74話 昔々のつい最近Ⅱ
シール視点
今より60年前の話――。
あの頃、私とソードは途方もない旅を続けていた。
旅の目的はアークヴィランを淘汰すること。
この星に飛来したすべての外宇宙の存在を滅し、元来の環境を取り戻すこと。その為には手段を択ばず、それ以外の目的を捨て、不屈の精神でひたすらアークヴィランを闇に葬る。そんな旅だ。
私とソードは、いつか『魔素』の消滅方法を発見できたら、この世からアークヴィランの痕跡を一つ残らず抹消するつもりでいた。
その方法が見つかるまではシーリッツ海の『孤海の島』――私の封印の祠に魔素を保管しようと決めた。
シーリッツ海の頻繁な往復は、それ故だ。
私もいい加減、アーセナル・ドックという後世に誕生した機械の扱いに慣れてきていた。
そんなことを続けて約2000年。
なぜそんなことを、という話は後述するとして、私とソードは長きに渡る魔素回収作業の末、いよいよ限界を迎えた。
「ん……んん……?」
ある日の晩、孤海の島に建てた隠れ家で、いつものようにベッドで寝ていると、リビングの不審な物音に気がついて私は目が覚めた。
「ソード?」
いつも隣で寝ていたソードがいなかった。
ちなみに、私とソードは夫婦関係にあった。
否、夫婦と云うには語弊があるか。
夫婦は数千年もの時間を共有することがない。
だから、これはその真似事だ。
元より私たちは人間兵器として生まれた。
その在り方は人間社会の営みを全うできる精神構造にない。恋愛感情など芽生えるはずがないのだ。
だから、その真似事。
悠久の時を生きる私たちが、人の心とは何かを理解する為に始めた飯事だ。
数千年も生きていると、何故かそんなものに興味を示し、求めてしまう。それは私やソードのような人間兵器に限らず、魔族や亜人も同様だった。
それはさておき、物音に気づいた私は当然、リビングへ確認しに向かった。
そこで私は黒い異形の獣を見た。
アークヴィランかと見間違えたが、よく見ると、それは【狂戦士】を纏ったソードだった。
「ソード……? 何してるの?」
「コロス……コロスコロス……コロ、ココ……」
「うん?」
ついにソードの様子がおかしくなった。
そこにいたのは殺意の塊だった。
呪詛を吐き、殺戮を求める獣の成れの果て。
それがソードの終着点だ。
積年の思いもあったからだろう。
おかしくなったのは今に始まった話ではない。
彼がおかしくなったのは、そう、さらに5000年も昔からである。
魔王討伐時代、九回目の覚醒に私たちは逃げた。
運命から逃げ出して、自由を求めた。
それがいけなかった。
七つのうち二つのピースが欠けた人間兵器。
勇者チームは当然瓦解し、満足に魔王討伐へ向かえたのはたった二人。四号パペット、六号メイガスだ。
前衛の欠員は埋められず、敗北は必至だった。
自由は、その代償として大きな弊害を齎した。
その後、魔王統治が2000年も続いた。
私とソードは当初、気にも止めていなかった。
人類に使役され続けた鬱憤もあったからだろう。
好き勝手に生き、人類が魔族に虐げられていようが無関心を装った。
でも、それも長くは続かなかった。
ソードは……きっと彼は善良な人間だ。
虐げられる人間、苦しめられる世界を見過ごすほど兵器として無情を貫くことができない人なのだ。それは彼が人間兵器になる前の人格に由来する。
良心に苛まれたソードは、魔族との戦いに戻った。
やがてアークヴィランが台頭しても戦い続けた。
ソードはいつしか戦いに依存するようになった。
戦うことで、運命から逃げた自らの罪滅ぼしをするような節があった。
2000年も続けたアークヴィランの討伐。
倒して倒して倒し続けて……そうすることで彼は何かを取り戻そうとしていた。人間を助けることで、人として失った何かを取り戻そうと躍起になっていた。
「どうしたの……?」
リビングのソファで、ソードは頭を抱えていた。
家ではそんな姿をよく見るようになった。
「俺は、なんて酷いことを……しちまったんだ……」
「酷いこと? 何かあったっけ?」
「昔の話だ。仲間を裏切って見殺しにした。人間は数が半分減った。精霊なんかそのさらに半分だ」
「ソード……」
彼の精神はとうとう破綻していた。
もう遥か過去の話を、時折思い出しては自責の念に駆られる。そんな日々が増えていた。
この頃にはもう限界だったのかもしれない。
「ソードが自由になったことと、アークヴィランの襲来は関係ないよ。気にしすぎだよ」
「俺が逃げなければ……逃げ出さなければ……」
「……」
深夜に見た殺戮の獣は、彼の慙愧の化身だ。
その時はなんとか正気に戻すことができたが、このソードの様子から察するに、症状は進行していくような予感がした。
私は五号に相談することにした。
五号は聖堂教会に属して情報を統轄するというやり方でアークヴィランの殲滅に協力している。彼女なら何か知っているかもしれないと期待して、タルトレア大聖堂を訪れた。
「――憑依ね」
「ヨリマシ? なにそれ?」
「最近、明らかになった『魔素』の特性よ」
ケアが教えてくれた。
アークヴィランの魔素には浸蝕性がある。
それ自体が精神を蝕み、人格を汚染していく。
過ぎた力を手にした人類がその瘴気に耐えきれず、アークヴィランの力に精神を乗っ取られてしまうという現象が、各地で確認されていた。
「シールも知っているとは思うけれど、私たちが勇者として活躍していた時代に使っていた能力も、遥か古代に飛来したアークヴィランの力を、私たちがその身に宿したものと考えられている――」
私にとっては【護りの盾】【蜃気楼】。
ソードにとっては【抜刃】【狂戦士】。
これらの力の起源はアークヴィランだった。
ソードの【狂戦士】は今、暴走を始め、彼の精神を汚染しているのだとケアは云う。
「特に【狂戦士】は一日に一度の強制行使の力でしょう? この性質は、いかに魔素として凶悪なモノかの裏返しだわ」
「どういう意味?」
「【狂戦士】は意志が強い。宿主に力を強制的に遣わせ、使いすぎを誘発させる。ソードは【狂戦士】に精神を蝕まれて自我を保てなくなりつつある」
「そんな……っ!」
「この幾千年もの間、【狂戦士】を制御できていたことの方が逆にすごいことだわ。通常、毎日休まず魔素を発現させ続けたら常人では1年と持たない」
【狂戦士】の力は強大だ。
使用者を攻防ともに大幅強化させる上に、負傷した体を忽ち治してしまうという無敵の力だった。
憑依の進行は、その代償だ。
「どうすればいいの?」
「どうにもできないわね……」
「治したいの! ソードはずっとアークヴィランと戦って人間を救ってきた。そのソードが……! なんでアークヴィランに乗っ取られなきゃいけないの!」
「…………」
私はケアの法衣を掴み、詰め寄った。
彼女は黙ってそれを受け入れていたが、少しの沈黙の後、静かに口を開いた。
「ミイラ取りはミイラになる――。勇者である私たちは、同時に悪魔でもあった。そうでしょう?」
「何が言いたいの……諦めろって? 嫌だよ」
「そうじゃないわ。ソードだけじゃない。私たちは皆その危険性がある、ということ。だから……そうね。私もこの件、解決法を模索するわ。我が事として」
ケアの会話運びは、私も苦手だった。
期待できそうなときほど、口では諦めるように促す言葉を遣う……。
期待できそうな気がした。
私はソードの心の支えに徹し、彼を治癒する方法は治癒の勇者に任せることにした。
ケアから連絡があったのは、その五年後のことだ。
ソードを元に戻す方法を思いついた、と云う。
私は逸る気持ちを抑えて再びケアに会いに行った。




