72話 レーサーの誇り
ノスケ視点
僕はこんなレース、ずっと前から嫌いだった。
嫌で嫌でもう出場なんかしたくなかった。
走る前には、こう走れとか、このギミックにこの順番で乗れとか、ミクラゲに細かく指示される。
そんなレースが面白いはずがない。
でも言われた通りに走らないと僕は殺される。それだけじゃなくて家族だって皆殺されるんだ。
そんな状況になったら、やるしかないじゃないか。
ふと後ろを振り返っても――。
「……」
誰もついてきてない。
今回も独走で勝利か……。
ソードは見込みがありそうだった。
長年、アーセナル・ドックに乗っているとわかる。
マシンの乗り方、柔軟性、破天荒な攻撃手段。
アレは普通の人間として生きた人間がアーセナル・ドックのレーサーになったんじゃない。人外として生きた何かが、たまたま相性の良いマシンを見つけて調和した結果だ。
同じ土俵にいるのに他の選手とは根本的に違う。
彼とって大会で勝つことは目的ではなく手段。
本来はもっと別の次元の存在なのだと予想している。
そのソードですらミクラゲに沈められた。
次こそは僕も負けられて、この出来レースから解放されると思ったのに――。
『一向に浮上しないソード! 一方、水上ではジャステンとリックの激しいバトルが勃発してまぁす!』
実況の言葉に心が揺らいだ。
コース上の大画面モニターを確認すると、ジャステンが滅茶苦茶にマシンに積んだ砲弾火力をすべて投入して、リックを潰しにかかっていた。
ジャステンは元々そういう役割だ。
なかなか脱落しない選手を蹴落とし、僕を独走で確実に優勝させるための、運営が仕組んだ駒である。
「くっ……」
機体を走らせながらモニターに釘付けになる。
圧倒的な砲煙弾雨を前に、リックは撃沈していた。
それはもう呆気なく……。
心が痛い。
沈んでいくときのリックの手が見えた。
あの器用な手には何度も助けられた。
本当なら友達として、僕がリックを助けにいくべきなのだ。
それが、どうしても……できない。
僕には大切な眼球がミクラゲに握られている。
この目を失ったらもう選手生命は終了だ。
家族まで死ぬ。
そんな状態で、どうやって助けにいけばいいっていうんだ。
リックが出場してきたこと自体が想定外だった。
僕にとっては弱味がさらに増えたようなもの。
そんな状況でリック本人からも責められて、それでもまだ助けにいくだなんて、お人好しなことができるとでも――。
『ん? あれ!? ノスケ選手が二人!』
そのとき、あり得ないことが起こった。
突如として現れた第二の"僕"が大会に飛び入り参戦し、颯爽とコースを駆けていくのだ。
我が目を疑った。
会場の誰もがそうだったかもしれないが、本人である僕なんかさらに気が狂ったのかと思った。
しかも、僕の影は颯爽と潜航渦潮に入り、
『やや!? 先ほど突如として現れた二人目のノスケが、ダイブ・ボーテックスから出てきたと思いきや、背後に黒い鎧の男を乗せているー!? 一体なにがどうなっているのか!』
一度は沈んだかに思われたソードを救助した。
ありえない。これは何かの当てつけか。
沈みゆくリックを見捨てた僕を呪ったリックの怨念なのか、それとも僕自身を許せない僕が見せた幻覚なのか、何の一つも状況が理解できなかった。
しかも、その二人は破格のスピード、コース破りな戦法で一気に僕までの距離を詰めてくる。
「なんで……! なんなんだよ、アレ……!」
混乱した。恐ろしかった。
追いつかれたら首を獲られるような恐怖があった。
しかし、なぜ――。
なぜ僕は、この期に及んで逃げ続けるのだろう。
負けたがっていたのではないか。
あの追い上げる存在の登場は、むしろ当初の僕にとって朗報ではないのか。
やっと負けられるのに、負けを拒む自分がいる。
負けたくないと思ってしまう自分がいる。
「……っ!」
その葛藤の中、最終コーナーが見えた。
そこは、ほぼすべての選手をコースアウトにさせるとも揶揄される魔の直角クランク。
曲がれなければ高粒子レーザーで体は切断される。
ドリフトで第一の直角を曲がりきっても、すぐ先にマナブーストリングが設置されているため、第二の直角でレーザー線に強制的に直撃させられるのだ。
罠のように設置されたマナブーストリングは、事前に存在を知らなければ、絶対に回避することはできない初見殺しのギミックである。
そもそも、ここまで辿り着いた出場者はいない。
あの二人にはミクラゲの【百鬼夜行】がなぜ働かないんだ。
「死ねない……僕はまだ死にたくない!」
魔の直角クランクに差し掛かる。
僕は第一の直角を、そこしかないと言われている大回りの軌道でドリフトで滑り込み、マナブーストリングを回避しながら、第二の直角カーブも逆ドリフトで曲がり切った。
観客から拍手喝采が上がる。
ここはこう攻めるしか攻略しようがない。
あとは直進でゴールまで走り抜けるのみだ。
『トップでノスケが最終コーナーを立ち上がり、残すは直線のみ! そこに負けじと第二のノスケとソードが果敢に魔の直角クランクを内角で攻めるぅー!』
馬鹿な。
あのコースを最短距離で詰めると、どうやってもマナブーストリングを――。
『潜ったーっ! マナブーストリングを帯びます!』
『あれは罠ですわ。ノスケのゴーストもこれで終わりですわね』
曲がりきれただけでもすごいというのに、さらにマナブーストリングまで潜ったら加速してレーザー線に激突して死ぬだけだ。
僕は気になってつい後ろを振り向いてしまった。
「抜刃」
「護りの盾」
声は重なって聞こえた。
僕の分身が手を翳すと、第二の直角の真ん中に透明の板ができ上がり、そこに機体の側面に重心を預けていた黒い鎧の戦士――ソードが剣を突き立てることで回転軸を作っていた。
船は剣を軸として、ぐるりと華麗に回転した。
在り得ない――。
そこにマナブーストリングの加速がかかり、最後の直進で一気に速度を上げた。
「なんだよアレ……なんで……っ!」
僕は、嘘をついていた。
本当は負けたくなんかなかった。
負けそうになって、初めてそれに気づいた。
立ち上がりに差がついたせいで、ついにマシンが並んだ。
負けられない。負けられない。
負けたら、僕には後が残っていない……!
いろんな人を裏切り続けた。
三年間も、選手みんなを騙して、死んだ奴も、無一文になって生活が破綻した奴もいた。そんな悪人の僕が、今さら負けてすべてを許されるはずがない。
「ノスケ」
「はっ……はっ……!?」
黒い鎧をまとったソードに声をかけられた。
気が動転してまともに反応ができない。
「ミクラゲのことは任せな。リックを助けにいけ」
「なっ……」
「お前ずっと気がかりなんだろ。モニターばかりチラチラ見て。大丈夫、眼のことは心配するな!」
ソードはそれだけ言い残して正面を向いた。
「さぁラストスパート、一気に飛ばすよ!」
「おう。最後に勝つのは、俺たちだ」
あっという間に追い抜かされた。
その並んだ背中が何かを彷彿とさせる。
二人でアーセナル・ドックに跨るその姿は……。
そうやって楽しそうにゴールを目指す姿は……。
僕は思い出していた。
操縦していたのが僕の分身だったからだろう。
子どもの頃、ロックさんにアーセナル・ドックに乗せてもらい、リックと三人で楽しくシーリッツ海を自由に回遊していた……。
あの頃は、船に乗るのが純粋に楽しかった。
僕は操縦が上手くて、リックは整備が上手かった。
それから始まったアーセナル・ドックのレーサーとしての道。
なにが操舵手だ。
僕たちは初心を忘れて、いつしかこの競技を金儲けの術と履き違えていた。
ロックさんが猛反対したのも今ならわかる。
すべてを間違えていた。
『怒涛の追い上げ! 第24回アーセナル・ドック・レーシングの優勝はノスケのゴースト……ではなく、ソード選手だぁああ! 優勝候補を出し抜き、初出場でトップに返り咲いたソード選手、お見事です!』
僕は完全に戦意を喪失した。
ゴールに辿り着くことすらできず、アクセルも切れずに水上に浮かんでいた。
「……」
こんな僕が今からでもできること。
ソードにも言われた。
それは、友達を助けに行くことだ。
待っていろ、リック。今迎えに行く……。
僕はアーセナル・ドックをUターンさせてコースを逆走した。




