49話 ドンタ○ス
アーセナルドック競走会の事務所に戻った。
月明かりに照らされた砂浜を歩いているとき、ついに時間切れになって【狂戦士】が解けてしまった。
まぁ、今日はもう鎧は不要だろう。
事務所の壁をすり抜けようと【潜水】を使う。
会長に会ってきたことをマリノアに報告する為だ。
ついでにドンタにもお礼を――。
刹那。
「ぐあああああっ!」
野太い声の絶叫が事務所から聞こえてきた。
今のはドンタの声だ。
何があったんだ!
ドンタ、無事でいてくれ……!
俺の中で勝手にドンタは仲間になっている。
ちなみに尋問中、マリノアの歌で催眠をかけすぎてドンタは完全に錯乱状態になり、俺のことが誰なのか訳がわからなくなり、時には友達のように、時には師弟関係のように振舞うという異常な様子を示した。
その姿に愛嬌のようなものを感じていた。勝手に。
そのドンタが――!
「え……!?」
壁をすり抜けて侵入すると、床が血まみれだった。
肝心のドンタは床にうつ伏せで倒れている。
誰がどう見ても血はドンタのものである。
水槽に視線を移すと、マリノアが怯えていた。
「マリノア、これは一体……」
「わ、わからない……。急に苦しみ出して……」
「血が出てる。何かしら攻撃があったはずだ」
「知らないよっ」
マリノアは全身を水槽に浸け、目を背けた。
「……」
ドンタに近づき、実況見分しようとした。
その直後、本来の事務所の入り口の方が何やら騒がしくなってきた。
「今のは悲鳴か!?」
「何の騒ぎだ!?」
二人分の男の声だ。
まだ事務所に人間がいたのか。
ドンタの尋問のときには気にしてなかったが、真夜中だったから寝ていたのか?
まぁいい。そんなことよりこの状況。
こんな場面を見られたら、間違いなく俺がドンタ殺しの犯人にされる。
そうでなくても俺は侵入者だ。
今は【狂戦士】も切れている。見つかれば面倒だ。
【抜刃】で壁から長い"針"を抜いた。
レイピアみたいな剣だ。
遠くからドンタを突いて姿勢を仰向けにさせた。
歩み寄れば、血だまりに足跡が付くからな。
「うわ……」
ドンタは顔面が破裂して真っ赤になっていた。
血は顔から噴き出たようだ。
完全に死んでいる。
ドンタ、良い奴だったよ……。
「――おい! 何があったんだ!?」
競走会の男たちが部屋の扉の前まで迫って来た。
幸いにも鍵がかかっているようで、ガチャガチャとドアノブを回すだけでまだ入ってこれない。
すぐ鍵を開けられて入られるだろう。
「時間がないな」
死んでしまったことは本当に残念だ。
でも死因をちゃんと調べている状況じゃない。
どさくさに紛れてマリノアを連れ出そうものなら、マリノアの誘拐とドンタの殺害が関連づけられて外部での犯人捜しが始まるのは容易に想像できた。
冷静になれ、俺。
「マリノア、よく聞け」
「うん……」
マリノアは水槽から顔を出した。
今さら人間の死体に怯える様子ではないが、突然の血生臭い状況に当惑している。
「今から競走会の奴らが入ってきて、アンタに何があったか尋ねるだろうが、ドンタが死んだ瞬間のことは見たままを答えるんだ」
「わ、わかった……。ソードは?」
「悪いが、俺は逃げる」
ドンタ殺しの犯人は概ね予想がつく。
殺害方法は不明だが、その考察は後回しにする。
マリノアは寂しそうな顔を浮かべた。
「また会いに来てくれるよね……?」
「安心しろ。俺もレースに参加する」
「本当に? ソードも私が目当て?」
「そうだ。レースに勝ってアンタを連れ出す」
願ってもないことのようで、マリノアの目は明らかにキラキラと輝き出した。血生臭い部屋でもそんなあどけない反応を示すあたり、マリノアも非道なセイレーンの一人なんだなと感じさせる。
「嬉しい。絶対勝ってね」
「ああ。それに――」
「それに?」
扉から鍵を開ける音が聞こえた。
もう入ってこられる。時間がない。
「レースに勝てばセイレーン全員を助け出せそうだ。信じろ。だからもう少し耐えてくれ」
それだけ言い残して俺は急いで【潜水】した。
慣れたもので、元々水面に立っていたかのように、するりと床下へ飛び込めた。
床下に隠れる直前。
「待ってるよ。私の王子様……」
そんなマリノアの言葉と、それに被せて部屋に慌ただしく駆け込む男たちの雑踏が耳に伝わってきた。
王子様ってガラでもないが。
とりあえず砂漠に戻ろう。
まず状況報告を――。
こんなとき、砂漠にいる仲間で一番の参謀格はDBなのだろうが、なぜか俺は報告相手としてシズクの顔を真っ先に思い浮かべていた。
本当に、無意識に。
シズクは妙に納得できる作戦を提案してくれる。
今までもそうだ。あの子は頭が良い。