスペクトの――!」
「芸人と鎧姿の兵士が歩いてたら、そういう業者が出入りしてるだけって誤魔化せるかもしれないだろ?」
「おお、名案ですわねっ」
ヒシズは浮き浮きしながら鎧を着てくれた。
王女という高貴な身分にもよらず、ノリが良いな。
ヒンダはぶつくさと文句を言っていたが……。
黒服の警備を欺くことに成功し、事務局のある廊下まで戻った。
スージーは壁に背を預けて膝小僧を抱えていた。
とっくに事務局は閉まり、廊下は人気がない。
「スージー、大丈夫か?」
「ふぇ……!? うぎゃあっ、兵士の亡霊ぃい!?」
「落ち着け。俺だ。ソードだ」
スージーは【狂戦士】の俺を幽霊と勘違いした。
すぐアーセナル・ドック・レーシングの時の姿を思い出したようで、気を取り直して泣くのを止めた。
「あっ、ソードさん……うわぁぁああんっ! あぁぁ怖かったぁ~!」
「こりゃ重症だ」
スージーは俺の黒い鎧にしがみついていたが、少しして銀鎧の兵士がいることに気づき、きょとんとした顔でそちらを眺めていた。
「こちらの兵士はどちら様?」
「シッ、素顔を見ても大声を出さないでくださる? わたくしは今、追われている身なのです」
ヒシズは兜のバイザーを上げて素顔を晒した。
人差し指を立て、静かにするようスージーに懇願している。
「えっ……王女様……?」
「貴方は人形劇団の方ですわね。少し匿ってくださると助かりますわ」
「な、なんでぇ!?」
素っ頓狂のような声をあげるスージー。
巻き込んでしまってすまない。




