82話 北区、赤い殺意の塔
劇場を探索しているうちに日が暮れた――。
ヒンダの解説が長かったのもあるが、俺もパペットのリハーサルを見せてもらって、だいぶ人形劇が馴染み深くなったというのもある。
感慨深い気持ちになって、劇場の外の庭からカラスの鳴き声を聞いても、耳を素通りしていくようだ。
「どうだ、弟子? 人形劇の趣きを感じたかい?」
「良かった。マジで良かった」
「気持ちが籠ってない! そのいつも澄ました感じ、シールさんも幻滅するぞ! 直せっ」
「無理言うなよ。シールだってこんな感じだ」
人間兵器が激情することがあれば、それはアークヴィランの力の影響だろう。
本来の俺たちは魔王討伐任務のこと以外、こんな感じだ。
「ったく……お前も良い歳だろうに浮いた話がなくてつまんねえなぁ。あたしは弟子の将来が心配だよ」
「奇遇だ。俺も師匠の将来が心配だよ」
「あたし? あたしは将来バラ色さ。パペットさんに才能あるって言ってもらえたし。えへへ」
ヒンダ様、今日の劇場視察でご満悦である。
まぁ、まだ子どもだし、無礼も大目に見てやるか。
それにしても、もう夕方か……。
夕焼けに染まる秋空を眺めて思い出した。
明後日までこの調子でヒンダの子守りが続くのは、この空模様と同じように憂鬱だ。
ふと個人情報端末を見た。
相談したメッセージにシールから返信があった。
『すぐには無理だよ。
それこそ王都に向かうまで7日かかりそう。
DBを当たったら? 教会は秘書さんもいるよ』
一週間か。その頃には公演も終わってる。
秘書ってパウラ・マウラのことか?
レーシングで解説役をやっていた女だ。
自分自身の宿探しもまだだという状況だしな。
最終的にはタルトレア大聖堂に泊まるか……。
でも、DBに貸しを作るのは後が怖い。
「ん?」
考えを巡らせていた矢先、門に立つ美人が見えた。
女は毛先の巻き髪をいじりながら、待ちぼうけをくらわせる恋人を待つように門壁に背を預けていた。
「スージーちゃん! どうしたの、こんな所で?」
「てっきり王家に向かったのかと」
俺とヒンダが劇場の庭園から出てきたのを見て、スージーは安心したように駆け寄ってきた。
「ああ。来てくれて良かったぁ。待ってたんです」
「俺を?」
「はい……。ごめんなさい。悩んだのですが、王室までソードさんに一緒に来てもらいたくて……。もちろんヒンダちゃんにも」
スージーは困った顔して、俺の両腕を掴んだ。
相変わらず距離が近い。
薄手のコートを羽織っていて、劇場の中に居た時と比べて、すっかり帰宅用のスタイルになっていたが、雰囲気は変わっていなかった。
「何かあったのか? 王室に苦手な奴がいるとか?」
さすがに俺も宿無しの状態。
これ以上、誰かに付き合ってたら野宿不可避だ。
適当に理由をつけて断ろうと思っていた。
「ごめんなさい。個人的な理由で……。さっきも言いましたが、私、大の怖がりで。実は王家の宮殿に行く道のりにオバケが出るって噂の塔があって……」
「お、オバケ? 魔物じゃなくて?」
「魔物なんて今の時代出ませんよっ……幽霊です」
子守りの次は幽霊騒ぎかよ。
どうなってんだ、王都は。
「パペットに話して、明日にするとかは?」
「明日だとさすがに公演前日なので、私も他のみんなも劇場を離れられないと思いますっ。今日逃したら、もう来週……遅すぎます」
「そうか。うーん」
「どうしてもあの生首が忘れられなくて、オバケが本当に怖いんですぅ……」
その生首を頼ってるんだぞ、あんたは。
自供したいところだが、アレが俺だと判って覗きを弁明するのも面倒だ。
ここは責任を取るしかない。
「お願いです。終わったらお夕飯を奢りますからっ」
「わ、わかった。俺にも責任があるしな」
「責任? なんですか?」
「あ、いや、なんでもねえ。さっさと行こう」
「ありがとうございますっ」
スージーは俺の手を握りしめ、ぶんぶん振った。
俺を一心に見つめる瞳がキラキラ輝いている。
そんな良い雰囲気を、ヒンダは怪訝な顔で見ている。批判するような目だ。
はいはい。これは浮いた話じゃないからな……。
…
現代では、王室の役割は政治だけにとどまらず、公営の事業展開も担っている。
その代表が人形劇団"グレイス座"。
王家直属の人形劇団と前に教えられたが、グレイス座は王室が運営する公共娯楽だそうで、こうして王室に届け出を出すのは、そういった事情らしい。
壊れた自動人形を入れたケースを荷台で引き、三人で並んで歩いた。
アーセナル・マギアではケースが大きすぎて乗り切らない。今回は歩きだ。
王家が暮らす宮殿は、王都の北区にある。
タルトレア大聖堂やグレイス座の劇場は西区。
都会らしい高層ビルや繁華街があるのは東区。
住宅地が密集しているのが南区だ。
北区や西区はまだ古い街並みが残っている。
そっちは昔の面影を多少残しているが、東区や南区はシーリッツ海方面の貿易が盛んな港町からの人の流入も多いようで、街の景観は近代的だ。
そんなわけで劇場から宮殿への移動では、比較的に歴史的な景観が拝めるわけだが、そこに曰くつきの塔があると云う――。
「不思議ですよね。人間って怖いと思うものの方が、逆に自分から調べちゃったりするんです」
安心しきったスージーは饒舌になっていた。
道中、話題が尽きなくて助かった。
「怖いもの見たさってやつだねぇ。わかるよ、スージーちゃん」
「そうなのよ。王都ではどんな怪異があるかなーって調べたら最近の記事で読んでしまって……」
「それが、塔の幽霊の噂か?」
スージーはこくこくと頷いた。
「怖がるのは自由だが、それなら塔に入らなければ問題ないんじゃないか? 通るだけなら別に」
「実は塔というのが『ユミンタワー』のことで……」
「ああ。あの物見の塔か」
「そう、その塔ですっ」
俺も知ってる塔だった。
タルトレア大聖堂といい、やっぱりこの区域は知ってる建物がいくつかある。
ユミンタワーは昔、物見櫓として使われていた。
魔物の侵攻がないかを見張るために造られ、魔道具を使って登り、魔道具を使って望遠するという、本当に見張り台としての価値しかない塔だ。
防衛機能が主なため、王城の近くに建てられた。
内部は存在せず、高いだけの"支柱"。
近代でも、その塔の高さを超える建物は存在しないかもしれない。
「それならもうここから見えそうだが。――ほら」
夕闇に沈む空に浮かぶ塔を仰ぎ見た。
ユミンタワーは荒廃して外壁が欠けている。
現代では良いランドマーカーだ。
「ひっ……あの物見台の上からじっと見下ろす赤いオバケが目撃されてるんです……」
「赤? なんで赤なんだ? 幽霊なら白だろ」
「し、知りませんよっ! でも、赤って幽霊の中では危険な色なんでしょう?」
いや、知らんが。
「怒りが赤いオーラになって出るらしいです。心霊写真でもそうだって……」
「でもタワーに幽霊がいたからって何ができる? あんな高い場所から呪うって? 馬鹿馬鹿しい」
噂は尾ひれが付いて広まるものだ。
誰かが夕日と見間違えただけだろう。
仮に本物の幽霊がいたとしても、あんな塔の上なら無害。
俺たちは角を曲がり、いよいよユミンタワーが真っ直ぐ正面に見える道までやってきた。
スージーは怯えて俺にしがみつき、目を瞑った。
そんなに怯えても何も――。
「あれ?」
塔の上に、確かに赤い影があった。
これだけ離れていても、はっきりと見えた。
……いや、見えるというか感じる。
これは魔力の気配だ。
強い怒りを混ぜた殺意そのもの。
物見台に立つ赤い影は、俺と目が合うのを感じたのか、赤いオーラをさらに強めて、爆散させるように空に"赤"を滾らせた。
「おおっ、幽霊ってアレかな!?」
ヒンダが驚き半分、喜び半分で叫んだ。
スージーは腕にしがみつく力をさらに強めた。
俺も思わず台車のハンドルから手を放した。
「ひぃいっ本当に!? 出たんですか?!」
「落ち着け。あれは幽霊なんかじゃ――」
しがみつかれて動かない腕と逆の手に【抜刃】で剣を用意した。
攻撃してくるだろうか?
しばらく警戒して、その場で立ち止まる。
赤い影は次第にオーラを弱め、消えてしまった。
「消えた?」
「おおおお。ホンモノだ……」
「だ、大丈夫ですか? えぇぇん、誰か教えてっ」
「大丈夫だ、スージー。もういない」
スージーが恐る恐る顔を上げた。
目尻に粒を溜めて、涙目になっている。
あれは幽霊なんかじゃなかった。
呪いなんて不安定な力じゃない、殺意があった。
死者があそこまで強い生気と魔力を放つとは思えないし、間違いなく生きている者の仕業。
それに――。
「うーん……。あんな場所で地縛霊やるって変わった幽霊だねぇ」
ヒンダがぼやいた。俺も同じ感想だ。
あの赤い影の目的がわからない。
こんな場所で殺意を振り撒いて何をしたいんだ?




