48話 ミクラゲの提案
擬態。
何かに成りすますことで姿を晦ます能力だ。
一瞬、ミクラゲを壁と見間違えた俺はミクラゲの能力がそういった類いの隠蔽能力かと思った。
でも、この様相……。
ミクラゲの姿は背景と同化していない。
それどころか、目が暗闇に慣れて見えてきた奴の輪郭はブヨブヨしていて、岩肌が突出する洞窟では、その存在は一目瞭然。
姿は名前の通り、まるでクラゲだ。
海から上陸した軟体動物のそれである。
「お前、アークヴィラン……だよな?」
「さァて、どうでしょォ」
「とぼけても、その異形、まさしくと言ったところだが……」
俺は体中に開眼した目を指摘した。
目のそれぞれは独立したように、あらゆる方向を向いている。よく見ると形も虹彩の色も違う。
あらゆる人間の目を移植したみたいに。
「私がアークヴィランか否かはどォでもいィ事――」
「そうか? かなり重要なことだろ」
「それを確かめてどォします? 私を殺すのです?」
「場合によってはな」
俺はダガーナイフを構えて戦闘態勢を取った。
いつでも戦えることを暗示する。
「なるほどォ。いいでしょう。私はご覧のとォり、戦いは得意ではあィません」
ミクラゲは腕なのか触手なのか分からない細い体の一部を使って、お手上げだという風な仕草をした。
随分と人間的なコミュニケーションを取るな。
今まで遭ったアークヴィランの中では特に。
「かといって、あなたァから無抵抗に殺される事は不本意なことです。なぜ私を殺そォとするのか、ォお聞きしても?」
紳士な態度を取る大きなクラゲ。
昔、人語を介する魔族はいたが、悪意ある罵声ばかりでまともにコミュニケーションは取れなかった。
こうして怪物と会話してる事は貴重なのでは……。
「……一つは、この海に思い入れがあるからだ。お前がセイレーンを奴隷のように扱ってレースの景品にするなんて腐った真似を見過ごせない。その黒幕がアークヴィランだっていうなら殺してでも止める」
「ふゥむ。思い入れ。それは厄介ですねェ」
本当はシールのためだが。
別にシーリッツ海そのものに思い入れはない。
「では、あなたはセイレーンの味方をするので?」
「そうなるな」
「セイレーンは海の魔女。船を襲って積み荷を奪い、悪事を働きます。その憎らしィ生物を助ける?」
「憎いのは、お前がアークヴィランだからだろ。今の彼女たちは無害だ」
ミクラゲは膨れた頭部をゆっくり横に振った。
心なしか残念そうに見える。
「実のところ、私は自分を人間だと思ってィます」
そんな風に大クラゲが語る光景はシュールだ。
「この期に及んで恍ける気か?」
「ィィえ。アークヴィランと言われればそォんな気もしますが、人間だという自覚もありまァす」
ありまァすとか言われても……。
そもそも見た目がどうしても人間に見えない。
「私がアーセナル・ドック競走会の会長であり、ミクラゲ・バナナとして人間社会で暮らしてィることについてはどォです?」
「どうって? 周りを騙してるだけだ」
「それは重要なことではないのです。私が人を殺めてィますか? 迷惑をかけましたか? セイレーンを虐待してィますか?」
こいつ……。
ミクラゲの言い分はこうだ。
人に迷惑をかけてない。反社会的な事をしてない。
だから、ミクラゲが人間かアークヴィランかという線引きは関係なく、俺に倒される道理はない――。
「チッ、何が人間社会で暮らしているだよ。こんな灯りもない穴倉で――」
俺は洞窟の外壁を見回した。
こんな場所で暮らす時点で人間であるはずがない。
アークヴィランが生存環境を確保し、それを尤もらしく人間と共存してると騙るだけだ。
イカ・スイーパー。クシャーケーン。バクテラ。
色んな姿のアークヴィランを見聞きしたが、やってることは結局、侵略行為。
下手に人間の言葉を話すミクラゲ・バナナには不思議と人間らしさを感じてしまいそうになるから、そこがよろしくない。
「闇が落ち着くゥのです。こんな形ですから」
そういえば、ミクラゲのその"目"は一体なんだ?
何故それぞれ目が違う特徴を持ってる?
こいつの能力に関係しているのか?
「目が気になりますゥか? 触ってもいィですよォ」
ミクラゲは触覚をふよふよと漂わせた。
触覚に犇く目はそれぞれ別の動きをしている。
無防備な今こそ、その能力を探るチャンス――。
"あいつを奪われたら、俺が殺される!"
"殺される。あの人は……だって、アレは、ひ、ひぃいぃい!"
その時、ドンタの怯えぶりが脳裏を過った。
あの怯え方は異常だ。
「いや――触らない。近づくな。気持ち悪いから」
俺はダガーナイフを向けて警告した。
ミクラゲはきっと油断を誘っている。
能力がまだ未知数すぎる。
ここで戦う事すら危険な気がしてきた。
「それは残念ですねェ。握手は最も人間的な友好の証だと思ってィます。あなァたとも親睦を深められゥと思ったのですがァ」
「深めるかよ。今日は帰る」
「おや? 私を手にかけなくていいのですゥ? 元々ここに来られたォは私と戦う為ではァ?」
「カウンターパンチを喰らいたくないからな」
「うゥん?」
饒舌になったな、ミクラゲ。
やはり攻撃することで発動するタイプの能力か?
踵を返して洞窟を後にしようとした時、ミクラゲは焦るように話しかけてきた。
「そゥだ。あなたもアーセナル・ドック・レーシングに出場したらどゥです?」
「あぁん?」
突然の提案に思わず立ち止まる。
不意打ちのように、ミクラゲは触手を伸ばして俺の背中を叩いた。
黒い【狂戦士】の鎧に触手が触れた。
対魔の力が働き、少しだけ紫電が宙に散った。
「なにをした?」
ミクラゲの触手にナイフを押し当てる。
変な真似をしたらタダじゃおかねえ。
「失礼。綺麗ィな鎧に泥が付いていたので」
「……」
触れられた部分を叩いて確かめる。
何も起きていない。
魔力反応も無し。体内に毒が回った感触もない。
本当に泥を拭うためにやったのか?
怪しいが……まぁいいか。
体に不具合が出たら戻ってきて殺すまでだ。
「どゥです? アーセナル・ドック・レーシング」
「出場? するわけねぇだろ」
「勝てばマリノアはあなたの物。助けられます」
「マリノア以外にも助けたいセイレーンがいる」
「……いいでしょゥ。それなら全員差し上げます」
「全員だと?」
ミクラゲは触手をうねうね動かした。
差し上げます、って表現がムカつく。
本体の目がどれか分からないが、その体の動きで俺の参加を歓迎する姿勢をアピールしている。
「あなたが勝った場ァ合、街のセイレーンすべてを譲渡します。他の参加者もいるため、公言するワケにはいきませんが、会長権限でこっそりとォ……。他の皆さんには内緒ですよ」
「何故そこまでして参加させたがる?」
「その方が盛り上がるからです。レースに飛び入り参戦したダークホース、謎の黒騎士。――あァ、いいですねェ。その黒い姿はレース場で映えそゥです」
本気で言ってんのか?
そこまでの好条件、裏がありそうだ。
だが、真実なら平和的にセイレーンを街から救出することができる。
……検討してみる価値はあるか?




