68話 或る少女の暗躍Ⅰ
???視点
念の為――。
そう、これは念の為にそうしたまでの話。
功を奏したと云えば、そんな私の警戒心の高さが要因だろう。
アーセナル・ドック・レーシングの大会長、ミクラゲ・バナナは過去3年の大会においても、不審な動きをしていなかった。
過去の大会記録を調べてわかっている。
ミクラゲは会長席という専用個室から観戦するのみで、自ら手を下すようなことはなかった。
問題は、過去に行われた決勝戦の記録。
ノスケがトップレーサーとしてゴールテープを切るまでの間、他選手の走りの方が不自然だった、という記録がある。
例えば、障害物に接触して撃沈。
例えば、潜航渦潮に潜航中、振り落とされる。
例えば、航行中に突然の転覆……。
決勝戦でゴールまで辿り着いた選手が過去3年間、いなかったのだ。
私が注目したのはそこだ。
決勝戦まで進出した選手が、そんな初歩的なミスで敗退?
これはおかしい。
やはりミクラゲ・バナナは何か企んでいる。
そう踏んだ私は、大会中でも自由に動けるように、仮の姿を貸してくれた少女と入れ替わり、変装しながら様々な人間の動向を観察していた。
本当はソードの奮闘を見ていたかったけど――。
「ぐっ……い、痛い痛い痛い痛いィイイ」
そんな折、ミクラゲがついに尻尾を出した。
自由行動を選んだことが幸いした。
「ぐふふ。君も覚悟して挑んだんでしょォ? 出場者の動きはすべてこォの【百鬼夜行】に掌握されます」
ミクラゲは、リックという青年に能力を行使した。
ソードも影で見ていたようだが、私も同じ。
私たちは行動原理が昔から似ているのだ。
その【百鬼夜行】という能力、すぐ連絡を取れるように手配しておいた人間兵器五号ケアへの照会で発覚した。
『ああ、百鬼夜行ならデータがあるわ』
『アークヴィランなの? まだ野放しの?』
『いいえ。プロビデンスはヒトデ型アークヴィラン、デヅルモヅルの能力で、遥か昔、ある漁師が犠牲になって捕獲している。既に聖堂教会がその魔素を収容したわ。管理区分は解明。――でも』
『でも?』
『やぁねぇ。昔は管理も杜撰だったから記録は酷いものだわ。魔素を紛失してる。つまりね、そのまま【百鬼夜行】は消息不明。どこにあるかわからない』
ケアは嘲笑しながら続けた。
『ソードが言ってた全身の目とか、クラゲみたいな見た目とか、それで検索にかからないのも納得よ。このアークヴィラン、クラゲじゃなくて正確には深海ヒトゲに類似していたと記録されてる』
ミスリード――。
ミクラゲという名前でクラゲと関連づけていた。
全身の触手もクラゲを彷彿とさせるが、その正体は深海ヒトデ。
要するに、聖堂教会が紛失した魔素、あるいは盗まれたかもしれないが、それをミクラゲがどこかで入手し、自らの能力として利用しているという事。
元々はミクラゲも人間だったのだ。
ミクラゲの容貌が異形のそれへと成り代わっていたのも、きっと能力を酷使しすぎたが故の憑依状態だ。
憑依とは、アークヴィランの能力を宿した人間が、何かしらの理由で自我を保てず、元来のアークヴィランの人格が優勢となってハイブリッド型の新生物へ変貌する現象のことである。
……昔の誰かさんと同じという事か。
『管理区分は解明って言ったよね?』
『ええ。その能力は解明されているわ』
『その情報、私に送信して!』
『はぁ……手がかかる。ソードも抜けてるから、きっともう敵の術中なんでしょうね。そういうところ、変わらないわね』
それはそうだ。
今のソードは私たちの知る彼ではなく、約5000年前にリセットされたソード。
一番やさぐれていた頃の剣の勇者なのだ。
当時の手のかかり具合は覚悟の上。
ケアの言うように、おそらくソードはもう敵の術中に嵌っていると私も確信している。アーセナル・ドックの乗り方を教えたとき、既に彼の背中から怪しげな瘴気も感じ取っていた。
およそアレがミクラゲの【百鬼夜行】に因るもの。
背中でも触られたのだろうか……。
そのまま放置するとは常々楽観的すぎる。
事あるごとに背中を見せるよう頼んだが、大会当日まで背中に異変が起こることもなかったせいで、私もちゃんと調べることはなかった。
『ケアはミクラゲの狙いがなんだと思う?』
『……きっと人間としては街を活気づけたいだけなのでしょうけど』
ケアを溜め息をつきながら、データベースとしての経験を語った。
『憑依された人間を何人も見たわ。
そういう連中はね、無意識下で惑星を侵略しようと行動する。【百鬼夜行】の力の源だったデヅルモヅルも、その星の土着生物の視覚を占拠することで侵略しようとした。それがテヅルモヅルの瘴化汚染――』
『差し詰め、大会の規模を膨らませながら、関わった人間を支配していく戦略ってとこか』
『多分ね』
憑依化した人間は、教会が拘束するしかない。
扱いはアークヴィランと同じなのだ。
『――さぁ、いよいよ決勝戦開戦のシグナルが~!』
実況の声が会場中に響き渡った。
直後にはブザーの音。
レースはもう始まってしまった。
私はそれを観客席裏手の砂浜の小蔭で聞いていた。
しまった。予想されることは、ソードはこのままミクラゲの罠で撃沈させられ、決勝戦敗退。
負けた場合、セイレーンは手にできず、彼は力づくでセイレーンを奪いに港へやってくるだろう。
力づくは避けてほしい。
せっかくここまで順調にソードを、九回目の覚醒での失敗を教訓に、導いてきたというのに――。
私は彼がレースで勝つことを願っている。
"以前"のように力づくで、とは言い出さず、レースへの参戦を宣言したときは私も嬉しかったのだ。




