75話 昔々のつい最近Ⅲ
「そう、元に戻せばいいのよ」
大聖堂に着き、ソードを治す方法を尋ねると、ケアは自信ありげに言った。
妙案ここにあり、と満足そうな様子だ。
「その方法を聞いてるんだけど……?」
「彼を元に戻せば、彼は治る。名案でしょう?」
「ケアも頭がおかしくなったの? 私は5年も待たされて、そんな馬鹿みたいな珍回答を聞くためにわざわざ王都に来たってワケ?」
ケアはさぞ愉快そうに邪悪な笑みを浮かべた。
「聞くに、彼は九回目の覚醒の際に自身がしたことに負い目を感じ、結果として【狂戦士】に心の隙を付け込まれるようになったと予想してるわ」
「そうかもしれない……。ずっと譫言のように、あの時のことを呟いてる」
「なら、その心的外傷を帳消しにすればいい」
「……無理だよ。今の私たちが、それを無かったことにするなんてできない」
今の私たちの旅も、贖罪のようなものだ。
それほどの出来事をどうやって忘れることができよう。
「まさか、時間を巻き戻す能力を見つけたとか言うんじゃないよね?」
時間が戻れば、なかったことにはできる。
でもそんな奇跡はありえないのだ。
「ある意味、そういうことになるかしら」
「えっ、本気で言ってるの?」
「本気よ。ソードがこうなったきっかけを思い出してみなさい。彼は九回目の覚醒のとき、あるアイテムを使って七回目、八回目の記憶を残したまま眠りから目覚めた。それによって貴方たち二人は運命から逃れることに成功した。でしょう?」
「ああ、あの時はアガスティア・ボルガ――」
声に出してから気づいた。
記憶の羅針盤『アガスティア・ボルガ』。
それは、装備した者の記憶を保存するアイテム。
「それ、まだ上書きはしてない?」
「してない。必要がなかったから……そうか……あれが……」
自由を手に入れた記念に、と取っておいたままだ。
孤海の島に、アークヴィランの魔素と一緒に。
ケアの提案の意味を理解した。
あの「九回目」というソードにとっての心的外傷をなかったことにするには、七回目と八回目の記憶を保存したアガスティア・ボルガを再び彼に装備させる。
今の彼の記憶を上書きしてしまうのだ。
封印の儀によって眠りについた彼は、蓄積された5000年の記憶をすべて失い、「九回目」までリセットすることができる。
それは、今の彼との別れも意味していた。
「……」
私はとても悩んだ。
孤海の島の祠に向かい、アガスティア・ボルガがまだちゃんとあることを確かめ、密かに自宅まで持ち帰った。
たかが小さな球体のオブジェクト。
これに当時のソードの記憶が詰まっている。
この件、今のソードに相談するのも、相談しないまま彼が狂気に満ちて自我を失っていくのも怖かった。
そうやって時間ばかり経つうちに、ソードはまたアークヴィランの情報を入手して、どこか遠くへ旅に出ていくのだ。
「皆殺しだ……皆殺しにしてやる……」
「待って、ソード。今日は話が――」
「お前も来い。次のアークヴィランは厄介そうな奴だからきっと戦いも長引く。皆殺ゴロゴ……シにはシールの力が要る」
その表情は、まるで囚人のようだった。
自由を求めたのに、彼は何一つ自由じゃなかった。
悲しみを背負って投獄された大量殺人機――。
そんな表情を見ると、私は黙ってついていくしかなかった。
ソードが向かった先は、とある墓地だった。
墓守の情報によると、この墓地では死人が夜な夜な這い出て火達磨になって襲いかかってくるそうだ。
アークヴィランの仕業だと思ったソードは早速、夜に墓地へ忍び込み、墓場の土で剣を造って待ち構えていた。
ソードは躊躇うことなく【狂戦士】を纏った。
否、彼の意思というより【狂戦士】がまるで同化するように彼の体に覆いかぶさったように見えた。
その頃の【狂戦士】は、もはや鎧というより野生動物の外殻だった。硬質な金属板ではなく、なめし革のような強靭さと膨張を感じさせる生体的な外貌。
それが憑依したハイブリッドの姿なのだろう。
もう憑依状態にあるソードを、いつもの彼だとは思えなくなっていた。
時間が経つと墓守の情報通り、墓から亡骸が這い出て、発火して彷徨い始めた。
ソードはすぐ死人の亡骸に飛びかかった。
亡骸はまるで蝋のように固く、剣では切っても切ってもダメージを与えているように見えない。
「殺す! 殺してヤル、アークヴィランは皆……!」
荒れ狂うソードに比例して蝋の亡骸の数も増した。
それに群がられ、ソードも埋もれた。
蝋の亡骸は譫言のように哭いていた――。
「タスケ……テ……」
「オイテ……カナイ……デ……」
「ドウシ、テ……ウラギッタ……」
彼は動揺のうちに火達磨に囲い込まれていた。
「ソード!」
すぐ助けに向かったが、もはや手遅れ。
死者の言葉は精神を揺さぶるには十分すぎるほど酷なものだった。
「ああアアあアアア! アアアアア!」
滅茶苦茶な剣技で蝋の人形を細切れにし、勢い余ったソードは助けに入った私まで串刺しにした。
「がはっ……うっ……。ふー……ふー……」
「シ、シールッ……俺はこんな……お前ノコトモ殺シタクテ――ち、違う。そんなことっ! そんなはずがアアアアア!」
「だ、大丈夫。私は平気だからっ」
「アアア! コロスコロス! シネシネシネ!」
「落ち着いて!」
発狂したソードはアークヴィランだけではなく、自身の体も滅多刺しし始めた。
どれだけ斬りつけても【狂戦士】の自己修復は止まらず、その都度、ソードを覆う黒い筋肉は膨張し、別個の生物のように力を膨らませた。
壮絶な光景だった。見ていられなかった。
私は自傷を繰り返すソードを抱きしめ、周囲を【護りの盾】で覆うことで外界から私たちを遮断した。
「もう大丈夫……大丈夫だから……」
「シネ……コロ……ス……コロシ……シテ……」
私は涙が止まらなかった。
ソードがこんな風になったのは私のせいでもある。
アークヴィランのことなど放置し、私は至急、彼を家に連れ戻した。
ソードはもがきながら【狂戦士】の鎧を剥いだ。
しつこい黒い粘性の魔力を力づくで引き剥がし、なんとか力を解除できた。
次に使えば、もう元に戻れないかもしれない。
そう感じさせるだけの執着が【狂戦士】にはある。
悲痛で顔を歪ませ、ベッドで横になるソードに、私は覆いかぶさるように顔を埋めて相談した。
「ソードを解放させる方法が、一つだけあるよ」
「……」
「それはね――」
ソードは返事もせず、黙って聞いていた。
憑依の話。
アガスティア・ボルガの話。
そして、その秘策は記憶とともに今のソードも消してしまうということも――。
我ながら酷い話をしていた。
或る意味、自殺にも等しい提案をしたのだ。
でも、ソードがソードでなくなってしまう前に、せめて人間としての"善性"が残るまま、新たにやり直すことを彼も望んでいると思ったのだ。
夫婦だから、わかることもある。
「俺も、やり直せたらって思ってた」
ソードはそれしか言わなかった。
九回目のやり直しを、彼も望んでいた……。
これは、いつかの焼き増しだ。
封印の儀のために、廃れた精霊の森の祠に戻り、祭壇を綺麗に掃除した。
アガスティア・ボルガを彼の手の平に巻きつけ、服装も当時のもの、覚醒の杖までも再現した。
封印期間は50年。
なるべく忠実に5000年前の「九回目」を再現し、復活した彼を混乱させることなく、スムーズに現代に馴染ませることが必要だ。
故に、私が巫女に擬態し、取り巻きの神官も人形師に手配させる必要があった。
一通りの準備を終え、私も覚悟を決めた。
ソードを封印してから目覚めさせるまでの50年。
その間、彼のガイドを務める依り代を見つけなければならない。自分自身の身の置き場もだ。
「シール――」
「うん?」
「俺を頼む……。こんな風にならないように」
「任せて。あなたのことは一番よく知ってる」
「どうかな。目覚めた瞬間、襲い掛かってくるかもしれないぞ」
そんな冗談を言う様は、以前のソードに少しだけ戻った気がしてほっとした。
「ありがとう……お前と一緒にいて幸せだった」
ソードは穏やかな表情でそう告げた。
私も伝えなければならない。ソードに。
今のあなたに――。
でも、どうしても私には言えなかった。
声に出せば、この別れを認めてしまう気がして、どうしても言えなかった。
私はやっぱり今のソードと離れたくないと思ってしまっていた。自分で提案したことなのに。
これが恋愛感情なのだろうか。
私は数千年に及ぶ飯事で、ようやく人間の感情を一つ学ぶことができたらしい。
「じゃあな。もう眠る」
「待って。私も、あなたと一緒にいられて――」
ソードは手で制して言葉を止めた。
「これからも一緒だろ」
「う、うん……。うん、そうだよ……」
「俺にとっては一つの終わり……だが、シールはシールのまま、傍にいてくれ」
「うん。ずっと一緒にいるよ。絶対に」
「……」
ソードは満足したように瞼を閉じた。
控えていたケアが、その祭壇に封印の儀を施した。
それが、彼にとっての一つの終わり。
「おやすみ。ソード。ゆっくり休んで……」
往ってしまった。
次に目覚めるときは、もう新しいあなただ。
大丈夫だよ。ソード。
【狂戦士】に付け込まれないように導いてみせる。
囚人みたいな顔にさせてたまるものか。
今一度、彼の安らかな寝顔を盗み見た。
次こそは楽しくて、嬉しいことがいっぱい待ってる自由な人生であることを願って、私が……人間兵器である私が、あなたを守ってみせる。
そうだ。私は人間兵器、三号。
あなたの真の自由を願う。
(第1章「人間兵器、自由を願う」 完)
第2章に続きます。
(※第1章としては、セイレーンたちが新しい棲家を内覧する余話を挟みますが、それ以降は約1ヵ月ほど更新が止まります)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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2章の更新も早くなるかもしれません。




