56話 裏路地のドック市
ヴェノムがバイトの休憩時間に入った。
場所を移して、離れ小島でも練習台のある岸とは反対側まで三人でやってきた。
アーセナル・ドックを出して海に浮かべてみる。
ヴェノムが渋い顔して顎を撫でた。
「うーむ。想像通りの旧型機体か……」
俺のアーセナル・ドックはシズクのお古。
オーソドックスな機体で、特徴らしい特徴はない。
可もなく不可もなく、何にも特化していないマシンである。
後ろに佇むシズクが咳払いした。
ヴェノムの指摘が、どうにも不服みたいだ。
「これはシズクから借りた。わりと気に入ってる」
「お嬢には悪いが、それじゃあちょっとな……」
「ええ? そうか?」
ヴェノムはあまり気が利く男じゃない。
思ったことは本人の前でもはっきり言うし、そこがヴェノムの良さでもあるが、たまには気にしろ、とは思う……。
「お気になさらず。私のアーセナル・ドックは旧型なので、ヴェノムさんの言う事はご尤もです」
俺の視線に気づいたシズクが冷静に返事した。
「だろう? やっぱり高性能なマシンで挑んだ方が後悔しないと思うがねぇ。乗り手が人間兵器でも、マシンが型落ちだったら勝てるものも勝てないさ」
「こう言ったらなんだが、俺も金欠だ」
腕相撲の賞金さえ手にしてれば!
悔しい。あのときゲーセンを許さず、直接乗り込んで毟り取ればよかった。
「安くて良いものをってんなら当てがないこともないが……」
ヴェノムは頭をポリポリ掻いた。
「これも昔の誼だ。非番の時に連れてってやる」
「本当か。そりゃあ助かる」
気乗りしなさそうな様子だが、大丈夫だろうか。
順調に練習も積み、あと2日で本番試合だ。
ヴェノムは約束通り、俺とシズクを連れてシーポートの裏路地にあるというそのアーセナル・ドックの掘り出し市に連れていってくれた。
「どうだかねぇ。今日は機嫌良いといいが……」
ヴェノムは不安の声を漏らした。
港町の裏路地は、潮風で劣化した家々が放置されていて、表通りよりも荒廃した雰囲気が漂っていた。
レンガだけが無傷で建物の外壁だけが襤褸。
これもこれで風情がある。
「機嫌って。店主が曲者なのか?」
「曲者っつーか……ありゃあ堅物だぞ」
「ふむ」
連れられた先は裏路地に並ぶ店でも特に崩れそうな外観をした店だった。
店外に突き出た日光除けの軒すらボロボロだ。
本当にここが店なのかと疑うレベル。
「おーい。ロック爺さーん」
ヴェノムは親しそうに店内に入っていった。
俺とシズクも黙って後に続く。
「……」
店内はアーセナル・ドックの"型"が転がっていた。
埃を被ってる。製作途中で投げ出したのか。
アーセナル・ドックは、鉄筒に内包した設計図通りに機体を具現化させる具象魔術の賜物であるが、その設計を考案する時には、技師はまず基となる機体を実際に組み立てて調整するらしい。
つまり、この残骸は完成する前の亡骸。
技師の工房でないと、お目にかかれないものだ。
「ロック爺さん? いねぇのかい?」
ヴェノムが声をかけ続けると、店の奥からよろよろとした足取りで老人が一人出てきた。
「おお……お前さん、ベロじゃったかえ?」
「ベロじゃねえ、ヴェノム! 犬みたいに呼ぶな!」
「カッカッカ、そうじゃったそうじゃった」
ベロはさすがに笑う。
笑いを堪える俺に、ヴェノムは威嚇するようにしかめっ面を向けた。
悪いけど、今日からお前はベロだ。
「おう。なんじゃい。また燃料の買取かね」
燃料って爆薬のことだろうか。
ベロの奴、こんな老人からも金を取っていたか。
「いや、今日はこいつらが用だ」
「ふむ。客が多いのう?」
「爺さんの秘蔵のマシン、ついに出番だぜ?」
ベロは親指で俺を指し示した。
ロック爺さんと呼ばれた老人は、一瞬なんのことか分からなかったようだが、少し間を置いて意味を理解したのか、とぼけた老人のような顔つきから、一気に鬼のような形相に変わっていった。
「まーたアーセナル・ドック・レーシングかっ!」
「そうだ。もうそんな時期だ。今度こそ――」
「もうウンザリじゃ! あんなものの為にワシの愛機を利用するでないっ」
ロック爺さんは急に人が変わったように憤慨した。
なんだなんだ。また訳アリな人間か。
「アレが始まってシーポートはおかしくなったっ! 海が荒れて変な生き物も呼びつけたんじゃ!」
「変な生き物?」
「――アークヴィランのことだ」
ベロが俺に耳打ちしてきた。
なるほど。ロック爺さんもアークヴィランで迷惑を被った人間だったか。
「爺さん、ちょっといいか」
俺も手を挙げて話に割って入る。
頑固な爺を懐柔させるには、嘘も方便。
「町にアークヴィランが寄りつくのはセイレーンのせいだ。セイレーンは今回のレースの賞品になってる。おまけに、俺が勝てば町のセイレーン全員をもらえることになった」
「……」
ロック爺さん以上にベロがぎょっとしていた。
マジかって顔してやがる。
どうだ。羨ましいか。
「競走会の会長と握った話だ。嘘じゃない」
「レースだの景品だの、野蛮な話じゃわい。昔はシーリッツ海も静かで平和な海域じゃった。シール様がお治めされていた頃は、それはそれは綺麗な海じゃった……」
ロック爺さんは懐古に耽るように遠くを見た。
シール様か。
爺さん、今時には珍しく勇者信仰だな。
俺は手を振って注意を払った。
「聞いてくれ。俺が勝てば、セイレーンは根こそぎ貰う。そしたら港にアークヴィランが引き寄せられることもなくなるだろう。少しは静かな海に戻るはずだ」
ロック爺さんの望み通り、荒れたシーリッツが少しマシになるはずだ。それ以外は知らないが。
「じゃがっ、ワシはレースそのものを――!」
ロック爺さんが怒りに感けて俺に詰め寄った。
すると突然、爺さんは唖然として押し黙った。
「なっ、なんと、お前さん……いや、あなた様は、ソード様では……?」
「俺を知ってる?」
この爺さん、なんで俺を知ってるのだろう。
「そんなまさか……生きておられましたか……」
「生きてるも何も死んだことがないが」
物騒なことを云う爺さんだ。
でも、その俺を懐かしんで、敬愛する眼差しを送る爺さんを見ていて気づいた。
「もしかして、昔、俺と接点が?」
「えぇ……えぇえぇ。あなた様は命の恩人ですじゃ」
「おお」
それは都合がいい。
ロック爺さんを説得してアーセナル・ドックも借りられるし、俺の過去の話も聞ける――。
一石二鳥だ。
後方でベロが悔しそうに唇を噛んで俺を見ていた。
爺さんが突然、俺に靡いたのが驚きな様子。
ふ、これが人徳のなせる業だ。
シズクは終始無言だったが、少し困ったような表情を浮かべていた。




