36話 四号パペット
砂漠へ行く前にヒンダのことを忘れてはならない。
グレイス座の劇場へ迎えに行くことにした。
覗きの件もあって微妙な気分だ。
あの美女に出くわしても弁解の余地はあるか……?
今ならDBもシズクもいる。
あるいは、顔が隠せばいいか。
まだ【狂戦士】で兜を作るだけの魔力はあるかもしれない。
先ほどヒンダと別れた場所は劇場の裏手だった。
ぐるりと迂回して入り口まで来た。
劇場の門をくぐると、ピエロのお面やカラフルなバルーン、鈴や旗が散りばめられた庭が現れた。
人形劇団というよりサーカス団のそれだ。
「わ~~……」
マモルは感嘆の声を上げた。初見らしい。
入り口の庭園をくぐり抜けると、劇場の正面入り口の前に、座って誰かと喋るヒンダの姿があった。
「おーい。そろそろ行くぞ」
ヒンダは俺に気づいたが、会話に夢中だ。
隣にいる奇抜な格好した女と熱心に話している。
ヒンダも同類な服装で、完全に溶け込んでいた。
あの服はグレイス座の衣装に寄せているのか。
「え……?」
ヒンダの近くまで来てから驚いた。
その劇団員の女に見覚えがある。
「ふふ、貴方の目にはどう見える?」
DBがそんな俺に背後からそっと声をかけてきた。
どうって……。
「またお話してね! それじゃあね、パペットさん」
ヒンダは"パペット"と呼ばれた女に手を振った。
そして俺に駆け寄ってきた。
「ソードも用事終わった? あたしもたくさんパペットさんと喋れて満足したよ。へへへ」
「パペット……って……」
劇団員の女が庭園を進んで近づいてきた。
女はまったく足音を立てない。
庭は芝生が敷き詰められていて、普通の人間なら草を踏んだ音の一つや二つは鳴らしてしまうだろう。
俺には人並み外れた五感がある。
ちょっとした物音も察知できるのだ。
それを微塵も感じさせないのは相当の手練れ――。
間違いない。
この女は、人形師パペット。
人間兵器四号。かつての同胞だ。
「また来たの……?」
パペットは露骨に警戒を示した。
俺に対してのものではない。
後ろのDBを睨んでいる。
「今日はたまたま通りかかっただけよ」
ふふふ、と不適に笑うDB。
この二人、元々は勇者同士、仲間じゃないのか。
なんで険悪な雰囲気なんだろう。
そもそもパペットは魔王に殺されたはずでは……?
「パペット。なんでお前がこんな所に?」
「……?」
パペットは小首を傾げた。
俺に気づいてない?
パペットは、まるで手品師が着るようなスーツを着て、黒のシルクハット、革のショートパンツに黒タイツという派手な舞台衣装姿だが、顔や雰囲気は間違いなく本人そのもの。
俺が見間違うはずがない。
「そこのお嬢さんの父兄の方?」
パペットはヒンダに一瞥くれた。
俺は手で違うとジェスチャーして会話を続けた。
「俺だ。ソードだ。覚えてないのか?」
「うーん。たまに私を知る人がそうやって声をかけるのだけど生憎と心当たりが……」
ヴェノムははっきり俺を認識していた。
人間兵器の仲間なら俺だとわかるはずだが。
もしかしたらパペットもどこかで眠りにつき、一度記憶がリセットされたのかもしれない。
「ソード! ナンパはダメだよ!」
「ナンパじゃねえ。昔のよしみだ」
「え? パペットさんと知り合いなの?」
「そのはずだ……」
人形劇団と初めて聞いたとき、確かに頭の片隅でパペットのことを少し思い出した。
でも本人が人形劇団に居るとは思いもしなかった。
現代で人間兵器が社会に溶け込んでいるのは、珍しいケースじゃないだろうか。
「ごめんなさい。昔のことはよくわからなくて」
「ほらぁ! パペットさんはグレイス座の座長だ。ソードがそんな大物と知り合いなワケないじゃん」
ヒンダの憎まれ口はもう気にならない。
パペットが俺を覚えてないことの方が驚きだ。
記憶干渉があったのだろうか。俺のように――。
「ねね、見て見て」
困惑する俺をよそに、ヒンダが手招きしてきた。
今は年相応の少女のように楽しそうだ。
「これ、開演百年を記念して贈呈されたフルートのモニュメントなんだよ。フルートは初代座長グレイスさんの好きだった楽器を模してるんだ。すごいだろ?」
「よくわからん」
「んー。ソードは感性がダメだね」
百年ってそんな老舗だったのか。
パペットはいつから座長を務めているのだろう。
「こっちの羊のモニュメントも二代目座長のアリサさんのイメージマスコット! 何度見ても好き」
普段のヒンダとは打って変わって興奮状態だ。
名残惜しそうに庭園を歩き回っている。
まぁ、ヒンダのことはどうでもいい。
「……」
今のうちにパペットに訊きたいことはある。
でも彼女の場合、まず俺を覚えてないから、打ち解け合って話すような雰囲気ではない。
今のパペットは警戒心が強そうだ。
DBだけじゃなく、俺のことも警戒し始めている。
言葉に悩む俺に、DBが耳打ちした。
「今日はやめておいた方がいいわ」
「……どういう意味だ?」
「今、彼女と過去を話すのは難しい、という意味」
「やっぱり何かあったんだな」
DBは俺の襟を掴み、さらに俺の耳に接近する。
もはや唇が付きそうなほどだ。
「また今度説明するわ。今言えることは現在、彼女のような"兵器"もいるということ」
"人間兵器をやめたのは、なにも私だけじゃない"
ケアの言っていたことが頭に残っていた。
四号も何か違う存在に成り代わったって?
「その事実が、これから貴方にどんな影響を与えるか……。それは個人的に楽しみだけどね。ふふふ」
今度説明すると言いつつ意味深なことを言う。
ケアの語り草はやっぱりムズムズする。
「言ったでしょう。――"思いがけない形で旧友と再会するかもしれない"って」
これは思いがけない形だったのか。
パペットが居たのは、そう驚く話でもない。
でも、俺のことを覚えていないということ自体に、何か思いもよらない秘密があるんだろう。