63話 アーセナル・ドック・レーシングⅤ
既に第2レースが始まっていた。
シズクやヒンダ、マモルが座る観客席に向かい、戦況を見守った。
なぜかヴェノムも一緒である。
この男、実は独りが寂しいんじゃなかろうか。
「ほらよ」
「わーい。お兄ちゃん、ありがとう!」
「おっ、フィリア産の牛串? うまそー」
「いただきます」
ヴェノムが屋台で買ってきたという串焼きを、俺や子どもたちに配ってから通路側の席――俺の隣にどっかりと腰を下ろした。
この男、だいぶ丸くなったな。
「いいのか?」
「おう、食え食え。お前も次のレースがあるんだ。しっかり栄養つけて挑もうぜ」
もはや近所の気の良い兄ちゃんである。
マモルもヒンダもシズクも、ヴェノムを怖がることなく受け入れている。
いつから人間兵器は託児所を始めたんだ。
俺やヴェノムなんて、見た目からしても一番子どもから怖がられそうなもんだ。
「いやぁ、いつの時代も祭りはいいもんだねえ」
「金に困ってたんじゃなかったのか?」
「祭りのときぐらいいいじゃねえか。こういう時は、パァーっと使うのが俺のやり方だよ」
そんな性格だから金がないんじゃ。
ってことは言わない方がよさそうだな。
俺も奢られた身だ。
「――なぁ? お前もそう思うだろ?」
ちょっと間が空いた後、わざわざ同意を求められて含みを感じたが、意図が読めず返事は見送った。
ヴェノムの目つきが何か言いたげだ。
「ああ。どうかな」
曖昧に聞き流す。
それより俺はノスケのことを思い出していた。
今は二回戦で当たるかもしれない操舵手の走りっぷりを確認したかったが、それより更衣室でのことが頭に残っている。
ノスケ……。
もっとストイックな奴だと思っていた。
3年連続の優勝者。
練習風景も絶対他人に見せない。
そんな奴なら、何がなんでも優勝に向けて徹底的に勝ちにこだわるだろうな、と予想していた。
それが実際は負けたがっていたのだ。
幻滅したワケじゃないけど、どうしてそんなことが起こっているのか――。
『どうして、そんなことを?』
更衣室でノスケに理由を尋ねた。
突然の敗戦希望に俺も困惑していた。
『理由を話せば……』
ノスケは突き立てた親指で首をなぞる。
なるほど。殺されるのか。――ミクラゲに。
すべて察した。
ノスケは、ミクラゲが仕立てた偽の優勝者。
この大会はやっぱり出来レースだ。
少なくとも3年前から。
そういえば、ロック爺さんに技を仕込まれた船大工のリックも評判が落ち始めたのは3年前……。
ちょうど時期は重なっている。
3年前から、ミクラゲによる八百長が組まれ、誰が造った船渠だろうが無関係に、ノスケが勝つようになったのだろう。
『あんた、監視されてるな……?』
口数が少なく、最小限のジェスチャーで伝えようとするノスケを見て、さすがに俺も見抜いた。
ミクラゲの情報を吐いたドンタも殺されたのだ。
監視や盗聴は基本だと考えた方がいい。
『僕だけじゃない。選手はみんなだ』
『俺も?』
『多分ね。どうやってるかは知らないけど』
選手全員をどうやって監視しているんだ。
ミクラゲの体中にあった眼が関係してるのか。
それがアークヴィランとしての能力――?
『あんたに勝つ方法は?』
『君は他の選手と違う。それで僕を。できるだろ?』
『……』
盗聴を警戒してか、ノスケの言葉は断片的だった。
でも言いたいことは理解した。
というか、もし俺の戦術に気づいているなら、やっぱりノスケは実力者だ。
俺が近接攻撃で他のマシンを沈めたことに、第1レースだけを見て気づいたのだから――。
『そこまでの洞察力があるなら余計に理解できない。なんで3年も、あいつらと組んで……』
ノスケなら正々堂々戦っても優勝できる気がした。
それが出来レースで優遇されるに至った背景は何なのだろう。
『言えない。でも、僕はもう嫌なんだよ』
『……』
これ以上は話してても埒が明かなさそうだ。
奴の監視下なら、核心的なことは言えないだろう。
『楽しくないんだ……だから、頼んだよ』
『頼まれなくても俺は絶対勝つ。せいぜい決勝まで震えてろ』
そうして俺は更衣室を後にした。
あのとき、悲痛な顔したノスケを見て、このレースの闇の深さを垣間見た。
ただ単純に楽しめるレースじゃない。
セイレーン。ロック爺さん。リック。ノスケ。
観客がどれだけ熱狂して楽しんでいても、裏では嫌な思いをしてこの日を迎えた連中がいたんだ。
『今、第3位に17号艇のリック選手がゴォォール!』
実況の声と歓声が響き渡った。
いつの間にか、第2レースが終わったようだ。
船大工のリックはギリギリ上位3位に滑り込み、二回戦進出が決まった。
大画面モニターにアップで映されたリックの顔つきには余裕がなく、呻吟した表情が浮き出ている。
必死に足掻いて勝ち取った3位……という感じだ。
当然か。
リックは元々レーサーじゃないのだ。
他の強者と張り合っているだけで凄いことだ。
「ふぅーい……冷や冷やさせやがる。ロック爺さんの孫も足掻くじゃねえか」
ヴェノムは酒を片手に、優雅に観戦モードだ。
観るだけの奴は気楽なもんだ。
「にしても、シケた面だな。ちょっとはソードを見習えってんだ。なぁ?」
「俺を? 急になんだ?」
「いやなに。ここにいる旧友も、前と比べて丸くなったように思ってたんでね」
「……?」
ヴェノムは、さっきから何か俺に伝えたいようだ。
丸くなった? よく意味がわからない。
リックと何の関係があるんだろう。
そもそも、それを言うならお前だろうが。
「丸くなったのはヴェノムだろ?」
「いいや、違うね。要は"鏡"みたいなもんだ。
お前は今、楽しそうだ。俺はそれを知って安心したんだ。あんなに他者を寄せつけようとしなかったお前がなぁ。更生したよなぁ」
景気よく酒を飲み干すヴェノム。
ヴェノムが語る「今」と「あんなに」とは、もしかしたら俺の考える時間感覚よりだいぶ差があるのかもしれない。
砂漠の峡谷で再会した時、ヴェノムこそ前より素っ気ないように俺は感じた。
でも、もし俺の抜けてる記憶の間に俺の方がヴェノムと距離を置き、にべも無い態度を取っていたなら、あの時のヴェノムの不愛想な雰囲気も頷ける。
――要は"鏡"みたいなもんだ。
今こうして昔のようにヴェノムが俺と接するようになったのは、ヴェノムが変わったからじゃない。
変わったのは、俺だ。
ヴェノムは気さくに笑って続けた。
「ソードが勇者時代のときみたいに楽しそうなことをしやがるもんだから、俺もつい吸い寄せられる。また楽しませてくれそうだ、ってね」
「……」
「っつーわけだ。リックもあんな辛気臭い顔してねえで、せっかくなら楽しめばいいって思ったんだよ」
そういう意味か。
でも裏を返せば、それは俺の黒歴史にも触れる話。
覚醒前の俺は荒れていたのだろうか?




