幕間 二号アーチェ
薄暗い部屋で、テレビを恨めしげに睨む女がいた。
成人しているが、年齢は不詳。
ようやく乾かすことができた赤い長髪を三つ編みに束ねながら、女はアーセナル・ドック・レーシングの中継を眺めていた。
凛とした雰囲気はプライドの高さを窺わせる。
女は普段、娯楽に興じる性格ではないが、シーリッツは海生のアークヴィランの出没が頻繁に報告されているエリアであり、大会には関心があった。
情報収集がてら競艇の試合を見物したまでだ。
そこに思いもよらない人物が映っていた。
『――優勝候補を出し抜き、初出場でトップに返り咲いたソード選手、お見事です!』
実況が優勝選手の名前を読み上げていた。
口に含んでいたビスケットをぽろりと落として、人間兵器二号アーチェは驚愕した。
「ソード……ソード……」
困惑は憤怒に変わり、憎々しそうに連呼した。
アーチェは続けて大皿に乗ったビスケットをさらに数枚まとめて握りしめ、口に乱暴に放り込んだ。
「なんであんたがそこにいるのよ。なんであんたが、そんな楽しそうな顔でテレビに映ってるのよ」
テレビに映し出された裏切り者は、実況の女に寄り添われて、だらしない顔で表彰台へ導かれていた。
別人のような態度に苛立ちが加速する。
まさかそこにいるのは他人の空似で、名前も偶然の一致だとでもいうのだろうか。否――。
直後、レース会場に現れた触手のアークヴィランをソードはどこからともなく引き抜いた剣で斬り捨ててみせた。
「抜刃じゃない。やっぱりソード……あんたなのね」
アーチェは確信した。
あの男はやっぱり人間兵器一号だ。
かつて仲間を見捨てた裏切り者。
魔力が滾る。
怒りで我を忘れそうになるほど、アーチェは過去の記憶を甦らせていた。
ソードのせいで仲間が死んだ。
ソードのせいでパペットは死んだ。
ソードのせいで、最愛のメイガスが死んだ。
死んだ死んだ死んだ。
アーチェは当時の感情を思い出した。
◆
遡ること、5000年前。
アーチェが目覚めたとき、自分がその時代の初の勇者なのだと聞かされ、なぜだか違和感を覚えた。
違和感の正体はわからなかった。
勇者だと讃えられた経験など、その時点でなかったはずなのだから――。
ただ、自分が目覚める前には必ず一人は仲間がいた気がした。
前は一人じゃないのだという安心感があった。
だから運命を受け入れていたように思う。今まで。
今まで?
今までのことがよく思い出せない。
アーチェは目が覚めた時点で既に成人していて、子どもの頃を覚えていない。過去の経験がないのに過去の印象が強く残るこの不可解さはなんだ?
「――実は、あなたと同じような力を持つ存在が、他に六人います。六人のうち、二人は裏切りました。今後はその二人を敵だと思って行動してください」
巫女曰く、剣と盾の勇者が裏切ったのだと云う。
そんなこともあるのか、とアーチェはその時ぼんやりと巫女の言葉を聞いていた。
それがどれだけ重大なことかもわからずに。
その後、人形師、治癒士、魔術師、毒殺魔の順に目覚め、勇者パーティが結成された。
五人のパーティは特殊だった。
魔物と戦うとき、接近戦で戦う者がいなかったので作戦が限定された。
初めて目覚めた勇者として、リーダーに位置づけられたのはアーチェだ。しかしながら、魔王を倒す旅をするうちに、アーチェは自分がパーティーを束ねる素養がないことに気づくようになった。
――私は、こんな役回りじゃなかったはず……。
旅は簡単だった。
魔物は雑魚だし、旅も遠足のようなもの。
でも、何より仲間同士の喧嘩に手を焼いた。
ヴェノムは身勝手だし、メイガスは臆病ですぐ逃げる。パペットは拘りが強くて魔物の倒し方一つにケチつけるし、ケアは何を考えているかわからない。
重荷だった。
後衛の狙撃手として指示を出す分にはアーチェはリーダー向きだったかもしれない。でも、前線に立ってパーティーを引っ張る存在ではなかった。
"以前"はそんな意志決定をする男がいた。
何かを始めるとき、第一声をあげる男がいた筈なのだ。何か面白いことを言い始める男が……。
皆、その男の背中についていった。
旅を続けるうちにアーチェは、私じゃない、という気持ちが強くなっていた。
「――そうね。それがソードという男だったわ」
男の正体を教えてくれたのはケアだった。
五号のケアは他の勇者と違って、なぜか昔の記憶があった。それこそ勇者と魔王の戦いが始まる前の太古の歴史をすべて知っていた。
「それって、裏切ったっていう剣の勇者?」
「裏切った……まぁ"私"は裏切られたけれど、あなたたちはどうかしらねえ。ソードは8回もリーダーをやって魔王を倒してきた。その重圧を考えたら、情状酌量の余地はあると思うわ。どう? あなたもリーダーをやってみて」
「どうって……」
ケアの言い方は核心を突くようだった。
自身が重荷を感じていると見破られていた。
まだこの経験が初めてだったアーチェは、未熟さを見透かされたくなくて意地を張った。
「私は裏切り者になんかならない。どれだけ負担が大きくても、そんなクズみたいな真似はしない」
「そう……。ま、頑張って。陰ながら応援してる」
ケアの物言いは投げやりだった。
応援するという言葉の裏に無関心さが見え透いた。
その予想は的中した。
その日を境に、ケアがパーティーを抜けた。
ある町に寄ったとき、忽然と姿を消したのだ。
元から何を考えているか分からなかったが、治癒士の欠員は痛手だった。
魔王を倒すとき、かなり重要な役割になるとも下調べで分かっている。
「……大丈夫だよ、アーチェ。僕らは前衛がいないから回復なんていらないし、しっかり連携が取れれば痛手を食うこともない」
励ましてくれたのはメイガスだった。
メイガスは臆病だったが、思いやりがあって優しい男だった。オタク気質なところがあって、街に寄ったときには誰も知らないマニアックな知識を披露しながら、武具防具の解説をし始めるきらいはあった。
だが、アーチェはそれを面白く聞いていた。
魔王が棲む城を目前にして、ヴェノムがついにさじを投げた。
アーチェは、仲間の連携が大事だと考えていた。
メイガスの助言に従ったからでもある。
身勝手な行動をするヴェノムを、アーチェは事あるごとに怒っていた。
ヴェノムとの対立で大喧嘩をした後、ついに付き合ってられねえ、と彼は立ち去ることになった。
ついにパーティーは三人になった。
弓師、魔術師、人形師という不安定な職業を残した状態で。
「大丈夫大丈夫。今まで魔物でも苦戦したことはないでしょ……! 魔王もそんな大したことないよ!」
メイガスは相変わらず励ましてくれた。
パペットは芸術家肌な女で、これといってアーチェに同情をしているように見えなかったが、こだわりが強い性格のようで、ここまで付き合ったからには魔王退治もやり抜くという意気込みで付き合ってくれた。
結果は、惨憺たるものだった。
後衛を務めていたアーチェは、魔王城のトラップにかかり、通路で鋼鉄の檻に閉じ込められた。
そこに襲い掛かる魔物の数々に手を焼き、仲間と別行動を強いられた。
メイガスとパペットは救出しようとしてくれたが、魔術や人形術でどうにかなる檻ではなかった。ヴェノムの爆薬があれば壊せたのかもしれない。
「おぉおぉ。妾の領域に踏み入る不届き者の貌でも見届けやるかと来てみれば――」
トラップに手を焼くうちに魔王が現れた。
侵入してから攻略に時間がかかり過ぎて、魔王が直々にやってきたのだ。
メイガスは機転を利かせ、鉄の檻に捕らわれたアーチェを、檻ごと魔術で吹き飛ばして通路の奥へと押しやった。
アーチェは吹き飛ばされて通路を逆戻りする合間、魔王に容易く首を刎ねられるメイガスの姿を見せつけられながら退場を強いられた――。
◆
「ああ……ああああ……っ!」
あのときの光景が脳裏に過る。
テレビの光に映し出されたアーチェの顔には、憎しみと怒りと悲痛さが混ぜ合わさった表情が浮かび上がっていた。
憎い。憎い憎い憎い。
魔王に対する憎しみもあった。
魔王にも何度も仕返ししたが、プリマローズは不死性を宿している為、倒しても倒しても復活を果たす特性がある。やがて怒りの矛先は、パーティ崩壊の元凶を生み出したソードに向くようになった。
長い間、裏切り者を探して旅を続けたアーチェは、ソードがアークヴィラン狩りをしているという噂を聞きつけ、アークヴィラン狩りを始めた。
いずれソードと巡り合えると思ってのことだ。
それがこんな形で――。
テレビ越しに表彰されるソードを睨む。
本来、この男は表彰されるような男じゃない。
必ずや同じ思いを味合わせてやる。
リーダーの重圧? 知ったことか。
この男の裏切りで死んだ仲間がいたこと。
そちらの方が何倍も重い。
アーチェは片目の眼光を赤黒く充血させた。
採取したアークヴィランの魔素の力の一つだ。
新しい力でソードに復讐を果たす。
アーチェは愛用の弓を手に、立ち上がった。




