55話 操舵指南(マシン)
俺もマリンキャップを被った。
これで監視員だ。
変装で重要なのは対外的な雰囲気と心の持ち様だと三号に教わったことがある。
監視員っぽさを演出する為に椅子まで用意してくれた。――ヴェノムが。
意外とこいつも優しい。
これで落ち着いて他選手を観察できるってもんだ。
「うーむ。注目の操舵手なぁ」
椅子に座り、肩を並べて座る俺とヴェノム。
ヴェノムはきょろきょろと周囲を見渡し、俺が要望した優勝候補――警戒すべき選手を見定めている。
「岩陰でドックのメンテナンスをしてる奴――」
ヴェノムは視線だけで対象を示した。
俺も同じ方向を見やる。まるで探偵だ。
「あの男のマシンを見てみろ」
メンテナンス中のアーセナル・ドック。
鼻先の尖った、異様に細長いデザインだ。
あれは……スピード特化型か。
「あの男は船大工のリック。レース出場は初めてだけど、港一の船大工ってぇ評判だぜ」
船大工のリックは双眼ゴーグルを身に着けたメカニックタイプの男だった。
練習には一切参加していない。
……だが、他の操舵手の走り方を双眼ゴーグルで盗み見ながらマシンいじりに夢中になるその姿は、どこか執念めいたものを感じさせた。
「あれが注目のレーサー? 整備員っぽいぞ」
「油断するな。リックは過去のレースで自家製アーセナル・ドックを他の選手に売って生計を立てていた。――だっていうのに、今回はアーセナル・ドックを選手に一切売っていない」
「なぜだ?」
俺はふとヴェノムを見てしまった。
ヴェノムは手を振って、こっちを見るな、とジェスチャーした。
「おいっ、対象にバレたらどうする。素人だな」
「す、すまん」
ヴェノムが慌てて俺に注意した。
背後に佇むシズクは呆れて溜め息をつく。
「はぁ。今回は刑事ごっこですか……」
そう。これは俺とヴェノムなりのお遊びである。
傍から見たら茶番だ。呆れるのもわかる。
ヴェノムは構わずお遊びを続けた。
「リックはここ3年、自家製マシンで選手を勝たせてない。だんだん船大工としての評判も落ちて、冷やかす操舵手も増えてきたそうだ」
「ははーん。それで自分の力でってか」
「その通り。リックは不退転の覚悟で今回の出場を決めた。他の選手には頼らず、自分自身の力で愛馬を優勝させる。――その熱意は警戒すべきもんだろう?」
双眼ゴーグルの奥に宿る闘志は、それ故か。
ヴェノムの言う通り、警戒すべき相手だろう。
操舵手としての実力は未知だが、搭乗するマシンのこだわりは群を抜いていた。
「次に、すぐそこの男」
「……?」
ヴェノムは体を仰け反らせ、努めて小声で囁いた。
煙たがるように物理的に距離を取っている。
待機列に並ぶ眼前の男のことか?
「ほひぃ……ほひひぃ……」
目の前の男は鼻の下が伸びていた。鼻息も荒い。
おまけに謎の奇声……?
大丈夫か。熱中症か。
「そいつは亜人性愛のモリオ……やばいだろ?」
「何がだ?」
「何がって雰囲気! 見ろ、その腑抜けた顔」
ヴェノムは声を荒げて俺を見た。
「こんな奴まで出場するんだぞっ」
「ヴェノム、声が大きい。どっちが素人――」
「構うもんか。どうせ聞こえちゃいねえよ」
ヴェノムは顔を背けて見ないフリをしている。
生理的に無理と言わんばかりだ。
「こいつの何がヤバいんだ?」
「亜人性愛を知らねぇのかい。要するに亜人種がド性癖っていう変態の総称だ。今回、セイレーンが賞品と聞いて、モリオも真っ先にエントリーした」
モリオもマリノアが目当てか。
そんな連中、ザラにいると思うが。
「でゅふふ。マリノオちゅぁ~ん。でゅふっふぅ」
モリオは涎を垂らしながら卑しい目を浮かべた。
確かに重症だ……。
「こんな奴は山ほどいると思うけどな」
モリオ以外の選手も顔色を窺う。
やはり皆、妄想に耽った顔をしてやがる。
セイレーンとの甘い日々を想像しているのだ。
「モリオは異常だぜ。特に亜人種の中でもセイレーンってのは、ほら……野郎好みの見てくれだろう。フィギュアも販売されてるらしいけどよ、モリオは部屋中セイレーンのフィギュアを飾ってるって噂だ」
「それは個人の趣味じゃないか」
人形好きは俺たちの仲間にもいた。
今では絶賛記憶喪失中のパペットだ。
「そうだけどよ。……でも、モリオはそれだけセイレーン愛が半端ねえ。大枚叩いて特注の重装甲マシンも買ってやがる。警戒しとけ」
「ふむ」
モリオの練習をしばらく観察してみた。
飛び込み台までの助走、水上の滑り、走りの速度感――どれを取ってもモリオのだらしない図体に比例するように動きも鈍い。
マナブーストリングを一つも潜れてない。
ジャンプ力が足りないのだ。
速さや機動性が足りない分、守り重視でレースに挑むらしく、モリオのマシンは防御特化型――。
でも、それほど警戒すべき相手だろうか?
あの鈍さなら、どれほど激戦となってもモリオだけが独走するなんて場面を想像できないが……。
まぁ想いは時として異常な力を発揮するからな。
性欲ともなると特にそれは顕著だ。
一応、警戒しておこう。
「なぁ、ここまでずっと実力で警戒すべき選手がいなかった気がするんだが」
さっきから語られるのは熱意や出場動機ばかり。
走りが上手いとか、テクニックがあるとか、そういう意味で警戒すべき選手はいないのか。
「ちゃんと優勝候補ってのはいる。今までの二人は、レース途中で躍起になって邪魔しそうな奴らだ」
「お。優勝候補、いるんだな」
ヴェノムは少し間を置いて、警戒するように離れ小島の隅に目配せした。
「あいつだ」
俺も同じ方向を見やる。
そこにはぴっちりとした全身タイツ姿の男がいた。
置物のようにじっと立っていて動かない。
見た目も若そうだ。
「あいつ……? 強そうなオーラを感じない」
「あいつは3年連続優勝のトップレーサーだぜ」
「3年連続!?」
それはすごい。
だが、その男は遠くから他の選手の練習風景をぼんやり眺めるだけで、特に練習に励む様子がない。
あれが真の実力者の振る舞いか?
余裕そうな態度が鼻につく。
「名前はノスケ。走り、テク、経験――そしてマシン、どれを取っても一級だ」
「ぜひ練習してる所を見てみたいな」
「無理だぜ。ノスケは絶対に本番まで走らねぇ」
「そうか。徹底してるな……」
ヴェノムの話では、今回のレースは賞品が豪華なだけに出場者全体のレベルが例年より高いようだが、その中でもノスケは群を抜いている。
優勝を考えるならノスケを出し抜く外ないようだ。
よく見ると、他の選手もノスケを警戒していた。
うーむ……。
船大工のリック。
亜人性愛のモリオ。
3年連続優勝のノスケ。
正直、猛者っぽい操舵手がいなくて拍子抜けだ。
「ソードならイケるかもだが……でもなぁ……」
「何か気がかりなことがあるのか?」
「いや、そもそもマシンが古いんじゃねぇかい?」
「えっ」
ヴェノムは俺の握る鉄筒を指差して言った。
ちょっとショックだ。
体に馴染んでてお気に入りだったのだが。
「本気で勝ちに行くなら最新型の方がいいぜ」
最新型か……。
実を言うと俺も金欠なんだが。




