43話 生足魅惑のセイレーン
確かにセイレーンは昔から歌で船乗りを魅了することが好きだった。積み荷が目当てでなくとも、愉快犯で船を沈めることもあったそうだ。
「貴方も私が欲しいならレースに参加して?」
「…………」
その気質を拗れさせたセイレーンがここに居た。
プリマローズがセイレーンをビッチ呼ばわりしていたのを、ふと思い出す。
あれは正しかった。
「ふふ、レースが楽しみだなぁ」
「アンタ、あの背広の男がレースの説明してる時は厭そうな顔してなかったか?」
「悲劇のヒロインって、なんかイイよね?」
「よくねぇよ!?」
自分が置かれた状況わかってるのか。
エレノアだって心配していた。
俺たちも新しい棲み処の用意に協力している。
だというのに、まったく――。
「ごふっ……ごふっ……んん、ふごぉ……」
ソファで寝てる肥満の男がいよいよ起きそうだ。
俺も大声を出してしまった。
「それならマリノアはここに居ろ。他のお仲間のセイレーンを助けに向かう」
「え、行っちゃうの……?」
マリノアが寂しそうに上目遣いで俺を見た。
男なら誰もが虜になるだろう。
でも、そんなことより俺は、その瞳の奥に意味ありげな戸惑いの色が浮かんでいることに気づいた。
「もしかして、わざと――」
「……」
マリノアはその問いには答えなかった。
目を伏せ、自嘲気味に笑うばかりだ。
姉と同じで自己犠牲を……?
「そうだ。お兄さん、かっこいいから特別に一度だけ私を連れ出す権利をあげる」
暗い空気を打ち破るようにマリノアは提案した。
自信たっぷりな物言いは変わらないが、さっき垣間見たマリノアの悲しそうな瞳を見た後では、少し印象が違って見えた。
「一度だけ? また戻ってくる気か?」
「うん。私は賞品だからね」
折り入った事情がありそうな気がする。
言葉だけ取れば、賞品になった自分を受け入れているように感じるが……。
きっと何かあるな。
「お願い。ちょっと外の空気が吸いたいんだ」
「わかった」
競走会の事務所に居続けるのは危険だ。
話し声で見張りの男を起こす可能性もある。
マリノアを抱えて水槽から出してやった。
脚こそ鰭のように繋がっているが、人のおみ足のような輪郭、肩や腹のきめ細やかな素肌が飛び込んできて、目のやり場に困った。
「見た目と違って力持ちなんだね、お兄さん」
「……」
さすが誘惑の海の魔女。
至近距離で見られると俺も誘惑されそうになる。
意識しないように視線を外して、外に向かった。
「お兄さんって年齢でもない。俺はソードだ」
生きた年数でいえば6000歳は超える。
「ソード。かっこいい名前だね」
「ただのコードネームだ。名前自体に意味はない」
DBの受け売りだった。
【潜水】の力は俺にしか適用しないようで、マリノアを抱えて壁を通過することはできなかった。
普通に事務所のドアから出て、夜の街を歩く。
「はぁー、首輪なしで外に出ると空気が違うねー」
「さすがに陸地は歩けないか?」
「私はセイレーンだよ? 抱っこしてて」
「……」
姉と違って甘え上手だな。
どうせならこのままシーリッツ海岸まで連れて、姉と対面させてやりたい。
でも、他にやるべき事がある。
シーポートにいる他のセイレーンの居場所を探り、救出可能かどうかを見極め、可能なら一晩のうちに全員連れ出す――。
事務所の男を尋問して聞き出そうと思ったが、マリノアが知ってるなら、今聞いてしまえばいいか。
「他のセイレーンの居場所はわかるか?」
マリノアは俺に抱きかかえられたまま、視線を下げて悲しそうに呟いた。
「実は、何処にいるか分からなくて……。みんなバラバラに捕まってるんだよ」
「なるほど」
人質を捕まえるときの常套手段だ。
お互いの居場所をわからない状態で別々に拘束し、どちらかが脱走を図ったとき、片方が拷問を受けたり殺されたりする。よくあるやつだ。
街の連中も卑劣なことをする。
「あのね。私が逃げたら……他の子たちが……」
マリノアが俺に弱みを見せてきた。
やはり自身が犠牲になることで仲間を助けようと考えていたか。
エレノアと一緒だ。
海辺の防波堤まで着いた。
こないだシズクと来たときには、アーセナル・ドックがエンジンを吹かしてモーター音をけたたましく鳴り響かせていた。
その練習場の海のフィールド。
今では月明かりが照らすばかりで静かだ。
「今回、私がレースの賞品になれば、仲間のセイレーンには綺麗な水槽と、定期的な海での遊泳が認められるようになるの……」
マリノアの水槽も清潔ではなかった。
明るく振舞ってるが、今も窶れていた。
エレノアがアークヴィランの囮で、お次はマリノアが仲間たちの生活の保障の為の賞品か……。
きっとそんな交換条件が際限なく続くだろう。
まともに相手にしたらイタチごっこになる。次はまた他のセイレーンが犠牲になるに違いない。
「ふーむ……」
俺は勇者時代から諜報活動もよくやった。
シールとタッグを組んで先行攻略組をしていた。
臨機応変に作戦を考えるのも得意である。
「確か、マリノアは歌が得意だったな?」
「うん! お歌は大好きだよ」
「今も歌えるか?」
マリノアは一瞬、瞳を輝かせた。
だが、すぐ俯いて苦い顔を浮かべた。
「……ちょっと今は自信ないな」
「どうしてだ?」
「だいぶ力が弱っちゃった……。せめて綺麗な海で思いっきり泳げれば……」
「そこで泳げばいい」
俺は月明かりに照らされた海に目配せした。
マリノアは動揺している。
「えっ、今から?」
「そうだ」
せっかくだから存分に英気を養えばいい。
しかし、マリノアは怯えたように身を縮こませた。
「でも海には恐いアークヴィランが……」
「クシャーケーンなら倒した。他にもアークヴィランがいたら俺が倒す。さぁ」
「えっ……えぇっ……」
マリノアは驚きながら、少しだけ頬を赤らめている気がした。