81話 人形劇団グレイス座Ⅱ
パペットは手提げのオイルランプを翳しながら俺たちに近づいた。
ぼう、と浮かび上がる表情は幽微なものだった。
その細めた瞳でも強調される瞳や睫毛が、ここに並ぶ自動人形より人間的で、でも何故か生気を感じさせない。
魔女。今のパペットにはそんな肩書きが似合う。
魔女は屈んで、ヒンダの頭を撫でた。
尻に食い込んだ黒い皮のショートパンツや浮いた胸元のシャツから覗く谷間がセクシーだ。
「よく来ましたね。でも公演は明後日ですよ」
「えっ、えと……ファンなら前々日入りくらい当然だって……ね、え……!」
ヒンダはガチガチに緊張して言葉がたどたどしい。
母親と変わらねえじゃん。
「ふふ、いつも応援ありがとう」
対して、パペットは落ち着いた素振りだ。
部外者の俺たちに注意もせず歓迎してくれた。
スージーが問いかける。
「座長は何をしてたんです?」
「最終調整……のつもりだったのだけど、駄目ね。また一つ動かなくなった。もう公演まで日がないのに」
「えーっ、今になってですか?」
「うーん。代役の数が心配。そろそろ王室に経費を申請しないといけないわ」
何やら問題を発生したようだ。部外者が立ち会ってるのが申し訳なくなった。
そもそも彼女たちは本番が近い。
芝居の世界は詳しくないが、劇の本番前といったらピリピリした雰囲気になっても不思議じゃない。
なのに、パペットは気を遣って俺にも目配せした。
「貴方は、こないだDBと一緒にいた……」
「ソードだ。DBとは古い知り合いだな」
「そうでしたね。よくぞ当劇場に。どうぞごゆっくりしていってください」
パペットは軽く目線を下げて一礼した。
不思議なほど丁寧な対応だ。
間違ってもミクラゲのような邪悪さはなく、突然戦闘になりそうな気配はまるでない。アークヴィランだなんて信じようがない。
「ごゆっくりって。ここは関係者以外立ち入り禁止だろ? トラブル中みたいだし、すぐ出ていくよ」
「いえいえ、こんなの日常茶飯事です」
「そうなのか……」
スージーも言うように、劇場は歴史が古く、設立時に造った自動人形にガタが来ているようだ。
古いオートマタから動かなくなってきたと云う。
公演中にもし誤作動を起こした時、パペットやスージーのような劇団員が、劇中にオートマタを遠隔操作して芝居を完成させる。
ファンには、むしろそれが見どころらしい。
自動人形という機械と人間の二人三脚。
機械が表舞台に立ち、人間は語り部、操縦士として影ながらサポートする。
そんな協演の姿に感動するのだとか。
パフォーマンスの一環として、逆に人間が機械に操られるような演出も時折混ぜたりと、愛嬌のあるショーが現代でも人気の理由だった。
という解説をヒンダに聞かされた。早口で。
興奮したヒンダの説明は、途中なにを言ってるかわからない部分もあったが、掻い摘んで解釈するとそういうことらしい。
「朴念仁のソードにはわからないだろうけど人形劇は奥が深いのさっ」
「そういえば、ヒンダも村では夜な夜な魔力で遠隔操作の練習してたな?」
ヒンダはよく泥人形の操作を練習している。
アレは劇団を意識した遠隔操作の練習だったのか。
東リッツバーの砂漠化問題に率先して動いていたのもヒンダだった。
夢を持つってのは良いことだ。
本人は影の努力を秘密にしたかったようだが――。
「げっ、よくもバラしたな」
「えー? そうなのヒンダちゃん。努力家だね」
「あっ、そ、それは……いつかグレイス座に入団したときに公演を手伝えるようにって……その……うう」
珍しく生意気な少女が赤面していた。
ふっふっふ、たまにはお灸を据えるのもいいな。
「ヒンダちゃんには才能があります。入団してくれるなら大歓迎ですよ」
「ほ、本当ですか、パペットさん!」
「ええ。将来は座長になれるかもしれないわ」
「おっほーっ! 聞いたかっ、ソード!」
ヒンダは興奮して俺の背中をバシバシ叩いた。
お前は人形劇以外のことで学ぶことが多そうだが。
「スージー、劇場の仕事が終わったら、壊れたオートマタと追加経費の書類を王室に届けてくれる?」
「えっ……私ですかぁ……?」
「他の子は公演の街宣に出払ってるのよ」
「うう……わかりましたぁ……」
スージーは肩を落として座長の指示を受けた。
王室に行きたくない事情でもありそうだ。
「ソードさん。ヒンダちゃん。ちょうどいいからオートマタの最終調整の様子でもご覧になりますか?」
「忙しいんじゃないのか?」
「今はこれくらいしかおもてなしできなくて……。それに将来の劇団員もいるのですから。どうぞ勉強していってください」
「わーい!」
素晴らしいおもてなし精神。
スージーもそうだが、芝居に関わる人は奉仕心が高いのかもしれない。ヒンダにはそういう部分を見倣ってほしいもんだ。
パペットはガラスケースに入ったオートマタを台車に積み、劇場に運んだ。
俺も手伝ったが、パペットもさすが人間兵器。
軽々とガラスケースを持ち上げて台車に積み上げていて、その様子を見たヒンダは「筋トレもしておこうかな……」と嘆いていた。
さすがに人間やめないと無理だぞ。
舞台の袖からオートマタを運び入れ、並べた。
中には小道具の小人形や、巨大な羊のぬいぐるみもあったが、どういう物語が展開されるかは謎だ。
オートマタは黒い背広を着せてあるものが多い。
「モコモコ・フィクサー・パーティーだもんなぁ」
「あ、ソードさん、この子はそちらへ」
パペットは穏やかな雰囲気で俺に指示した。
記憶に残る七回目、八回目のパペットよりずっと会話が円滑に進む。
むしろ今のパペットのが好感が持てるまである。
「これが序章の初期配置です。では――」
俺とヒンダは観客席に座らせてもらい、パペットは舞台から客席に伸びる"花道"の先端に立った。
そこがストーリーテラーの立ち位置のようだ。
正式な舞台衣装ではなかったが、観客席のど真ん中の舞台に立つ容姿端麗なパペットの立ち居姿は、それだけでも引き込まれた。
「――"この気持ちはなんだろう?"」
「"いつから僕は、世界の広さが気になった?"」
スポットライトも背景の音楽もないのに、語り部の透き通った声だけで、まるで新しい世界に降り立ったような気分だ。
「すぅ……」
パペットは目を瞑って息を吸い込むと、頭では本番の音楽が流れているようで、ハミングしながら手を翳して指先をしなやかに動かし始めた。
まるで鍵盤でも弾くかのような動きだ。
指先から黄金の魔力粒子が分散していく。
その幻想的な光景に、ヒンダも「わぁ……」と感嘆の息をもらした。
舞台の羊のぬいぐるみたちがダンスし始めた。
踊りながら舞台を動く彼らは、本当に生きた動物のように見える。
「――"どこかにきっと居るはずなんだ。有るはずなんだ。僕にも仲間が。僕にも居場所が"」
「"彼の名前はカリブ。居場所を求めて旅に出ます"」
羊のぬいぐるみのダンスが終わると、いよいよ自動人形たちが出てきた。黒服を着た、執事のような雰囲気の自動人形だ。
それがカリブと名付けられた羊の周りを取り囲う。
パペットは黄金の魔力粒子を振り撒きながら、花道でぐるぐると回転すると、自動人形は釣られたように同じ動きをし始めた。
一糸乱れぬ動きに唖然とした。
自動人形は、まるでパペットの分身だ。
回転速度、腕の開き方、片足を上げるタイミングなど、全て同じ動き。
しばらく見惚れていたが、パペットは途中で辞めて立ち止まった。
「ふぅ……。他の子は問題なさそうですね」
動きの調整は確認できたようだ。
今ので序盤の予演だというのだから驚きだ。
本番当日が楽しみになった。ヒンダが熱烈な拍手を送るのにあわせて俺も拍手を送った。
「あまり長くやるとネタバレになりますから。あとは当日のお楽しみに」
「ありがとうございますっ! すごいっ」
「ありがとう。まだ他のシーンの練習もあるから、舞台の様子を見せられるのはここまでだけど、劇場内は好きに見学していってね」
パペットはヒンダに微笑んだ。
ヒンダは顔を赤らめて涎まで垂らしている。
これはだいぶ惚れ込んでいる。
これが現代の人形師か。
俺の知る大昔の人形師――それこそパペットがその力を奮って魔物と戦っていた頃の印象とはだいぶ違っていた。今の方が文化的でずっと良い。
戦うしかできない俺みたいな力より脅威にならなさそうだが、DBはどんな監視をしてるのだろうな?




