73話 二人のゴール
ノスケはついにゴールまで辿り着かなかった。
ゴール地点は、操縦席に座るシールの方が先に通過しかけたのだが、手前で機転を利かせたシールがノスケの姿をしたまま海に身を投げ、行方を眩ませた。
それにより、勝者は――。
『怒涛の追い上げ! 第24回アーセナル・ドック・レーシングの優勝はノスケのゴースト……ではなく、ソード選手だぁああ! 優勝候補を出し抜き、初出場でトップに返り咲いたソード選手、お見事です!』
ゴールはちょうど観客席に近い区画にあり、ゴールを抜けたその先が、そのまま表彰台へ上がる横幅の広い階段に繋がっていた。
ラップ制でもないので、クールダウンラップやウイニングラップもなく、アーセナル・ドックを突っ込ませる形で俺は表彰台行きの階段に転がり込んだ。
水飛沫が跳ね、黒い鎧に盛大にかかる。
「っ……よっ……と……」
受け身を取って態勢を整えた。
ちょうど【狂戦士】が解けて元の姿に戻っていた。
すごい乱暴な優勝者の出迎え方だな……。
俺なんかまだミクラゲにやられた視力も本調子じゃないんだ。
チェッカーフラッグの方に振り向くと、本来の自分の姿に戻ったシールが、人目につかないように観客席の方に泳いでく様子が見えた。
シール、やっぱりお前はすごかった。
暴走特急だったが、それでこそ我が相棒だ。
「いやぁ! 劇的な走りで他の選手を席巻したソード選手です! 今一度、大きな拍手でお迎えしましょう~!」
観客席から拍手喝采が沸き上がる。
悪い気はしない……。
拍手をしながら階段を下り、一番下の段にいる俺に近寄ってきたのは、レースを盛り上げ続けた実況のメイリィという女だ。
声は山ほど聞いたのに姿は初めて見た。
メイリィは際どいスリットの入った短いスカートを履き、胸の谷間も惜しみなく出した派手な女だった。
その女が俺に腕を絡めて表彰台に導く。
うむ。悪い気はしない……。
一瞬、観客席中から殺気を感じたが、メイリィにもファンがいるのだろう。
階段を一つ一つ上がっていく。
そのときだ。
観客席に接していた海上コースが大きく波打った。
水柱がそこかしこで吹き上がる。
「わわわっ、な、なんですか!?」
メイリィが転倒しかけて俺にしがみついた。
「これも優勝者を迎える演出か?」
「い、いえいえっ! というか他選手のレース結果がまだ確定してませんから、ファンファーレには気が早いですよっ」
メイリィは勝者を表彰台に誘導しにきただけか。
「そうか……。ちょっと失礼」
「わおっ」
メイリィを抱き上げて階段を駆け上がり、跳躍して足場がしっかりしてる観客席まで運んだ。
ここなら比較的安全だろう。
直後、水柱の中から触手がわらわらと出てきた。
触手は所々焼け爛れている。
大きな触手が観客を襲うように倒れ込んだ。
俺は咄嗟に【抜刃】で触手を斬り払い、観客席と海上コースを隔てる柵の上に着地した。
「――ミクラゲ、いるんだな?」
問いかけると、その異形が海から這い上がった。
触手を束ねる体幹さえ歪んで気味の悪い姿になっている。かろうじてミクラゲが着ていた一張羅の背広がその体幹を乱雑に覆い、それがミクラゲなんだと分かる。
「やァァア、アァなたにはァァ本当にィイイ! 本当に本当ォに本当ォォオオニイイイイ!」
狂ったような怒声が会場中にこだました。
恐怖を煽られた観客たちが逃げ惑う。
ミクラゲの姿はタコかヒトデか分からない軟体動物に変貌しており、多数の触手が体から生え、顔面も大きく膨れて人の形から遠ざかっている。
しかし、ある重要なことに気づく。
触手にあった無数の目――眼状紋が消えていた。
それは【百鬼夜行】の無効化を意味していた。
つまり、奴が支配していた人間の眼球が無事に解放されたということ――。
「俺からの自爆が効いて技が解けたな?」
「グヲォ……オ……オオノレ、オノレェアアア!」
「そうやってみると、やっぱりお前はどう見てもアークヴィランだよ」
ミクラゲの触手が一点集中、俺に迫る。
怒り心頭に発して動きが単調になってやがるな。
おかげで、こっちも本領を発揮しやすい。
柵から跳び上がり、ミクラゲの本体めがけて飛びかかった。途中、襲い来る触手を斬り捨てながらミクラゲに辿り着き、反撃の隙すら与えず、奴の触手すべてを切断した。
「ガッ……アッ……ア……アア……」
手足を失い、体幹だけになった軟体動物は表彰台でもがいた後、やがて動かなくなった。
そして体内から黒い瘴気が爆散した。
黒い霧は、表彰台に上がってきたシールが持っていた大きな瓶の封を解いて、そこに吸い込ませて格納した。
「ふぅ……。無事回収完了」
「回収?」
「お疲れさま。ミクラゲの処理は任せておいて」
シールはすくりと立ち上がり、動かなくなったナマコのようなミクラゲの死体に近寄り、【護りの盾】を棺のように構成して包むと軽々持ち上げた。
「この遺体は私が教会に搬送しておくよ」
「遺体って――こいつは結局、人間なのか?」
「うん。れっきとした人間。アークヴィランの力に溺れた者の末路だよ……」
シールは重苦しい口調でそう語った。
なんだか他人事じゃなさそうな雰囲気で眉尻を下げていた。
力に溺れた知り合いでもいたのだろうか。
そんな重苦しい雰囲気を打ち砕く存在が現れた。
優勝者へ賞品として渡されるために連れてこられていたのか、表彰台の床下の水槽に忍んでいたマリノアが飛び出してきた。
「ソード、勝ったんだね! おめでとうっ!」
マリノアは俺に抱き着いてベタベタしてきた。
お姫様抱っこを強要されて仕方なく抱き留める。
マリノアはお得意の上目遣いで、俺に熱視線を送りつけてきた。
「これで私はソードのものだね。今夜は私を好きにしていいんだよ? それとももうここで……する?」
「あんた頭大丈夫か?」
「いやん、白昼堂々? 昼間でもソードをその気にさせる可憐な私……罪深いね」
「どうやったらそんな風に見える!?」
一人で盛り上がって一人で赤面するマリノア。
シールは侮蔑するような目で俺を見ていた。
なんで俺に非難の目を向ける……。
「待てぇええええい!」
そこにさらなる混沌が舞い込んだ。
コースの方から雄叫びが上がり、水面が盛り上がって怪獣が顔を覗かせたかと思えば、その顔面を下から持ち上げたピンクの悪魔が水面から飛び出した。
「とぅっ!」
怪獣が跳ねのけられ、水面にぷかぷか浮かんだ。
死んでいる……。
表彰台に着地したのはプリマローズだった。
レース中、怪物に捕食されたかと思われたが、しっかり撃退していたようだ。
「妾との婚約がありながら斯様なビッチとイチャこらしおって、何たる恥知らずじゃ、ソードよ」
「してねえだろ。婚約もイチャこらも」
「しーたーのーじゃ! 契りを交わした! 今日!」
「現実と妄想は区別しような!?」
マリノアは後からやってきたプリマローズを見下すように一瞥した。
「ふ~ん……。私とソードはずっと前に月明かりの下で一緒になろうって約束したんだよ。妄想で愛を押しつける魔王とかマジみっともな~い」
「なにィ~! 兎にも角にもこのビッチを下ろせ! そこは妾の専用席じゃ!」
掴みかかるプリマローズ。
俺は体を支えきれなくなり、ついに倒れた。
魔王とセイレーンのキャットファイトが始まり、なんとか這い出て難を逃れた。
シールは一歩引いた所で白々しそうに眺めている。
いや、頭のおかしい連中に絡まれただけなんだが。
「え~~、表彰台が滅茶苦茶に荒れてきましたので、優勝のソード選手、2位のプリプリ選手をささっと表彰しちゃおうと思います。……運営も会長があんな状態で収拾つきませんからねぇ」
表彰台に舞い戻ったメイリィが進行を務め、場を仕切るべくマイクに向かってアナウンスした。
ようやくすべてが終わる……。
俺もほっと胸を撫でおろそうとしたとき、水上コース最終カーブである直角クランクから、また別のアーセナル・ドックの姿が見えた。
それは本大会で一番欠かせないラストスパートだ。
「おい。表彰はもう少し待て」
「ええ……まだこの茶番続けるおつもりですか?」
「そうじゃない。アレを見ろ」
「ん?」
そこには、救助したリックを乗せてマシンを走らせるノスケの姿があった。
会場はその雄姿を温かい拍手で迎えた。
遠目に見るノスケの表情は、どこか満足そうだ。
彼らが最後のレーサー。
すれ違いだった両者だが、最後には向き合い、二人三脚で完走を目指すその姿こそ、きっちり表彰してやるべきだろう。
やっと答えに辿り着いたんだな。
おめでとう、ノスケ。




